第25話「たった一人の冴えたやりすぎ」

 夕闇迫る逢魔おうまが時……二人の男が街をく。

 茜色あかねいろに染まる全てが、平和な中で輝いて見えた。

 夕食の匂いはカレーだろうか? どの家からも家族を待つ香りが入り交じる。その中で誰もが、足早に家路いえじを歩いていた。

 目的のコンビニ前では、部活帰りの高校生達が集まっている。

 空腹に負けて買い食いをする者や、漫画雑誌を回し読みする者。

 狂月キョウゲツ寶大五郎タカラダイゴロウの二人は、そんなコンビニの前で立ち止まる。


「間違いないかい? 大五郎ちゃん」

「ええ、このコンビニですね」

「よくもまあ、冥夜ちゃんも奴の尻尾しっぽつかんだねえ?」

「ですね。それに、俺も怒ってますから。酒の恨みは怖いですよ」


 二人の前で今、自動ドアが開く。

 そして「あーしたー」というやる気のないコンビニ店員の声を背に……一人の男が現れた。なんてことはない、ひょろりとせたスーツ姿の男だ。

 だが、彼は狂月と大五郎を見るなり固まった。

 引くつかせた口元から、何とか絞り出してきた言葉がむなしく転がる。


「な、何故なぜここが……銀行は避けてたし、口座も全てばらけてる。それなのに」


 この男が恐らく、売買戦士ばいばいせんしテンバイダーだ。

 今日だけであらゆる限定品を驚異的なスピードで買い漁り、値を吊り上げて莫大な富を得ている。少し高くてもいいから欲しいという、純粋な購買欲をプレミア値段で冒涜ぼうとくした小悪党だ。

 そう、小悪党……まことに小さい悪だった。

 だからこそ狂月は許せない。

 そして、それは隣の大五郎も同じだった。


「やあ、テンバイダー……ダメだなあ、ダメダメだよ? 大人買いは大人になってからって、言われなかったかい? ……大きなお子様にはオシオキが必要だ」

「その白スーツ……まさか、手前ぇが」

「正解、俺が狂月だ。またの名を……魔装探偵まそうたんていアラガミオン」


 即座にテンバイダーが走り出す。

 だが、その時にはもう狂月は動いていた。

 やはり、ニュートラルで肉体的に強化された人間……ニュータントだ。だが、その力も正しく使われなければヴィランのそしりはまぬがれない。

 力が大きければ大きい程、責任がともなうのが世の中というものである。


「しっかし、なるほどな……カラクリがわかってきたぜ?」


 ひとりごちて狂月は加速する。

 変身前でも肉体的には高い運動力を持っているが……テンバイダーもまた、スーツ姿のまま狂月を引き剥がしてゆく。

 そう、速い。

 この手の小悪党によくある、策略や知能で戦うタイプではないらしい。


「このスピード……やはり加速系の力を持ってやがる。それであの驚異的な買い占めをやりくりしてたのね、ふむふむ」


 テンバイダーの武器、それはどうやら速さだ。

 恐らく彼は、常人の何十倍も速く動ける。つまり、それだけ肉体に巡らせた神経パルスの伝達速度が速いのだ。ニュータントの肉体ならば、その恩恵おんけいは言うまでもない。

 つまり、ただこすっからいだけのヴィランではないのだ。

 徐々に置いていかれる中、どんどん狂月は酒の酔いを忘れてゆく。

 背後で頼もしい声が聴こえたのは、そんな時だった。


「狂月さん、乗ってください!」

「ナイスだ、大五郎ちゃん!」


 爆音と共に、バイクにまたがった大五郎が追いついてきた。

 ホンダのレーサーレプリカで、当然だが大五郎はヘルメットを被っていない。ずっと後ろを振り向けば、持ち主らしき男がヘルメットを脱ぎながら追いかけてくる。

 その男を親指でクイとさして、大五郎は悪びれずにニヤリと笑った。


「ちょっと借りてきました。壊すつもりはないですし、あとで返すってことで」

「だな。とりあえずありがたく使わせてもらう。ごめんね、青年!」

「じゃあ、行きますか」

「あいよ」


 狂月が後ろに飛び乗るなり、大五郎はスロットル全開で走り出す。

 二人を乗せたバイクは、官能的かんのうてきなエグゾーストを歌って風になった。

 かなりエンジンから何からいじってる音だが、テンバイダーとの差は縮まらない。

 そして、こちらをちらりと振り返ったテンバイダーがさらに加速する。


「やべぇな、大五郎ちゃん」

しゃべってると舌をみますよ、狂月さん!」


 大五郎も迷わずエンジン全開で追いかける。

 振り落とされそうな加速の中で、狂月は不意に身を硬くした。

 ハンドルを握る大五郎も、何かを感じ取ったのか声が強張っている。


「狂月さん。ちょっと面倒なことになりそうですね」

「だね。そういえばさあ、大五郎ちゃん。免許、持ってる?」

「小さい頃、デパートの屋上で仮面ライダーから貰ったやつなら実家に」

「まずいなあ、まずいよねえ……お酒も飲んでるし。飲酒運転」

「まあ、法的な話をすれば緊急時ってことで? ……ダメですよねえ」


 角を曲がったテンバイダーを追って、大五郎が車体を傾ける。

 転倒寸前のハングオンで抜けた先では、何故かテンバイダーが立ち止まっていた。逃走をやめた彼の前では、大通りの信号が赤になっていた。

 そして……信号機の上に夕日を浴びて、一人の男がマントを棚引たなびかせている。

 予感が当たった、それも直撃だ。

 マッシブな逆三角形のボディにが、全身を包むスーツに筋肉の躍動を浮かべているそして、目元をマスクで覆った姿はまるで正義の騎士だ。

 胸には大きく『ML』のロゴが入っている。

 それは、この世界で最強のヒーローの一人。

 誰もが憧れるニュータントの希望、そしてヴィランと戦う法の守護神ガーディアンだ。


「そこまでだ、諸君。これ以上の狼藉ろうぜき、このマイティ・ロウが許しはしない!」


 斜陽の光の中、真っ白な戦士が腕組み見下ろしていた。

 ――マイティ・ロウ。

 あらゆる悪と戦う、正義の味方。

 遵法精神じゅんぽうせいしんかたまりであり、法を持って公明正大な正義を自負している。

 彼がニュータントとして屈強なフィジカルとパワーを持つばかりか、とてつもない能力を持っている。それは、あの爪弾冥夜ツマビキメイヤが持つ【創滅与奪ジェネサイド】と同等の危険な力……あらゆる法則を捻じ曲げ屈服させることわりを、マイティ・ロウは悪の撲滅のために振るうのだ。

 だが、狂月は以前からこの聖人君子様が苦手だ。

 嫌いだと言ってもいい。


「狂月さん……運転代わります、行ってください」

「おいおい大五郎ちゃん、どしたの? ちょっとシリアスじゃない?」

「……俺もどっちかというと、絶対に無理なんで。彼のスタイルというか、やり方が」

「そうねえ、そうだねえ。どっちかというと大嫌い、かな? 俺もさ」


 大五郎はバイクを降りた。

 そして、震えるテンバイダーが振り返る。

 彼にとっては、前門の虎と後門の狼だろう。

 だが、狂月は知っているし、大五郎も察していた。

 今、マイティ・ロウの鋭い眼光は自分達二人を見詰めていた。


「ヘルメットを被らず二人乗り、その上に飲酒運転。そもそも、そのオートバイは君達の物かね? そして……自動二輪の免許を持っているのかい?」


 思わず「へ?」とマヌケな声を発したのはテンバイダーだ。

 だが、軽やかにマイティ・ロウはアスファルトの上に舞い降りる。

 彼は信号が青になるのを待ってから、歩行者用の横断歩道を歩いてくる。

 逆に、その横を通り抜けてテンバイダーは往来の中へと消えていった。


「行ってください、狂月さん」

「あいよ。んじゃま……あとでまたあの店であおうぜ」

「ええ。できれば祝杯をあげたいですね」

「いいねえ、とっておきのボトルをあけよう。またな、大五郎ちゃん」

「またあとで、狂月さん」


 狂月は改めてバイクをえさせる。

 同時に、そそり立つ巨壁の如きプレッシャーでマイティ・ロウが迫った。その前に歩み出る大五郎の背が、とても小さく見える。

 狂月は祈った。

 大五郎の無事を。

 テンバイダーごとき小物、命を賭けるに値しない人間だ。だが、そんな小さな悪意が法の目をすり抜け、多くの人々を苦しめている。ならば、悪の大小は関係ない。

 だが、マイティ・ロウはそう考えてはいないようだ。


「待ち給え、君! ヘルメットを被らなければいけない! ……む?」

「マイティ・ロウ、ちょっとばかし俺と付き合ってもらえるかな。絡み酒ってのは趣味じゃないけど……法で裁けぬ悪を討つため、ちょっぴり無理してみようと思うんだよね」

「法で裁けぬ悪? ふむ、君は勘違いをしているな……。法は常に新しく、最も古い秩序! 裁けぬものを悪というなら、まずは法を修正すべきだ。全てを法で律して守る……それが正義!」

「……正論だけどね、マイティ・ロウ。正しさが人を救うんじゃない。正しさを考え求めるからこそ、法より何より心が誰かを救うんだ」


 その声が狂月にも、まだ聴こえていた。

 だが、振り向かずにアクセルを吹かす。

 細い路地に逃げ込んだテンバイダーを追って、狂月は祈るような気持ちで走った。疾走するエンジン音の向こう側へと、大五郎の気配は消えていくのだった。

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