第32話「ポテトいーっぱいだけの現実」

 一仕事を終えた真逆連児マサカレンジは、ファーストフード店にいた。

 全面ガラスの大きな窓に向かって、一人で座っている。そこから見える往来では、夕暮れ前の時間、誰もが足早に歩く。

 買い物帰りの若い奥さん。

 携帯電話に頭を下げる商社マン。

 下校中の高校生の男女。

 皆、銀幕スクリーンに映る映画のようだった。

 そんなことを考えてると、隣に細い人影が座る。


「おまっとー? はいこれ! あーしのオゴリだしー、食べて食べてー」


 トレイの上に山盛りのポテトと、Lサイズのドリンクが二つ。

 そして、ニシシと笑う少女がそれを連児の前に押し出してくる。

 彼女は、戦闘員18号。その素顔は、色を抜いたボブカットの茶髪で、肌は少し日に焼けている。だが、化粧っ気は派手に感じないし、そばかすがなんだか幼い印象の笑顔を飾っていた。

 18号は自分でもコーラを飲みつつ、聞いてもいないのに喋り出した。


「えっと、あーしはぁ……いいよね? んと、佐倉菫サクラスミレ! サクラもスミレも花の名前で、なんかおめでたいっしょ? どっちで呼んでもいーよ? あーしはでもぉ、菫の方が好きかな。佐倉は……桜は、ちょっとねー」

「あ、ああ……俺は28号、真逆連児だ」

「オッケ、連児! よろしくー」


 屈託くったくなく笑って、菫はポテトへ手を伸ばす。

 老巧化した橋の破壊という、力仕事が終わったあとだ。自然と連児も小腹が空いてたいので、ありがたくご馳走になることにする。

 連児ごと橋を落としてしまった、これは菫なりのお詫びの印なのだった。

 彼女はテーブルにひじを付きながら、連児に肩を寄せて話し続けた。


「でも、なんか意外ー? って感じ。正体バラすの、駄目だったっけか」

「いっ、一応、そうなんじゃないスかね」

「はは、ちょっと連児、硬いし。緊張してんの?」

「ちっ、ちげーし! ただ……その、自分から顔バレする人、初めてで」


 秘密結社アトラクシアの戦闘員は、基本的にニュートラル・ウィルスの感染者が集められている。何かしらの能力が発現したものの、ヒーローとして力を振るうにも、ヴィランとして暴れるにも足りない者達……力の弱い者達だ。

 それでも、常人に比べれば強い筋力や反射神経を持っている。

 そういう人間をスカウトし、そこそこの時給で雇っているのだ。

 その代り、全員が顔も名前も伏せて参加するのが決まりである。


「だーって、ちょっち退屈してたし。このバイト、時給はいーんだけどさぁ」

「あ、そうそう! 時給はいいのな、戦闘員。最近凄く上がって、今はえっと、確か」

「時給1.800円。これってケッコーよくね、って話っしょー」

「こういうとこで働くより、二倍近くいいもんな」


 チラリと連児は、店のレジを振り返る。

 ゼロ円のスマイルで今日も、アルバイトの店員がまばらな客に応対していた。連児もやったことがあるが、ファーストフード店での時給は1,000円いくかいかないかである。

 ここ最近、アトラクシアの羽振りはいい。

 エンプレス・ドリームが……爪弾冥夜ツマビキメイヤが、新しい戦いを始めたのだ。

 今週に入ってからもう、ダース単位でヒーローがやられている。

 ある者は忽然こつぜんと姿を消し、ある者には突然の犯罪疑惑が降って湧く。マスコミに社会的に抹殺されたヒーローもいれば、ありえぬ失敗で信用を失墜させたヒーローもいた。

 改めて連児は思い出す。

 アトラクシアは悪の組織、冥夜はヒーロー抹殺を続ける悪の女帝なのだ。

 否……彼女は自らを純粋な『ただの悪』とうそぶく。


「ところでさぁ、連児……だれちゃん? なんかほらー、呼んでるけど」

「……へ?」


 ふと我にかえると、目の前に小さな小さな女子中学生が立っていた。

 面識がなければ多分、連児にはに見えただろう。

 制服は神嶋市かみしましの有名な学園のもので、黒いワンピースのスカートに、脚は同じ黒のタイツだ。眼の前の矮躯は、携帯電話を出して液晶画面に指を走らせる。

 当然のように、連児の携帯電話が鳴った。


「げっ、伊万里真璃瑠イマリマリル!」

「へー、やっぱ知り合い? 出てやんなって、

「連児っち!? なにそれ!?」

「んー、なんかそう呼ぶ的な? ほら、電話に出て出て」


 猫みたいに笑う菫にかされ、通話に応ずる。

 当たり前のように、向こうでは真璃瑠が声を弾ませていた。


『やっほー、連児! オツオツー! 何? デート中?』

「ちっ、ちげーし!」


 ドス、と隣の菫に肘で小突かれた。

 だが、彼女は笑ってる。


『冥夜ちゃんを諦めて乗り換えたのかなーって? あ、ひょっとして浮気?』

「浮気じゃねーし、ってか乗り換えるもなにも……俺はまだ! 冥夜に! 乗ってねえんだよ!」


 何故なぜか力強く拳を握って、連児は立ち上がってしまった。

 そう、ウッフーンでアッハーンなことをまだしてない。

 個人的には相思相愛だと勝手に思っていて、それは揺るがない。そう思い込めるだけの能天気さが連児にはあったが、自分では自覚がないのだ。

 乗りつ乗られつ、上下を入れ替えて愛し合う予定の女性は唯一人。

 それこそが、エンプレス・ドリームこと爪弾冥夜なのだ。


『それはそーと、連児ー? おいしそーだねっ!』

「……あーもぉ、ちょっと待て! 待てって!」


 受話器に手を当て隣を見ると、菫はやっぱり笑ってた。

 そして、そっと顔を寄せてくる。

 驚く連児が手に持つ携帯電話に、彼女は手をどけさせてささやいた。

 その呼気が肌をでて、甘やかな匂いが鼻腔びこうをくすぐる。


「ねえ、一緒にお茶しないー? つってもコーラだけど? なんならおごるし!」

『えっ、いいんですかー! お姉さん、ひょっとしてイイ人!?』

「もち。その代り、あーしと連児のこと、秘密にしてくれる?」


 おい待て。

 ちょっと待て。

 秘密もなにも、そういうやましい関係ではない。

 ただの戦闘員仲間、たまたま互いに身元がバレたに過ぎないのだ。

 だが、菫の横顔はなんだか嬉しそうで、悪戯いたずらに浮かれる子供みたいだ。

 ぐるりと回って店の入口から、真璃瑠が入ってくる。


「どもどもー! あたし、真璃瑠です! 伊万里真璃瑠」

「あーしは佐倉菫。へへ、連児っち共々よろしくねー」

「ウィス! あ、ちょっと飲み物は自分で買ってきまーす! 連児ー、あたしのポテト残しといてねー!」


 転がるような賑やかさで、真璃瑠は行ってしまった。

 そして、それを見送る菫の目が妙に優しい。

 横顔を見ていた連児の視線に気付いて、彼女は照れたようにテーブルに背を向け寄りかかる。


「あーしね、妹がいんの。二人も。上の子は今年高校受験だしー? 下の子はなんか、陸上? 走るの速くてさあ。どっちもお金かかんのよ」

「それでバイトを? へー、意外……なんか、いわゆる『遊ぶ金欲しさ』みたいな……って、痛ぇ! おい馬鹿やめろ、やめてください! とれる、耳がとれるっ!」


 連児の耳を引っ張りつつ、菫は笑っていた。

 だが、そんな彼女の目が不意にシリアスになる。


「あーしにももっと、強い力があればさあ……アトラクシアの怪人、特醒人間とくせいにんげんとして戦えば、もっと沢山もらえるって。でも、駄目かなあ? あーし、なんの能力かわかんないんだもん」

「そうなのか? さっき、すっげえ馬鹿力出てたじゃねえか」

「最近、時々力加減がねー。あ、そだ! 連児っちはどんな能力?」


 ニュートラル・ウィルスによって力を覚醒させた人間は、程度の差こそあれ自分の能力について多くを語らない。その特性を知られれば、それは相手に弱点を教えることになりかねない。

 だから、自ら能力を明かすことはタブーとされてきた。

 ペラペラ喋る人間は馬鹿で、それも救いようのないたぐいの大馬鹿者だ。

 連児はそのことを思い出して、呼吸を整え菫に言葉を選んだ。


「フッ……俺様の能力は【残気天翔エクステンダー】だ。見ろ、この手を! この手の甲に書かれた数字の回数だけ、死んでも少し前の時間に巻き戻って復活する!」

「へー、超便利じゃね? ねね、試してみていい?」

「おい馬鹿やめろ、ってか馬鹿は俺か……つい自慢したくて喋っちまった」

「はは、なにそれウケるー、って感じ? でも……面白いね、連児っちってさ」


 やがて真璃瑠がやってきて、すぐに菫と打ち解ける。

 確かに、あっという間に姉妹みたいな感じになってしまった。

 少し冷めかけたポテトを食べながらもう、真璃瑠が喋る喋る……菫と意気投合してしまって、普段以上に陽気にコロコロと笑っているのだ。アジトにあるエンプレス・ドリームの玉座の間でもそうだが、真璃瑠の明るい笑顔は癒やしだ。

 勿論もちろん、連児に負けず劣らずアホの子なのだが。

 そしてお互い、連児よりは賢い、真璃瑠には勝ってると思っているのだが。


「ラジャー、ラジャー! かなりラジャいですよっ、菫ねーさんっ! あたし、連児とのことは秘密にしときますんで! 誰にも喋りませんので」

「わはは、いい子いい子! もっとポテト食べなー?」

「いただきまっす!」

「でも、ふふ……ねね、連児っち。連児っちの好きな人って、誰? どんなタイプ?」


 エンプレス・ドリームです、なんて言えない。

 その正体である冥夜の名前も出すことはできなかった。

 だが……連児は馬鹿である。

 自分の能力を自慢したいだけでばらしてしまう、そういうレベルの馬鹿なのである。


「例えばだぜ? 例えば、そうだなあ……エンプレス・ドリーム様みたいなさあ」

「そうそう、連児の好きな人はー、エンプレス・ドリーム様にー、そっくし! まさに本人! ディー、ドッ、リームッ!」

「へー、あゆ感じなんだー。あーし、前に一度会ったけど……そっかあ、連児っちはそういうのが好みなんだ。面食めんくいだねー」


 やっぱり菫はニヤニヤ笑って、楽しそうにいじってくる。

 連児も、思いがけず年上の友達ができたみたいで、ついつい多弁になってしまった。基本的に人当たりがよくて、人懐ひとなつっこくて、その上に馬鹿な連児はチョロいのだった。

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