冷たい言葉
午前中の授業が終わって、問題の昼休みがやってきた。
貴弘と、二人きりで会って話をするなんて、あの五年前の事故の時以来になる。
その時が近づくにつれて、胸の鼓動は、徐々に高まっていっていた。
「瑞貴……なんか顔が固まってるみたいだけど……ほんとに大丈夫なの?」
緊張で一杯の私に、麻衣が不安そうに。
「だ、大丈夫だよ……たぶん……」
自信がない私は、言葉を詰まらせながら。
「せっかくあっちから誘ってくれたんだからね。このチャンスを逃したらダメだよ」
「う、うん。それじゃ、私そろそろ行くね」
怖じ気づいていたら何も変わらない。ここで頑張らないと、一生後悔してしまうことになる。
「瑞貴、ファイト!!」
麻衣に励まされながら、私は、緊張で強張った身体をなんとか動かし、ぎこちない足取りで屋上へと向かった。
貴弘は、午前の最後の授業が終わってすぐに、教室を出て行ったので、多分屋上で、私が来るのを待っているはずだ。
*
高鳴る鼓動を抑えながら、階段を上がって屋上に出た。
普段屋上は、昼休みになると、一緒にお昼ご飯を食べるカップルなんかで賑わうんだけれど、私達の四時限目の歴史の授業は、先生の気まぐれで、チャイムを鳴らすだいぶ前に終わったので、まだ人気がない。
屋上には、一人の男子生徒だけがいた。
それは、貴弘。
こちらに背を向けて、手すりにもたれかかるようにして、そこからの景色を眺めている。
その後ろ姿を見た途端、私の胸は、さらに大きく高鳴った。
いったい貴弘は、私に、何を伝えようとしているんだろう?
もしかしたら、ほんとに前みたいな、仲の良い幼馴染の関係に戻れるのかもしれない……
緊張に胸が高鳴る中、そんな淡い期待が浮かぶ。
だけど、なかなか自分から、貴弘に近づくことができない。
私が躊躇っていると、屋上からの景色を眺めていた貴弘が、ふいに振り返った。
胸の鼓動が、ドクン、と一つ大きく高鳴る。
鼓動を高め切った心臓が、喉から飛び出てきそうだ。
だけど、私は貴弘から、視線を逸らさなかった。
逃げちゃだめだ。
貴弘がどういう気持ちでいるのかは分からないけど、それを、ちゃんと受け止めないと。
貴弘は、私の姿を見ると、ゆっくりとした足取りで、傍に近づいて来た。
「――貴弘、私に伝えたいことって――」
なけなしの勇気を振り絞って、私から声をかけた。
だけど、貴弘の言葉が、それを遮った。
「お前、昨日俺が音楽室でピアノ弾いてるところを、こっそり覗いてたんだってな」
「え……? なんで貴弘がそれを……」
「小野田先生から聞いたんだよ」
「あ……そう……だったんだ……」
「頼むから、二度とそんなことするの、やめてくれないか」
貴弘から突きつけられた、蔑むような視線と、冷たい言葉――
「え……?」
それ以上言葉が出てこない。頭が真っ白になってしまって、どう答えたらいいのか分からない。
「あまり俺の傍に近づこうとしないでくれよ。俺が言いたかったのはそれだけだ。じゃあな」
貴弘は、そう言うと、ズボンのポケットに両手を突っ込んで、私の横を通り過ぎて、屋上を出て行った。
――貴弘は、まだ私を許していなかった……
苦しいリハビリの末、貴弘は、怪我の後遺症を克服しつつある。
もしかしたら、また前みたいに、両手を使って、思うように、上手にピアノを弾けるようになるかもしれない。
でも、そうなったとしても、私達が、昔のような、仲の良い幼馴染の関係に戻ることなんて、無理だった。
右手が、思うように動かせるようになったとしても、貴弘には、五年間のブランクがある。
それを埋めるためにどれだけ努力しても、プロのピアノ奏者として、世界に羽ばたく、という貴弘の夢は、叶わないかもしれない。
その夢を奪ったのは、私。
そんな私を、貴弘が許すわけがない。
射し込んでいた、明るい希望の光――
それが、闇に塗り潰されて、その中から、影を潜めていた罪悪感が、再び頭をもたげてきていた。
いつのまにか、どこからか流れてきた灰色の雲が、頭上に居座っていた。
降り落ちた滴が、屋上のアスファルトの上に、ポツ、ポツ、と小さな染みを作る。
だけど、それは、灰色の雲が雨を降らせたわけじゃない。
私の目からは、幾つもの大粒の涙が溢れ出て、零れ落ちていた。
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