第29話「大空港にて」

 空港は今日も、海外への窓口としてごった返していた。

 誰もがスーツケースを手に、右に左にへと忙しく歩いている。そんな中で、制服姿の場違いな高校生の二人組。

 それは、皆野伴ミナノバン真逆連児マサカレンジだった。

 勿論もちろん、伴はなかば行員に連れてこられたのだが。


「なあ、ええと……連児? だっけ? 何で俺が」

「いいからいいから! 悪ぃけど頼まれてくれよ。人手が必要でよ、でも、進太郎シンタロウショウも用事があるってんだよ」


 謎の転校生、赤星進太郎アカボシシンタロウは未だに謎の存在だ。

 だが、徐々にクラスのみんなに溶け込もうとしている。

 御神翔ミカミショウは今日は、恋人の宮部玲ミヤベレイと一緒のはずだ。むしろ、伴が連児の頼みを聞いてやったのだから、二人一緒に帰れる筈である。

 そんな訳で、学校からシャトルバスで30分、二人は空港に来ている。


「なあ、連児……いったい何の用なんだ?」

「ああ、荷物持ちだ。冥夜メイヤの」

「荷物持ちぃ!? ……って、冥夜って」


 確か、その名は爪弾冥夜ツマビキメイヤ

 以前から連児が口にする少女の名だ。

 そして、彼女は連児に言ったらしい。


 ――、と。


 その理由はわからない。

 そもそも伴は、会ったことがないのだ。名前だって知らない。そして、冥夜の名を聞くと不思議と全身が過剰な反応を示す。

 何か、得体えたいの知れない好奇心と恐怖心……まぶしいやみとでもいうような、矛盾むじゅんはらんだ危うい魅力。


「連児、今日はその、冥夜さんとかって人に会えるのか?」

「ん? ああ! 紹介すんぜ、俺の女をよ!」

「……そうなの? お前の、彼女?」

「いやあ、彼女ってーか、御主人様ごしゅじんさま? なんてな、ガハハ! ……まあ、こういっちゃアレだが、かなり深い仲だ。俺の残機ざんき、じゃねえ、命を捧げる相手さ」

「へえ……な、何か知らないけど、凄いな、お前……」


 そんな馬鹿みたいなことを、平気で言えるなんて、凄い。

 凄い馬鹿か、馬鹿みたいに大物かのどっちかだ。

 もしくは、その両方か。

 そんな訳で、ますます伴にとって冥夜の謎が深まる。

 ともあれ、そんな彼女が荷物持ちを連児に頼ったということは、恐らく海外旅行か何かから戻ってくるのだろう。あの、榊昴サカキスバルとかいうセントガブリエル&チャーチル女学院、通称『ガチ女』の女の子も言っていた。


「ええと、その冥夜さんは……ロシア? だっけ? 何しに行ったんだ……女子高生が、ロシア」

「んまあ、冥夜は忙しいからよ。あ、こっちだ伴!」


 連児は馴れ馴れしいのに、不思議と不愉快ではない。

 憎めないところがあって、こいつは天性の人誑ひとたらしだと伴は思った。

 何故なぜか浮かれている連児を追って歩く、その時だった。

 苛立いらだちに満ちた声が叫ばれる。


「ちょっと! どうしてまだ搭乗手続きができないんだよ! 俺ぁ客だぞ、客!」

「お客様、申し訳ありません……お手持ちのチケットですと、夕方の便びんになりまして」

「ざっ、けんなよ……俺ぁな! あらゆるチケットを手に入れられるんだ! ……手に、入れてたんだ。それが……クッ! もういい、さっさと案内しろよ! 乗せろ!」

「ですから、お客様」

「ああもうっ、使えねえなあ! どうなってんだよ、あァ!?」


 一人の中年男性が、空港の係員に声を荒げていた。

 とても、おとなげない。見ている伴の方が恥ずかしくなってくる。

 男の身なりは整っており、着ているスーツや足元のトランクはブランド物だ。だが、それが一流の品なのに全くうらやましくない。男の態度が粗野そやで下品なので、身につけている全てが彼の品性や品格をフォローしきれないのだ。

 そうこうしていると、男はトランクを持ち上げて立ち去ろうとする。


「もういい! 俺ぁ別の便を買ってくる。ネットは! Wi-Fiワイファイ環境あるとこ、案内しろよ! 見てろよ……オクで出品してる奴、見付けてやる。そいつを俺がいつもみたいに――」

「あっ、お客様!」


 その時だった。

 男は他の客が押すカートにぶつかり、派手にスッ転んだ。

 あわてて女性の係員が駆け寄り、助け起こそうとする。見上げたプロ根性、しっかりした仕事だと伴は感心した。こんな客でも、客は客……クレーマーのような失礼な人間にこそ、応対する時は礼を尽くさねばならない。

 非礼な人間に非礼を返せば、自分も非礼な人間になってしまう。

 伴も駆け寄り、開いたトランクから散らばった品物を拾うのを手伝った。


「ん? 何だ……この、本。これは……?」


 ふと、衣服や靴が散らばる中に、奇妙な本が落ちていた。

 それは、虹色にじいろに光る表紙で、大きな星がえがかれている。

 吸い込まれるように伴の手は、それをつかんで拾い上げる。ページを開くと、次の瞬間……何かが見えた。脳裏に突然、

 それは、一瞬の刹那せつな

 そして、悠久ゆうきゅうたる永遠。

 知らない人と再会し、予想もしない昨日が明日へとつながっている。

 伴はその中で、何人かのヒーローを見た。

 そして、そこに並んで立つ自分がいた。

 赤き勇気の力を持った、自分の姿がはっきりと見えたのだ。

 しかし、次の瞬間……例のクレーマー男の声で伴は我に返る。


「お、おいっ! きっ、きき、貴様! その本を……」

「あ、ああ。すみません、お返ししますけど」

「その本を、!」

「え? ……いや、普通に。どうぞ」


 パタン、と閉じて版はそれを男に手渡す。

 だが、男は顔面蒼白がんめんそうはくになってその本を抱き締めた。

 どうやら大事な品らしい。


「こ、この本は……ミュータント・グリモワールは、ひらけなかった。何度やっても、ページがめくれなかった。まるでかぎがかかったようにな」

「えっ? いや、今……」

「そう! 今、貴様は開いた! ……何を見た? 言えっ、何を見たァ!」


 男は血相を変えて、伴に迫ってくる。

 その形相ぎょうそうはまるで、何かにおびえているようだ。

 そして、気圧けおされ黙る伴に代わって声が響く。

 そう、とても怜悧れいり玲瓏れいろうな声だ。


「そう、鍵が掛かっているのよ……テンバイダー。それとも、生まれ持った名前で呼んだらいいかしら。……ああそう、思い出したわ。貴方あなた、昔両親に売られちゃったのよね? 自分の名前」


 そこには、とても美しい少女が立っていた。

 すらりと細身で、黒いコートに白い帽子、黒い長髪に白い肌……そして、眼帯がんたいで右目を覆った隻眼せきがんで、真っ直ぐ男を見据みすえる。

 まるで、視線の矢で射殺いころすような眼差まなざしだ。

 伴は言葉を失ったが、テンバイダーと呼ばれた男は取り乱して我を失った。


「きっ、きき、貴様は! まさか! う、ああ……」

「私のいない間に、随分とつまらない商売をしてくれたものね。昴からメールで聞いたわ……私、あのバイオリニストのコンサート、楽しみにしてたのよ? それを」

「ま、待ってくれ! そ、そうだ! ここに……ここにニュータント・グリモワールがある! こ、これで――」


 だが、伴はその少女が無表情を凍らせ目を細めるのを見た。

 ビスクドールのような美しさなのに、とても寒々さむざむしい侮蔑ぶべつの視線に背筋が震える。


「……それで? ニュータント・グリモワール……?」

「へ? いや、これが……俺は開けない、けど、こいつが! この小僧が!」

「ニュータント・グリモワールは鍵が掛かってるの。そう、。可能性を持っていない人間には開けない。そして」

「そ、そして? おっ、おお、俺に可能性が、未来がないっていうのかよ!」

「そうよ。そして、ニュータント・グリモワールは有史以来の全てのヒーローが網羅もうらされている。この世に全部で666冊あるわ。私達アトラクシアが集めたものだけで、100冊とちょっと」


 その時、伴は目撃した。

 周囲の誰もが、何故か気付けぬ時間と空間の狭間はざまの出来事。

 その少女が眼帯を取ると……真っ赤な右目があらわになった。

 周りの人々は誰も、伴達を認識していない。

 いよいよ怯えて竦む男を前に、少女はどこからともなく漆黒の大鎌デスサイズを取り出す。


「ま、待ってくれ! そ、そうだ、俺が! 俺がアトラクシアのために資金を稼いでやる! あ、いや、稼がせてください! か、金は天下のまわりもんだ、だから」

「貴方の可能性、私が選別して定めるまでもないわね……終わってるもの。そして今この瞬間から、


 ヒュン、と風が吹き抜けた。

 思わず伴が目元を手でかばった、その瞬間……男は目の前から消滅した。

 先程まで一緒に荷物を拾っていた係員の女性も、何事もなかったように仕事へ戻っていく。まるで、あのテンバイダーと呼ばれた男が最初からいなかったかのような空気だ。

 だが、伴は覚えている。

 奇妙な男の持ち物だった、虹色の表紙に星が輝く本……ニュータント・グリモワールを。それは確かに、モノクロームの少女の手にあった。


「……さて、次は貴方ね。皆野伴」

「あ! ひょ、ひょっとして、あの……爪弾冥夜さん?」

「ええ。またの名を……エンプレス・ドリーム。無限に広がる可能性の糸をつむぎ、たばねて選び……他を断つ。そういう女よ。さあ、皆野伴……その危険な可能性を――」


 伴は本能的な危険を察知していた。

 大鎌こそしまったが、冥夜の視線から逃げられない。

 そして、逃げずに見詰め返してしまう。


「やはり、危険ね。その瞳……」

「おっ、いたいた! おーい、冥夜! 荷物持ちに来たぞ! なんだ、伴も一緒か!」


 不意に緊張感が弾けて消えた。

 冥夜は眼帯を付け直すと、小さく溜息をこぼす。


「おかえり、冥夜! 紹介すんぜ、俺のマブダチの皆野伴だ!」

「……そう。まあ、今日はいいわ。荷物が多いの、頼めるかしら?」


 それだけ言って、冥夜は堂々と歩き出す。

 こうして伴の未来は、本来あるべき可能性、これから始まるところへと結ばれる。荷物受け取り口で大量のお土産みやげを持たされたが、伴は連児に勝手にマブダチ判定されていた。

 そしてそれが、一人のヒーローが生まれる明日へと正しく繋がったのだった。

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