バース・オブ・ケイク
佳原雪
檻と温かなスープ皿
「おいフォーク。飯だ」
「う、うん」
◆
フォークは檻の中にいる。刑務所ではない、一般人の邸宅だ。『彼』はフォークを監禁し、白い六畳間で食事を与えた。
「今日の食事だ」
「ど、どうも……」
カタリと並べられる真白な皿に、蛍光灯の光が映り込む。フォークは居心地の悪さを感じる。この部屋は白い。きらきらと光るグラスや、強い光で影を幾重にもスライスする蛍光灯、几帳面に塗られた家具のひとつひとつが、この、体と、馴染まない。
この部屋で色のついた物は、人間と食事、それだけだ。
「ボルシチだ」
白い鍋から取り分けられる不自然なまでに赤い汁。フォークは食器を握り、相手の様子を伺っていた。
◆
「どうした、食べないのか」
はっとして、フォークは湯気を立てるスープを見た。目の前の男は既に食べ始めている。不興を買わぬよう、フォークも手を合わせた。
「い、イタダキマス……」
「たんと食え」
掬って、一匙、口へ運ぶ。何の味もしない温かな汁が、喉を滑って胃へ落ちる。温かい。しかし、何の味もしない。目の前の男は、淡々と掬っては口へ入れる。様子を見る限り、旨いのだろう。この目の前の赤い汁は。フォークは味がわからない。
味覚がなくなったのは、いくつの時だっただろうか。フォークの持つ味覚障害は後天性だ。フォークは、美味しいということ、甘いということが、どんなことだかわかる。味覚の快楽を知っている。しかし、それを感じる知覚は既に摩耗しきって、どこにもありはしない。フォークの舌は味を解せぬ。
「なんだ」
フォークの視線に気づき、男は顔を上げた。フォークは相手を刺激しないよう、言葉を探した。『なんでもない』はご法度だ。
「お、美味しそうに食べるなあ、って思って……」
「何が言いたい」
真顔で男は問い返す。フォークは冷や汗をかいた。
「え、ええと、味の良し悪しっていうのがよく分からなくて、でも、美味しそうに食べる人と食事をすると美味しく感じる、から…… それは良いことだって、思う……」
男は手を止め、フォークを見た。目に映る、黒い不透明の眼球。男はすぐに目を落とし、皿を掴んだ。
「そうだな、その言い分はわかる。そしてこれは実際旨い」
皿を空け、男は鍋の中を引っ掻き回した。皿にふた掬い注ぎ足し、男はフォークの皿を見た。
「少しだけ余ったが食うか」
「あ……貰います」
◆
「喜べ。今日はなんとハンバーグだ」
「ハンバーグ」
スキレットの上で湯気を上げるハンバーグには、クレソンの葉が載っていた。サーブされる皿を見てフォークは目を輝かせた。割ったジャガイモの上に乗って光るのはバターだろうか、マーガリンだろうか。味覚のないフォークにはどちらにせよ同じことではある。同じことではあるが。
「おお」
切り分けて、口の中に入れる。少し熱い。そして、何の味もしない。目の前の男はハンバーグを嬉しそうに食べている。フォークは味がわからないことを少し悲しく思った。
「旨いか」
「ええ、もちろん」
ここで味がわからないなどと言って言葉を濁せば不興を買うだろうということくらいはフォークにもわかる。フォークはにこにこしながらハンバーグを食べた。味がわからずとも、食感はわかる。食感がわかるならば、幼少期の記憶や周りの人間の反応と合わせて味を感じているふりはできる。フォークはずっとそうやって過ごしてきた。そうやって、『フォーク』として見られることから逃れ続けてきた。
「おいしい」
味覚がなくなってからも、ハンバーグは好きだった。ハンバーグは、ハンバーグというだけで大概旨いものだ。幸せの象徴、美味い物の代表としてのハンバーグ。フォークはハンバーグが好きだった。
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