一章 生き方が偏り過ぎだよ!


 どこともわからない場所にガレージごと放り出された。そんな現実をそろそろ本腰入れて受け止めねばならず、背にじわじわと薄ら寒いものが這って行くのを感じる。

 安全の確保、状況の確認、帰る方法の確立。やらなければならない事が多分たくさんあるし、それを出来なければ、最悪の場合、本当に最悪の事態になりかねない。


「……幹人、俺も少し外を見てくる」


 そう言って靴を履いて出て行った照治の顔は、見たことがないくらいに硬かった。


「……スマホも圏外」


 ぽつり、隣の妹が呟いた言葉は泣きそうな音色。


「なんなのこれ……。夢じゃないの……? 夢じゃなかったら、なかったら……」

「……咲」

「か、か、帰れ、ない、の? だって、だって、お、おとーさんも、おかーさんも、おじーちゃんも、心配、する……」


 呼吸の浅さ、顔の青さ。スマートフォンを胸の前でぎゅっと握りしめる細い手は、いつも以上に白く、何より震えている。


「おにーちゃん……、さ、咲たち、ど、どうなるの……?」


 この娘の一人称が自分の名前になるのは、やたらに甘えてくる時を除けば、ひどく動揺した時だけだ。

 鋭く小さく、幹人は息を吐く。

 こんな状況にヘラヘラと笑っていられるような材料は、手元に何もない。正直、不安で不安で仕方がない。


「ま、だいじょぶだよ」

「で、でも」


 だけど、自分は兄なのだ。

 だから、せめて妹の頭を少し乱暴に撫で回しながら、明るく笑う。


「なんだか知らない、どこだかわからんけど、俺たちはここに来た。ってことは、当然帰る方法もあるって事だ」

「……そ、そうなの?」

「ああ、もちろん」


 なんでもない風に、堂々と頷く。


「だってそうだろ? 行けたって事は戻れるって事だ。来られたって事は帰れるって事だ。方向が逆になるだけでやってる事は同じなんだから。そんなのここがどこだろうが当たり前だ」

「そ、……そっか、そっかな」

「そうそう」


 あまりに軽く、それでいてはっきり言い切ったこちらの言葉にようやく少し安心したように、咲は固まっていた顔を綻ばせた。

 言うまでもないが、咲に言った事は嘘っぱちである。行けたんだから必ず戻れる、などと言うのはどうしようもない詭弁だ。

 これは明らかに単なる移動ではなく、何かしら別の現象が起きているはずである。そして移動はともかく、現象というものは、必ずしも現実的な難度で逆の動作が出来る事が保証されているわけではない。

 コーヒーにミルクを混ぜるのは簡単だが、混ぜた二つを綺麗に分離するのは困難なのである。


「帰れるなら、でも、早く帰らないとね! だってロボコペあるし!」

「そうだな、出ないわけにはいかないからな」

「うん!」


 嘘を吐いた罪悪感がないではないが、ひとまず安心させてやれたのなら、今はそれで良い。怯えて過ごすよりはマシなはずだ。

 それに情けのない話、この娘がこうして笑ってくれると、自分自身が救われるというのも大いにあった。


「そうと決まればお兄ちゃん! 私たちも外に行きましょうっ、なにかあるかも!」

「そうだな、そうしよう」


 靴を履き、手を引っ張る妹と共に、幹人は謎の世界と化したガレージ外へと改めて足を踏み出した。



 ◇◆◇


「よし、全員中へ戻ってきたな? それではこれより半円卓会議を始める!」


 ガレージ内、ホワイトボードの前へ立つ照治の言葉に、彼を半円状に囲む一同からパチパチとなんとなくの拍手が響く。

 元々のロボ研部員が九名、手伝いに来ていた化学科と建築科の女子学生がそれぞれ一名ずつ、そこに咲を加え、総勢十二人。

 それが現在ガレージ内にいる人間であり、幹人の記憶が正しければ、全員が帰宅せず泊まり込んだ面子だった。


「お兄ちゃん、半円卓会議ってなに?」

「ロボ研の全体会議の名前。司会役を半円状に部員が囲うからってのが名前の由来」

「アーサー王と関係は?」

「まったく」


 妹の疑問に答えつつ、幹人も内心、絶対にノリだけで付けたんだろうなあこの名前と思っている。ちなみに幹人が入る前から、聞くところによれば照治が入るよりも前から使われている名称らしく、無駄に歴史は深い。


「中久喜先輩、私ら部員じゃないですけど」

「この際かまわんだろう、咲も合わせて臨時部員扱いだ」

「……ま、もう一蓮托生感ありますもんね」


 しょうがないか、そう零すのは化学科三年所属の女子学生だ。派手めなギャルファッションに身を包んではいるが、理想の化粧品を自ら作るため高専化学科の門を叩いたという、やはり工学系に寄ったそれなりの変人である。


「で、さっそくだが、まずは正確な現状把握をしておきたい。何か、今の場所、この状態について気づいた事のあるものはいるか?」


 照治の問いかけに、わらわらと部員たちから手が上がる。


「周りは結構広い森っぽいんで、学内でないことは間違いかと」「今ここにいる面子って、全員が帰らずに泊まり込んだ奴らですね」「最初に起きたのは俺です、六時半ごろ」「電線、ネットの回線ともに物理的にガレージ外で切れてました」「携帯のキャリア回線も死んでるんで連絡はどこにも」「遠くから川の音が聴こえるわね」エトセトラエトセトラ。各々から様々な報告が上がる。


「……なんていうかさ、お兄ちゃん達、妙に冷静だよね」


 しみじみと、咲が言う。


「こんな風に会議とかして……やっぱり皆、ちゃんと帰れるって思ってるから?」

「うーん……」


 ちゃんと帰りたいとは全員思っているだろうが、帰れるはずと信じ込んでいる人間は、幹人がそうさせた咲以外には多分いないだろう。当然、それは言わないでおく。

 ではどうして皆、一見落ち着いた風に会議なんてしているかと言えば、それには理由がある。


「もちろん皆帰れるとは思ってるけど、それでも怖いし不安は不安だ。だからこそ、こうやって話し合うんだよ。なにがどうなってんだ、ってな。これが俺たちなりの怯え方みたいなもんだ」

「……あの、前々から思ってたし、何度となく言ってきたけど、お兄ちゃん達ってやっぱりちょっと変だよね?」

「ちょっとで済めば御の字だなー」


 理系や工業系の人間には変人が多いとよく世間では言われるが、もちろん高専生もその例外ではなく、むしろ代表例としていいだろうと思う。


「さて、こんなものか……」


 そう言う照治の後ろ、ホワイトボードには寄せられた報告がずらりと、書記役の部員によって書き連ねられている。


「中久喜くーん、肝心な奴を誰も言ってないよー」

「……わかってる。ああ、えー、じゃ、まあ、最後に」


 照治に声を投げたのは、咲や化学科の三年生とセットで臨時部員扱いとなった建築科五年の女子学生。促された照治は躊躇うように言葉をそこで切り、大きく息を吐いて。

 そして、言った。


「俺から報告だ。……太陽らしきものが、空に三つある」


 ざわめきすら、起こらない。

 そんな事、誰に言われずとも皆、空を仰いだときに気がついていたからだ。


「で、あー、それが一体どういう意味合いを持つか、だが……」

「はい……っ!」


 照治が実に言い難そうにする中、手を上げたのは咲だった。


「ええと、じゃあ、咲」

「はいっ! 私、これ、こういうの、最近漫画で読みました!」


 手を挙げたまま、ぴょいんぴょいんとその場で小さく跳ねながら言う咲の声には熱が篭っている。その勢いのまま、彼女は続けた。


「これはもう、ずばり……間違いなく! ――異世界に来たんです!」

「あー……まあ、話にはよくあるよな……んん、だが現実にそんな、ううん……」


 腕を組み、唸る照治。他の部員たちもあちらこちらで「やっぱりそうなのか?」「信じられないが認めるしかないのか……」などと零す。


「……すまん、ちょっと良いだろうか?」

「テツ、どうした?」


 手を上げたのは不健康そうな人間の多い中、異色を放つ巨漢のタフガイだった。

 照治がテツと呼んだ彼は、機械科五年鉢形鉄次郎。筋肉で出来上がった熊じみたガタイと渋い声音、漢感あふるる顔つきに違わぬ無骨な鋼を思わせる謹厳実直な性格で、尊敬を込めて後輩の部員たちからはテツさんと呼ばれている。


「不勉強で悪いんだが……雨ケ谷妹、異世界というのは、異星とは違うのだろうか?」

「え? あー……ええっと……なんと言いましょうか……」


 問われ、体ごと頭を傾げる咲に、鉢形はどこか申し訳なさそうな顔だ。


「すまん、変な質問をして。ファンタジーやらはどうも、あまり触れた事がなく。俺はこの状況を、太陽のような恒星が三つある銀河系のどこかにでも跳んだものだと思っていたのだが、異世界というのは異星の別表現か? それとも、何か違う要素が?」

「ええと、……そう! 異星は地球とは違う星ってだけで他はそんなに変わらないけど、異世界には魔法とかがあるんです!」

「魔法……」

「はいっ、いきなりこんな風にワープするなんて、きっと魔法です! だからここは異世界だと思うんです! この異世界の魔法が私達の世界に届いたんです、きっと!」


 熱を上げて語った咲に、「なるほど、ありがとう」と鉢形は返した。


 咲の説は、脇は甘いだろうがそれなりに説得力のあるものだと幹人も思う。宇宙船でもなんでもない古びたガレージが、中に入っている人間たちに気が付かれないほど静かに突然謎の場所まで移動するなど、少なくとも自分たちの知っている科学の中では理論すら立たない現象だろう。


 そうなってくると、魔法という表現が適切かどうかは別としても、これは自分たちの知らない法則を持った力に依るものとするのは妥当かもしれないし、そういったものの存在する世界を呼ぶには、確かに異星よりは異世界の方がしっくりくる。


「少し頭の軽そうな言い方だったけど、うちの妹は賢いね」

「でしょうでしょう! でしょおー! ……あれ、お兄ちゃん今、もしかして馬鹿にしました?」


 幹人の言葉に一旦得意気な顔になってから咲は眉間に皺を寄せた。この反応の一拍遅い感じからして、やはり少しばかり脳天気の気配が香るが、もちろん言わない。


「してないしてない、褒めた褒めた」

「なら良いですけど……」

「咲の脳みそ事情は置いておくとして、確かに、俺たちの世界の常識ではこんな事態は起こり得ないだろう。……一旦、とりあえずここは異世界だと仮定しておくか」


 反対意見が出なかった事を確認した照治は、さらに続ける。


「と言う事は、だ。やっておかなければならない事がある」

「ま、そだね。よし……」


 照治に頷きつつ、幹人は腰を上げた。周りの部員たちも皆、同様に立ち上がっている。


「え? え? なに? なにするの?」


 頭上にはてなマークを浮かせる咲も、とりあえずと言った風に周りに倣う。

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