第26話「世界から法が消えたなら」
目の前にいるのは、恐らく最強クラスのニュータント……そのマッシブな筋肉美は、まるで
マイティ・ロウは今、ゆっくりと大五郎の前に立つ。
まるで、そびえ立つ壁のような威圧感だ。
「すぐにもう一人を追わねば……自動二輪の運転時はヘルメットを
「そいつは道理だけどね、マイティ・ロウ。そうさせないため俺が残ったのさ」
周囲に人だかりができる中、横断歩道を渡り終えたマイティ・ロウがやってくる。周囲の視線を浴びながらも、大五郎は腰の
いささか人が多過ぎる。
隠すような正体でもないが、
何より、マイティ・ロウとは敵対する理由がなかった。
だが、周囲の民衆は無責任に盛り上がりを見せていた。
「お、おいっ! マイティ・ロウだぜ!」
「すっげー、実物初めて見た……」
「何? あの男が悪い奴なのかな」
「マイティ・ロウと向き合ってるから、そういうことじゃない?」
マイティ・ロウの認知度たるや、大五郎や
世の中には、縁の下の力持ちとなって人知れず悪の芽を
そして、マイティ・ロウは後者の最たるものだった。
そんな彼が、ふと車道を見て大五郎を手で制してくる。
視線を外してても、かざされた手が異様に大きく見えて、つい気圧されてしまう。
「ちょっと待っていたまえ……ふむ。これはいかんな」
片側ニ車線の大通りは、夕暮れ時の時間も手伝って交通量は多い。勤め人の退勤時間ともぶつかっているため、どの車も流れに乗ってスムーズに走っていた。
もう少し混み出すと、渋滞するだろう。
そんな車の行き交う道路へ、ゆっくりとマイティ・ロウは歩み出す。
「おっと、マイティ・ロウ……君は法を守らないのかい? 歩行者の信号は赤だけど」
「その
「ってか、危ないって。
その時だった。
当然のようにブレーキ音が響き渡る。
そして、大五郎は目を疑った。
その時、マイティ・ロウを中心に物理法則がねじ曲がる。条理が
見守る誰もが、言葉を失う。
絶句……そこには、突然車道に歩み出たマイティ・ロウだけが平然としていた。
「この道は50km制限だ……よって、スピード違反を見逃す訳にはいかない」
マイティ・ロウはそっと片手で一台の車を止めた。
そして、そのまま……まるでケーキの箱を持ち上げるように、軽やかに頭上へと持ち上げる。力を込めた様子は全く見られない。
そして、次にブレーキを踏んだ二代目のワンボックスも、もう片方の手で抱える。
大五郎が
圧倒的な
「青年、まず……法を守る者の違法性は問われることはない。君は犯人の車を追いかける警察のパトカーが、法定速度を守れないのはしかたがないと思わないかね」
「……状況にも、よりますかね。いや、それより」
「だが、彼等のような善良な市民のスピード違反となれば、話は別だ。見逃せない」
理屈は通っている。
だが、明らかに
まるで、法を守ることのみに行動原理を定めているかのような、法を守るために生きているかのような言い方だ。それは人間の本質とは程遠く、手段と目的が逆転している。そして、迷い無き澄んだ声には……あまりに
そう、マイティ・ロウは明らかに異常だ。
だが、その揺るぎなき
謎のウィルス『ニュートラル』によって、ヴィランとヒーローが入り乱れる時代……誰もが共有する法律、憲法、民法……あらゆる
「さあ、スピード違反の処理は終わった。彼等には少しだけ、反省してもらおう」
「……マイティ・ロウ。15km以上~20km未満のスピード超過で1点減点、12,000円の罰金だ。それは、警察が
「実際問題として、この世には法に反する者で
「それが、あんたの能力……【
――【絶対神判】
それがマイティ・ロウの身に宿ったニュータントの力。
その能力は、自分が違法と解釈した全ての力を奪う。スピード違反と認めた車は全て、彼に触れた瞬間に速度をかき消されたのだ。この恐るべき力は、マイティ・ロウという法を基準に動く人格があるからこそ、制御されている。
同じ力を悪用すれば、それはまさに完全無欠のヴィラン足り得るだろう。
自分が否定した者の攻撃を、一切受け付けないからだ。
「お、おいっ! 降ろしてくれ! 俺の車が!」
「どういうこと、僕のGT-R! ちょっと、傷がつくよ!」
「何で私まで……マイティ・ロウ! 市民の味方じゃないの!?」
だが、絶妙なバランスで積み上げられた車からは無数の悲鳴があがる。
法定速度だけで見れば、確かにこの道は50km制限の車道だろう。だが、流れに乗って走り、交通の一部となって他者に呼吸を合わせた運転も大事な
大五郎は変身するのも忘れて、マイティ・ロウの背中を見詰める。
彼はやはり、市民を守るヒーローではない……法を守るヒーローなのだ。
「さあ、
腕組み満足気に車の塔を見上げる、マイティ・ロウ。
だが、そんな時に
「お、降ろしてくれっ! 急いでたんだ……妻が
ちょうど真ん中あたりに積まれたハッチバックの中から、泣きそうな顔でスーツ姿の中年男性が顔を出している。
どうやら彼は、事情があってスピードを出していたらしい。
だが、それを見上げるマイティ・ロウは冷ややかだった。
「
「マイティ・ロウ! あなたは……俺はもしかしたら、妻の死に目に間に合わないかもしれないんだぞ! どうしてくれる!」
「それは気の毒なことだ。だが、そうならそうと手続きを踏むべきだった」
「どんな手続きを! クソッ、とにかく急いでるんだ、俺は!」
だが、マイティ・ロウは揺るがない。
そして、彼への
そんな中、飛び出す影があった。
見かねた大五郎が走り出した時にはもう、少年は
「おじさん! ちょっと待ってな、急いで這い出ようとするとバランスが!」
学生服の少年は、慎重に中年男の車まで駆け上がる。身軽さは身体的な能力というよりは、彼の
彼は上手にバランスを取りながら、運転席の扉を開いた。
「あ、ああ、ありがとう……しかし高さが」
「
「た、助かった……君、名は」
「俺は、
大五郎もすぐに駆けつけ、伴と名乗った少年に手を貸す。
マイティ・ロウは、そんな二人を見詰めながらも……手早く車を元通り往来に並べ直した。どうやら彼の法則を支配する力が働いているのか、どの車も無傷である。
だが、遠巻きに見守る者達の不安は広がるばかりだった。
意に返さず、彼は大五郎へ歩み寄ってくる。
伴と助け出した男性は、その場に崩れ落ちた。
「駄目だ……もう、間に合わない。病院までは、まだまだ」
「……
大五郎は身構えた。
やるせない気持ちが彼に拳を握らせる。
変身する間も惜しい程だった。
だが、伴がすぐに声をあげる。
「あんた、マイティ・ロウだよな! 何やってんだよ、ヒーローだろ!」
「そう、私は法の守護者……マイティ・ロウ」
「なら、この人を病院に連れてけよ! そりゃ、ちょっとカッ飛ばしてただろうけどさ。あんたが法を
周囲から「おお」と声があがった。
そして、大五郎は見た。
仮面の下で、マイティ・ロウの
「わかった、伴少年。君の言う通りだ。歩行者の歩行速度に関しては、法的な制限はない。この紳士は私が歩いて病院へ送り届けよう」
「馬鹿野郎、ちんたら歩いてたら――」
「それと、そこの青年。今回は見逃そう……話しているうちに君の酔いが覚めてしまったようだ。飲酒運転を立証できない。それに、多くの者達がスピード違反を改めるだろう」
それだけ言うと、マイティ・ロウはヒョイと男を
まるで、先程の異様な光景が消え去ったかのよう……市民達も皆、やりすぎるのがマイティ・ロウなんだと笑い合った。そうして彼が正義の味方であること、法を守る限り必ず守ってくれることを確認し合う。
そうして互いに
「では、私は失礼する。少年の勇気に免じて、今日は私という名の法が目を
それだけ言うと、歩み出たマイティ・ロウがあっという間に小さくなる。ゆったりと歩いているだけなのに、驚くべき速さで中年男を抱えたまま、その長身は見えなくなった。
驚き固まる大五郎の前で、伴だけが何事もなかったように
あまりに極端な正義、法という名の暴力装置が過ぎ去った瞬間だった。
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