第19話「一気呵成のプリンス」

 寶大五郎タカラダイゴロウは走る。

 見慣れた商店街は今、悲鳴に震える空気を凍らせていた。

 平和な町並み、買い物客の主婦や子供達の喧騒けんそうはない。

 戦慄に支配された中で、自然と脚はスピードを増してゆく。

 あっという間に背後で、真逆連児マサカレンジの気配が遠ざかった。

 そして、惨劇が視界に飛び込んでくる。


「オラァ! 道を開けろぁ! こいつの首が飛んでもいいのかあ?」


 銀行の前で声を荒げる男。

 男というのはわかるが、その姿はすでに半分人間をやめている。

 例えるならそう、おす蟷螂かまきり……カマキリ男だ。

 筋肉もあらわな上半身は緑色の甲殻で覆われ、両手は鋭い大鎌デスシックルとなっている。そして、その鋭利な切っ先は一人の少年をとらえていた。学生服を着た少年は、札束がはみ出るバッグを持たされていた。

 典型的な違法ニュータントによる銀行強盗に思えた。

 だが、大五郎は少年に見覚えがある。

 正確に言えば、少年の着ている制服の学校章エンブレムを知っていた。


「ん、あの制服は確か……それより、ちょっとマズいよねえ」


 ニュータント・ウィルスの発症者はっしょうしゃが珍しくない昨今、世界一治安の良い日本でもこの手の事件は後を絶たない。そして、そんな日常の多くは悲劇を生み続けていた。

 そんな中で、既視感きしかんと違和感が同居した少年を大五郎は見詰める。

 多くの場合、ニュータントに都合良く振り回されてしまう一般市民。

 彼もそう見えたが、奇妙なのはその表情と立ち振舞だ。

 落ち着いているのはどこか諦めを感じるのに、苛立いらだつ表情は必死で打開策を模索しているようにも見える。諦観ていかんと希望が入り交じる少年の名を、追いついてきた声が教えてくれた。


「速い、速いッスよ大五郎さん……って、ありゃどこの組織だ? ……バン!? 皆野伴ミナノバンじゃないかっ!」


 振り返れば、両膝に手を突いて呼吸を貪る連児の姿があった。

 彼は額の汗を拭いつつ、状況を一目で見るなり前へと歩み出す。

 身体能力的に突出している訳でもないのに、突然のその行動を大五郎は止め損ねた。彼は【残気天翔エクステンダー】の能力を持つからか、時として極端に命を顧みない行動に出る。

 だが、それを差し引いても……カマキリ男の前に飛び出た連児は瞬間的に速かった。

 彼は声を張り上げ、皆野伴と呼んだ少年に語りかける。


「おいっ、大丈夫かっ! 今すぐ助けてやる! ……俺の愛する冥夜メイヤに根回ししてもらってなあ! それが駄目でも大五郎さんがいてくれる! 任せろ、伴ッ!」


 えらく他力本願たりきほんがんである。

 しかも連児は「冥夜にメールを……ああっ! アドレス知らねえし! ってか番号も!」と、携帯を手にわたわたし始めた。そして、ツツツと申し訳なさそうに大五郎を見てくる。

 苦笑しつつ、妙に憎めない。

 だが、ざわめく周囲を見渡すカマキリ男の腕の中で、伴は小首を傾げた。


「えっと……同じ学校、だよな? ……誰だ、お前」

「おいおい、俺様を忘れちまったのか?」

「初対面、だよなあ」

「隣のクラスの真逆連児だ! 何度か購買部で擦れ違ってるぜ」

「……それ、他人だよな。クラスメイトでもないし」

「そうとも言うが、ダチには違いねぇ! だろ?」

「……さあ?」


 そう、伴は連児と同じ制服を着ている。

 夏服なのか開襟かいきんシャツに黒いズボンだが、学校指定のものらしく同じ特徴を有していた。シャツの胸ポケットに、小さく学校章がプリントされている。

 だが、どうやら面識はないらしい。

 百歩譲っても、連児の親しみを込めた言葉は一方通行のようだ。

 大五郎がそう結論付けるのを他所よそに、連児は事情を語り始める。


「あ、大五郎さん。あれはダチの皆野伴ッス」

「……そうなの?」

「なんか前に、冥夜の奴が注意して見てろって言ってて。んで、それとなく気にかけてたら親しくなったって訳なんスよ」


 ちらりと大五郎は伴を見る。

 フラットな表情で、伴は首を横に振っていた。

 それでも、大五郎は注意深く伴を見やって探る瞳を凝らす。

 あの爪弾冥夜ツマビキメイヤが言うのであれば、なんらかの能力者、それもニュータント・ウィルスのキャリアである可能性が高い。それで連児に監視をさせたつもりなのだろうが、連児本人は全く気付いていない様子だ。

 そんなことを考えていると、連児は真剣な表情で言葉を続ける。


「あいつは、伴は

「不運なの?」

「や、どっちかってーと運が太いというか、強運というか……でも、人より勝負勘が鋭かったりラッキースケベだったりするんスけど、そういう時に限って間が悪いってーか」

「要するに悪運持ちなのね、なるほど」


 今のままでは断定はできない。

 ただ、エンプレス・ドリームこと冥夜が目をつけているのであれば要注意だ。そして、そうしたことに関わらず大五郎にとっては、伴は救うべき人間でしかない。見て見ぬふりをできぬ彼にとって、助けを求める人間がどういった人物かは関係なかった。

 自然と腰の徳利とっくりに手が伸びた、その時。

 不意に声が走って誰もが振り向く。

 視線の先には、奇妙な一団が並んで立っていた。

 まるでそう、特撮番組の正義の戦隊ヒーローみたいだ。


「そこの銀行強盗っ! 我らヘルグリム帝国が成敗させていただきますっ!」


 人影は三つ。

 通りの良い声で叫んだ少女は、貞淑ていしゅくな乙女を感じさせる丁寧ていねいな口調だ。だが、その容姿はつやめくれたうろこに覆われている。半人半魚の美しい少女は、耳がある場所に広がる被膜を虹色に輝かせて微笑ほほえんでいた。

 彼女を中心に、赤いライダースーツの人狼少女ウルフガールと巨大な甲冑を着た重戦士ファランクスが立っている。

 ――ヘルグリム帝国。

 聴き慣れぬ名だが、奇妙な予感が大五郎にはあった。

 彼女達は、敵ではない。

 見るからに異形丸出しな人間ではない姿だが、三人の敵意はカマキリ男にだけ向いている。そして、咄嗟とっさに大五郎は彼女達とは別の気迫が場に満ちるのを察知した。

 気付けた大五郎だけが見上げる太陽の中に……黒い影が降りてくる。


「そこまでだっ! 世に悪のさかえた試しなし……人間界こっち魔界あっちも、それは一緒だ!」


 舞い降りるは漆黒の悪魔アモン

 禍々まがまがしい鎧を着込んだ細身の騎士が、あっという間にカマキリ男の前へと飛び降りた。突然のことで思わず、カマキリ男の対応が遅れる。彼は現れたヒーローを攻撃するべきか、人質を盾にするかを躊躇ためらった。

 その一瞬の隙……それはヒーロー達にとって千載一遇せんざいいちぐうのチャンス。

 すぐに大五郎は徳利を手に、片手の親指で栓をはじく。

 それは、かたわらの連児が走り出すのと同時だった。

 魔神を思わせる黒騎士の振りかぶる拳が、空気の渦をまとって繰り出される。

 カマキリ男がようやく反撃を選んで叫んだ時には……一切合財いっさいがっさいが決着していた。


「チィ! このまほろば町にもまだ、知らないヒーローが――っ痛ぇ! 目が、目がっ!」


 大五郎が飛ばした徳利の栓が、カマキリ男の右目に当たって宙を舞う。

 その瞬間、伴は背後へと頭突きに背を反らして拘束を抜け出た。

 突然のことで狼狽うろたえたカマキリ男が、左右の腕をでたらめに振り回す。その斬撃から伴をかばったのは、連児だった。鮮血が舞う中で、深手の一撃が胸をえぐる。

 そして、それがカマキリ男の最後の行動になった。


蟷螂とうろうおのって言葉もある! お前の力じゃ、俺から平和は奪えねえっ!」


 気高さを感じつつも、年相応に聴こえた声は少年のものだ。

 はっきりと意思表示を叫んだ悪魔騎士が、本当の悪魔であるかのように力を解放する。それは大五郎には、ほんの実力の一端に見えた。

 周囲の空気が黒く歪む程に強力な、それは強いていうならば暗黒の闘気オーラ

 真っ直ぐに打ち出された悪魔の拳は、カマキリ男の両手を木っ端微塵に粉砕した。

 響く悲鳴の中で、羽根を広げたカマキリ男が宙へと逃げる。


「くっ、くそぉ! 覚えてやがれっ!」

「当然! ヒーローたる者、片時も忘れない。許されざる悪は忘れられない!」


 カマキリ男は逃げ去った。

 刺々とげとげしい鎧の少年が顔を覆ったフルヘルムの奥で目配めくばせする。その時にはもう、うなずく人狼の少女はあかい風になっていた。

 大五郎は事件が解決されたことをさとった。

 おそらく、例のカマキリ男はすぐに補足され捕まるだろう。

 おおよそヒーローとは思えぬ怪人達は、見事な手際で銀行強盗を撃退してしまった。

 だが、問題が残ったようだ。

 バッサリとなで斬りにされた連児を、伴が必死で介抱している。


「お、おいっ! 死ぬな、傷は浅いぞ! ……いや、かなりザックリいってるけど、気にするな!」

「だ、大丈夫だ……俺ぁ、今日は……残機に余裕、あっから、よ……このままかせてくれや……」

「なにを言ってる、あきらめるな! クソッ、出血が止まらない。……そうだ! 今日、教習所の救急講習で習ったこれで」

「ま、待て……待てって、伴……このまま、死ねば……俺は、そっちの方が」

「バカヤロウ! よしっ、止血できそうだ。包帯を少しきつめにしばるぞ。こういう時は俺の奇妙な強運に感謝だな。待ってろ、すぐに救急車が来る」

「や、め……ちょ、おま……死んだら、戻るから」

「死んじまったら終わりだ! ……終わりなんだよ、だから。だから、絶対助ける!」


 血の海を広げながらも、連児に適切な応急処置がほどこされてゆく。

 そして……間が悪いことに、連児は死ぬギリギリのところで命を繋ぎ止められていた。

 これでは、彼の【残気天翔】が発動しない。

 痛みと苦しみでどうにもならず、連児は伴の腕の中でハハハと死んだ目で笑っていた。それを見やる大五郎は、仲間に指示を出す悪魔騎士と目が合う。どうやら彼は事情を知っているらしく、少し大げさに肩をすくめてみせた。

 悪魔騎士は大五郎に、デーモンブリードと名乗った。

 それが東京都の片田舎、まほろば町に舞い降りたプリンスの名前だった。

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