03.背反アンビバレンス-side N

「呼びに行った俺を置いてくな」


 練習が始まっても姿を現さないマネージャーを呼びに来たっていうのに、既に当の本人は俺が少し声を張らなければならない距離を歩いている。


「ごめん、勢いで」


 途端に望月の歩く速度がゆっくりになった。

 思い込んだら即、な彼女だけどこういうところがある。そんなところを見つける度、口の端が上がってしまう。


「だってあんな言い方されたら誰だってイライラする」


 そんな俺をよそに、望月は聞きたくもない人間の話題を持ち出す。

 俺には怒っているというよりも、イジケているようにしか見えない。


「日直の仕事代わってくれたんだろ。いい奴じゃん」


 零れそうになった紺野への嫉妬を何とか底へ押し込めた。

 それに追い払ったのは望月じゃなくて俺だろ。

 紺野が何を考えているのか知らないが、俺を疎ましく思っているのは間違いない。


「あんなの。優しさじゃなくて自分がやった方が早いからだよ。私がなかなか日誌を書き終わらないから、体よく追い払う方法を思いついたのよ」


 望月の歩みが止まった。何かあったのかと俺も慌てて足を止めた。


「もうすぐ北高との練習試合だね。頑張ってね、またお弁当作ってくから」


 望月が振り返ってにっこり笑った。


 まだサッカー部にマネージャーのいなかった頃。

 自分たちの手には負えなくなってきていた部内の雑務。落ち着くまでと一時的にサッカー部へ来たのが望月だった。

 部員だけでも仕事が回るようになっても「途中で投げるのが嫌だから。っていうより楽しくなってきた!」そう言って笑う望月。


 やば、思い出したら顔がニヤけてきた。

 右手を頬に当てた俺の目の前をすーっと何かが落ちていった。慌ててその落ちていくものを掴んで引き寄せる。ふわっといい匂いがした。


「何してんだよ!」


 叫んでから俺はすぐに腕の中の彼女を見た。

 すんでの所で望月を抱きとめた。だから彼女はどこも打っていない。とはいえ、声を聞くまでは安心できなかった。

 望月はしばらく宙を見たまま、何も声を出さなかったからだ。


「階段踏み外した」


 気が遠くなりそうな沈黙の後に、呆れるくらい寝ぼけた声が聞こえた。

 ホッとしたと同時に我に返った。

 放課後の人通りもほとんどない階段。二人きり。

 望月を抱きとめた片手はまだ彼女の背中にある。地面に着いていたもう片方の手をドキドキしながら恐る恐る望月の背中に回す。

 気配を感じて顔を上げた先に、奴と視線がぶつかった。


「あ」


 紺野なら素知らぬ顔でここを通り過ぎて行っただろう。

 目が合った相手があいつ。少しの後ろめたさと焦りから咄嗟に漏れた声は大きかった。階段から落ちてまだ呆けている望月が俺の声で後ろを向いた。

 紺野はすぐに俺から視線を外し、手の中の日誌を持ち直すと、そのまま階段を下りていった。顔色も変えず。

 色々な思いが混ざったイライラをぶつける先がないまま、視線を望月に戻して後悔した。紺野を見る彼女の表情に。

 あいつを視線で見送り終わってから、望月はよいしょっと立ち上がってスカートの埃を払う。まだ少しふらついている。まぁ、頭は打ってないから大丈夫か。

 顔を上げた望月は、もういつもの望月だった。


「ごめんね、西崎。大丈夫だった?」


 こんな時に優しい言葉を掛けられると居たたまれない。


「ちゃんと足元見て歩けよ」


 そんな言葉が口をついて出た。


「悪かったわよーだ」


 タンタンと望月は足早に階段を下りていってしまった。


                    *


 数日後、またもや俺はキャプテンにパシリに使われ、望月を呼びにいく。


「望月、キャプテンが呼んでる」

「もしかして、あれOKしてくれたのかな」


 ポツリと呟いた言葉に紺野が反応した。


「ああ、この間の?」

「そう!」


 言うが早いか、望月はもう教室を出て行った。


「また置いてかれてるよ西崎」


 紺野の言葉には反応せず、俺は違う言葉を投げる。


「この間のって何だよ」

「行けば分かるよ」


 そう言って再び本に視線を落とす紺野。


「興味ないんじゃなかったのか」

「何が」

「彼女に」


 こっちを見ずに紺野は淡々と俺の質問に返す。

 こいつに構うのは時間の無駄だと思い、望月の後を追おうと背中を向けた。


「面白いよな、望月。特に反応が」

「……っ!」


 自分と同じところで望月のことを気に掛けている。彼女のことをどう思っているのかまだわからない、が。

 例えば裏の裏が表であるような、この感情。

 とりあえず、やっぱこいつのこと気に入らねぇ。

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