ダイニング・テーブル
「旨そうに食うから勘違いしていたんだ」
フォークに一切の味覚はない。旨いという言葉は食事の席における自分の行動を映す鏡でしかない。わかっていたことだ。あいつがフォークだと、ナイフは知っていた。知っていて、連れてきた。ケーキを欲することも、味覚がないことだって。
「俺は、一緒に食事ができる人が欲しかったんだ」
「それぼくじゃだめ?」
「大丈夫だったらこんなことは言いださない」
心外だなあ、と呟き、ケーキは椅子にふんぞり返った。
「ジャックってば、美味しい? って聞いて頷いてもらうのが癖になっちゃってるんだよ。わかるよ、ぼくもそういうことするもの」
「同じなものか。シュガーを添加した『シロップ漬け』や、ケーキの体を舐めさせるのとはわけが違う。今までの食客たちで俺の料理を旨いと言った人間がどれだけいる。フォークだけが違った」
吐き出し摂食を拒んだ人間達を、ナイフはストレスで肉が固くなる前に殺した。ケーキはあの白い部屋の中、二脚しかない椅子の客席側に座って何度もそのご相伴に預かっている。ケーキは肩をすくめた。
「それで、本性を隠して飼ってたってわけ。情が移っちゃったんだ?」
「食べようと思っていたのは本当だ」
「そうだよね。ジャックってばあの時、黙れとは言ったけど、否定はしなかったもんね」
食べるために連れてきたのは否定しようのない事実だ。若く柔らかな肢体に薄い体臭、育ちの良さそうな表情作りを、ナイフは酷く旨そうだと思った。裂いた肉はうんと良い味がするだろうと思い、骨や臓腑を分けるために飼い始めた。それがどうだ、このざまだ。
「……フォークのやつ、俺にキスしたんだ。向こうから」
「おっ、ストックホルム症候群か! とするとなんだ、性行為を迫られたってわけ!」
ケーキは身を乗り出した。ナイフは即座に否定する。
「違う! あいつ、俺の唇を舐めて、『甘い』って言ったんだ」
ケーキに、ケーキというだけでフォークを横取りされるのが我慢ならなかった。ひとつ屋根の下、同じものを食べて、同じように美味しいと言った人間だ。それを、奪われるのは酷く悲しく、苛立たしかった。
「なるほど唾液。それで僕に突っかかってきてたってわけか。おーよしよしかわいそうに」
◆
頭をなで続けるケーキに、ナイフはだんだん苛立ってきていた。
「なあ、チェリー、お前、俺を馬鹿にしてないか」
怒りを込めたナイフの視線を受け、ケーキは撫でていた手を止めてきっぱりと言った。
「いいや、いまぼくはジャックがマジでかわいそうだと思ってる。代わりに泣いていいか? 泣くぞ? 我が友人、ジャックナイフの健康を祈って!」
ケーキはナイフの肩に手を置き、高らかに宣言した。
「やめてくれ、気持ち悪い!」
「えぐっえっえっ、おぉぉぉおおお! ジャック! かわいそうに!! うううううう!」
ケーキはナイフの隣で声を上げ、ぼろぼろと涙を流し始めた。突然の奇行に、ナイフは大いに困惑した。
「うるせえやめろ! なんなんだ! なんだんだお前!」
◆
「ナイフ?」
「酷い目にあった……なんだ、俺の服に何かついているのか?」
「……ちょっとだけ蜂蜜の匂いがする、ような」
「さっきチェリーと会った。飯にしよう。腹が減っただろう」
「うん」
◆
湯気の立つミートパイをナイフは丁寧に切り分けてサーブした。フォークは肉匙でそれを切り崩し口へ運んだ。
「温かい」
「出来立てだ。冷めないうちに食べてくれ」
真白な部屋のなか、人間と食事だけが色を持つ。久しぶりに訪れた、二人だけの静かな食事だった。
「……ナイフの料理は温かい」
フォークの独り言をナイフの耳は拾った。その言葉に額面以上の意味が含まれているように感じられて、ナイフは問い返した。
「……どういう意味だ?」
独り言のつもりだったフォークは口篭もり、言葉を探した。『なんでもない』はご法度だ。
「ここに来るまで、食事はいつも冷たい流動食を食べていたんだ。誰もいない食卓と冷たい食事……僕は独りきりで、味はどのちみちわからなかった」
誰もいなければ、何を食べても同じだ。そう言って、フォークは俯きがちにナイフの方を見た。
「ナイフはいつも美味しいものを食べていて、僕はそれと同じものを食べている。それが、嬉しかった。味覚が機能しなくなっても、味の概念が消えるわけじゃないから。ナイフはいつも、温かくておいしいものを出してくれる」
「そうか」
ナイフは頷き、決意を固めた。
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