第34話「ひさびさの彼女」

 夏は来た。

 それは、今この瞬間だ。

 初夏の訪れを感じる土曜日の朝、真逆連児マサカレンジは待ち合わせの場所で携帯を覗き込む。まだ三十分ほどあるが、デートに男が遅刻するというのはよくない。

 勝手にもう、親しい仲間達との休日はデートになっていた。


「ふっ、今日も朝日がまぶしいぜ……もうすぐ九時だけどな。フンフーン♪ フフフーン♪ おんなのなっかにー、おとこがひっとりー♪ おんなのなっかにーいい、おとこがひっとりー!」


 行き交う人達がいぶかしげに思う程度には、浮かれていた。

 女子と楽しく過ごす休日など、連児には初めてである。

 いいね、青春だね! これってもう、フラグだね! 既成事実トゥルーエンドだね! などと、頭の中は既にお花畑だった。灼熱の太陽に向かって伸びる、一面のひまわり畑だった。

 駅前の時計塔の前で、今にも連児は踊り出しそうだった。

 そんな時、彼の背後に人の気配が立つ。


「……連児。なに、してんの」

「お? おはようだな! スバル!」


 そこには、私服姿の榊昴サカキスバルが立っていた。

 やはりというか、やっぱりパンツスタイルだ。モデルもかくやという長身の昴は、ジーンズにTシャツとラフな格好だ。だが、すらりと痩せたそのスタイルは、長くて細い脚が際立って見える。

 因みに連児は、カーゴパンツに薄手のパーカーという、これまた適当な着合わせだった。

 季節はまだまだ初夏、そして頭の中は常春とこはるな連児がそこにはいた。


「おはよ、連児。……なんか、変じゃないかな、私」

「んー? どしてだ? 強いて言えば、その手袋はよせよな」

「いや、これは」


 昴の特醒人間とくせいにんげんとしての能力は【骸終一触ワンタッチ】……文字通り、触れた相手を有無を言わさず殺す。昴が死ねと念じて触るだけで、あらゆる生命が呼吸と鼓動を停止させるのだ。

 いつだって、昴は手袋を欠かさない。

 それを外す時、誰かが死ぬ。

 連児なんかは、スナック感覚でホイホイ殺されたりしてる。残機ざんきがある時だからいいが、本当に抵抗することもできずに死んでしまうのだ。


「せめてな、昴……手袋するなら、こぉ、ほら、あるじゃねーかよ」

「な、なにが」

にしろよ、それならファッションとして通じるからよ!」

「……えっ、本気で言ってる?」

「めっちゃ格好いいじゃん、指抜きグローブ。あ、でも待てよ……手袋する意味がねえな、それじゃ。触られたら死んじまうか。うーむ」


 クスリ、と昴が笑った。

 バカ、と小さなつぶやきがこぼれた。

 思えば、いつもすずな表情で彼女はエンプレス・ドリームを守っている。秘密結社アトラクシアが誇る、最強の特醒人間……恐らくその力は、触れて発動すればどんなヒーローも絶命させうるのだ。

 あのマイティ・ロウとて、倒しきるだろう。

 

 そんな恐ろしい能力を持っていても、行き交う誰彼が振り向く美形の少女が昴だ。そして、視線を彼女に突き立てる者達の半分以上は、彼女が女の子だと気付いていない。


「で、連児だけ? エンプレス・ドリーム様は」


 ――エンプレス・ドリーム。

 夢幻の女帝、その名が連児達アトラクシアの首魁しゅかいである。怜悧れいりにして玲瓏れいろう絶対零度アブソリュートの美貌を持つ少女、爪弾冥夜ツマビキメイヤ……自らを純粋な悪として定義した彼女が、この世界の敵として連児達を率いている。

 その冥夜だが、まだ姿を見せない。

 連児が一番楽しみにしているのは、私服姿の彼女だ。

 住んでる場所も学校も違うので、プライベートで会うことはまれなのだ。

 元気な声が響いたのは、そんな時だった。


「ちーっす、連児っち! ……おんやぁ? そこの彼がメールにあったお友達だねぇん?」


 佐倉菫サクラスミレは今日も元気に笑顔を輝かせている。

 すぐそこで一緒になったらしく、伊万里真瑠璃イマリマリルも一緒だ。

 もはや完全に意気投合して、二人は十年来の親友同士みたいに親しくなっていた。


「よっすー! 昴ちゃんもオツオツー!」

「あ、うん……お疲れ、様。真瑠璃」

「あとは冥夜ちゃんだけだねー? みっずぎー、みっずぎー、こっとしのみずぎー!」

「真瑠璃も、水着……かっ、買うんだ」

「あったりめーよぉ! なんかさー、中学のスク水? だっさいのー! もうやだー」


 今日も真瑠璃は元気で、いつもと変わらぬ屈託な笑顔だ。それを見たら、少し昴も緊張がほぐれたらしい。

 そう、今になって連児は気付いた。

 昴はがらにもなく、緊張していたのだ。

 そういえば確かに、組織や学校と関係なく、彼女が冥夜と会うことは珍しいのかもしれない。そう考えると、途端に昴のことが可愛くなってきた。

 昴は、冥夜にれている……同性だが、恋している。

 そして、それを知ってる冥夜は彼女に優しい。はっきりと気持ちに応える素振りこそ見せないものの、随分と深い仲だと聞いていた。


「まっ、そんな冥夜は俺にベタ惚れなんだけどな!」

「ちょっとちょっと、連児っち。あのさあ」

「ん? なんすか、菫さん」

「そこのイケメン君……ねね、連児っち。君、馬鹿でしょ? なんでこぉ、好きな子も一緒に来るのに、顔面偏差値東大レベルのイケメン君連れてきてんのって話!」


 後半は菫は、声をひそめてひじ小突こづいてきた。

 あ、そうかと連児は手を叩く。


「ああ、昴なら女っすよ。女子ですって」

「へ? そなの? ……それってさ、やばくない?」

「やばい、というと」

「くっそー、脚は細いし背は高いし、美形……あーし、ああいう中性的なの、けっこークんのよね。ツボる」

「あ、でも昴は――」


 昴は真瑠璃と、どうしようもないことを話しながら笑ってた。

 少しぎこちなくて、飾らない笑顔……いいじゃんかよ、ヘッ! と、何故なぜか見守る視線になってしまう連児だった。

 そして、そんな和やかな空気に、風が吹く。

 この世には、場にいるだけで空気を動かす人間がいるのだ。


「ごめんなさい、少し遅れたわ。私で最後のようね」


 なんて典雅てんがな声だろうか。

 連児は振り返るなり、後光が差す中へと抱き着いた。

 もちろん、現れた冥夜は最小限の動きでそれを避ける。植え込みの中にダイブすることになったが、全く嫌な思いをしていないのが連児の鋼のメンタルだった。

 そして、改めて目を見張る。

 私服の冥夜は今日は、とても意外性があって、普段以上に綺麗に見えた。


「冥夜っ、おっ、おおお、おお!」

「どうかしたかしら、連児君。……頭でも打った? ごめんなさい、徹底的に打ちえて絶命するくらいだったらよかったのにね」

「はーい、いただきました! 今日も冥夜のしいたげボイス、いただきました!」

「そういうの、やめてくれる? 気持ち悪いの、心底ね」


 御褒美ごほうびに過ぎる冷たい視線、そしてカミソリのような言葉。

 だが、連児は嬉しかった。

 今日の冥夜は、淡雪あわゆきのように白い肌を惜しげもなくさらしていた。健康的にむっちりした太もも、その下のしなやかなおみ足はスニーカーだ。ホットパンツにへそ出しシャツで、上から薄手のスタジアムジャンパーを羽織はおっている。

 清楚せいそなお嬢様スタイルかと思いきや、この攻めたファッションもたまらなくいい。

 思わず連児は「イェス! オゥ、イェス!」とガッツポーズを取ってしまった。

 だが、菫は腕組み首をひねってうなる。


「あれー? あーし、どっかでこの子、見たような……えっと」

「おはようございます、エンプレス・ドリーム様」

「昴、外ではいいの。冥夜って呼んで頂戴」

「は、はい……冥夜様」

「様、はいらないわ。さん、はい」

「め、冥夜」

「ええ、それでいいわ」


 菫は「ああーっ!」と大声で飛び退いた。

 そう、彼女はこの距離で接することは初めてだろう……眼帯をした黒髪の少女が、秘密結社アトラクシアを統べる夢幻の女帝、エンプレス・ドリームなのだ。

 戦闘員108号こと菫は、目を白黒させて、次の瞬間には混乱の中で手を上げた。


「えと、えと……ディー・ドリームッ!」

「あら、ええと……佐倉菫さん、ね。戦闘員108号の」

「は、はいっ!」

「今日は貴女あなたとも、少しお話がしたかったの。とりあえず、周りが見てるわ。ね?」


 冥夜がわずかにほおを和らげた。

 つぼみのようなくちびるが、柔らかく笑みをかたどる。

 ふざけて真瑠璃も「ほいほーい、ディー・ドリーム!」と元気がいい。つられて連児まで、同じポーズでお馴染みの忠誠を叫んだ。

 行き交う人達の噛み殺した笑みが、すぐ耳元に聴こえてくるような気がした。


「全く、しょうがない人達……ま、いいわ。先に買い物を済ませましょう。昴」

「えっ? あ、はい、あの……ええっ!?」

「あら、嫌? 迷惑かしら。私はこうして昴と歩きたいのだけど」


 冥夜は、昴の腕を抱きながら歩き出した。

 それを見送る菫が、まだ状況を理解できず口をパクパクさせている。手短に連児は、この三人がアトラクシアの幹部だと教えてやった。ついでに、自分もその一人だという、思い込みに近い妄想も付け加える。


「はあ……連児っち、凄いじゃん。あーし、前にチラッと面接かなんかで」

「そ、冥夜が俺達の旗頭はたがしら、エンプレス・ドリームよ! どうだ、びびったか!」

「しかも、あれ……あっ、よく見ればあの子! いつもエンプレス・ドリーム様の横にいる人じゃん! ……なんか、めっちゃ強いんでしょ?」

「なーに、触られると死ぬだけだ」

滅茶苦茶めちゃくちゃじゃん、それ。その二人が……え? えっとー? うーん……連児、勝負あったね。お気の毒様! ま、あーしがなぐさめたげるし! いこいこっ!」


 元気よく走り出した真瑠璃を追って、菫も駆け出す。

 その手は連児の手を、本当にさり気なく握ってきた。

 普段から、ぜろ、爆ぜ散れ、爆ぜ狂え! と思っていた光景が今、連児を中心に広がっているのだった。

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