1章-1

夢現譜症候群デイー・スコア・シンドロームが最初に発見されたのは、2021年のカナダだった。

 その日、ジェームズ湾そばの村で『住民が一斉に意識を失う』という昏倒騒こんとうさわぎが起こった。異変に気づいた近隣の村人が通報し、程なくして救助隊が出動した。

 だが今度は現着した救助隊が昏倒してしまう。

 それが最初の『感染』だった。無論、それが『未来視みらいしの感染』だと分かったのは後々のことであり、当時の現場は大いに混乱した。

 唯一の救いは皆、ものの数分で意識を取り戻したことである。けれど彼らは当局へ口々にこう主張し、混乱に拍車をかけた。

 意識を失っている間、我々はどこか別の場所に飛ばされていた、と。

 そして事態はさらに加速した。

 これを機に世界中で同様の昏倒騒ぎが頻発したのだ。

 アメリカ、メキシコ、ブラジル。大西洋を渡って英国、フランス、エジプト。ユーラシア大陸ではロシア、中国。さらに海を渡って日本、オーストラリア。

 1年後の2022年には、南極を除く七大陸のほぼ全域でこの現象は観測された。

 昏倒から回復した人々は、やはりカナダの人々と同じことを言う。

 昏倒中、私たちはどこか別の場所にいた、と。

 そのどこかが未来だと分かったのは、2022年の年の瀬のことである。

 アメリカの新聞王ジョージ・コールドマンが『私は昏倒中のヴィジョンで2029年12月31日付の新聞を読んでいた』と発表したのだ。するとコールドマンのもとへ世界中から同意の声が寄せられた。

 ある者はテレビでニューイヤーズ・イブのカウントダウンを観て、またある者はデジタル式の時計を見て、Xデーの月日や時間を把握していた。

 それによって判明したのは、皆それぞれの地域の12月31日23時57分へ意識が飛び、そこから3分間の未来を体験しているということだった。時差は関係なく、地域準拠の時刻だった。

 コールドマンはこれを社説で取り上げ、当該事象を『夢現の楽譜をみているようだ』とうたい、夢現譜症候群と名づけた。

 この命名は世界中に一定の安堵をもたらした。今起こっている謎の現象が『一種の病気のようなもの』と認識することができたからだ。

 だが実際のところ、この現象の本質が病気よりも超常現象に近いことは明らかだった。

 というのも、この現象は一部の者たちへさらなるギフトを与えた。

 夢現譜症候群に感染後、異能に覚醒する者たちが現れたのだ。

 虚空から物質を生み出したり、特定の事象を操作したり、異能の形は様々だった。唯一共通しているのは、それらの多くが現代科学では説明不能ということである。

 また、覚醒者の多くは10代の若者だった。

 彼ら覚醒者の出現に対し、各国の対応は遅れに遅れた。法整備に時間が掛かったというのが対外的な理由だが、予期せぬ一斉いっせい感染――パンデミックの対応に追われ、手が回らなかったというのが実情である。

 その隙間を縫うように対応に乗り出した者がいた。前述の新聞王ジョージ・コールドマンである。彼は私財を投じ、覚醒した若者たちの保護に乗り出した。世論操作はコールドマンの最も得意とするところで、彼の保護機関は最終的に国連の認可さえも取りつけた。

 コールドマンは母国であるアメリカに覚醒者の学園と、その経済基盤都市けいざいきばんとしを設立した。

 第三種特異性の災害に伴い、未知の形成要素を獲得した児童の保護教育を目的とした広域教育機構――独立教育都市ジオウィング。

 その設立とほぼ同時期、覚醒者たちがパンデミックに対し、ある種のカウンター的存在であることが判明した。

 これによりコールドマンが設立したジオウィングは、パンデミック調査の専門機関としての側面を持つようになる。程なくして、国連の研究者や退役軍人など様々な分野のエキスパートが教師陣として迎えられ、覚醒者の学生たちに特殊な教育が施されるようになった。

 しばらくすると、一部の学生たちが特務捜査官としてパンデミックの現場へ派遣されるようになったが、これに異を唱えられる者はいなかった。

 夢現譜症候群デイー・スコア・シンドロームが発症する原因――感染源が何かを突きとめることは、人類にとっての急務であり、その捜査や研究について見識ある発言ができるのは、もはやジオウィングのみとなっていた。

 コールドマンは国連の認可のもと、各国にジオウィングを設立していく。

 2025年には主要各国すべてにジオウィングの旗が立つまでとなった。

 そして2026年。レオの故郷、英国のウィンザーでパンデミックが起こる。

 生還したレオは程なくして覚醒者として認定され、ジオウィング英国校に保護されることとなった。

 そして3年の月日が過ぎた。

 現在は2029年1月。

 夢現譜症候群がせた未来――2029年12月31日のXデーまで、あと1年となっている。



「転入生、ですか?」

 学園長室でレオは眉をひそめた。

 かっちりとネクタイを締めた、英国校の標準的な制服姿。

 ウィンザーのパンデミックから3年が経ち、レオは17歳になっていた。

 黒髪に青い瞳はそのままに、背丈はぐっと伸びている。一見すると中肉中背だが、肉体は鍛え抜かれていた。そのレオの眉は今、はっきりと不可解さを露わにしている。

「その転入生を俺に迎えにいってこいってことですか?」

「そうだ。私は確かにそう言ったぞ、レオ・エンフィールド」

 話している相手はレオの正面、執務机に座っていた。

 やや白髪の目立ち始めた髪をオールバックに撫でつけた男。

 ダグラス・ディケンズ。独立教育都市ジオウィング英国校の学園長である。

 歳は50代半ばだったとレオは記憶している。苦労性な男で、常に何かしらに苛立っている。今もディケンズは神経質そうに執務机を叩いていた。

「簡単な話だ。ただのお使いだと思えばいい。それともお前は雑用程度もこなせない無能なのか?」

「別に雑用をやるのは構いません。学園長の雑用をやるのはいつものことです。ただ俺がいくと……相手が不快な思いをするんじゃないかと」

 レオがそう言うと、ディケンズは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「今さら善人気取りか? 未来であんなことをしでかしておいて」

「……返す言葉もありません」

「当然だ。お前が在籍しているだけで私が日々どれだけ対応に追われていることか。今月も人権団体から抗議が3件、出所不明の脅迫が4件、マスコミの突き上げに至ってはもう日常茶飯事だ。いい加減にしてほしいものだよ」

 嫌味ったらしく言い、ディケンズは執務机に備え付けのコンソールを叩く。

 するとレオの左手で電子音が鳴った。そこにめているのは腕輪うでわ型のデバイスである。

 レオは左手を上げ、ウィンドウを開く。ディケンズからのデータを受信していた。

 表示されたのは、いくつかのデータと転入生の顔写真。

 少し驚いた。転入生は女優かというくらい、顔立ちの整った少女だった。そして微妙に見覚えがある気がする。本当に女優か何かだろうか。

「名はティア・ファーニバル。高等部の一学年に編入する予定だ」

 聞き覚えのない名前だった。やっぱり気のせいかな、とレオは結論付ける。

「一学年ってことは、俺の一つ下ですね」

 レオは高等部の二年なので、ティア・ファーニバルは後輩になる。

 分かりきったことを言うな、という顔でディケンズは足を組み替えた。

「彼女を執行部員とし、お前のチームに加える。今後、夢現譜症候群デイー・スコア・シンドロームの特務捜査に当たる際は、このティア・ファーニバルを同行させるように」

「はい?」

 顔が引きつった。

「ちょっと待って下さい。そんなこと突然言われても困ります」

「お前に拒否権などない」

「いや、さすがに黙っているわけにはいきません」

 現在、レオはこの英国校で学生兼『夢現譜症候群の特務捜査官』を任じられている。

 14歳でパンデミックに遭遇して以降、血の滲むような努力で捜査官に登り詰め、今のレオが派遣されるのは、世界でもトップクラスに危険な現場ばかりだ。

「学園長。この3年間、俺は一人で捜査に当たってきました。書類上、俺のチームもあるにはあります。でも所属しているのは俺一人。完全なスタンドアローンです。それが突然こんな女の子を加えるなんて、無茶にも程があります。俺の現場は非合法な組織やテロ屋とぶつかることも多い。こんな華奢な女の子、間違いなく死にますよ?」

「任務だ。従え」

「任務には従います。けど、人をみすみす死なせるような真似は――」

「死にはしない。そんなやわな人材を英国政府が送ってくるはずがなかろう」

「英国政府が?」

 表示されたデータへ改めて目をやる。どこかで感染し、新たに覚醒者になった生徒かと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 詳しい経歴はなかったが、ティア・ファーニバルはすでに英国政府の保護機関で覚醒者としての訓練課程を修了しているようだ。

「またずいぶんなイレギュラーですね……」

 本来、異能を得て覚醒者となった未成年はジオウィングに編入される。

 しかし最近では覚醒者の独占を嫌い、各国政府が適当な理由をつけて独自に覚醒者を囲おうとする動きがあった。どうやらティア・ファーニバルもその口らしい。

「要するに彼女は……英国政府が育て上げた、とらの子の覚醒者ってわけですか」

「そういうことだ。その虎の子をお前と組ませるようにと言ってきている。私ではない。英国政府からの要望だよ。理由は分かるな?」

「……俺の監視役ってことですか」

 ディケンズは肯定の意味を込め、浅く頷いた。

「ティア・ファーニバルは英国政府からの正式な監視役だ。今後はお前の捜査に同行し、問題ありと判断されれば、英国校そのものに監査が入る。常用している胃薬が三倍になりそうな案件だよ」

「……心中お察しします」

 状況は理解できた。1年後に自分が辿る未来を考えれば、いつかこうなるだろうとも思っていた。どうやら本格的に拒否権はないらしい。

 データを見ると、ティア・ファーニバルの到着は今から30分後だった。空路にて現着と書いてある。レオはため息を堪え、ウィンドウを閉じた。

「迎えにいってきます。ここへ連れてくる必要はありますか?」

「いらん。お前の責任で管理しろ。だが決して政府に弱みを見せるな。お前自身がどうなろうと構わんが、学園に不利益を与えることは許さん」

「……了解しました、学園長殿」

 一礼し、レオは学園長室を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る