本屋が遠い

@se_k_i

本屋が遠い

 多摩のはずれ、とだけ言っておこう。それ以上の必要性が恐らくない。

 「はずれ」というぐらいだから「あたり」もあるのか、と聞かれたら、なくはないとだけ答える。

 

 東京というネームバリュー、そして都会的現実も、多摩という地域からすれば別世界。

 多摩地域から都心へ引越せば、それは上京である。

 似たような郊外都市で埋め尽くされ、多摩は没個性の中でしのぎを削っている。

 中途半端な発展の仕方が、逆に自身の首を絞めているのだ。


 ではどうしてここは「はずれ」なのか、それは本屋が1軒しかないからである。

 1軒でもあればマシだ、と苦情が来てもなんらおかしくはない。

 しかし1軒でもあるがゆえに、生じる悩みもある。


 本屋が遠いのだ。


 少し前まで都心の大型書店に勤めていたせいで、書店とは日々自分の傍にある存在であった。

 それが退職と転居のせいで、市内に書店が1軒しかない多摩のはずれの、それも自転車で15分近く掛かる場所へと流されてきたのだ。


 この1軒だけある貴重な書店、ショッピングモール内のテナントで、多摩の一地域では非常に有力なチェーン店である。

 モールのテナントという立地条件のおかげで、規模は町の書店のそれ以上であり、在庫も豊富である。

 その適度に広い店舗というのもまた、私を悩ませるのだ。

 

 自転車で15分、中型書店、市内に1軒、これら揃いも揃ってみな中途半端なのだ。

 まるで多摩のはずれが抱える中途半端さを結晶化させたようなものだ。


 転居してから自転車でこの書店へ行ったのはまだ2回だ。

 自転車で辿り着いても、駐輪場からモール内の書店まで歩いていく距離がまた中途半端にあり、

 体感では自転車で来た時より辛いものがあるぐらいだ。


 そんなに本が好きなら図書館へ行けばいい、という意見は出るには出る。

 しかし本屋と図書館は似ているようで大きく違う。

 買った本と借りた本。

 収入と借金、どっちもお金を得ることではあるが、同じとは言えない。

 おおよそ、私の中では本屋と図書館も似たような感覚なのだ。


 市内で最も身近に本の息吹を感じるのは、コンビニのマガジンラックである。

 そこに個性があるのかと問われれば、殆どないとしか言えない。

 コンビニの品揃えに、それほど極端な地域差があるとは思えない。

 スーパーのマガジンラックになると更に縮小され、

 婦人誌とレディコミ、たまにコロコロコミック、しかもなぜか別冊だったりする。


 この町でなければならない理由、それを見失っているのが多摩のはずれという場所だ。

 いや、探してみれば他にも似たような町がきっとあると思う。

 中途半端に発展したせいで、自分を見失っている町が。


 物珍しい特産や観光名所を持たないがゆえに、履歴書の長所が埋められない。

 書き並べた短所でさえも、どこかで見た、聞いたものが並ぶ。

 

 しかしよく見てみれば、その履歴書の名前欄には自分の名前が書いてある。

 どこにでもある中途半端さ、それは多くの人間が持ち合わせるものだ。

 他人に寄りかかろうとした瞬間に、個性は簡単に没する。

 他人の中に自分の個性を探しても、それは汚れた鏡で自分を見るようなものだ。


 部屋に積まれた本は、私が色々な場所で出会い、買ったり貰ったりしたものだ。

 本たちの人生を拾い集め、それを読むという行為に何を求めているのだろう。

 そこにある個性を羨ましがり、時に失望したりする。


 市内の本屋では、まだ1冊も本を買っていない。

 そこで買った本に、人生を動かされたりするのかもしれない。

 

 そう、たとえば、


 バイトのレジの女の子に恋をするかもしれない。

 互いに最後の1冊を取ろうとして手が触れた女の子と恋をするかもしれない。


 いやいや、それは物語。しかも恋物語限定。

 現実に目を向ければ、レジのおじさんのブックカバーの掛け方にもやもやし、

 最後の1冊は自分が取る前に売り切れている。

 そういうもの。


 物語はずっと昔にニュータウンの地下へ埋められた。

 ここに存在するのはどこにでもある物語の、どこにでもいる登場人物。

 太陽が昇り月が沈み、お腹が空いて眠くなる。

 埋められた物語から生活だけが気化して、多摩を包み込んでいる。


 でも寝に戻る町としては、それが求められているのかもしれない。

 多摩は元々、ベッドタウンという役目を持った地域であった。

 東京の寝床である。


 どこにでもいる人間が帰る、どこにでもある町。

 それが多摩のあるべき姿であるならば、適切な発展を遂げた、と言えるだろう。


 多摩のはずれの端のはし、寝床は狭いワンルーム。

 私が読まなかった、読めなかった物語が、今日もどこかで書き出され、どこかで書き終わる。

 閉じられた物語がいつか本となって開かれるまで、私はそれを知る由もない。

 それでもいつか出会う本を開くために、私はまた本屋へ行くのだろう。


 しかし、やっぱり本屋が遠い。

 私の物語に私がそう書いてしまったせいなので、仕方のないことなんだけど。

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