第1話 依頼人の護衛



「・・・・・・」


涙だった。何故か分からないが。

寂寥感がそこにはあった。

胡蝶の夢だろうか。


クロノ・ログナードは意識が目覚めた。

揺れる馬車の荷車の中にまで、馬の足音が響いてきた。外を覗くと爽やかな風の薫り。

荷馬車の揺れも気にならないほど穏やかな朝だ。天候が荒れることもなく平和そのもの。


ーーー法国エテリアルの国境から帝都グラムウェルに向かう旅の道中である。


クロノ・ログナード。

黒ずくめのレザーチュニックの男。

一般人ではなく傭兵である。

精霊の力を引き出しやすいスフィア鉱石で作られた短刀二振り。両太股のホルダーに各々刺さっているのを確認し、傭兵らしく外を眺めて辺りの状況を探る。


「(精霊素は少し乱れているな。魔物の気配までは感知できないが用心しておくか)」



クロノは視線を対面の女に向けた。


「ーーー」


無防備に膝を抱えて眠っている。

白の法衣を身に付けスリットからくの字に曲げた片足の半分が露出している。

目の毒である。

ボブヘアーの緑髪。眠っているが琥珀の瞳。

彼女が各都市、巡礼護衛の依頼人である。


名はアルフ・ミントレア。

年齢は15とまだまだ幼い少女だ。

クロノは既に20を回っていて、若いながらも数多くの苦労もしてきた。

公私の分別もつけられるので、依頼人に対して邪な気持ちは全くない。


ここ千年帝国ソレスティン領の隣国である法国エテリアルの出身の人間である。

彼女の巡礼を護衛する為に、クロノは国境を越えてエルス大森林の道中までやってきた。


『・・・』


因みにこの女は精霊を信仰するクリスティ教の巡礼シスターである。クロノはこの依頼を教会の修道長である知り合いから受けた。

旅の護衛にしては破格の大金を包まれた。

断る理由こそなかったがミントレアに対して猜疑心もあった。


今は姿を現さない〝相棒の精霊〟も彼女をジーっと無機質に睨んでいるのだ。


「どうしたんだ」


『・・・』


長期的な依頼。いろんな意味で厄介事を呼び寄せないか心配もある。


『・・・』


それにしても。

彼の周囲で精霊素が乱れていた。

チリチリ、チリチリと微音も聞こえてくるだけに穏やかではない。

基本的に人の目には見えない精霊のせいで、クロノ個人だけが余計なストレスを与えられている。折角の落ち着いた朝もこれでは台無しである。会った直後からずっとなので、クロノは精霊に不満をぶつける。


「少し落ち着け、バカ精霊」


『・・・』


「そこまで警戒する相手なのか」


『・・・』


「理由があるなら教えてくれ」


『・・・』


更に厄介なのはこのように精霊は必要がなければ基本的に何も答えないのだ。

たとえ〝人間と契約した精霊〟といっても人のように気安く受け答えをしてくれてお友達になるわけではない。

上位精霊として自立した意思疏通能力があるにしろ、精霊は察しろとばかりにわざわざ無言で示す事が多い。

ぶっちゃけると面倒くさい奴なのだ。


「お前がどういう態度であれ。俺は仕事を最後までこなすけどな」


『・・・』


「う、ん・・・」


チリチリとした精霊素のせいか、朝の目覚めなのか分からないがミントレアもうーんと身体を伸ばしながら目が覚める。


「目が覚めたか」


彼は荷物袋からバターとパン、そして水袋を二人分取り出した。


「あ」


女は体をゆっくり伸ばし欠伸をしようとして、クロノがいることに気付き、慌てて口を手で塞いで畏まった姿勢で挨拶をする。


「ーーーログナード〝様〟。おはようございます。夜間は何事もなく過ごせたようですね。本日も護衛のおつとめ、よろしくお願いします」


「おはよう。ミントレアさん。護衛は任せてくれ。それと俺は単なる雇われ傭兵なんだから〝様づけ〟とか気にしなくて良いぜ」


「ありがとうございます。ですが私が勝手にそうしたいだけなのです」


「珍しい人だな、この荒くれ者相手に」


「クリスティ教において、親愛なる他者や精霊の御使いに対しては敬服すべき態度を示さねばならないのです。あなた様は我が身を守る盾。慇懃無礼であっても、様づけでへり下ることをどうかお許しください」


「許すとか関係なく、ミントレアさんが本気でそうしたいなら立場的には否定はしないよ。好きにしてくれ」


クロノは嘆息しながら折れる他なかった。

見ての通り敬虔な巡礼シスターであるせいか、かなり会話で世間ずれしている。依頼人であるからこそクロノも反論することはないが。笑顔を表出することもなく気を遣ってくるだけに、クロノにとって余計に疲れる相手であった。


「まぁ、腹拵えしねぇとな」


「あ」


クロノがバターとパンと水の飲み袋を取りだしミントレアに軽く投げるようにして差し出す。ミントレアはそれを受けとると袋から小さめのコップ二つを取り出した。更に袋から小さな紙皿を取り出して並べる。どこで用意したのか手拭きの濡れタオルをクロノに差し出した。


「宜しければどうぞ」


「あって困るわけじゃないが・・・まぁいいか」


クロノは考えることをやめ、素直に従うことにした。そして、それぞれのコップにハーブの葉を少しだけ加えて水を注ぐ。お湯ではないがハーブティとしての匂いが僅かなりにも薫ってくる。


「元気になれますよ」


「あまりにお上品ではあるが、たまにはこういうのも悪くないな」


「満足していただけて嬉しいです。折角のお食事なのですから、たとえ質素でもその恵みに心配りをしたいのです」


「やり過ぎは勘弁だけどな」


「ーーーもしかして、ご迷惑でしたか」


ミントレアの視線が下からクロノの機嫌を窺うように向けられる。一応ミントレアも距離感として線引きが感じ取れたらしい。

クロノは肩を竦めて答えた。


「迷惑ではないけどな。他の傭兵相手だとウザいと思うかもしれないが」


「やはりそうなんですね。すみません」


「いや、それはそれだ。あまり気にするなって。俺個人は味気ない食事でなくなるのは素直に感謝しておく」


「それなら良いのですが」


「・・・パンの味は変わらねぇけどな」


「ふふっ、そうですね」





前途多難な旅路ではあるが、旅はまだまだ始まったばかりだ。






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