第15話「車輪の上」

 今、真逆連児マサカレンジは幸福の絶頂にいた。

 愛車のベスパが、彼の気持ちを体現するように調子がいい。

 そして、街の景色が遠ざかる中で、幸せな体温が密着していた。

 後ろに乗った爪弾冥夜ツマビキメイヤが、しっかりと腰に手を回して抱きついてくるのだ。

 嗚呼ああ、付き合ってる……これ、絶対に付き合ってるよ!

 ハンドルを握る連児は、どうしても顔が緩む。

 二人乗りのベスパは、どんどん郊外の方へと軽快に走った。


「なあ、冥夜! どこに行くんだ?」

「いいから走って。この先へ、真っ直ぐ」

「この先、なんもねえぞ?」


 両足を揃えて横に座り、冥夜は抱き付く手に力を込めた。

 たわわな胸の膨らみが、連児の背中でたわんでいる。その感触が、シャツ越しにはっきりと感じられた。やわらかさとぬくもりが、連児の中へと浸透してくる。

 信号につかまることもなく、二人は徐々に街から遠ざかっていった。


「付き合えって、こういうことかよ。でも、いいぜいいぜえ? さいぉ、だぜ!」

「連児君? 貴方と私で、他にどういう意味の『付き合う』があるのかしら」

「ははっ、面白いな冥夜は! 俺ら、周りからどう見てもアベックじゃんかよ。カップルだぜ!」

「……馬鹿ね、連児君」

「よく言わる! どうだ、馬鹿な子ほどかわいいだろ? それにな、冥夜!」

「なに?」

「このまま俺たち……付き合っちゃおうぜ。そのまま『突き合う』仲でもいいんだぜ!」


 相乗り用のヘルメットを借りた冥夜は、長い黒髪を棚引たなびかせている。

 ほのかに連児が感じる彼女の匂いが、流れる風にさらわれていった。

 次第にまばらになる車両の往来を、どんどん二人は進む。東京都も二十三区に含まれぬ街なら、郊外に出れば緑は多い。

 連児は上機嫌でアクセルを吹かす。

 中古で買った相棒は、普段のガタピシとした不機嫌が嘘のよう。


「なあ、冥夜! これが俺への御褒美ごほうび、なのか?」

「ええ。不満かしら?」

「はは、まさか。気軽にいつでも言ってくれ! 今度はさ、海とか行こうぜ!」

「……考えておくわ」


 そして、緑の中で民家もまばらになってゆき、ついには道の左右が木々に包まれた。

 まほろば町は繁華街から三十分も飛ばせば、あっという間にド田舎を通り越して大自然だ。それでも、綺麗に舗装された道は森を貫いて続く。

 その先になにがあるのか、連児は知らない。

 ただ、冥夜の指し示す道を走るだけだ。

 それはアトラクシアの戦闘員としてもそうで、迷いも疑いもない。冥夜が悪そのものだと自負するなら、連児はその名の通り『悪の手先』である。尖兵せんぺいとして戦い、彼女の目指すヒーロー抹殺……一人を覗く全てのヒーロー殲滅せんめつを成し遂げるのだ。

 そんなことを考えていると、不意に視界が開けた。


「冥夜! あの白い建物か!」

「そうよ」


 左右の森が不意に、広がる芝生に変わった。

 そして、道の先になにかの施設が見えてくる。

 真っ白な四階建てで、恐らく病院かなにかだろう。

 不思議と豊かな大自然の中で、連児は奇妙な寂寥せきりょうを感じた。もう既に病院だと決めつけている建物からは、あまり人の気配を感じない。ぐんぐん近付くに連れて、むしろ何かの研究施設のようにも思えてくる。

 だが、冥夜に無言でうながされるまま、連児は走る。

 やがて、大きな門をくぐって敷地内に入り、広い玄関の前でベスパが停車した。

 冥夜はヘルメットを脱いで髪をかきあげると、静かに連児の後ろから降りた。


「お疲れ様、連児君。一時間くらいで戻るわ。冷たいものでも飲んで待ってて」

「おう! ゆっくりでいいぜ。なんだ、誰か入院してんのか?」

「そんなところよ」

「そっか」


 冥夜からヘルメットを預かり、彼女を玄関のエントランスへと見送る。

 いつもより少し、彼女の足取りが軽い。

 ふと、連児は仲間たちの言葉を思い出した。榊昴サカキスバル伊万里真璃瑠イマリマリルは、時々折を見て噂していたのだ。

 冥夜には、心に決めた想い人がいる。らしい。そんな気がすると言っていた。

 勿論、連児だった気配を感じていた。

 折に触れて、冥夜が『あの人』と呼ぶ存在。

 その人物を語る時、冥夜の表情は常に柔らかかった。

 ほんのわずかに、あの怜悧れいりな無表情がぬくもりを帯びるのだ。

 秘密結社アトラクシアの女帝、エンプレス・ドリーム……爪弾冥夜。多くのニュータントがヒーローとして活躍する社会に、敢然かんぜんと反旗をひるがえす少女。モノクロームに彩られた彼女は、居並ぶ悪の組織と共にヴィランを従え戦う。悪事を働く悪党や、悪行に勤しむ悪漢、はたまた悪政で私服を肥やす悪徳政治家……そうした連中を使いこなし、時には冷酷で非情なまでの決断力で使い捨ててゆく。

 そんな彼女に、連児は惚れていた。

 


「さて……冷たい飲み物ねえ。自販機すらねえ辺鄙へんぴな場所だが。ん?」


 ふと周囲を見回した、その時だった。

 建物の中へと消えた冥夜と入れ替わるように、一人の少女が現れた。

 それは、とても奇妙な少女だ。

 そして、冥夜が去った方へ首を巡らし、その背を追って確認するように頷く。彼女は玄関のエントランスを抜けて、外の空気へと自らを押し出した。

 自動ドアが左右に割れて、少女が連児を見つけた。

 真っ白な長い髪に、入院患者を思わせる白い検査着。

 肌の色だけが冥夜と同じ真っ白だったが、白妙しろたえ柔肌やわはだというには余りに青白い。病的なまでの白は、彼女が健康とは無縁な人間だと無言で語っていた。

 少女は真っ直ぐ、ベスパにまたがる連児に向かって歩いてくる。


「こんにちは。ねえキミ、暇そうだけど」

「俺か? まあな。小一時間ばかし暇だ。そっちは?」

「うん、ボクも暇。ねえ、そのバイク……格好いいね」

「おっ? わかる? だろー、やっぱベスパはかっこかわいいやつだぜ。俺のバイト代の結晶さ」


 とても気さくな雰囲気で、少女があっさりと連児の気持ちに踏み込んできた。

 そして、不思議とそれが不快ではない。少し頬のこけた美貌は、切れ長の瞳が柔らかな笑顔をたたえていた。

 うん、かわいい。

 抜群にかわいい。

 連児がもし初恋一直線の冥夜命メイヤLOVEな少年でなかったら、物語が始まってしまいそうだ。薄幸はっこうの美少女とのラブストーリー、それを思わせる少女がはにかむ。

 薄い胸に手を当てた彼女からは、消毒液の匂いがした。


「ねえ、ボクとお茶しない? この辺はなにもないからさ。でも、いいお店を知ってる」

「おいおい、逆ナンか? いいぜ、おおかたあれだ……長い入院生活で退屈してるんだろ」

「まあ、そゆとこかな。……訳とか、聞きたい?」

「いいや、ちっとも?」

「そう、よかった」

「ただ、これだけは覚えといてくれよな。俺ぁ、好きな奴がいる。惚れた女に一途な男ってこと、それだけは頼むぜ?」

「うん、いいよ。ボク、そういうの好きだし」


 連児の手からヘルメットを受け取り、少女は後ろに乗った。

 冥夜とは真逆の色が、シートの後ろ側に収まる。

 連児に、罪悪感みたいなものはない。普段なら「おいおい、そこは俺の女の指定席だぜ? 他を当たりな」くらい言ったかもしれない。そういう自分を格好いいと思ってるのも事実だ。

 だが、不思議と少女とお茶することも、彼女を後ろに乗せることも抵抗を感じなかった。


「しっかりつかまってな。町の方かい?」

「ううん、もっと奥……また森になってて、その先にバス停があるの。牧場ぼくじょうがあって、牛さんや馬さんも見れるよ? ちょっとした軽食とお茶を出すお店があるんだ」

「いいねえ、ほんじゃま……行きますか」


 やはり今日は、ベスパの機嫌がいいらしい。

 むずがる様子もなく、軽快なエンジン音が響く。

 再び公道に飛び出した連児は、遠ざかる白い建物が少し騒がしくなるのを聴いた。だが、少女に訳を聞いたりはしないし、戻れとも言わない。

 ただ、最初に尋ねることは一つだ。


「なあ! 名前は?」

「ボク? んー、そうだなあ。天輝タカキ。天国が輝く、で天輝だよ」

「おっしゃ、天輝! カッ飛ばすぜぇ!」

「おーっ! いけいけ、連児ーっ!」


 その時、連児は気付かなかった。

 。そして、その秘密も真実も気付けない。不思議な少女の正体すら、わからなかった。

 そして、知りたいとも思わない。

 ただ、天輝は不思議な雰囲気で、連児に詮索せんさくを忘れさせる。

 彼女は薬品と消毒液が香る中に……冥夜と同じぬくもりを連児に伝えてくるだけだった。

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