我々は異世界で生きていく

紫苑

第1章 第1話

それは唐突だった、曲がり角から現れたトラックは猛スピードで傘を忘れて走りながら横断歩道を渡る僕こと花木雄哉を跳ね飛ばした。その時は強い雨が降っていて視界が悪かったこともあって一層周りが暗く感じられた。突如僕を照らす白いライトが左から差してきたかと思えば気づいたときには体に冷たい鉄の感触を感じて、その次には空を舞っていた。

これまでに味わったことがない、身体の何かが砕けた痛みが、体のありとあらゆる神経に伝わる。痛いと認識したがそれが声にならなかった。決して我慢したわけじゃない、口が動かなかったのだ

空を舞っている時は何故かスローモーションに感じられた、降りしきる雨粒一つ一つが肉眼でくっきりと見えたような気がした。その空が遠くなっていき、地面がゆっくり少しずつ近くなっているのを感じた、あぁ、もう落ちる

がんっ、と頭の中の物が弾けたような痛みと暖かいものが広がっていくのを感じる。これは助からないな、真っ黒の奈落に落ちていく意識の中で最後にそう思った。雨がなお降りしきる、雨粒に打ち付けられて冷えた体はどんどんとその冷たさを感じなくなっていく。トラックの運転手だろうか?救急車!と野太い男の声が聞こえているように思えたが耳に入ってくる音はだんだんと、ラジオの音量を下げるように小さくなっていく、そしてミュートになり目だけが辛うじて動かせたが、それももうすぐ終わった、瞼が石のように重くなって、それに逆らえなくなり、閉じた


暗い、ただ暗かった

目を開けると闇だった、黒く先の見えない闇が前を塞いでいた、後ろにも左右にも。闇に囲まれているのだ。

闇は煙が生物になったように、僕の周りを浮いていた。その浮き方が気味が悪く、触りたいとは思わなかった。

先へなればなるほど闇は濃くなり全く見えなくなっている、まるで先へは通さないと、そう言っているように思えた。

そうだ、夢だ、夢なんだ。死後の世界など馬鹿げている。

そう、夢であって欲しかった、しかしあのリアルな感触と鈍い痛みが、その可能性を否定している、そうだ、あれは夢じゃない...痛みを思い出し、体が反射的に縮こまる

上を見上げる、暗くて、数メートル先も見えない、これが死後の世界、もしそれがここなら何て暗くてなんて寂しい世界なんだ....。

ふと思った、これからどうなるんだ?ずっとここにいるのか?僕はひとりは嫌だ。

暗闇の中ただただひとりで寂しさが積もりに積もってきた、別のことを考えよう、そう思うと心のこりがふつふつと湧き出てきた、家族のことだ。

27年、なんて短い人生だったのだろう。ごめん美佳、子供見れなかった......妻とはまだこれからだというのに、子供とは一緒にキャッチボールしたり、反抗期に苦労してみたり、行きつけの居酒屋でおなじお酒を飲んでみたかった、それもこれも夢で終わってしまうのだろうか?シャボン玉のように弾けていく僕の夢、叶わない夢を語ると一つ一つと、無情にも消えていく

僕の人生は何だったのだろうか?死ぬために生きてきたのか、あのトラックに轢かれて死ぬのが、僕の人生のゴールだったのか?

寂しいが悔しさに変わった、やりきれない気持ちが抑えられない。しかしここではその悔しさを完全に晴らすことが出来ない、クソォ!と叫んだ後に握りこぶしに力を入れて我慢するくらいしかできなかった、そして悔しさのベクトルはかつての約束へと向かう。

情けない......守れなかった、あのときの約束を破ってしまった。

美佳にプロポーズしたとき、僕は一生守ってみせると、そう言った。言葉を思い出すと、瞬間的に顔を歪ませた。思い出すな、これ以上は...。そう自分に言い聞かせたがそれを無視して記憶のタンスの引き出しをどんどんと開けられていく。そうだ、あの時彼女は泣きながら僕のプロポーズを受け入れてくれた、それから街の小さな教会で幸せな結婚式を挙げた、だめだ、本当にだめだ。左右に強く頭を振って止めようとする、せめてもの抵抗が通じるわけはなく、僕はタンスの引き出しから開けられるものを眺めることしかできなかった。

僕は式のスピーチでも彼女を守ると公言した。

暖かい視線の中、僕たちは誓いのキスをした、終えた後の彼女の目は花木美佳として生きていくことへの期待感と少しの恐怖心を感じられた。僕が守っていかなければ。心の中で決心した、どんなことがあっても、絶対に。

それから今に至るまで、僕は大黒柱としての自覚を胸に働いてきた。将来生まれてくるだろう子供のために、愛する妻のために

笑顔で職場に送り出してくれ、帰りは笑顔で労ってくれる。そんな彼女のために働いた。

勤め先も決して大企業などではなかったが職場の雰囲気に満足していた。

時間は、思い返せるが戻れない。

いくらここで、嘆いても、どうするそともできないのだ

これから美佳はどうなるのだろう、一人、どう生きていくのだろう。

気づけば涙が出ていた、涙は頬を伝い地に落ちていく、とどまることを知らず、目からどんどん出てくる、拭いても拭いても出てくる。

僕は....僕は....、蹲って泣き出した。大の大人が何にも憚れることなく泣いた。顔をくしゃくしゃにして、嗚咽を漏らしながら、鼻水を垂らしながら、ただひたすらに泣いた。泣いても何も解決するわけではないが、ただ泣くことしかできなかった。そんな情けなさが、僕の涙にもなった。

突如僅かながら光が差した、トラックに惹かれた時と同じように、左からだ。素早く立ち上がり、鼻水を垂らした顔でその方向を見る

最初は弱々しく線香花火のように今にも消え入りそうな光だった、しかしそれがだんだんと強くなっていく。光は何かの物体が発光しているような光だった。それはその場で浮いていて動いていないようだ。

光が強くなるにつれ光の周りの薄くなっていくのを感じた。明け方の夜のように、だんだん闇は消え入っている。こちらにも光が漏れてきた、そんななか強くなっていく光は突如強く発光した。思わず目を強く瞑り顔を背ける。たった一瞬の出来事だった。そして不思議なことに闇は僕に光へ通じる闇のトンネルを作るように消えていた。あの光は僕のために闇を払ったのだろうか?、招き入れているのか、僕は何かわからない「それ」に近づくなんて怖かった、だがあの光に近づかないといけない、そんな使命感を覚えた。行かないといけない、進まないといけない。だから、あの場所まで行こう。おぼつかない足取りで光を目指す。足にうまく力が入らなかったのだ。途中何度か転びそうになりながら、なんとか転ばずに光に近づく。光は以前とその場にとどまり、まるで僕を待っているようだった。光が手に届く範囲まで近づく。手のひらで包み込めそうな野球ボールくらいの大きさの丸い物体から放たれている。光に手をかざすと、少しの暖かさを感じた。なんだろう、この暖かさ。大丈夫だ、一度死んでいる。息を多量吸い込んで、心を落ち着かせる。いくぞ、目の前の光を掴んだ。水晶のように硬く、熱もかざした時よりは熱かったが、それでも暖かかいものだった。瞬間、光はトンネルを作った時と同じく強く発光した。顔をそむけようとする前に光は僕を包み込んだ。地に立っているような感覚がなくなり、球体も手から消えていた。強い光の中意識が物凄い速さで体が上昇ことに気づいた。バイクに乗っていてもこれほどまでの速さを感じたことはないほど。あまりの速さに目が開けられなかったがなんとか目を少しづつ可能な範囲で開いてみると、輪のような円形のものが見えた、光はそこに向かって進んでいるらしく、輪がどんどん大きくなっていく。どうやらあれを通るらしい。もう、どうにでもなれ、光に身を任せて目を瞑る。意識がどんどん消えていくように感じる。光が速さを変えず進んでいく。不安や期待や恐怖、そんな感情が入り混じり言葉にできない心境の中、声が聞こえたように感じた。耳から聞こえるのではなく、頭に直接入ってきたように

いきる意味、その答えを

意識が、完全に消えた。




いい匂いがする、花の匂いだろうか?

緩やかな風に乗って運ばれてきた甘い何かの匂いが僕の鼻をくすぐった。

目の前は雲がほとんどない快晴の空、仰向けに寝転がった背には小さな草たち。

そして

「兄さん、なにしてるんですか?」

若い男の子の声

思わず起き上がる、目の前には遠くまで広がる一面の原っぱが地平線がくっきり見えるほどに広がっていた。道路などは一切整備されておらず、僕の数メートル後ろでは轍などで作られたでこぼこな道があり、それが僕の右の方向の遠く先にあるお城のような建物へと細々と続いていた。

そのお城を見ると、西洋風に作られた城下町に見えた。お城は山を切り崩して建築したのか平地より少し高いところにある。そこから下に広がるように城壁やその外には風車が見える。ここからは見えないだろうが城壁の中にも建物があるのだろう。なんだここは?

少なからず日本にこんなところがあるのだろうかと疑問に感じた。まるで中世のヨーロッパじゃないか。

「兄さん、聞いてますか?」

そうだ、男の子。声の主へと振り返る

そこには金髪のまだ幼さの残る顔立ちをした男の子がいた。服はグレーのワンピースのように上と下が繋がっているが、胸元は空いており、下に布地のハイネックのようなものを着ているのことがわかった、シャツ襟は首元までが伸びていて、ボタンがきっちりととめられていた。腰にベルトをしていて、短剣が鞘に納められてぶら下がっている。

靴は少し細身の黒のブーツを履いており、それが服の裾まで伸びているのを見るに、ロングブーツだろうと判断した。

そして、一つ、奇妙に思ったことがある。この少年とそこまで背が変わらないのだ。この顔立ちなら12.13ほどでありそうだが、背が高い僕と同じなら170以上はあることになる。

なら逆に考えると、僕が彼と同じなら、どれくらいであるかを。そんな馬鹿なことあるわけがないが、12.13くらいなら高くても160くらいか?

「ねえ?聞いてるの」

そう言ってぐいっと顔を覗き込んできた、考え事をしていた僕は慌てて後ろに下がる。その子は僕が後ろに下がったのが面白かったのか、手を口元に抑えてクスッと笑った。

「兄さん、もう落ち着いた?」

ところでさきほどから僕のことを兄さんと呼んでいるが人違いじゃないか?そもそも君の兄さんと僕の容姿はかけ離れているだろう。こんな金髪の子の兄さんが黒髪のはずがない。

「父上にはちゃんとあやまらないとね、気が治ったら帰ってきてね」

そう言い残し足早に去っていった、その先には大きなお屋敷のような建物が存在していた。

どうなってんだ?その子を追おうと思い足を数歩踏み出すと、ぱしゃっと足元から音が鳴った。足元を見ると水たまりを踏んでしまったようだ。靴が濡れたじゃないか....水たまりから足を出した時、水面に自分の顔が映った。澄み切った空を背景に、僕ではない僕がいた。

「嘘...だろ?」

そこにいたのは、先ほどの子同様の金髪で、あの男の子から幼さをなくして、代わりに大人びた顔つきで、目元は少し鋭い。これは...誰だ?


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