ハチミツとサクランボ

「旨いか」

問いにフォークは頷いた。男は毎食きちんとしたものを作り、そのすべてを旨そうに食べる。男の表情や振る舞いは、まだ味の区別がついたころの快い記憶のことごとくを引き出した。それは、味覚をなくして久しいフォークへの、いくらかの慰めとなった。

「そうか」



白い部屋に、ふわりと香る蜂蜜の匂い。香る黄金の蜜の香に、フォークは座ってた白い椅子からふらふらと立ち上がった。ライトの横をすり抜けた彼の虹色の影が、扇子のような弧を描く。

「甘い、匂い」

「どうした」

男は白い鍋をテーブルに置いた。蓋の隙間からは温かな湯気がゆらゆらと立ち上っている。

「甘い匂いだ」

鍋には目もくれず、フォークは男に顔を寄せる。食いしばった歯の間から垂れる唾液にフォークは気付かない。ただただ、男の胸ぐらを掴み、寄せた鼻を獰猛にひくつかせるのみ。フォークは胸に鼻を突っ込んで、直接息を吸い込んだ。

「……」

男は目をぱちぱちさせ、思いついたように着ていたシャツを床へ放った。フォークはそれに引き寄せられるように体を離した。

「セックスの誘いってわけじゃなさそうだな」

拾い上げたシャツの匂いを嗅いでいたフォークは、その一言で我に返った。半裸の男は特に怒った様子もなく、頭を掻いた。胸元でネックレスが揺れる。

「飯にするか。腹が減ったんだろう」

「あ、は、はい」



「フォーク」

「な、なに?」

監禁されて何日たったかわからない。フォークは部屋から出ることを諦めた。どうせ帰っても冷たい流動食生活に戻るだけで、特に急ぐ必要もないことに思い至ったのだ。ここは暖かい。少なくとも、大人しくしている限りは。

「俺の名前を教えてなかったと思ってな。ナイフだ。ナイフと呼べ」

フォークは訝しげに頷いた。男はしばし思案した。

「……友達を呼んだ。人間が二人に増えれば呼び名に困るだろう」

「と、友達」

「美食家だ。対応は俺がするからいつも通りにしててくれればいい」



「こんにちは。フォークさんだっけ? ジャック、これが件の人?」

「そうだ」

甘い匂いがフォークに眩暈を引き起こす。とろけるような快感の渦。食欲をそそる芳香が肺を満たす。黄金の煌めき、花の芳香。フォークは自分が涎を垂らしているのにも気づかぬまま、ふらふらと彼女に近づいた。

「まずい」

ナイフはフォークを羽交い絞めにした。フォークは手足を動かし、ナイフに抵抗した。

「えー、なになに。この子見た目によらず強姦とかするの? ぼく男だよ?」

「客の前でスカートを捲るな。こいつはフォークだ。間違いない」

「フォークなの? ヤバいね。じゃあぼくはケーキって名乗ろうかな? よろしくねフォークちゃん。お近づきのしるしにごっくんする?」

ケーキは肩を揺らして笑い、真っ赤な舌を出して見せた。ナイフはむっとして言った。

「俺の食客に変なことするんじゃない」

ケーキは取り合わず、ヘラヘラと笑っている。

「いいじゃん、別に」

「ストレスをかけるな。現時点で俺と飯を食う唯一の人間だ」

「えっ、同じ皿から!? ホモじゃん、ウケる」

「チェリー!」

ケタケタと笑うケーキに、ナイフは怒鳴った。

「フォーク、お前も黙ってないでなんとか言え」

「ふぇ!?」

ケーキに気を取られていたフォークの意識がナイフによって戻される。

「ふぇ、だって。かーわいい。ねえ、ジャック」

甘えるような声を出し、ケーキはフォークを指差した。

「駄目だ。手を出すな。俺の客だ」

「ケチんぼめ。ねえ、ご飯まだ? お腹すいた」

「……部屋で待ってろ。すぐに用意する」

声色でねだるケーキに、ナイフは苦み走った顔でそれだけ言った。



ケーキは出て行き、部屋には芳しい残り香だけが残された。ナイフはフォークに向き直って言い含めた。

「いいか。チェリーには近づくな。特に甘ったるい声を出したときは絶対に部屋の扉を開けるな。部屋に入られたら、シャワー室へ閉じこもって鍵をかけろ」

フォークは夢見心地のまま、ナイフの話を聞いていた。

「う、うん。友達って話だったけど……」

ナイフは呆れたように首を振った。

「事情が変わった。フォークはフォークでチェリーはケーキだ」

「フォーク……あっ」

フォークは秘密がばれたことを知った。青ざめたフォークが何かを言う前に、ナイフはもう一度首を振った。

「言わなくていい。知っていた」

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