第4話「がーる・みーつ・ぼーい」

 ――日曜日。午前11時30分。私は待ち合わせの場所へと向かっていた。

 メールが届くとは驚きだった。魔女様の力はFF限定だと思っていたし、魔女様もそう言っていたから。そして、この先で待つのは、きっと。

「手っ取り早くで良いじゃない?」

 私の驚きにも、隣を歩くユッキーはさらっとしている。

「でも……」

「ナナはどういうのを考えてたの?」

「う~ん……魔女様からカケルさんに、ログインするように伝える、とか?」

「じゃあ、どうやって魔女様はカケルさんに連絡するの?」

「それは、メールとか……あっ!」

「そういうこと。大方、アカウント情報のメールアドレスでも使ったんでしょ? 個人情報の管理がどうなってるのか、気になるところね」

「な、なるほど」

「それにしても、金剛寺こんごうじ公園をご指名とはね」

 それも驚きだった。金剛寺公園は敷地内に自然動物園もある地元の憩いの場で、私達もよく遊びに行ったものである。……そう、金剛寺公園は私の家から歩いて十五分という近場だ。待ち合わせ場所の噴水も、夏場に水遊びをした思い出がある。

「案外、時風市内に住んでたりして」

 ユッキーの言葉に、私はうんうんと肯く。

「だとしたら、凄い偶然だよね!」

「あら、運命って奴かもしれないわよ?」

 ……そう言って笑うユッキーは、黄色いパーカーにグレーのショートパンツ。小振りな赤いリュックを背負い、短い髪にベージュのキャスケットが良く似合っている。化粧っ気がないというより、する必要がないという感じ。

 私は……色々考えた末、着慣れた薄いピンクのワンピースにした。お化粧は……まぁ、慣れないことはするもんじゃないよね。白のトートバッグはずっしりと重く、それを肩に提げた私の足取りも……ちょっぴり、いや、結構、重かった。

「はぁ、緊張するなぁ……」

「FFのプレイヤーと実際に会うのは初めてなの?」

「パパとママのオフ会には何回か行ったけど、一対一っていうのは初めて」

「そっか。カケルさんって、どんな人なんだろうね」

 ……本当、どんな人なんだろう? パパとママはお互いのことを知った上で、出会ってから一年以上経ってからリアルで会ったという。一方、私は事前情報もなければ、実質的な付き合いは一週間……緊張しないはずもなかった。

「大丈夫よ。もしもに備えて、番犬だって用意したんだから」

「誰が番犬だ」

 私は後ろのコータを振り返った。水色のウインドブレーカーに青色のジーンズ……私服まで窮屈そうだ。(前のファスナー、下ろせばいいのに)

 そのまま後ろ向きに歩きながら、私はコータ、ユッキーと、交互に顔を向ける。

「……二人とも、今日はありがとうね!」

 そうお願いしたわけでもないのに、二人は私に付き添ってくれていた。当たり前のように……それが、嬉しかった。きっと、私一人だけだったら……二人は、それも分かっていたんだろうと思う。さすがは幼馴染み。心強い、仲間。

 ユッキーは頷き、「ほら、前を見て歩く」と一言。私は「はーい」と答えて前を向く。すると、コータのぼそりとした声が、肩越しに聞こえた。

「三人で出かけるのも、久し振りだな」

「そうだね! 最後は……えっと、いつだろ?」

「私が引っ越しした時じゃない?」

「ああ、ナナが号泣した時か」

「だ、だってぇ……」

「浩太は血も涙もなかったわよね」

「お前な、だってあんな……」

 三人一緒。その幸せを噛み締めながら、私は金剛寺公園へと向かった。


 ――午前11時50分。待ち合わせの午後12時まで、あと10分に迫った。

 待ち合わせ場所は噴水前のベンチ。私達はそこから少し離れた木陰に陣取って、周囲の様子を窺っていた。休日ということもあり、家族連れを中心に多くの人で賑わっている。噴水前のベンチにも先客……お爺ちゃんが座っていて、一瞬ドキッとしたけれど、目印を持っていなかった。……そう、この目印ってのが酷いんだよね。

「その馬鹿でかい本が目印ってわけね」

「ま、それなら一発で分かるな」 

 ユッキーとコータは、私がトートバッグから取りだしたFFの公式設定資料集に視線を向ける。……痛い出費。私が持ってないこと、魔女様に見抜かれたのかなぁ。

「私達はここから見守ってるから。これだけ人がいるところで、滅多なことは起きないと思うけど……もしもの時は、すぐこっちまで逃げてくるのよ?」

「そいつでぶん殴ってやってもいい」

「駄目よ。相手も持ってるんだから」

「先手必勝。逃げる時も、投げつければ時間稼ぎになる」

 ……そんなやり取りをする二人を、私はジト目で睨んだ。

「もう、なんで私が危険な目に遭うことが前提なの?」

「あら心外。私達はね、あくまで最悪のケースを想定しているだけよ?」

「何が起こるか分からない世の中だからな」

「うーっ……」

「ほら、唸ってないで行った行った!」

 ユッキーに文字通り背中を押された私は、公式設定資料集を両手で抱き締めながら、ベンチへと向かった。入れ違いで立ち上がったお爺さんが私を……公式設定資料集を眺めながら、歩き去って行く。……目立つよね、これ。装丁も豪華だし。

 公式設定資料集を膝の上に置き、スマホを確認。もう時間だ。ああ、手汗……ハンカチを取り出そうと身をよじった拍子に、公式設定資料集がするりと滑り落ちる。うう、買ったばかりなのに……すると、それを両手で拾い上げる人影があった。

 顔を上げると、男の子が立っている。白黒のボーダーシャツに、カーキーのジャケット。男の子は公式設定資料集を差し出し、私はそれを受け取った。

「あ、ありが――」

「ナナさんですか?」

 ……はい? 呆然とする私の前で、男の子は背負っていたバッグを下ろし、その中からFFの公式設定資料集を取りだした、……ということは、そういうこと?

「カケル……さん?」

「はい! えっと、初めまして! あ、お久し振りです……なのかな?」

 私は弾かれたように立ち上がった。背はカケルさんの方が高い。

「な、ナナこと、七海七瀬、十五歳ですっ! 好きなものは、オンゲーですっ!」

 びしっと気をつけの姿勢で、事前に考えていた自己紹介を言い放つ私。すると、カケルさんも気をつけの姿勢で応じてくれた。

「カケルこと、大地だいちかける、十二歳です! 好きなものはナ……オンゲーです!」 

「十二歳ってことは……小学六年生?」

「いえ、この春から中学生になりました。えっと、ナナさんは?」

「私もこの春、高校生になったところだよ!」

 ――沈黙。えーっと……何から話せばいのだろう? 

「と、とりあえず、座ろっか!」

 私はカケル……君にベンチを勧めた。「失礼します」と頭を下げ、ちょこんと腰掛けるカケル君。私もその隣に腰を下ろし、カケル君の横顔を窺った。

 ……何だろう、この全身から漂う素直さ、育ちの良さは。礼儀正しいし、顔立ちだって、一目で男の子だとは分かったけれど、女の子のような……あ、そうか!

「カケル君って、カケルさんに似てるね!」

「え?」

 振り向くカケル君。正面から見ると、私の思いはより強いものとなった。

「うん、ルヴァーゼ族の男の子って感じ!」

 肌は褐色じゃないけれど……中性的な魅力、雰囲気は、まさにルヴァーゼ族だ。

「そんな……ナナさんこそ、ナナさんにそっくりですよ?」

「そ、そう?」

「髪型も一緒なんですね?」

「あ、ああ! うん、昔からずっとこれで……」

 私はポニーテールを掴んで、持ち上げて見せる。ナナとの共通点。

 ――再びの沈黙。……むう、私の方がお姉さんなんだから、リードしないと!

 私はポニーテールから手を放し、意気込んで口を開いた。

『あの』

 私とカケル君の声が重なる。……ああん、もうっ!

「あ、ナナさんからお先に……」

「いやいや、カケル君から、どーぞどーぞ!」

 ……私の天気の話なんかより、カケル君の方がずっと良い話に違いない。

「じゃあ……えっと、その、今日は良いお天気ですね!」

 思わず噴き出す私。目を丸くするカケル君。

「な、ナナさん?」

「ご、ごめ……わ、私もそれを言おうとしてて……」

 ……うう、笑ったらいけないと思うほどに、笑ってしまう。私は口元を両手で押さえ、笑いの波が引いたところで深呼吸。すーはー、すーはー……よし、大丈夫。

「ナナに会いたいか?」

「へ?」

 私が顔を向けると、カケル君はスマホに目を落としていた。

「……そんなメールが届いた時は驚きましたけど、こうして本当にナナさんと会うことができるなんて……なんだか、夢みたいです」

 カケル君はスマホをズボンのポケットにしまうと、私に顔を向けた。

 それはそうだろう……というか、よくぞ信じて来てくれたものだと思う。魔女様にお願いした私でも驚いたのだから、事情を知らないカケル君が、それを迷惑メールだと思って削除していても、何らおかしいことはなかったはずだ。

「そのメールはね、魔女様が送ってくれたんだよ」

「魔女様?」

「ああ、えっとね、FFにはそういう素敵な女の子がいて……カケルさんに会いたいっていう私のお願いを叶えてくれたの!」

「僕に……?」

「うん! だって、急にログインしなくなっちゃうんだもの」

「……ごめんなさい」

 カケル君は顔を曇らせ、頭を下げた。

「あ、謝らなくたって大丈夫だよっ! その、事情があると思うし、私はほら、心配性だから、事故とか病気だったらどうしようって、とにかく、心配で……」

 手を、頭を、ぶんぶんと横に振る私。すると、カケルさんが頭を上げて一言。

「ナナさんって、優しいんですね」

「そ、そんなことないって! フツーだよ、フツー!」 

 ……そんなこと、言われたことないぞ! コータにお人好しだとは言われたけれど、優しいってのとは、また違うよね? うー、なんか、恥ずかしい。

「え、えっとさ、じゃあ、どうして? ゲーム機が壊れちゃったとか?」

 再び顔を曇らせるカケル君。分かりやすいというか、素直な子なんだろうなぁ。

「あ、言いにくいことなら、全然――」

「お母さんに、その、禁止されちゃって……」

 あちゃー……私は天を仰いだ。またお母さんか。でも、こればっかりは仕方がない。家庭の事情という奴だ。でも、その事情が分からないにしても……。

「禁止だなんて、やり過ぎじゃない?」

 口を突く言葉も、ついつい非難めいたものになってしまう。

「……いえ、僕が悪いんです。学校に行ってないから」

 目をぱちくりする私。不登校、という奴だろうか。えっと……何と声をかけていいものかと考えていると、カケル君はぼそぼそと口を動かした。

「僕、小学生の頃にいじめられていて、学校に行ってなかったんです」

「そう……だったんだ」

 今度はいじめ……私の身の周りでは起きなかったこと。世間にはそういうものがあることはもちろん知っているけれど……まさか、身近なものになるなんて。

 カケル君は首を振り、私をじっと見詰める。

「でも、学校には行きたくて……だから、中学は頑張ろうって」

「心機一転、だね」

 私が口にした言葉に、カケル君は力強く肯いた。でも、その表情は曇ったまま。

「……そう思っていたんですが、僕をいじめてた子も、中学生になるわけで……」

「まさか、同じ学校とか?」

「……はい。私立は無理だから、学区をずらして貰ったんですけど、その子も引っ越してて。でも、中学になったんだし、もう大丈夫だろうと思っていたら……その子と廊下ですれ違った時、中学でもよろしくなって、言われて……」

「うわー……」

 な、何て性格が悪い子なんだっ! 私にだって、そのよろしくが良い意味じゃないってことぐらいは分かるし、カケル君だって同じだろう。

「それで、僕は……」

「うんうん」

「テレビでFFのCMを見たんです」

「新たな世界、もう一つの人生?」

 唐突なFFの話題でも、即座に反応する私。ちなみにこれは、CMのキャッチフレーズである。カケルさんは表情をぱっと輝かせ、嬉しそうに肯いた。

「それ、良いなって思って。最初は無料で遊べるみたいだったので、ダウンロードして始めてみたんです。そしたら……本当に新たな世界が広がっていて、自分のキャラで歩き回るだけでも楽しくて、気付いたら街の外にいて、大きな木に追われて、ナナさんが助けてくれて……あの時は、本当にありがとうございました!」

 ……うう、こうやって面と向かってお礼を言われるの、照れるなぁ。私はしきりに前髪を指先に巻き付けながら、「そ、そういえば……」と口を開く。

「どうして学校に行かないと、FFが禁止されちゃうの?」

「それは……」

 カケル君は眉間に皺を寄せ、唇を噛んだ。……余計なこと、言っちゃったかな?

「僕、本当にFFが楽しくて楽しくて、勉強もしないでずっとプレイしちゃったんです。それを見たお母さんが、学校に行かないのはFFのせいだと思っちゃって……」

「それって、濡れ衣じゃない? カケル君は悪い子がいるから学校に行きたくないだけで……まぁ、ちょっとやり過ぎちゃったかもしれないけれど」

「……いいんです。自業自得ですから。ごめんなさい、変な話をしてしまって」

「ううん、そんなことないよ。話してくれて、ありがとう」

 言いたくないこと、言うと辛くなることも含めて、きっと正直に話してくれたんだろうと思うと嬉しい。それだけ、信頼してくれてるってことだもんね。初対面だけど初対面じゃない……カケル君だって、そう思ってくれているに違いない。

 ともあれ、カケル君がログインしなくなった理由は分かった。問題はこれから……もちろん、私はカケル君にFFを続けて欲しいけれど……。

「カケル君は、FFを続けたい?」

「もちろんです!」

 間髪入れずの好反応に、私は何だか嬉しくなってしまう。よし、それならば!

「じゃあ、お母さんを説得する方法を一緒に考えよう!」

 ……私にはそれぐらいしかできないけれど、精一杯考えようと思う。一人より二人だもんね! だけど、肝心のカケル君は……どこか、不安そうな顔をしている。

「……どうしたの? 私じゃ頼りないかな?」

「と、とんでもない! ただ、お母さんはきっと、僕が学校に行けば……」

「ああ、その手があったか! ……でも、学校、行きたくないんだよね?」

 カケル君は唇を閉ざしたままだったけど、それが何よりの答えだった。

「じゃあ、他の方法だ! ……そうだなぁ、やっぱ勉強しなかったってのが問題だったと思うから、勉強をしてからプレイするからとか、一日のプレイ時間を――」

「あ、あのっ!」

 突然の大声に、私は目をぱちくり。カケル君はもじもじしながら、口を開く。

「……叱らないんですか?」

「え、誰を? 悪い子? お母さん?」

「……僕を、です」

「どうして?」

「……その、僕が学校に行かないこと」

「叱って欲しいの? こらーって?」

「そ、そうじゃなくて……」

 私は振り上げようとした拳を下ろして、首を傾げる。

「行きたいところに行かないって、悪いことじゃないでしょ? 悪いのは、その悪い子の方だし……そんな子がいる学校、私だって行きたくないもん」

 きょとんとするカケルさん。……あれ、私、何か変なこと言ったのかな? 

「初めてです」

「え?」

「……僕のことを、悪いって言わない人」

「そんな! お父さんやお母さん、それに学校の先生だって――」

 カケル君は頭を振った。

「……誰も、面と向かっては言いません。でも、感じるんです。僕が我慢すればいいだけだって。いじめられたと言っても、殴られるわけじゃなくて、無視されたり、からかわれたり……それぐらい普通だって、そんなことで学校に行かなくなるなんておかしいって、そう言われてる気がして……自分のせい、自分が悪いんだって……」

「そんなことないっ!」

「そうだな」

「そうね」

「ほら、コータもユッキーもそう言って……って、あれ?」

 私が振り返ると、ベンチの後ろにコータとユッキーが立っていた。

「……なんで?」

「なんでって、熱心に話してるみたいだから、なぁ?」

「何を話してるのか気になるのが、人情じゃない?」

「で、でも、盗み聞きなんて……」

「だから、こうして堂々と聞いてたんだよ」

「二人とも全然気が付かないんだから、よっぽどよね」

「うーっ……」

「ほら、いいから紹介してよ」

 ユッキーに促された私は、渋々ベンチから立ち上がる。……何だかなぁ。

「えーっと……この二人は私の幼馴染みで、この美人さんがユッキー」

「天野有紀よ。よろしくね」

「こっちの番犬はコータ」

「……宮城浩太だ」

「だ、大地駆です! その、よろしくお願いします!」

 カケル君は立ち上がって、二人に向かって頭を下げる。本当、礼儀正しいなぁ……感心してる私の前で、ユッキーはカケル君に声をかけた。

「悪いわね、お邪魔しちゃって」

「い、いえ……」

「話は途中から聞かせて貰ったわ。改めて言うけど、君は悪くない。まぁ、強いて言えば運は悪かったかもしれないけどね」

「ちょ、ユッキー?」

 何を言い出すかと思ったら……もう、ユッキーはユッキーなんだから。

「誰だっていじめのターゲットになり得るわ。いじめる子も、いじめる理由も、一つじゃないんだから。いじめのターゲットになりやすい子の特徴というか、属性もあるとは思うけど、それこそ、当人のせいじゃないでしょ?」

「そりゃ、そうだけど……」

「だから、運が悪かった。でも、こうして今もちゃんと生きてるってことは、むしろ運が良かったのかも。ううん、むしろ良くやったと褒めるべきね。偉い偉い」

 ユッキーはぐいっと手を伸ばし、カケル君の頭を撫で回した。……あ、カケル君、照れてる照れてる。……ユッキー、そういうのって、罪作りだと思うなっ!

「……でね、そんな君にぜひ渡したいものがあるの」

 ユッキーは背負っていたリュックを下ろし、中から一枚の紙を取りだした。それをカケル君に差し出す。何だろうと、私もカケル君の隣に立って、覗き込んだ。 


 他人は変えられない。変えられるのは自分だけ。 門下生募集中! 天野道場


「月謝、安くしとくわよ?」

「何に勧誘してるのよっ! ……てか、このチラシ、どうしたの?」

「いつも持ち歩いてるわよ? いつなんどき、チャンスがあるか分からないから」

「それにしたって……ほら、カケル君、ぽかんとしちゃってるじゃない!」

 私の抗議にも涼しい顔で、ユッキーはカケル君に声をかける。

「カケル君、どこに住んでるの?」

「え? あ、ゆ、夕凪ゆうなぎです」

「夕凪……電車で一時間ってとこか。まぁ、通えない距離じゃないわよね」

「はぁ……」

「別にね、空手でいじめっ子に復讐しなさいってことではないの。その用途で使ってもいいけど、ともあれ、最後に頼れるのは自分だけよ。だから、心と体を空手で鍛えておいて損はないと思うわ。……こいつほどまでとは言わないけどね」

 ユッキーはコータに顎をしゃくって見せる。カケル君はコータを見上げ、コータはカケル君を見下ろし、肯いた。

「……カケル。お前をいじめてる奴はな、お前ならいじめても大丈夫……要は、嘗めてるわけだ。そういう奴は自分より強そうな奴には手を出さない。だから、空手は抑止力になる。空手をやってると吹聴する必要はない、証は自然に身につくからな」

 そう言って、コータはカケル君に向かって鋭く拳を突き出した。仰け反るカケル君……寸止めだろうとは思っていても、怖いものは怖い。人差し指と中指の付け根が大きく膨らんだコータの握り拳は、まるで岩石のようだ。

「……これ、目立つだろ? それは何だって聞かれたら、空手をやってると言ってやれ。これで大丈夫だ。それでも駄目なら……放っておけ。いつか自滅するからさ」

 コータが腕を下ろしても、カケル君の視線はその手に釘付けだった。ユッキーは眼鏡のブリッジに中指を当て、その位置を整える。

うちの道場には色々な子がいるわ。実際、学校でいじめられてた子もいるしね。空手は弱い子が強くなるためのもの。カケル君が悪いと思っているのは自分の弱さだと思うけど、それをただ悪いと思っているだけじゃ、何も解決しないわよ? 弱いことは悪いことじゃない。悪いのは、弱いと分かってるのに何もしないことよ」

 カケル君は黙って頭を下げると、手にしたチラシを丁寧に折り畳み、ポケットの中にしまった。それを見届けたユッキーは、私に向かって肯いて見せる。

「じゃあ、お邪魔虫は退散するわ。後はごゆっくり」

「ごゆっくりって……」

「せっかく会えたのに、これでお別れするつもり? デートしてきなさいよ」

「で、でーと?」

 顔を見合わせる私とカケル君。……そこまでは、考えてなかった。

「デートなんて、ナナには早――」

「早いことなんてない。ナナだってちゃんと成長してるんだから……身長以外は」

「いや、だからこそ危ないというか――」

「だーまーれ。……とにかく、二人で何か食べたら? お昼だってまだなんだから」

 そういえば……と思い出した途端、お腹が減ってくるから不思議である。

「またね。浩太、行くわよ?」

「……分かったよ。その、気をつけて……って、おい、蹴るなって!」

 コータのお尻に回し蹴りを決め、足早に歩き去って行くユッキー。その背中追い掛けるコータ。それを呆然と見送る私。……何だか、好き放題に言われていた気がしないでもないけど……ぐぅ……それより、もうお腹がぺこぺこだ。

「……お昼にしよっか?」

「はい!」

 お腹を押さえる私の提案に、カケル君は元気に応じるのだった。


 腹ごしらえならここ! ……と、私はカケル君を公園内の売店に案内した。売店の前には長蛇の列……空腹を押し、並んででも食べたい……そのお目当てはただ一つ。

「やっぱり、ここに来たらきんバーよねっ!」

 金剛寺バーガー。通称「金バー」は、金剛寺公園の名物である。パンズ、肉、野菜……それら全ての食材が金剛寺グループの指定農家・酪農家の手による国産品であり、味とボリュームは折り紙付き。その上、採算を度外視した地元貢献価格という、まさに最強……地元の名士「金剛寺」の名を冠するにふさわしいハンバーガーだ。

 注目はもちろん、A5ランクの金剛寺牛100パーセントの特大ハンバーグだが、それを挟むパンズには「ふすまパン」を採用。糖質が抑えられている点も嬉しい。

 その無骨な見た目に反したヘルシーさは管理栄養士も認めるところで、多感な女の子にも大人気……とはいえ、男の子の前で大口を開けて頬張るその姿は、女の子らしからぬものだったかもしれないけれど、金バーはこうやって食べるのが正義だ。お皿の上に置いて、ナイフとフォークでなんて、もっての外である。

 ……なので、金バー初体験のカケル君も、私に倣って豪快にかぶりついた。

「お、美味しいっ」

「でしょー!」

「肉汁が溢れて……レタスもシャキシャキで、甘くて……」

「ここでしか食べられないってのが、また良いよね!」

「噂には聞いていましたけど……ナナさんと一緒に食べれて、幸せです!」

 ……なーんて、カケル君、嬉しいこと言ってくれるじゃないの!

 金バーは一個も食べればお腹は一杯(これでラーメンより太らないというのだから、驚きである)、昼食を終えた私達は、自然動物園へと足を向けた。

 自然動物園は無料で公開されていているが、その割には、アリクイやらプレーリードッグやらフンボルトペンギンやら……多彩な動物を見ることができる。ウサギなどの小動物に触れる「ふれあいコーナー」もあるんだけど……私、そーいうのは苦手なんだよなぁ。というか、獣の臭いが……でも、動物園はデートの定番だよね!

 ……デート、か。自慢じゃないけれど、デートなんて初めてだ。男の子と二人っきりでドキドキ……というよりも、楽しくてドキドキ……って感じかな?

 隣を歩くカケル君……私より背が高くて、しっかりしていると思うけど、やっぱり男の子という感じがする。もし弟がいたら……こんな感じなのかもしれない。

「ナナさん、大丈夫ですか?」

 ……あう、カケル君にも気遣われてしまった。実はもう、限界だった。これ以上、臭いに耐えられそうにない。せっかくのデートが台無しだけれど、もしここで金バーを……なんてことになったら、乙女の尊厳が損なわれるどころの騒ぎではない。

 私はレッサーパンダのつぶらな瞳から逃げるように、動物園を後にする。……ああ、君達は決して悪いわけじゃない。ただ、私には刺激が強すぎるんだ……。


 深呼吸とトイレ休憩で元気を取り戻した私は、カケル君と公園をぶらついた後、待ち合わせ場所……噴水前のベンチまで戻ってきた。並んで腰掛け一休み。そこで話題に上ったのは……やっぱりというか、当然というか、FFのことだった。

「……ってことは、起きてる間、ずっと遊んでたんだ?」

「はい! お話の続きが気になっちゃって、ついもうちょっとって……」

「分かる、分かるよっ!」

「そういえば、ジョブって全部でいくつあるんですか?」

「えっと、細かいのも含めると……100はあるかな」

「凄い数ですね……」

「派生ジョブが多いからねぇ。例えばナイト、暗黒騎士、竜騎士は騎士の派生ジョブで、騎士は剣術士の派生ジョブ、剣術士の派生ジョブは騎士、魔法剣士……」

「それだけ沢山あると、どれをやるか迷っちゃいますね」

「本当にね。バランス調整も大変みたい。このジョブが一番! ……ってなっちゃうと、皆そればっかりやっちゃうし。自分のジョブが弱い……ってなっちゃうと、コンテンツを攻略するためのメンバー募集でも、居場所がなくなっちゃうし」

「……難しいところですね」

「好きなジョブをやればいいと思うけど……カケル君は、どうして白魔術士に?」

「剣術士と迷ったんですが、白魔術士の専用装備が良いなって」

「ああ、あれ良いよねっ! 女性用の脚装備はパンチラが酷いけど……」

「そ、そうなんですか? ……えっと、あれって何レベルで装備できるんですか?」

「最初の専用装備は50だね」

「50……それって、エタコンができるレベルと一緒ですね」

 ――エタコン。一週間前、私が……ナナが、カケルさんから宣言されたこと。その真意を尋ねるには、今が絶好のタイミングだろう。だけど……。

「……エタコン、ナナさんに申し込めなくなっちゃいました」

「え……」

「僕、もうFFで遊べないから」

 ……そうだった。楽しくお話してしまったけれど、カケル君がFFをプレイできないことに変わりはない。お母さんを説得する方法を一緒に考えよう……とは言ったものの、どんな方法であれ、最後はカケル君次第だ。……でも、私の前で俯くカケル君の横顔には、諦めの色が濃いように思えた。

 私は今、カケル君にどんな言葉をかけてあげることができるのだろう? 大丈夫、また遊べるようになるよ! ……こんな気休めの言葉でも、カケル君は笑顔で応じてくれると思う。いつか、また、きっと。

 ――でも。それは何か違うと思ったから、私は別のことを口にした。

「ずっと続くことなんてない」

 振り向いたカケル君に、私は肯いて見せる。

「……ってね、私のママが言ってたんだ」

「ナナさんの、お母さんが?」

「うん。良いことも、悪いことも、楽しいことも、辛いことも……ずっとは続かない。人は何かあるとずっとって考えちゃうけど、そんなことはないんだって。どんなことだって終わりはくる。人生だって、FFだって」

 ……それは、私がFFをプレイする前に、ママから言われた言葉だった。言われた時はなんでそんな不吉なことを言うんだろうと思ったけれど、今なら少し、その意味が分かるような気がする。だって、ずっと続かないなんて……信じられる?

「今はさ、カケル君、お母さんにFFを禁止されてるけど、それがずっと続くなんてことはないと思うんだ。だってさ、カケル君が大人になって……ううん、その前でもいいや、バイトでもして、自分のお金でFFを遊ぶって言えば、お母さんだって許してくれるよ! ……その頃にFFがどうなってるかは分からないけれど、私は最後までプレイするつもりだし、何年後だって、FFが続いている限りは、カケル君がログインしたら久し振り! ……って迎えたいと思ってる。ナナ式の、あの家でね!」

「……何年後でも?」

「うん! 何年後だって、ずっとよりは短いでしょ? もっと短いに超したことはないけれど……大丈夫、また遊べるようになるよ! ……って、結局は気休めかな?」

「それって、僕にエタコンを申し込んで欲しいってことですか?」

 ……はい? 私が目をぱちくりすると、カケル君は笑顔を見せた。 

「冗談です。じゃあ、また遊べることを前提に、もっとお話ししませんか?」 

「もちろんっ!」

 ――それから、私達はFFのことを話し続けた。


 ――突然のチャイム。公園の時計を見上げると、針は五時を指していた。もう? まだ一時間ぐらいだと思っていたのに……それは、カケル君も同じだったみたい。

「もうこんな時間なんですね」

「私はまだ大丈夫だけど?」

「僕はそろそろ……図書館で勉強してることになってるので」

 ……それはそうだ。本当のことを言ったら……得体の知れないメールの指示に従って、FFプレイヤーに会いに行く……とても外出許可は下りなかっただろう。

「電車?」

「はい」

「じゃあ、時風駅まで一緒に行こっか!」

「いいんですか?」

「うん! 私の家は近所だし。魔女様、もっと夕凪と時風の中間地点を待ち合わせ場所に選んでくれても良かったのに……」

「僕はここで良かったです。金バーも美味しかったし」

「あ、そう考えると、大正解だね! さすが魔女様!」

「ナナさんは、動物園が苦手だってことも分かりましたし」

「それは……忘れて!」

 夕焼け空の下、私達は駅へと向かう。道中の話題は……もちろんFFだった。

 

 十分ほど歩いて、時風駅に到着。改札口は混雑し、券売機の前にも長蛇の列。

「カケル君、切符は?」

「ICカードがあるので、大丈夫です」

「そっか。じゃあ、さよならだね。カケル君に会えて、本当に良かったよ!」

「こちらこそ、ありがとうございました! ……それじゃ、失礼します」

 カケル君は軽く頭を下げ、自動改札へ。その背中を見送っていると、カケル君がくるりと回れ右したので、私は手を振って見せる。カケル君は早足で引き返し、私の正面で立ち止まった。私は手を止めて、カケル君の顔を見詰める。


「ナナさん、好きです!」


 ――カケルさんの言葉。それは今、カケル君の言葉にもなった。そして、その想いはナナではなく、私に。カケル君は俯き、先を続ける。

「……モンスターから逃げている時、僕は初めて助けてって言いました。いじめられてた時だって言わなかったのに。言っても仕方がない、誰も助けてくれる人なんていない……そう思っていたから。でも、ナナさんは僕を助けてくれた」

 カケル君は顔を上げ、にこりと笑った。

「本当に嬉しかった。だからあの時、あの瞬間、僕が感じた想いを、何としても、この場でナナさんに伝えたいと思ったら……好きという言葉が、出てきたんです」

 ――そう、だったんだ。私はカケル君の話を聞いて、今更ながら、カケル君の気持ちについて……好きという言葉に込められた想いについて、何も考えていなかったことに愕然とした。考えていたのは常に自分のこと……ただ、それだけ。

「でも……それってFFのナナのこと、だよね?」

 口をつくのも、自分のこと。それなのに、カケル君は嫌な顔一つしなかった。

「それは……そうだと思います。でも、僕にとってナナさんはナナさんで、それを動かしているナナさんがいるとか、そんなことは考えてなくて、考えていたのは、ナナさんと仲良くなりたい、一緒にいたいってことだけで、こんなの、初めてで……」

 ……初恋、という奴なのだろうか? ……分からない。私には、分からないよ。

「だから、ナナさんに会うのが怖くもありました。もしもナナさんが……って、変なことばかり考えちゃって。でも、ナナさんのことだから、僕のこと心配してるだろうなって、大丈夫だって伝えたいと思ったら、ここにいました。そして……」

 カケル君は、私に大きく肯いて見せる。

「やっぱり、ナナさんはナナさんでした。それが嬉しくて、現実のナナさんも好きになっちゃいました。……でも、今の僕にできるのは、想いを伝えることだけ。それでナナさんにどうして欲しいというわけじゃなくて……いや、もちろん……いえ、僕の我がままです。だから、その、ごめんなさい!」

 カケル君は頭を下げると、逃げるように自動改札へと向かう。私は駆け足でその背中を追い掛け、手首をむんずと掴んだ。振り返るカケル君。

「な、ナナさん?」

「……言いっ放しは、ずるいと思う」

 私がもっと大人なら、お姉さんなら。想いを黙って受け入れて、微笑でも浮かべながら見送るべきなのかもしれない。でも、私には……そんなことできない!

「私の話も、聞いてくれる?」

「は、はい、もちろん」

「……時間、大丈夫?」

「大丈夫です」

「ごめん、手短に話すね。後じゃ駄目。今だから言えることって、あると思うから」

 私はカケル君から手を放し、深呼吸を一つ。

「私はね、オンゲーに出会いを求めてたの。パパとママはFFで出会って、恋をして、結婚して……それに憧れてて。だからあの日、私は自分を救ってくれる白馬の騎士を待っていて……結局、私がペガサスでカケルさんを助けることになったけど」

「そうだったんですね」

「私はね、カケルさんになりたかった。私がカケルさんだったら、きっと……」

 でも、そうじゃなかった。となると、結論は一つ。

「私はカケルさん……カケル君のことが好き。だけど、それは恋じゃない」

「はい」

「……というか」

「はい?」

「というかね?」

「は、はい」

「……ちょっと待って。今、凄く恥ずかしいことを言おうとしている気がしてきた」

「そうなんですか?」

「あ、いや、ううん、大丈夫……だと、思う。うん、私は、大丈夫」

「が、頑張ってください!」

「……応援ありがと。ええと、その、だから、あのね」

「はい」

「私」

「はい」

「私ね」

「はい」

「……恋って何だか、まだ分からないんだと思う」

 目をぱちくりするカケル君。……そうだよね。でもこれが、正直な気持ちだ。

「……私はね、恋ってその時が来れば自然に分かるものだと思ってて、でもそうなってない訳だから……えっと、その、カケル君は私に、恋……してると思う?」

「……はい」

「羨ましいなぁ」

「え?」

「カケル君はね、もう恋を知っているんだよ。でも、恋を知らない私には、その気持ちが分からない。だからね、もうどうしていいのか、さっぱり分からないの!」

 ……開き直りもいいところだ。いっそ、胸でも張ってやろうか? えっへん!

「ありがとうございます」

「へ?」

「その、正直に言ってくれて」

「……ううん。私には、これぐらいのことしかできないから」

「お陰で、よく分かりました」

「そ、そう?」

「はい。まだまだこれからってことが」

 ……これから? きょとんとする私に、カケルさんは先を続ける。

「ナナさんが恋を知ってからなら、チャンスがあるってことですよね?」

 首を傾げる私。ええっと……そう、なるのかな? カケル君は大きく肯いた。

「恋のレベルは、僕の方が一足先に上がったみたいですからね。でも、僕だってまだまだ……ちゃんとナナさんをエスコートできるように頑張ります!」

 ――恋のレベル。そんなものがあったら、私は間違いなくレベル1だろう。

「……ちゃんとレベル上がるのかな、私」

「大丈夫ですよ。僕にだってできたんですから」

「うーん……もっと出会いを工夫しないと」

「それはもう、しなくていいと思いますよ?」

「え?」

「というか、しないで欲しいです。恋を知る方法は、他にもありますから」

 ……何だろう、カケル君が大人に見える。それに引き替え、私は……。

「それじゃ僕、そろそろ行きますね」

「あ、ごめん! 引き止めちゃって。それに、変なことばっか言っちゃって……」

「いえ。僕、ナナさんを好きになって良かった」

 カケル君は後ろを向いて自動改札に向かい、ICカードを当てて抜けると、向き直って手を振った。私も手を振り返す。その姿が、見えなくなるまで。

 ……行っちゃった。

「寂しい?」

「うん……って、なんでユッキーがいるのっ!」

 私の隣にユッキーが立っていた。もちろん、コータも一緒だ。

「やっぱり何があるか分からないからって、コータがうるさくてね」

「面白そうだから最後まで見届けようって誘ったのは、有紀だろうが?」

「最後にキスぐらいあるかもって言ったら、血相を変えたのは?」

「ば、馬鹿っ! そんなの、早すぎるだろう!」

「……もっと純情なのが身近にいたわね。ともあれ、あの子なら大丈夫よ」

「だな。強いて言えば、しっかりし過ぎてる分、色々と考えちまうんだろうな。頭も良さそうだし、あの容姿だ。小学校でも目立って……どうした、ナナ?」

 私は呆然としていた。二人がここにいるのは……まぁ、この際良しとしよう。何となくそんな気もしていたし。問題は、どこから聞いていたかだ。そして、何を。

「……いつから、聞いてたの?」

「ああ、心配するな。遠くから見てただけだ。金バー食って動物園に行ったと思ったら、案の定すぐに出てきて……それから、公園をぶらついてたんだっけか?」

「その後は噴水前のベンチ。大方、FFのことでも話してたんでしょ?」

「……俺に見張らせておいて、彼氏と電話とは良い身分だよなぁ」

「日曜日の午後に彼氏と電話で話して何が悪いの? 妬いてる?」

「誰がだよ! ともあれ、話を聞いてたのはその後、この駅に着いてからだな」

 ……駅に着いてからですか。はぁ、そうですか。

「……じゃあ、駅での私とカケル君のやり取りは?」

「ああ、それは全部聞かせて貰った」

 ……ほう、全部。

「二人とも、声が大きかったし。だから聞いてたの、私達だけじゃないよね」

「きゃーきゃー騒いでるのもいたよな。スマホをいじりながら」

「それにしても……浩太もうかうかしてられないわね」

「そうだな……って、何を言わすんだよ!」

「ナナがカケル君の手を掴んだぐらいで取り乱しちゃって……」

「お、大げさなこと言うなって! お前こそ、アームロックまで極めやがってさ」

「あんた、本気で殴りにいこうとしてたでしょ? 危ないんだから」

 私は両手で顔を覆って、その場にうずくまった。ああ……顔が熱い、ドキドキする……まさか、これが恋なの? ……そんなわけあるかっ!

「……どうしたんだ?」

「恥ずかしいんでしょ? 聞いてるこっちも恥ずかしかったし」

「レベルも1だろうしなぁ」

「でも、良かったわね。ナナさんを好きになっ――」

「やめーいっ! そこまでっ! すとーっぷっ!」

 私は立ち上がり、ユッキーの口を両手で押さえながら、コータを睨み付ける。

「コータっ!」

「な、なんだよ?」

「奢れっ! なんか奢れっ!」

 私はそう言い放つと、コータに向かって腕をぶんぶんと振り回した。

「いきなりたかるな! 殴るな! だから、水月は止めろって!」

「うーっ……!」

「それに、なんで俺だけなんだよ? 有紀だって……」

「……バイトしてるの、コータだけじゃんっ!」

「なんでそこだけ冷静なんだよ……分かった、分かったから、落ち着けって!」

「あはははははははは!」

 私はひたすらコータを殴り続ける。まったく、まったく、まったく、もうっ!


 ――カケル君と出会い、別れてから一週間。

 ナナは家で一人、ギコギコとノコギリをひいて、家具を作っていた。

 作業の合間にフレンドリストを覗いても、並んだ名前はぜーんぶ真っ黒。

 カケル君と会った日の夜、例の穴までお礼を言いに行ったけど、当然と言うか、魔女様は姿を見せなかった。色々考えた末、穴に向かって「ありがとうございました!」と頭を下げる。……感謝の気持ち、魔女様に届けばいいな。

 あの日以来、出会いを求めて活動することもなくなった。カケル君に言われたからっていうもあるけど、私もあの方法じゃ駄目だろうと思ったから。……今更だけどね。でも、お陰でカケルさんと出会えたと思えば、悪くなかったと思う。

 カケルさんは、ログインしていない。……まだ一週間だもんね。学校はどうなったとか、気になることはあるけれど、私にそれを知る術はなかった。

 ユッキーからメアドの交換ぐらいしたのと聞かれ、あっとは思ったけれど……正直、それはルール違反という気がしたのも事実だ。魔女様にお願いしておいて何を今更と言われたら、ぐうの音も出ないけど……だからといって、今後はFF抜きでリアルのお付き合い……というのは、何か違うと思ったのである。

 だからこそ、カケル君だって何も言わなかったのだと思うし、次に会うのはこの場所で……そう思っているに違いない。それは、私も同じだ。

 そんなわけで、ナナはせっせと家具を作っている。本棚、クローゼット、水槽、ジュークボックス、お風呂……我ながら充実してきたと思うけど、配置は適当なので、家の中はまるで物置のようになっている。いつかカケルさんとレイアウトを考える……そんな日が来ればいいなと思う。できれば、そう遠くない未来に。

 ピカーンッ! ナナは新たに完成した木製の時計をテーブルに置き、ノコギリと台座を片付ける。ちょっと休憩……ナナは椅子に腰掛け、うんと伸びをした。

 ――扉が開いた。まさか、カケルさん? 私は目を皿のようにして、扉を注視。そこに現れたのは、カケルさん……ではなく、ラルフェル族の冒険者だった。

 ラルフェル族は三頭身の小柄な種族で、その愛くるしい外見からFFのマスコット的な存在でもある。身長は1メートル程度。横にぴんと伸びた大きな耳も特徴的だ。

 家に入ってきた冒険者はまるでタマネギのような髪型をしていて、太い眉毛と大きな鼻が勇ましい。ただ、そこで男の子だと判断するのは早計で、そのつぶらな瞳や丸みを帯びた頬は女の子そのもの……と、ラルフェル族の性別は見分けがつかないことで有名であり、即座に見分けられる人は「鑑定士」と呼ばれるほどである。それでも、私がその冒険者を男の子だと思ったのは、別に私が鑑定士だからではなく、身につけている初期装備が男性用……スカーフにチュニック……だったからである。

 若葉マークの横に並んだ名前は「Buront」。ブロント……と読むのだろうか。初めて見る名前。住宅街に迷い込んだ初心者さん……といったところだろう。

「いらっしゃい!」

 ナナが声をかけると、ブロントさんはその場で飛び跳ね始めた。身長の二倍……2メートルは軽く飛び越えるラルフェル族の跳躍力は、いつ見ても驚かされる。その小さな体が、全て筋肉でできているのはないかと思えるほどに。

 チャット、苦手なのかな……私がそう思っていると、ブロントさんは口を開いた。

「やっと見つけた」

「見つけた?」

「俺だ」

「俺?」

「だから……おい、これって、誰かに聞こえてないよな?」

 ナナが肯くと、ブロントさんは一回だけ飛び跳ねた。

「浩太だ」

「嘘でしょっ!」

 私は思わず声を上げ、慌てて両手で口を押さえた。……そんな、本当? 私はまじまじと画面を見詰め、しきりに首を傾げながら、キーボードに指を置いた。

「コータ……FF、始めたの?」

「ああ。家があるって聞いてたけどさ……住宅街、めちゃくちゃ広いじゃねーか」

「聞いてくれたら、すぐに住所を教えたのに……」

「サプライズって奴だ。どうだ、驚いたか?」

「そりゃあ、もう……でも、どうして?」

「もう高校生だからな。バイト代でやるんだ、お袋だって文句は言えないさ。まぁ、親父が説得してくれたってのも大きかったけど。お袋、親父には甘いからなぁ」

「でも、オンゲーが嫌いじゃなかったの?」

「誰がそんなこと言ったよ? やったこともないのに、好きも嫌いもないだろ?」

「……そっか。でも、まさかのラルフェルね。ガルディンが似合うと思ってたのに」

「ガルディンって、あの熊みたいな奴だろ? いいじゃねぇか、好きなので」

「そりゃそうだけど……」

 こんなに可愛いキャラクターを、あのコータが操作しているかと思うと……噴き出さずにはいられない。だって、イメージが全然……まぁ、眉毛は面影があるけどね。

 ……それにしても、コータがFFかぁ。そんな日が、本当に来るなんて。

「何だか、夢みたい」

「大げさだな」

「だって……一緒に遊ぶの、ずっと夢だったんだもん」

 それも、半ば諦めかけていた夢だ。だから、その……画面が滲んでしまう。

「泣くんじゃないぞ?」

 ……もう、なんで分かるかなぁ。私は手の甲で涙を拭った。

「とにかく、俺となんだ、フレンド登録だっけか? それをやろうぜ」

「ああ、そうだった! すぐに申請するね!」

 私がブロントさんにフレンド申請を送ると、即座に承認された。試しにフレンドリストを開いてみる。一番上に「Buront」という白い名前……うん、よしよし!

「ファミリアにも誘っておくね!」

 続くファミリア登録も、滞りなく完了。かくして、ファミリア・ナナ式に三人目のメンバーが登録されたのだった。……まぁ、今は二人しかいないけど。

「カケル、まだ来てないんだろ?」

 ブロントさんの言葉に、ナナは頷きで応える。

 この一週間、コータとユッキーにはカケルさんのことを含めて、FFのことは話していなかった。別に隠してた訳じゃないのだけれど……なんとなく、ね。ただ、ファミリアの管理画面にはメンバーの最終ログイン日が表示されるので、一目瞭然だ。

「ありがとね。カケルさんのこと、気にしてくれて」

「まぁ、それはな。それより、問題はお前だよ」

「私?」

「寂しかったんだろ? FFの世界で、ひとりぼっちってのがさ」

 ……どきっ。ストレートな指摘に、私の顔がちょっと熱くなった。

「わ、分かる?」

「バレバレだ。ぼーっとしてさ、FFの話もしないって……よっぽどだろ?」

「えへへ……あ、まさか、私のため? コータがFF始めたのって……」

「……そう言われると、身も蓋もないけどな。といっても、俺だって全く興味がなかったわけじゃないから、気にすんな」

 もう、ラルフェルになっても素直じゃないなぁ。でも……でもね!

「ありがとうっ! 本当に嬉しいっ!」

「それは良かった」

「……うーん、どうも伝わってないなぁ。そうだっ!」

 ナナはブロントさんに駆け寄ると、身を屈めて抱き締めた。

「お、おいっ! 何してるんだよっ!」

「感謝っ! 感謝っ!」

「分かったから、そんなにくっつくなっ! 離れ――」

「ナナさん、こんばんは!」

 チャット画面に言葉が流れる。私が扉に目を向けると……ローブに両手杖、褐色の肌に長い銀髪。そして何よりも、優しい笑顔……カケルさんが立っていた。

「カケルさんっ!」

 私は再び声を上げて、両手で口を押さえた。……明日の朝、ママから事情聴取されなければいいけど。あ、今はそれよりも……私はキーボードを軽快に叩いた。

「久し振りっ! お母さん、説得できたの?」

「はい! 僕が学校に行き始めたら、すぐに許してくれて……」

「凄いじゃないっ! あ、でも、悪い子はどうしたの?」 

「それが……今のところ、何もしてこなくて。拍子抜けというか、何というか……」

「中学生をやるのに忙しくて、いじめをする暇がないのかもしれないな」

「なるほど……って、貴方は? ……ああ、す、すいません! 知らない人がいるのに、リアルの話をぺらぺらと……」

「大丈夫! その子、コータだから」

「コータって……ああ、先生ですか!」

「せ、先生!? ということは、カケルさん、もしかして……」

「はい! 僕、天野道場に通うことになったんです! ……あれ、ナナさん、先生から聞いてないんですか? 有紀さんも知ってるはずですけど……」

 ほう、それは初耳だ。ナナはブロントさんを見下ろす。

「……コータ、どういうこと?」

「……だから、さっき言っただろう? サプライズだって」

「知ってたの? カケル君がFFに復帰するって?」

「待て、俺もそれを知ったのは最近だぞ?」

「三日前ですね。僕が初めて道場にお邪魔させて頂いたのは」

「……そう、三日前には知ってたのね」

「ほ、本当はな、すぐに知らせたかったんだが、この家がなかなか見つからな――」

「コータっ! このっ! この三日間の寂しさをどうしてくれるっ! さては、ユッキーにも口止めしてたなっ! このっ! このっ! このっ!」

 ナナは手首のスナップと、全身のバネを利かせた見事な平手打ちを、ブロントさんの大きなタマネギ頭に向かって、次々と炸裂させる。何度も、何度も。何度も。

 ――チャット画面が平手打ちで埋め尽くされると、ナナは手を止め肯いた。

「……でも、良かった。コータがFFを始めて、カケル君も戻ってきて……ファミリア・ナナ式、これからいよいよ本格始動って感じだねっ!」

 ナナはその場で大きく飛び上がった。ポニーテールも元気に跳ねる。

「えーっと、まずは何から……メインクエストにレベル上げ、それから……」

「恋のレベル上げも、一緒に頑張りましょうね!」

 目をぱちくりする私。ナナが顔を向けると、カケルさんは笑顔で肯いた。

「言ったじゃないですか、ナナさんをエスコートできるように――」

「カケルっ! お前、そんな不純な動機で……駄目だ、そんなの許可できるかっ!」

「どうして先生に許可が必要なんです?」

「そ、それは……俺はナナの幼馴染みで、お前の先生でもあるわけだから……」

「……やっぱり、先生もナナさんのことが好きなんですね」

「ば、馬鹿っ! 何を言ってやがるっ!」

「嫌いなんですか?」

「好きだっ! だがな、それを言ったところで……」

 ブロントさんとカケルさんは、揃ってナナへと顔を向けた。ナナは二人の顔を何度も見比べると、赤くなった頬に両手を添えて、ぶんぶんと頭を振った。

「いやぁ、私ったら、モテモテだなぁ!」

「……ほらな?」

「……前途多難ですね」

 仲良く肩を落とす、ブロントさんとカケル君。何よもう、これでも精一杯、それっぽく振る舞ったつもりなのに……どうせ、私はレベル1ですよーだっ!

 ……私もいつか、二人の想いに応えられるように……なーんて、それよりも、私はこれからのFF生活……大冒険に胸を高鳴らせているわけで、これじゃ、恋のレベルアップは当分先かな? ともあれ、私は私らしく、恋も、冒険も、楽しもうっと!

「じゃあ、まずは三人でさ、部屋のレイアウトを考えよう! ねっ!」

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