【Episode:07】追われる貴弘

言い訳

 一泊二日の夏休み旅行から帰って来た翌日。


 その日は、ウェイトレスのバイトがあったんだけれど、私は、風邪を引いて熱があるからと、バイトを休んでしまっていた。


 風邪を引いたというのは嘘だけれど、気分が優れないのはほんとうで、朝から何も喉を通らなかった。


 バイトが始まる時間のちょっと前に、麻衣からメールが届いていた。


 私のことを心配してメールしてくれたのに、それに返信もしていない。


 落ちこんでばかりで、そんな迷惑ばかりかけている私は、家にたった一人。


 今日はお父さんとお母さんの結婚記念日なので、朝早くから二人は外出している。


 憂鬱な気持ちのまま、私は一人部屋の中にこもり、ベッドの中で過ごしていた。



『今俺が一番大事に思ってるのは……瑞貴だよ』――



 貴弘からそう言ってもらえた時は、ほんとに嬉しかった。


 生まれてからの十七年間で、一番幸せを感じた時だった。



 だけど、貴弘のその言葉は嘘だった。



 その言葉を言われたすぐ後に、それが分かった。



 私のことを一番大事とか言っておきながら、そのすぐ後に、貴弘は、その口で、莉子と唇を触れ合わせようとしていた。


 私は、その場面を目撃して、どうしていいか分からずに、すぐにそこを離れたけど、もしかすると、それ以上のことも……



 男湯と女湯を隔てる木の柵越しに、あの言葉を向けられて、それは、普段貴弘はクールだけれど、私と同じで奥手なところがあるから、面と向かって言うのが恥ずかしくて、その時を選んで言ったんだろうってその時は勝手に思っていたけれど、もしかすると、貴弘は、私が一番大事だって言いながら、柵の向こうでは、ほくそ笑んでいたのかもしれない。



 俺のカモが、また一人増えた、って……


 私は女の子だからよく分からないけれど、思春期の男の子は、女の子に対して、愛情よりも、その身体を求めようとする傾向が強いって、前に麻衣に見せてもらったファッション雑誌で読んだ覚えがある。


 私も、その欲求のはけ口として選ばれただけなのかもしれない。


 貴弘自身は、裏切ったとは思っていないという可能性もある。


 私のことを一番大事に想っているのはほんとだけど、告白して、恋人同士になったわけじゃない。


 だったら、俺が他のだれと肉体関係を持つのも自由なはずだ――そういう考えでいるのかもしれない。


 そうだったとしても、やっぱり私には、そんな考えは受け入れられない。


 裏切られた――そう感じることしかできない。


 悔しさ、情けなさ、嫉妬――色んな気持ちがないまぜになって、今も私の胸を締めつけている。


 その苦しさに、喘がずにはいられない。


 だけど、貴弘のことを信じたい、って気持ちが、まだ私の中には残っている。


 あの時、ナイフを持った相手に、後遺症が残っている右手で立ち向かって、私を助けてくれた貴弘。


 無謀っても言える行為だったけれど、それは、私のことを想うあまり、思わずとっさにとってしまったことだったって、信じたい。


 私の身体が目当てで、そう思われることを計算ずくで――なんていう風には思いたくない。


 でも、その時のことを思い浮かべようとすると、あの莉子とのキスシーンが、それを塗り潰そうって出しゃばってくる……




 あれこれ悩みながら、ベッドに横になっていると、携帯の着信メロディが鳴った。


 メールじゃなくて、電話の方だった。



 また、麻衣からかな……?



 ベッドから起き上がって、テーブルの上に置いておいた携帯を手に取る。


 ディスプレイに表示された時刻を見ると、午後五時を回っていた。


 いつのまにか、夕方になっていたみたいだ。


 画面には、相手の携帯番号が表示されている。



 それは、麻衣の番号じゃない――貴弘のだった。



 出ようかどうかしばらく悩んだけれど、結局、電話に出ることにした。



「……どうしたの?」


 自然と、少し険のある口調になっていた。


「瑞貴。俺、お前に謝りたいことがあるんだ。昨日、俺と莉子が、旅館の休憩所で一緒にいるところ、お前、見てたんだろ?」


 貴弘は、私が入り口から中を盗み見ていたことに、気づいていたらしい。


「……うん……」


 力ないながらも、頷きを返した。


「やっぱりそうだったのか……それじゃあ、俺と莉子が……その……」


 貴弘が言い難そうにしているので、私の方から、


「キスしたんでしょ。知ってるよ」


 何も見てない、と言えば、私達の関係がこじれることはないかもしれないけれど、貴弘に――そして自分に嘘をついて、それがなかったように振る舞うのは嫌だった。


 そうしてしまえば、またあの頃みたいに――自分の罪から目を背けて、うじうじ悩んでばかりいたあの頃の弱い自分に、戻ってしまうような気がした。


 受け入れたくない現実だけど、ちゃんと正面から向き合わないと。




「……そうか……でも、それは誤解なんだ」


「誤解? 何が誤解なの?」


 思わず、問い詰めるように尋ねていた。


「俺は嫌がったんだけど、莉子のやつが、無理やりキスしようとしてきてさ」


「……それ、ほんとなの? そういう風には見えなかったけど……」


「信じてくれよ。俺が好きなのは、瑞貴だけなんだ」



 『好きだ』――そう直接言われたのは、これが初めてだった。


 でも、あまりそれを喜べるような心境じゃない。


 できれば、もっと別の形で、その言葉を聞きたかった。



「……ありがと。でも、やっぱりまだ……」


「そうだよな……俺が莉子とキスしちまったのは事実だし、口でどれだけ言っても、言い訳にしかならないよな……その償いをさせてくれ。俺が、お前のことだけを好きでいることを、証明するよ。今から会えないか?」


私は、しばらく悩んだ後、


「……うん。分かった」




 貴弘を、もう一度信じてみることにした。



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