回想 奈落の縁からの逃亡『超重戦車E-100Ⅱの戦い 前編 マムートの初陣 第3話』

■4月26日(木曜日) ベルリン市のシュパンダウ地区


 配られたファストパトローネを塹壕の中で握り締めて、『この1本を撃っちゃったら、後はどうするんだ? 後方へ全力で駆けて、逃げるしかないのか? でも、怯(ひる)む敵が前進を停めて、退避していなければ、間近から簡単に、撃ち殺されてしまうだけだな……』と、悲観しながらも、200m前方に並べた路面電車を眺(なが)めながら、『行ってみたい場所が在(あ)るけれど、今度は、いつ乗れるかな』などと、春の霞(かす)む青空を見上げて平和な日々を想像していたら、いきなり目の前の路上に砲弾が落ちて爆発するまで、真剣に戦争を実感していなかった。

 100mほど離れて着弾した砲撃は徐々に近付き、僕達が隠れる爆弾痕の並ぶ場所に、集中して砲弾が落下して来た。

 次々と炸裂して噴き上げる炎と爆煙は、青空の陽射(ひざ)しを遮(さえぎ)って辺りを暗くした。

 切れ間の無い着弾は、まるで、塹壕の一(ひと)つ、一つに命中させて、穴底に伏せる僕達を一人(ひとり)残さず爆殺させるまで終わらないとばかりに、激しく炸裂した。

 初めは、近付いて来る爆発音と突き上げる揺れを塹壕に伏せて身構(みがま)えながら、ベルリン市の北西側になるシュパンダウ地区まで砲弾が着弾するとなると、ソ連軍の攻勢前面になる南側は激しい市街戦になっているだろうし、ソ連軍が包囲に来ているとニュースになっていた南側は、既(すで)に閉ざされてドイツ南部への脱出は不可能だと思い、もしも、此処(ここ)で生き残れて五体が動けば、脱出路は西側しかないと考えた。

 突然、伏せている体が抛(ほう)り上げられたかのように浮いて仰向(あおむ)けに落ちた。

 直後に叩(たた)き付ける衝撃波(しょうげきは)と熱い爆風が来て、顔と手足の千切(ちぎ)れそうな痛みに叫(さけ)んで泣いた。

 自分が潜(ひそ)んでいる塹壕が直撃されたなら、浮き上がった僕の体を砲弾の断片が削(けず)り取って、手足どころか、命が無くなったら……、この砲撃が止んだ後に生きていても、顔の半分が無くなり、胸に大穴が開いて、裂(さ)かれた腹から内臓が全部出ていたら……、指や手足も千切れて、其(そ)の耐(た)えられない痛さと熱(あつ)さに泣き喚(わめ)いたまま死んで行ったら……、など、其の時は生きていても、30分として生き長らえないと、最初に体が浮き上がった瞬間に考えてしまい、物凄(ものすご)い恐怖に襲(おそ)われた。

 間近に落ちた砲弾の炸裂で爆弾痕の縁(ふち)が、ガバッと飛ばされるような勢いで崩(くず)れ落ちて仰向(あおむ)けの僕に降り掛かる石畳片と砂が、まるで『次は、お前だ』だと、僕に触れなぞる死神(しにがみ)の鎌の刃先(はさき)のようで、きつく目を閉じて次の着弾身構える全身がガタガタと死の恐怖に酷(ひど)く震えた。

 背筋から首筋までが硬直して、頭が左右に細かく振られ、上下の歯が勝手にカチカチと激しくぶつかって、口を閉じられない。

 直(す)ぐに次の砲弾が続け様(ざま)に着弾して、僕達が隠れている大通り全体を掘り返した。

 自棄(やけ)に激しい集中的な砲撃に、僕達は見付かって狙い撃ちされているのかと考えたけれど、初弾の着弾爆発まで、大通りの彼方までの視界内に人の動きを見ていなかったし、皆は塹壕内に潜(ひそ)んでいたから、爆弾で掘れた穴が幾つも有るだけの無人の大通りにしか見えないはずだった。

 『ドサッ』、そう考えた時、砲弾の炸裂で撥(は)ね飛ばされた何かが、塹壕の縁に当たって滑り落ちて来た。直撃を受けた仲間の千切れた部位なのかと、恐る恐る見た物に僕はショックを受けた。

 それは、割れて半分になった空の木箱で、ファストパトローネを入れて運んで来ていた。

 何処(どこ)か視界の果ての影に待ち伏せるドイツ兵を、こっそりと見付け出して砲撃を誘導(ゆうどう)する敵の砲兵部隊の前進観測員は、爆弾穴の並ぶ大通りの中央で開かれた真新しい木箱達が、明(あき)らかに携帯兵器か弾薬用に見えて、受け取ったドイツ兵が周りの穴に居ると察(さっ)した。

 故(ゆえ)に、其の観測員が誘導する激しい砲撃を僕達は受けていて、今も誘導がされ続けている。

 それを知った僕の全身は、無情の怒りで、更に、激しく震えて逃げ出す気力は失せ、『どうせ死ぬのなら一瞬で』と願ってしまう。

 全身を強く震わす恐怖が、手足の筋肉を緊張(きんちょう)させてガチガチに力が入ってしまうのに、食物が通る内臓の筋肉は弛緩(しかん)して、胃が逆流し、直腸も排泄(はいせつ)してしまう。

 ブリブリと脱糞(だっぷん)した柔(やわ)らかな大便はズボンの中を満たして行き、更(さら)に、尿意(にょうい)を催(もよお)さないのに無意識に出てしまった小便が、ぐちゃぐちゃに掻(か)き混ぜて下痢糞(げりぐそ)のようにした。

 それが下腹部から踵(きびす)までの素肌(すはだ)に触れ絡(から)まるのと、其の臭(にお)いは胸が喘ぐ度(たび)に襟首(えりくび)から溢(あふ)れ漂(ただよ)わせて気分を悪くしてくれた。だけど、其の気分の悪さと恥(は)ずかしさも、次の着弾の恐ろしさが直ぐに忘れさせてしまい、ズボンの中の違和感は転(ころ)んで着いた泥濘(ぬかるみ)の泥(どろ)のように……、首周りに纏(まと)わり付く悪臭は廃墟(はいきょ)に溜(た)まる糞尿混じりの排水からのように…… 思ってしまった。

 塹壕の縁にザクザク弾片が刺(さ)さり、爆発で空中高く飛ばされた石畳(いしだたみ)舗装の欠片(かけら)がドカドカと落ちて来る。

 爆発音は全(まった)く聞こえない。

 叫びながら頭を抱(かか)えて蹲(うずくま)る僕を殺す破片が飛び交(か)っているはずなのに、自分の叫びも、爆発音も、何も聞こえないし、見えない。

 何度も撥(は)ね上げられて、真っ白になったコンクリート臭い大気は、息ができないくらい猛烈(もうれつ)に噴(ふ)き付けて来て、其の熱くて硬い空気に僕は圧迫(あっぱく)されて潰(つぶ)されそうになっていた。

 ヒトラー・ユーゲントの冬服の上下に短(みじか)い編(あ)み上(あ)げのブーツ、それに、頭にきつく被っているのは重いバックルが付いた鍔(つば)付き制帽。

 この日常の普段着的な外出時の服装、それだけが僕の体を覆って守っている。

 貫(つらぬ)かれるだろう鋭(するど)い弾片や、潰されるだろう落ちて来る重い瓦礫や、砕(くだ)かれるだろう大きな破片を防(ふせ)いでくれるヘルメットなどは全く身に付けていない。

 ただ、撥ね飛ばされながら偶然の幸運を願って祈るしかなかった。

 5分ほどだったのか、10分くらいは続いたのか、分らない激しい砲撃の間中、恐怖に頭を抱えて、伏せたり、蹲ったりしながら、大声で叫び通しだった。

 何度も吐(は)いて、上半身は吐瀉物(としゃぶつ)だらけだ。

 ゆっくりと後方へ移って行く着弾に気付いた時、突き上げる地面の振るえが無くなり、砲撃が止(や)んだ事を身体で理解した。

 砲撃が止んでも、暫(しばら)くは何も聞こえなかった。

 15分は過ぎた頃、誰(だれ)かが点呼(てんこ)を取り始めるけれど、誰も塹壕から顔を出さない。

 呂律(ろれつ)が回らない震え声で答えた声に、十人(じゅうにん)以上も同級生が殺(ころ)さられたのを知った。

 直ぐにでも、ここから脱走したいのに、砲撃に耐えて生き残った幸運の思いが、碌(ろく)な遮蔽物の無い大通りに立つよりも、まだ安全な塹壕の底に皆を伏せさせていた。

 更に、5分くらいが経(た)ち、ガタゴトと動きの悪そうな機械の移動音が交差点の向こうの方から聞こえて来て、斜陽(しゃよう)に照らされた廃墟の街並みを背後に近付いた音の黒い影が、瓦礫で固めた路面電車を圧(お)し潰して来た。

 其の時! 爆発が…… 起きると思って期待していたけれど、何の爆発もせずに、軍事雑誌のイラスト通りの長砲身の85㎜砲を搭載したT34型らしき戦車が、ゆっくりと大きな音を立てて路面電車を潰しながら踏み超えていた。

 僕達が並べてレールの杭で固定した4輌の路面電車の車内や周りを大きな瓦礫で埋(うず)めて交通遮断の障害物した後、夕刻に海軍の陸戦隊と空軍の降下兵の1団が遣って来て、何やら、地雷や爆薬で罠を仕掛けたと思っていたのに、路面電車は爆発しなかった。

 其の想像していた場面では、大爆発で端の2輌は弾き飛ばされ、間の2輌は折れ曲がって宙に浮き、圧(お)し潰そうとした敵戦車は、更に、高く突き上げられて、空中で爆発するはずだった。

 なのに、敵の戦車も、兵隊も、無傷で僕達に向かって来ている。

 一体全体、あの集まっていた兵隊達は何をしていたのだろう?

 それとも、仕掛けていたのに不発だったのかも知れない。

 いずれにせよ、兵隊達の不甲斐無さと期待外れに僕は、何事も無く迫って来る敵戦車を憤慨(ふんがい)の思いで見ていた。

 路面電車を踏み潰し終えた敵戦車の砲塔が突如として光り、砲口から放たれた赤い火の玉が僕の前面に迫って来るのを逃げる事も忘れて見惚(みと)れていると、仰(の)け反(ぞ)らすような風圧を残して頭上を越え、皆(みんな)が逃げた方へ飛んで行った。

 直ぐに塹壕の斜面に背を付けて滑るように底に沈むと、更に2発目、3発目、4発目と花曇(はなぐも)りのようになった空を背景に視界の左右に赤い火の玉が、1発目と同じ方向へと高速で飛んで行った。

 初めて実物を見る敵戦車は、並べた路面電車を踏(ふ)み潰したブリキ缶みたいにして乗り越えて来た。

 鉄の塊にしか見えない敵戦車にゾロゾロと随伴(ずいはん)する敵兵達は、埃(ほこり)と煤(すす)に汚れた姿と背後に舞い上げる塵(ちり)で歴戦の強者(つわもの)のように見えて、砲撃でズタズタにされた僕達の精神は殺される恐怖でバサバサに千切れ、既に何も考えられない薄(うす)い灰色の頭の中は真っ白になった。

 其の想像した事も、経験した事も無い恐怖のダブルパンチは、『戦え』どころか、『逃げろ』、『隠(かく)れろ』の本能の脅迫(きょうはく)となって、逃げ惑(まど)う皆の闘志を殺してしまった。

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 傍に倒れて光の無い瞳(ひとみ)で僕を見詰める骸(むくろ)の下半身はぐっしょりと濡(ぬ)れていて、被った粉塵(ふんじん)を湿(しめ)らせていた。

(彼も僕と同じで、本能が悟(さと)る死の恐怖に、身も、心も、縮(ちぢ)み上がったんだ……)

 血だらけになって倒れる仲間達に、僕の精神は恐怖と怒りの頂点(ちょうてん)に達するけれど、逃げ切るには敵を殺(や)っつけなければならない。僕は震えて強張(こわば)る手足と指を見詰めながら無理に意識して動かすと、握(にぎ)っているファストパトローネの照準器を起こして、照準孔を覗きもせずに1番下の孔辺りの角度で迫り来る先頭戦車に向けて放(はな)った。

 『ドン!』と、激発(げきはつ)レバーを押し下げた瞬間に肩に担(かつ)いだ金属筒から発した発射音は、心臓を縮み上がらせて、衝撃で舞い上がった埃(ほこり)と、後方へ噴出す爆発炎で熱くなった周囲の空気を喘ぐ肺へ吸(す)わせた。

 照準器を起こす力は訓練用ファストパトローネよりも新品の分だけ、強い力が必要だった。

 何度も起こして倒した訓練用のゆるゆるよりも、新品はガチガチに嵌まっていて、其の固さに14歳の非力な僕は、諦め掛けてしまう。だけど、ファストパトローネを使わないと、逃げ出すチャンスも生まれない。

 直ぐに弾頭を放って残った発射筒を捨て、次のファストパトローネを掴もうと屈(かが)みかけた時に、間近に迫る敵戦車の前面に閃光(せんこう)が光った。

 其の光が弾頭の命中したモノなのか、敵が戦車砲を撃ったからなのか、見定めないままに急いで屈んで、照準器のロックを外そうと指を動かした。

 再び照準器を掴んで思いっ切り力任せに引くと、今度は上手くロックが外れて起きてくれた。

 1度できた後は、理解した力加減と操作のコツに、次のファストパトローネから照準器を直ぐに難なく起こせるようになった。

 それからは、焼ける肺の咳き込む苦しさと、初めての実弾発射の音と衝撃で湧(わ)き出た勇気(ゆうき)に、僕は傍へ転がされたファストパトローネを片(かた)っ端(ぱし)から掴んで照準器を起こし、弾着も確(たし)かめずに矢継(やつ)ぎ早(ばや)でイワン達の方へ向けて打ち込んで遣った。

 2発目は外れて2輌の敵戦車を飛び越えた辺りの路面に落ちて爆発した。

 もう無我夢中(むがむちゅう)で、耳元を掠(かす)める銃弾も、胸元の瓦礫を砕いて跳ねる弾丸も、全身を駆け巡(めぐ)るアドレナリンの興奮で気にならない。

 視界の隅に見えた限りでは、命中したのに中(あた)り角度が良くなかったのか、弾かれて転がった路面で爆発した。

 操作教練の教官が言っていた、『命中すれば、必ず装甲板を貫通する。200㎜の厚みまで、貫通できるんだ!』は、必ずではなかった。

 弾かれたり、逸らされたりしたら、当然だが、命中箇所で爆発してくれない。

 僕の塹壕に転がされていた最後のファストパトローネは、照準器を起こして持ち直そうとした時にトリガーのレバーを押し下げてしまい、予期してなかった不意の発射は、僕を心底驚かせてくれて、一瞬で塹壕の中で渦巻(うずま)いた発射の熱い炎が、僕を包んでしまう。

 幸いヒリッとした軽い火傷だけで、弾頭も塹壕の縁スレスレに飛んで行ってくれたが、何処へ着弾したか、全く分らない。

 シュパンダウ地区の大通りに充満する黄色っぽい煙の様な塵と埃に敵の様子が分からなくて不安でいると、後方から吹き通った一陣(いちじん)の風が薄く晴らして行き、仲間のヒトラー・ユーゲント達を殺したイワンの群れが爆発で吹き飛んで倒れているのと、既に、30mまで迫っていた2輌の敵戦車の前面と砲塔に命中の痕(あと)が有り、見ていると前面に被弾(ひだん)した先頭の戦車が煙を噴き出し、開いたハッチから乗員が飛び出すと、輝(かがや)くような白い炎(ほのお)を上げて激しく燃(も)え始めた

 先頭戦車の真後ろの戦車はファストパトローネが砲塔前面に命中して、誰も脱出(だっしゅつ)しないまま、砲塔を吹き飛ばす大爆発を起こした。

 続く3輌目は、先行した2輌の被弾炎上(えんじょう)と大爆発を見て、逃げようと慌(あわ)て様に行(おこな)った急旋回(きゅうせんかい)で、5階建てのアパートビルへ突っ込んで逃げて行った。

 其の戦車はビルの中を大通りへの脱出を試(こころ)みて1階の壁(かべ)や柱の多くを破壊してしまい、結果、最下層の支(ささ)えを失(うしな)った上階の全ては瞬時に崩れ、其の小山のように積もる瓦礫で完全に埋(う)まってしまった。

 崩れ落ちた瓦礫は、飛び散る破片と舞い上がる埃になって、濃(こ)い霧(きり)のように大通りを真っ白にしてしまった。充満(じゅうまん)する粉塵と土埃の向こうからロシア語の呻(うめ)きや悲鳴(ひめい)が聞こえて、敵の動きが停(と)まっているのを知ると、僕は一目散(いちもくさん)に裏通りへと逃げる。

 警戒して入った裏通りに、敵はいなかった。

 狭い通りを西へ走りながら僕は、またもや、吐き気がして何も出る物が無いのに、壊(こわ)れたポンプのように何度も吐いた。

 逃げ切ったと確信できるまで、通り過ぎるドアを蹴破(けやぶ)って最上階か、地下室の隅(すみ)に隠れ込みたい衝動に終始(しゅうし)襲われた。

 全体で百人はいた部隊で大通りに防衛線を築いていたのに、既に、死んだのか、逃げたのか、誰にも出会わないし、見掛けもしなかった。

 状況から判(わか)る限り、この場所で生き残ったのは僕一人だけのようだ。

 砲声や銃声は周り中(じゅう)から聞こえる混戦状態に、確実にドイツ軍の守備陣地へ辿(たど)り着くまでは、誰も信用できないと思う。


つづく

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