第10話(第一章エピローグ) 報告




「――ええ。禊屋は無事です。医者に診せましたが、体調は安定しているし、肩の銃創は縫合が済んで、感染症などの心配もないとのことです」


 夜遅い時間。夕桜支社内にある休憩所。静谷織江は電話で話をしていた。今日起こったことの顛末を、留守にしていた社長へ報告するためである。


『そうですか……それを聞いて安心しました』


 電話越しに、ほっとしたような女の声。電話相手は犯罪組織ナイツの夕桜支社を束ね、『社長』と呼ばれている――若い女だった。落ち着いた上品な口調は、実際の年齢以上の貫禄を感じさせる。


 織江は、謝罪の言葉を述べた。


「すみません。私が禊屋についていればこんなことには……」

『謝る必要はありません。美夜子が襲われたのはあなたのせいではありませんよ』


 社長は禊屋の本名を口にする。この夕桜支社内で彼女の本名を知る者は限られる。織江もまた、その数少ないうちの一人だった。


『しかし……伏王会の動きは、気がかりではありますね』

「神楽……ですか」

『ええ。近頃総本部から夕桜に移ってきたとは聞いていましたが、まさかこんなことを仕掛けてくるとは予想外でした』


 神楽はナイツの支部にスパイを潜り込ませていたというだけではなく、メンバーの一人を殺害させた。お互い可能な限り不干渉でいることが、協定にもある、ナイツと伏王会の間のルール……それを、伏王会の最高幹部である神楽自らが破ってくるとは。


『もっとも、今回の一件について彼女に責任追及するのは難しいでしょうね』

「はい。島原のヤサを調べさせるために何人か向かわせましたが、向こうは予めこの展開を読んでいたんでしょう。燃えカスしか残っちゃいませんでしたよ」


 火をつけたのは十中八九、伏王会の手の者だろう。しかし、それを明確に結びつけるだけの証拠はない。


「島原が神楽と連絡を取り合っていたと思われる携帯を調べてみましたが、連絡先は架空の名義で登録されたトバシの携帯だったようで、そちらから追うことも出来ません。他に伏王会との繋がりを示す持ち物は何もなし。一応、神楽と島原が自分で説明したことを自白と捉えることはできますが……」

『島原が既に死んでいるとなれば、神楽に知らぬ存ぜぬで通されたらこちらは手の出しようがない……』


 神楽のような大物が相手となれば、こちらも慎重に動かざるを得ないのだ。


 状況次第でナイツと伏王会との戦争に発展しかねないことを考えれば、少なくともナイツ総本部の幹部連中を納得させるだけの証拠がないと追いつめることはできないだろう。それどころか、下手に手を出せばこちらが逆に潰されてしまうという可能性まである。


 織江は尋ねる。


「神楽は……今後もこちらに手を出してくるでしょうか?」

『……可能性はありますが、すぐにということはないでしょう。彼女が美夜子に話した内容からいって、しばらくは様子見をするつもりだとわたくしは解釈しました』

「しかし、神楽は禊屋に対し再戦を仄めかしていたようです。その機会とやらがくれば、また今回のようなことを仕掛けてくるかも……」

『はい。もちろん、それを警戒をしておく必要はありますね。今回のことで改めてよくわかりました。伏王会の神楽は、まったく油断ならない、危険な相手である……と』


 若くして伏王会の重鎮に上り詰めたその才覚――そして、禊屋との駆け引きをゲームのように楽しむ性質。間違いなく、伏王会幹部の中でも特に異質な存在……。そんな厄介な相手に、禊屋と夕桜支社は目をつけられてしまったのだろう。


『監査室室長を失ったのは手痛い損失ですが、代わりに、潜んでいたスパイを見つけ出せたことも事実です。おそらく、夕桜支社内には伏王会のスパイが他に潜んでいるということはないでしょう。少なくとも、今は……』

「他に仲間のスパイがいたのなら、今回の事件で島原に協力していたはずですからね」

『ええ。無論、今後はより入念にスパイ対策をしておく必要はあるでしょうけれど』


 現時点で他に伏王会と通じたスパイがいる可能性はほぼ排除された。それが確かめられたのは、今回の数少ない益と言えなくもない。


 社長は「それにしても」と話を切り替えた。いや、戻したというほうが正しいか。


『神楽の今回の動き……わたくしには何か裏があるような気がしてなりません』

「裏、とは?」

『彼女が自ら話したことによると、今回の動機は――スパイである島原を手助けしつつ、美夜子を試したかったから……とのことですが、それ以外にも何か目的があったのではないでしょうか?』

「……なぜ、そう思われるんで?」

『私は以前から神楽という人物について警戒していました。今まで彼女が何をしてきたかということも、調べてわかる限りは調べたつもりです。そうしたこれまでの彼女の印象から考えても、今回の動きは些か大胆にすぎます。その裏側には、彼女が語った以上の何かがあったように思えるのです』

「しかし、他に目的があったとしてどんなことが……?」


 電話越しの声は、しばらく考えるような間を持たせてからこう答えた。


『その鍵を握っているのは、彼なのかもしれません。美夜子が助け、そして、助けられたという彼……』

「戌井冬吾のことですか? 私も見ましたが……どうということはない、普通の男だという風に感じましたけどね」


 ……さすがに、偶然持っていた銃で二人の男を殺し禊屋を助け出したという行動には驚かされたが。


『さて……わたくしは実際にこの目で見てはいないので、わかりません。しかし、結果的に神楽は彼に興味を示した。実は、それも計画に織り込まれていたことだったとしたらどうでしょう? 美夜子と同様、彼も神楽によって試されていたのだとしたら……神楽が予め彼の身辺を調査していたということにも筋は通る』

「そりゃ、一応筋は通るでしょうけど……」


 織江の疑問を先読みして、社長が答える。


『なぜ神楽が彼を試したのか、ですよね。そこが一番重要なのでしょうけれど、さすがに予想がつきません。もっとも、それまでの過程だって、わたくしの推測でしかありませんが』


 現段階ではあらゆる可能性が考えられる。神楽の意図を読み切ることは困難か。


「……ところで、戌井のことです。本当にうちに入れるつもりなんですか?」

『美夜子を助けていただいた恩もありますし、そうしなければならない事情があるというのなら。……織江さんは、何かご不満が?』

「そういうわけじゃありませんが……禊屋の相棒なんて、素人には荷が重すぎるんじゃないですか?」

『本人らが了承しているのなら、問題はないでしょう。神楽のことがある以上、内に引っ込めておくというわけにもいきませんしね』


 神楽を退屈させないようにするなら、ある程度危険な仕事を割り当てる必要があるというのはわかる。しかし……。


「死にますよ」

『ふふっ、その時はその時……ですね』


 社長はくすりと笑って続ける。


『大丈夫。なにも見殺しにしようというのではありません。美夜子が危険な目に遭いそうなときには、あなたにサポートへついてもらうようにします。それなら彼も安心でしょう? なんといっても、あなたはわたくし配下の特務……夕桜支社最強の用心棒なのですから』

「……よく言いますよ。置いてけぼりにしておいて」


 織江が不満げに言うと、電話向こうの声はなだめるように返す。


『そう拗ねないでください。総本部の会合で護衛も向こうで用意すると言うのですから、仕方ないでしょう。政治的な配慮というやつです』

「それはわかりますけどね……」


 まだ若いとはいえ、夕桜支社長である彼女が希有な能力の持ち主であることを織江は十二分に知っていた。不相応なものがあるとすれば、それは彼女のほうではなく、現在の地位のほうだろう。禊屋とは違ったベクトルの才能になるが、彼女もまた天才の一人なのだ。


 それ故に、組織上層部の一部派閥から煙たがられているのもまた事実。そういった連中を下手に刺激しないように一人で会合へ向かったのだろうが、織江からしてみればやはり不安はある。


『では、明日の午後には戻りますから、詳しいお話はそれからということで。――ああ、それと……』


 社長は思い出したように付け加える。


『戌井冬吾の父親について、ざっとで構いませんので、調べておいていただけますか? 岸上豪斗がその死について、なにを掴んでいたのかということも』

「……わかりました。やれるだけやっておきます」


 岸上豪斗の遺品は既に調べたが、それについての手がかりはなにも残っていなかった。一応、もう一度調べておく必要はありそうだ。家にもなにか残っているかもしれない。


『よろしくお願いしますね。……あ、そうそう、これも訊いておかなければなりませんでした』

「まだ、なにか?」

『お土産は何がいいですか?』


 あっけらかんと社長が言った。


 相変わらず、ふとした瞬間にお茶目さを発揮する人だ。織江はそんなことを考えながら、苦笑いで答える。


「お土産って……いりませんよべつに……」

『そうおっしゃらずに。ぴよぴよ饅頭なんていかがです? 甘いもの、お好きでしたよね?』

「はぁ、じゃ、それでいいです」

『ふふっ、わかりました。では、これで失礼します』

「戻られる際は、お気をつけて」


 社長のほうから電話が切られた。


 それと前後して、休憩所に人影が現れる。眼鏡にオールバックという姿は、乃神のものだ。織江はソファに座りながら、軽く手を上げた。


「やぁ、乃神さんじゃないですか。お疲れさまです。まだ帰ってなかったんですね」

「室長が死んで、しておかなきゃならない処理が大変でな」

「それで、休憩にコーヒーですか? 私がやりましょうか」

「いや、いい。それくらい一人でやる。お前の本業は雑用係ではないしな」


 乃神はコーヒーサーバーから紙コップへホットコーヒーを一杯注ぐと、立ったまま口をつける。


「……また社長に電話していたのか?」

「ええ、そうですよ。とりあえず禊屋の経過も含めて色々と報告を」

「お前も忙しいな……」

「まぁ、それが私の仕事なんで」


 乃神は壁に寄りかかってコーヒーを飲みつつ、なにか考え込むような表情をする。


「社長……戌井のことは、何か言っていたか?」

「……? はい。神楽が今回見せた動きの裏には、戌井を試す目的があったのではないか……と」

「戌井を、試す……?」

「もしかしたら、って口調でしたけどね。……乃神さん、あの男のことが気になるんですか?」


 乃神は小さくため息をつく。


「……べつに。なんとなく訊いてみただけだ」

「ふーん……あっ、そうだ」


 織江は思いついたように指を鳴らすと、乃神へ向かって言う。


「乃神さん、一つ、賭けでもしません?」

「賭け?」

「あの新入り――戌井がまず半年、生き残っていられるかどうか……ってのはどうです?」

「ふん……くだらんな」


 乃神は鼻で笑う。


「両方同じほうに賭けるのだから、賭けが成立しないだろう」

「ま、そうですよねぇ」

「ひと月と保たずに死ぬよ、あれは」

「はは。そりゃまた手厳しい。……でもまぁ、禊屋に助けられたとはいえ、あの絶体絶命の窮地から生き延びたんです。もしかしたら、あるかもしれませんよ? 私たちの予想が裏切られる展開も……」


 織江は悪戯っぽく笑って、こう続けた。


「万に一つくらいは、ね」



―終―

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