第24話「夕方のピクニック」

 夕暮れ迫る街の片隅かたすみに、その酒場はある。

 知る者は少なく、知り得た者だけが毎夜毎晩集まる……そんな隠れ家のような店だ。そして、この場所に真逆連児マサカレンジは密かな憧れを抱いていた。

 連児に難しいことはわからない。

 だが、大人として尊敬できる人間の出入りする場所……それは理解していた。


「あら、珍しい……駄目じゃないの、連児ちゃん。カワイイ子連れて、こんなとこ来ちゃ」


 『BAR heavenヘブン』のママがグラスを吹きながら出迎えてくれる。

 落ち着いた間接照明の店内には、大きすぎず小さすぎずのボリュームで何故か演歌が流れていた。今日はそうだが、クラシックだったりジャズだったり、昭和のアイドルソングだったりといつも多彩だ。

 型にはまらず気取りもしない、そんな店の雰囲気は独特な落ち着きに満ちている。

 そして、連児の探す男達、勝手に兄貴分となついている二人組はすぐに見つかった。


「っしゃ、いたぜ! 狂月キョウゲツの旦那、大五郎ダイゴロウの兄貴!」


 カウンターに並んでさかずきみ交わす二人が、揃って連児に振り返る。

 瞬時に隣の榊昴サカキスバルが身を固くした。

 彼女は悪の組織アトラクシアでも最強の特醒人間とくせいにんげん、触れるだけで命を奪う【骸終一触わんたっち】の能力者だ。エンプレス・ドリームの側近にして下僕、そして一方的に片思いを拗らせている面倒臭い一面も持っている。

 彼女が二人のヒーローを警戒するのは当然とも思えた。

 そう、ヒーロー……誰もが知らぬ中、誰のためにでも戦うヒーローが二人いた。


「んん? なんだ連児、どした? そっちのお嬢ちゃんも、殺気立つのやめなさいよ」

「まあまあ、狂月さん。二人共ジュースでも飲むかい? ママ、何か出してあげて」


 寶大五郎タカラダイゴロウの言葉で、ママがグラスを二つ出してくれる。

 こういう場所ではコーリをパチパチ歌わせるコーラの一杯が、不思議ととても美味しそうに見えるものだ。行儀よく一礼しつつ警戒心を解かない昴が、離れてカウンターの隅に座る。そんな彼女を手招きしつつ、連児はずけずけと狂月の隣に腰掛けた。


「あのさ、旦那! 大変なんだよ、事件だぜ……それも大事件だ!」

「君ね、アトラクシアの戦闘員が自分で俺等に知らせに来てどうするのよ。なあ? 大五郎」

「まあ、話を聞きましょう。……つまり、アトラクシアが絡んでいる事件ではない、そういうことだね? 連児君」


 大五郎はそう言って言葉を切るや、隅っこの昴へ視線を向ける。

 長身の少年みたいな少女がうなずく通り、今回の件は連児達のあずかり知らぬところで動いていた。

 街から、あらゆる限定品や希少品が消えた。

 それも、日本全国の規模でだ。

 そのことを話すと、狂月も大五郎も真剣な表情になる。


「ふむ、つまり……大規模な転売が行われていると?」

「そうなんだよ、兄貴! くそぉ、プライスレススメラギで買うはずだったメリッサとピージオンが……俺のプラモが!」

「なるほどねえ。狂月さん、冥夜メイヤちゃんは何か言ってこないんですか?」


 大五郎は芋焼酎いもじょうちゅうをロックで、ちびちびといとおしそうに飲んでいる。つまみはしたハマグリと乾き物だ。いつも思うのだが、彼はどんな酒でも美味しそうに飲む。連児も大人になったら、こういう格好いい酒飲みになりたいと思うのだ。

 狂月はウィスキーの水割りを飲みつつ、携帯を取り出す。

 スマートフォンに指を滑らせて、彼は片眉かたまゆを跳ね上げた。


「噂をすれば、だな。メールが来てたねえ。あらら、冥夜ちゃんてばロシアにいるんだ。へー、アーダルト・ドエロスキー? そういうヒーローもいるのね、ふむふむ」

「あっ! また! ちょっと、狂月の旦那……メアドを俺にも、俺にもぉ!」

「だーめ、男の子だったら直接聞きなさいよ。メアドの又貸しは男女の仲ではマナー違反、と……それより、ふむ。どうやらかなり大掛かりな事件らしいな」


 不意に狂月の目つきが変わった。

 どこにでもいる遊び人風の、オーラも何もあったもんじゃないだらしなさがき消える。その瞳には理知的な光が鋭く灯っていた。

 それはまさしく、この街の影で闇を討つヒーローの顔だ。

 人は彼をこう呼ぶ……魔装探偵まそうたんていアラガミオンと。

 その狂月だが、メールの返信を打ちつつ小さく呟く。


「ふむ、成る程ねえ……大五郎ちゃんさ、知ってる? 売買戦士テンバイダーって」


 ――売買戦士テンバイダー。

 それが敵の名か。

 驚く連児とは裏腹に、大五郎は黙ってグラスを飲み干しつつ溜息を一つ。


「聞かない名ですねえ……でも、聞いてて気持ちのいい名でもないみたいだ」

「だよねえ。冥夜ちゃんの話では、そいつらしいよ? 今日のこの、大規模転売騒ぎ」

「転売って、嫌なもんですよ」

「同感だ。さらたちが悪い」


 意外な狂月の言葉に、思わず連児は声をあげてしまう。


「えっ! 転売って違法じゃないんスか!? だってあれ、メッチャ駄目でしょ、ムカつくでしょう! 憲法違反でしょう!」

「連児君、憲法は関係ないよ。強いて言うなら商法かな? ね、狂月さん」

「そゆこと、だーけどねぇ……商法上、


 信じられない話だ。

 今日だけで連児は、困っている人を何人も見たのだ。

 甥っ子への誕生日プレゼントが買えなかった、宮部玲ミヤベレイ

 ここにいる昴も、爪弾冥夜ツマビキメイヤと行くコンサートのチケットが取れなかったのだ。

 何より、連児も欲しかったプラモデルが買えなかったのである。

 これが悪でなくて、何が悪か。

 アルバイトで悪の戦闘員をやっている連児が言えた義理ではないが。


「いいかい? 連児君。まず、定価以上の値段で物を売ることだけど」

「うす! 悪ッスよね、極悪ですよ!」

「これは商法的に全く問題がない。遊園地に行くと、自販機のジュースが高いだろう? それを法律違反とは言えないはず。時価じかのお寿司もそう……物は場所や時期で値段が変わる、これは商売の上ではむしろ常識的な話だ」

「グヌッ! い、言われてみれば……」


 大五郎の丁寧ていねいな説明に、思わず連児は黙ってしまった。

 そういえば、逆に学校の購買部で買うパンは比較的安い値段だ。それは、学生の財布が相手である前提で、外のスーパーやコンビニより安価に設定されているのだ。学校という施設、場所の特色として安く売っているのである。

 ならば、逆に場所によって高くなることも容認せねばならない。

 さらに、大五郎の言葉尻を拾って狂月が話し出す。


「あとねえ、連児君。物の売り買いをする仕事に、古物商こぶつしょうってあるでしょう? 早い話が骨董屋こっとうやさんよ。では問題、転売屋ってのは……この古物商に当たるでしょうか、と」

「ピンポーン! はい、はいはいっ! めっちゃ該当しますよね、これ! ビンゴだろ!」

「ブッブー! 正解は、転売屋を古物商として立証することができませーん」


 意外な言葉に連児は黙ってしまった。

 古物商、いわゆる骨董品店ならばわかる。目利きという特殊な技術で真贋しんがんを見極めなければいけないし、売り買いも貴重な品を扱うだけに慎重になる筈だ。そして、安く仕入れて高く売る、その差分で利益を得るのは転売屋と同じ構造に見える。

 だが、狂月の説明はこうだ。


「古物商の取扱免許ってのがあってねえ……骨董屋さんは全部、この免許を使って商売してんの。無免許だと罰せられる」

「じゃ、じゃあ! 免許のない転売屋は罰せられるんじゃ」

「それがねえ、連児君。

「……へ?」

「君はさ、たまたま当日身内の不幸でコンサートにいけなくなった人のチケットと、買い占めて元から高く売ろうと集めたチケットと……見分け、つく?」

「いや、簡単ッスよ! 転売屋が売ってるチケットは違法じゃないスかーっ!」

「法律ってのはね、ルール……ルールは相手の状況や素性で左右されちゃいけないのよ。だから、どっちも合法のものとして売られる。多少高くても許される」

「それ、おかしくないスか!」

「ま、大人の意見としちゃーね、連児君……何もおかしくない、ことになってる」


 連児は唖然あぜんとした。

 だが、すぐに大五郎が立ち上がった。

 彼も携帯をいじっていたが、それをしまって代わりに財布を出す。

 会計をカウンターのテーブルに置いて、彼は店のドアへと歩き出した。

 待ってましたとばかりに、狂月も椅子を蹴る。


「狂月さん、そのテンバイダーっての……結構簡単に釣れそうですよ」

「そう? ほんじゃま、行きますかね」

「ええ……転売するからには金が動く。金の動きを辿って、それが集まる口座の動き……ま、冥夜ちゃんが調べてくれたんで。多分、コンビニで金をおろしますよ。これから」

「だな。……なになに、大五郎ちゃんさ。なんか気合入ってない?」

米処こめどころ秋田の限定100本の銘酒めいしゅ大吟醸だいぎんじょう……全部買い占められてたんでね。おこですよ、激おこ」

「わぁ、怖い! 怖い怖い……怖いから、やっつけちゃおうかなあ」


 おどけつつ、狂月も一万円札を置いて大五郎に並ぶ。

 慌てて連児も二人に続いた。

 だが、ドアの前で振り向く二人は、そっと手を伸べ制止してくる。


「こっからは大人の時間さ……もうすぐ暗くなる、子供は帰んな」

「連児君、昴ちゃんを送ってあげなよ。女の子なんだし、ちゃんと家までさ」

「えっ、あ、いや! こいつ強えし! それより、俺もそのテンバイダーってのを」

「あと、私……一人で帰れます。連児、いらない」


 さらりと酷いことを言う昴が、初めて口を開いた。

 だが、狂月は立てた指をチッチッと揺らす。


「いいからこれくらい、おじさん達に任せなさいよ。いい? 連児君……こういうね、駄目な大人をブン殴るのは……同じ大人の、男の仕事なのよね」

「そういうこと。君達子供はちゃんと家に帰って、ご飯食べてお風呂に入って、宿題して遊んでグッスリ寝なきゃ。そういう子供の生活を守るのが、大人の仕事なのさ」

「くーっ、大五郎ちゃん格好いい! ……んじゃま、行きますか」

「ですね」


 バン! とドアを開くと、店内が茜色カーマインに染まる。

 男達は夕日が塗り潰す逆光の中……逢魔おうまが時を迎える街へと飛び出していった。

 その背を見送る連児は思った。

 クソォ、滅茶苦茶かっけぇ! と。

 結局、昴を駅まで送って連児も帰宅の途についたが……またしても上手く転がされてごまかされ、二人から冥夜のメアドをゲットするのに失敗したと気付くのだった。

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