第23話「彼立ちぬ」

 それは、不思議な一日だった。

 午後の授業中、皆野伴ミナノバンの周囲を行き来したメモ。同級生達が離れた席同士で、小さな手紙のやり取りをしていたのだ。それも、普段よりも頻繁に。自然とそれを回す共犯者をやりつつ、伴も授業に集中できなかった。

 そして、自然と周囲の密やかな声を耳に入れてしまう。


『ちょっと、アンタも買えなかったの? あのライブのチケット』

『そうよ、でも……悔しいけど買うしかないじゃない? 散財しちゃった』

『いや、俺もラッキーだったよ。Blu-rayブルーレイ初回特典BOXボックス、二倍程度の値段で買えたし』

『瞬殺だったからなあ、どこも売り切れ。そんな中、買えてありがたいよ』

『少し根が張るけどさ、売り切れた商品が出回ってくれるなら、って』


 友人の宮部玲ミヤベレイが言った通りだ。

 彼女がおいっ子へのプレゼントを買いそびれたように、周囲ではあらゆる商品が消えていた。そう、誰も買えなかったのに消えていたのだ。

 そして、ネット上ではすでに高値で取引されている。

 法外な値段のプレイミア価格が、それなりに売れているようだ。

 放課後、そのことを思い出しても伴は奇妙な違和感に胸がざわめく。


「なにが……何が起こってるんだ? いや、違う……何かが起こっている」


 ホームルームを終えて校舎を出ても、奇妙な疑念がもやのように頭の中を黒くけむらせる。前を歩く御神翔ミカミショウも、そんな伴を振り返って恋人と一緒に心配してくれた。

 曖昧あいまいな笑みを返しつつ、自分でも間の悪さを感じる伴。

 それは些細な日常の一コマで、毎日のいとなみのそこかしこにあふれている。

 人気の商品が売り切れる、限定品だから人気が出る。


 ――だが、それだけか?


 ――何故、それだけのことが気になる?


 ――どうして、今日に限って小さな悲劇が見過ごせない?


 それは、伴が持つ奇妙な強運にして悪運、言うなれば『ありえない時だけの絶対運勢ハードラック』とでも表現すべきものだ。

 そして、そのことでいつも伴の人生は波乱に満ちている。

 気にならないのは、タイミング悪く訪れる珍事が全て自分にだけ降りかかるから。

 だが、今回は違う……彼が気付けた異変はまだ、正体を明かさぬまま多くの日常を侵食し、生活をゆっくりと蝕み始めた。決して姿を表さぬ、存在も定かではない悪意の元に。

 玲が声をあげたのは、そんな時だった。


「ねね、翔……伴のやつ、やっぱ今日は変」

「まあ、いつも変だけどな。だかが、今日は変さ加減が少し妙だ」

「そう! そうなの! ……ん? なに、あの人だかり。って、誰!? あの制服!」

「ん? ああ、ありゃお嬢様学校で有名な、セントガブリエル&チャーチル女学院。通称『ガチ女』の制服だな」

「凄い……モデルさんみたい。うんっ、ガチで美少女! しかも、ちょっと宝塚たからづか!」

「はは、お前が言うかねえ。お前だって相当なもんだぞ?」

「ん、知ってる。けど、ありがとっ!」


 いつも通りさり気なく惚気のろけ合う二人の視線を、伴も追って顔を上げる。

 校門のところに、すらりと背の高い他校の女生徒が立っていた。その制服は、白と黒とで色彩を断ち切った修道服のようだ。おごそかな中にも可憐かれん意匠いしょうが散りばめられ、フリルとレースのさり気なさがまるでミニドレスだ。

 すらりと背が高く、少年のように短いベリーショート、端正な顔立ちも中性的である。

 そして、伴は背後で聴き慣れつつある声を聴いた。


「おっ、なんだ? スバルじゃねえか。おーい、昴ーっ! 榊昴サカキスバルっ!」


 伴を追い越していったのは、あの真逆連児マサカレンジだ。

 彼は臆面もなく、美少年然とした美少女に駆け寄った。

 間近で見上げてアレコレ話しかける連児に、昴と呼ばれた少女も挨拶を返す。

 周囲の者達は振り返っては美貌に目を細め、男子は華美な制服も手伝って立ち止まる者が大半だ。そんな中で連児だけが、奇妙な親近感を昴に向けている。

 そして、伴の目には昴が迷惑を感じていないように見えた。


「少し、馴れ馴れしい。連児、ちょっと離れて」

「はは、照れるなよ。で? なんだ? 俺に用があって来たんだろう?」

「そう。残念ながら……そう」


 連児の意外な交友関係に、誰もが驚いてるところだった。

 ありえないと口にする者さえいる始末。

 だが、翔や玲と一緒に伴も挨拶を投げかけ、そのまま通過するはずだった。

 昴がその言葉を口にするまでは。


「……実は、冥夜メイヤ様に頼まれていた買い物があって。でも、買えなかった」

「ん? それってまさか」

「有名なバイオリニストのコンサート。予約開始と同時に全て売り切れてしまった……そして今、高値でオークションに出回っている」


 その言葉を聴いた瞬間、伴は脚を止めた。

 やはり、かなりの広範囲で買い占めと転売が行われている。

 それよりも、確かに聴いた。

 、と。その名は確か、連児が伴に近付くように言った少女の名前だ。そう、女の子だ。それは浮ついた気持ちよりも逆に、真逆な感情で伴を挟み込む。

 即ち、好奇心と恐怖心だ。

 思わず伴は、気付けば話に首を突っ込んでしまった。


「今、冥夜って……教えてくれ、連児! お前が前に言ってた、冥夜って子のことだろ? それを今……この人が冥夜さんなのか? ち、違うよな、今――」


 改めて伴は長身の少女を見やる。

 伴や連児より頭半分ほど背が高く、平坦な胸も相まってどこか神秘的だ。そして、彼女がその手に手を重ねたので初めて気付く。

 昴は今、両手を包む手袋の片方を脱ぎ捨てようとしていた。

 それは、こんな季節に不釣り合いな、そして日常生活ではあまり見ないタイプの手袋だ。白い布地で、手の甲に仰々ぎょうぎょうしい紋章が刻み込まれている。死神のような大鎌デスサイズを持った少女のシルエットが刻印されていた。

 昴はじっと伴を見詰めて、手袋を脱ぐのをやめた。


「……連児の友達か? 友達、いるんだな」

「あったりまえよ! 紹介すんぜ、俺の親友の皆野伴だ。それと、あっちが御神翔と宮部玲。みんな仲間さ」


 そう言って笑う連児に、昴はそっけなく「そう」と返すだけだった。

 そして、彼女は小さく溜息をこぼす。


「……そういう訳で、買いそびれたんだ。冥夜様が楽しみにしてたコンサートチケット。で、どうして私はお前なんかを頼ろうとしたんだろうな」

「そりゃ、仲間だからだろ? あ、こいつ俺のバイト先の仲間なの」


 いまいち話が見えないが、普通校の連児とお嬢様校の昴に意外な接点があった。

 そして、やはりここにも謎の買い占めの犠牲者が一人。

 そう思っていると、相変わらず人のいい玲が前に歩み出る。


「あの、私は玲っていいます。えっと」

「昴……榊昴」

「ああ、昴さんね。よろしくっ! で……実は私もなの」

「あ、ああ。えっと、売り切れ……? その、欲しいものが」


 確か、お昼休みに転校生の赤星進太郎アカボシシンタロウが言っていた。

 こうして意図的な品薄状態を作り、高値で売りさばく人間を……転売屋と言うらしい。そして彼の言う通りに、品切れになった商品やチケットは全て、ネットオークションに高額で並んでいた。こうしている今も、買い損ねた者達が値段を釣り上げている。

 やはり、伴はそこに確かに感じた。

 利己的りこてきな悪意を。

 そして、それはこの場の誰もがそうだと思う。

 一番わかり易いのは連児だった。


「そう! そうなんだよ! 俺も、プライスレススメラギで買い損ねたんだ! しかも、今日が予約開始日だって忘れてた! メリッサー! ピージオーン!」

「え、ええと……プライスレス、スメラギ?」

「プラモだよ! こっちの玲もそう、限定品のプラモが瞬殺で売り切れだ」

「連児も、なのか……ふむ」


 昴は考え込む仕草で、細いおとがいに手を当てる。

 そして再度、伴の気にしている名前があがった。


「今回の件に関して、冥夜様は何も関与していない。私達の計画の外で、なにかが起こった……一応確認するが、連児も何も聞いていないな?」

「ん? ああ。ってか、冥夜の奴は今どこで何をしてんだ? 最近会えないから困るんだがよ」

「今、ロシア。……私も、ちょっと、ううん……凄く、寂しい」

「俺の残機を増やすには、あいつのドS極まりないエロめかしさが必要不可欠なんだよ。って、待て昴! 手袋を外すな、謝る! た、頼むっ!」


 やはり、気になる。

 冥夜とは……爪弾冥夜ツマビキメイヤとは何者だろうか?

 その答を欲する伴を振り返って、連児が一同を見渡した。


「っし、じゃあ……ここは一つ、大人の知恵を借りっか! 昴も伴達も、俺についてこい」


 こうして伴達は、謎の放課後へと巻き込まれ始める。

 連児が皆を連れて行ったのは、隣町である神嶋市かみしましにある小さなBARバー……天国の名を冠する不思議な場所だった。

 そして、この瞬間から事件は事件として動き出した。

 少しだけ未来、伴がヒーローとして立ち上がる瞬間の、その時を迎えるための前奏曲プレリュード

 無自覚に渦中かちゅうへと身を投じる伴を、校門の影で進太郎だけが見守っていた。

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