『異世界。』
「……きもちいいですか? ロークさん」
ゴツゴツしたじいさんの腕に、白く細いエルフの手がのっている。
じいさんの腕をとり、やさしく揉んでいるニケア。
ロークはむかし傭兵をしていたらしく、その際にできた古傷が痛むらしい。
――クッ……腕が。なんて、リアルでそんな台詞を吐いて、ときどき顔をしかめるから……。オレはなんか……。
う、うらやましくなんかないんだからね!
「……ありがとうございますニケ様。もう、だいじょうぶですだ」
「もういいんですか? また痛んだら、えんりょなくいってくださいね」
さいきんよく、この光景をみる。食後のおだやかな時間。
異世界に来てはじめて持つことのできた、オレの大好きな時間。
「さっきは……あの、みなさんありがとう」
ぺこりと頭をさげるニケア。
……なんだろう、このハートウォーミングな空間。
そんなとき、
――ギイィ。と、音をたててドアがひらかれた。
アステマだ。半身だけを、部屋にいれる。
「ククッ……『メルル』よ。聞くのだ。我は慈悲深い。おまえにもういちどチャンスをやろう……おまえに後悔させてやるといったが、あれは我が本意にあらず……か、かんちがいしないでよね……よく話あえば……」
――フーッ!!
力いっぱい威嚇する子ネコ。
「(ビクッ)!? そうか……聞くネコ耳をもたぬか……。せ、せいぜい。後悔せぬといいがな……」
バタン。と、ドアが閉められた。
「「「「…………………………………………」」」」
この場にいた全員が顔を見合わせる。静寂に支配される空間。
――たっぷり間があって、沈黙を破ったのは老婆のブーケ。……うん、気をとりなおしていこう。
「えっと、……ニケ様は、ほんとうにお優しい。私達のようなものにも、いつもこのように接してくださって」
……知ってる。オレの自慢の嫁だからね!
「そんな……ニケはただ……。あ、食器を片づけますね」
「そのようなことは私が……」
ちゃんとした、本当の家族というものが、いたとすれば……。家族で過ごす団らんというものは、本来こんな感じなんだろうか。オレはそんなことを想った。忌むべき
「……いいさ、
オレはそう独り言ちた。
すると、
――ギイィ。と、再度ドアがひらかれる。
また、半身だけを部屋に入れてアステマ。
「……すこし考えたのだが、おまえの判断はもっともだ。飢えた獣よ。……エサが欲しいのであろう。我としたことが、うかつであった……忌むべきニケのやつは、おまえにすこしずつエサを分けるという……。おまえがそのエサに目がくらんでもしかたがない。我は恨まぬ。生きるために、だれしもがおなじ選択をするであろうよ……ククッ。しかし、よく聞け獣。我の食事は、毎食みなの3人分ときまっておる」
「決まってねーよ! だいたいおまえ、食い過ぎだから!」
そんなオレのツッコみを、スルーするアステマ。
「驚くな。いまなら……なんと。そこから1人分をおまえにくれてやろう……ククッ。どうだ? 太っ腹であろう。だからエルフを捨て、我の仲魔になれ」
それを聞いた
そのようすをみて、にんまりとするアステマ。悪魔の笑みをうかべた。
勝利を確信したのだろう。ガバナーに手を伸ばす……抱きかかえようとする。
お、いけるのか?
「ッあ!――い、いったあ!」
おもいっきり前足で指を引っ掻かれたアステマ。ひとさし指を押さえて逃げ出した。バタン! と、つよくドアが閉められた。
「「「「…………………………………………」」」」
「あの……ダイスケさん」
「……いまは、なにもいうなニケア」
気持ちを切り替えよう。ニケア。そうニケアの存在だ。
オレの嫁ニケア。透明感のあるといった表現そのままのうつくしい顔。やわらかなブロンド髪からのぞく、ながく先のほそい耳。彼女はエルフだ。そう、まぎれもなく『異世界』の存在だ。
この異世界について、思うところがある。異世界が、現実からの逃げだという見方もあるが、オレにはそうは思えない。
誰しもが等しく、己が活きる場所をみつけることは容易ではない「ここではない何処か」「きっと何処かに」と願う心が人にはある。誰しもが活きる場所は、きっとあるのだろうと思う。あって欲しいと願う。しかし、それが何処かなんて、誰にも解らないのではないか? その何処か? が『異世界』であってもよいのではないだろうか。そう『異世界』というものは象徴的なものであって、そのものではない。
オレは想う。『異世界』は、逃げなどではなく、祈りなのだ。希望を願う人の祈りそのものなのだ。そう、その敬虔な祈りにも似た願いこそ『異世界』なのだ。
幸いにしてオレは異世界に来られた。だが、普通はまず来られないだろう。だとすれば、物語をつうじて、せめて心で異世界を旅をすることは……その身を置くことは、悪いことなのだろうか?
すくなくともオレには元の世界の十数年よりも、
――ギイィ。と、音をたてて
ごくわずかなスキマからアステマが覗く。
「………………………………。アステマ、おまえいいかげんにしろ! オレがいま、まとめてんだから! 想いにふけってんだよ! すんごい、いいかんじに総括してんだよ!!」
「そんなの、しらないし……。メルルよく聞いて。これで最期だからね。あたしの食事の半分をあげる。きっと、食べきれないとおもうよ……おねがい。これで仲魔に……ね? もういいでしょ?」
もはや涙目のアステマ……。
その様子をみて、椅子から降りてゆっくりと、トコトコとアステマの足下に向かう
「!? やっと……うう……。あたし、うれしい」泣きながら笑顔をうかべ、人差し指で、己の涙をぬぐうアステマ。その人差し指には小さな包帯が巻かれている……。
ガバナーはアステマの足下へ進むと、その黒革ブーツの先に、ちいさなお尻をのせた。
ぶるっ、と身体をふるわせて――
――シャー。
「うえ?」青ざめるアステマ。
――サッ、サッサッ。
後ろ砂をかけるしぐさ。アステマのブーツが液体で濡れた。
そのままトコトコと元の椅子の位置にもどる。
「くあ! ふっざけんなよ! クソネコ!!」
――フーッ!!
牙をむくちいさな獣。
「うあ!? ゴメン。って……、バカバカバカ! メルルのバカ! もうしらない!」
子ネコ相手に、マジギレをすると。バタンとドアを閉めて、アステマは去った。
ガバナーはつまらなそうにあくびをして、それを見送った。
……えっと、なんだったっけ。
オレはこの異世界で……。
……いいやもう。なんか心が折れた。いろいろと……どうでもいいや。
いつものように、ニケアの胸をさすろう。その耳を、はむはむしよう。
「なーニケア。いつもの部屋で、いっしょにミードでも飲もうか?」
オレの言葉に、愛するエルフは頬を赤らめて、だまって首を縦にふった。
これでいい。これが、これこそが『異世界』よ。
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