思いがけない言葉
真夜中に、私は目を覚ました。
窓から部屋に射し込む、薄い月明かりで照らされた壁の時計を見ると、午前三時を少し回ったところだった。
正樹と麻衣、莉子は、すやすやと寝息を立てながら眠っているけれど、なぜか貴弘の姿だけが部屋になかった。
トイレに行ったのかもしれない。
でも、布団に包まったまま、しばらく待ってみたけれど、貴弘は部屋に戻って来なかった。
もしかしたら、露天風呂に一人で入りに行ったのかな……?
私は、夕方、露天風呂を出た後、貴弘が、こう言っていたのを思い出した。
「ここの露天風呂の眺め、綺麗だよな。わいわいやりながら入るのもいいけど、一人でゆっくり入ってみるのもよさそうだ」
私は、物音を立てて、他の三人を起こさない様に注意しながら部屋を出て、大浴場に向かった。
大浴場の脱衣所で浴衣を脱いで、露天風呂に浸かると、
「――貴弘、もしかしてそこにいる?」
私は、男湯とを隔てている、木の板で出来た柵越しに声をかけてみた。
他の人がいたらどうしようって、恥ずかしい思いもあったけれど、男湯から返って来たのは、
「その声……、瑞貴か?」
貴弘の声だったことで、私はほっとしながら、
「やっぱり、ここにいたんだ。部屋にいなかったから、もしかして、一人で露天風呂に入ってるのかな、って思って、私も入りに来てみたんだ」
「昼間入った時は、他にけっこう人がいたからな。途中で目が覚めたから、一人でゆっくり入り直しにきてみたんだよ。賑やかなのもいいけど、こうやって静かに入るのもいいもんだよな」
「そうだったんだ。……貴弘、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「貴弘、電車の中で、正樹に、ブログに載せる写真のこと聞いてたよね」
「なんだ、聞いてたのか。音楽室の時もそうだったけど、お前、盗み聞きが得意なんだな」
貴弘がちょっと意地悪な言い方で冗談っぽく言った。
「そんなつもりはなかったんだけど、なんか、顔を出しづらくなっちゃって……」
「お前にああ言いはしたけど、正樹に対して、何の疑いも持ってないかっていうと、そうでもないんだ。他に、心当たりがまるでないからな。俺と麻衣のこと、いちおう聞いてみようとはしたけど、なんか旅行中に気まずい思いしそうだったから、やめといたよ」
「そうだったんだ……貴弘に脅迫状送り付けた犯人って、いったい誰なんだろうね」
「分からないな……正樹じゃないって、俺も思いたいけどな……」
貴弘は、少し声を曇らせてそう言ってから、
「それじゃあ、俺はそろそろ上がろうかな。あまり長湯してたらのぼせちまう。聞きたかったことって、それだけか?」
「実は、もう一つあるんだ――」
私はちょっとためらいはしたけれど、思い切って、
「貴弘って、藤山さんのこと、どう思ってるの?」
「莉子か? なんでそんなこと聞くんだよ」
「だって……藤山さん、貴弘に気があるみたいだから……あからさまなアプローチも見せてるし……貴弘は、それをどう思ってるのか、気になって……」
「別になんとも思っちゃいないよ。俺の中じゃ、少し親しくなった同級生の一人、ってとこだ」
「でも、藤山さんと一緒にヘラブナ釣りしてる貴弘、すごく楽しそうに見えた」
「せっかくの旅行だからな。お前と莉子とで態度変えるようなことして、空気悪くしたくなかっただけだよ」
「……それは分かるけど……」
「……俺が今大事に思ってるのは……瑞貴だけだよ」
「え……?」
突然そう言われて、思わずきょとんとしてしまった。
「……そろそろ上がるかな。俺は先に、部屋に戻って寝るよ。瑞貴も、あまり長風呂はするなよな。あまり長くつかってると、ばあさんみたいに、指がしわしわになっちまうからな」
貴弘は、冗談っぽくそう言った後、湯船から上がって行ったみたいだった。
私は一人、湯船に浸かりながら、貴弘の言葉を、胸の中で繰りかえした。
『俺が今大事に思ってるのは……瑞貴だけだよ』
嬉しくて堪らなかった。
溢れるような幸せが、私を満たしていた。
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