第13話「酒を注ぐもの」

 神嶋市かみしましの駅裏、飲み屋横丁と呼ばれる歓楽街。

 猥雑わいざつ軒並のきなみがデコボコに連なり、行き交う男も女も訳あり顔だ。それでも笑顔を纏って遊ぶのが、この通りの小粋な楽しみ方である。

 狂月キョウゲツこと御門明ミカドアキラは、馴染みの店へと急いだ。

 夕暮れ時の街は今、斜陽しゃようの光で茜色カーマインに染まっている。

 街並みが引きずる影は色濃く長く、人を夜へと飲み込もうとしていた。

 狂月は黙って、行きつけのバーの扉を開く。


「あら、狂ちゃん。いらっしゃい、今日は遅いのね」


 出迎えてくれたのは、この店のママだ。

 『BAR heavenヘヴン』を取り仕切る男で、この飲み屋横丁ではちょっとした顔だ。裏社会にも顔が利くが、そのことと密接な関わりがある過去については、誰も知らない。

 狂月も、信頼できる情報筋だとしか思っていない。

 この街では、詮索屋は嫌われる。

 なにより、すねに傷持つのはママだけではない。


「久しぶり、ママ……っと? おう、ここにいたのかい?」


 既にカウンターでは、一人の青年が酒を飲んでいた。

 言えば名だたる高級酒も出てくるこのバーで、彼は安い焼酎をロックで飲んでいる。

 名は、寶大五郎タカラダイゴロウ

 狂月にとっては、先日共闘したニュータントのヒーローだ。勿論、素性は知らないし調べる気にもならない。共に並んで戦った、あの時間が教えてくれる……冥帝めいていシュランケンは、信頼できる男だと。

 その正体である大五郎も、そう思っててくれたらと思うが、いたりはしない。

 大五郎も狂月を振り返って、小さくグラスを掲げてみせた。


「こんばんは、狂月さん。ども、先にやらせてもらってます」

「俺のひいきの店だって、どこで?」

「みーあちゃんが教えてくれましたんで」

「そうかい」


 狂月も大五郎の隣に座る。

 なにも言わずにママは、おしぼりと冷えたビールのびんを出してくれた。生ビールもいいが、こんな日は瓶ビールを手酌てじゃくでいきたい。そんな気持ちが読み取られてもいいくらいには、ママとは気安い関係だった。

 お通しは身欠みがにしんの小鉢だ。


「で? 大五郎、例の話の後始末はどうなったんだ?」

「少し調べてみたんですけどね……アクゥーの引き際は、それはもう鮮やかというか」

「証拠を残すような連中じゃない、か」

「残念ながら」


 駅前の公園を巡る攻防の、そのあとの顛末てんまつはこうだ。

 アトラクシアが事実上の地上げを引き受け、裏でアクゥーが糸を引いていた再開発計画。その中で、アトラクシアのエンプレス・ドリームは堂々と地上げ屋の土建会社から資金を吸い上げ尽くしたのだ。

 自らを悪と名乗り、悪党の悪行すらも飲み込み平らげる……それがエンプレス・ドリームという少女だった。

 そして、アクゥーもまた痕跡こんせきを残さず手を引いた。あの白いスーツの男、シズクという名のエージェントも切れ者である。狂月は、再戦の予感に正直うんざりしていた。

 二人が情報のやり取りで確認しあっていると、ママがテレビをけつつさかなを出してくれる。二品目の煮物は、しゅんのたけのこがだしのいい匂いをくゆらせていた。


「でも、よかったじゃない? あの公園、沢山の人にとって思い出の場所だから」

「そうなの? ママ」

「確かに、俺がガキの頃からありますよね」


 駅前という立地もあって、携帯電話がなかった時代には待ち合わせに使う若者たちが絶えなかった。ある者は恋人を待ち、ある者は父親の帰りを待つ。賑やかなビル群に埋もれた、小さな憩いの場所だったのだ。

 そして、その存続は今後も安泰だと思える。

 不気味なことに、街の再開発事業自体が、かすみのように消えてしまったのだ。

 やはり、アクゥーは一部の隙も見せずに闇へかえったようだ。

 社会の暗部にひそみ、今も次の悪事に爪を研いでいる。


「一件落着、ね……なあ、大五郎。お前さんはこれからどうするんだ?」

「俺ですか? いやあ、特になにも……ただ、この街は気に入ってるんです。友達も沢山いるし」

「だな」

「狂月さんは?」

「とりあえず、コアを守ってやらなきゃな。それと……まあ、探偵家業は気楽なもんさ。ただ、連中は野放しにできねえ」

「ですね」


 狂月の言う奴らとは、アクゥーでありアトラクシア……そして、他にもうごめき出した悪の組織だちだ。それらは今、謎の単語の元に集結しようとしている。互いに縄張りを主張していた組織は、互いに牽制し合いながらも協調体制を取りつつある。

 影と影とを動かし闇を深める、不思議な言葉。

 なにをすのかもわからぬキーワードを、ママはテレビを見ながら呟いた。


「ニュータント・グリモワール……ね。嫌な予感がするわ」


 ――ニュータント・グリモワール。

 アクゥーの白い影、雫が残した言葉だ。

 それは今、裏社会で独り歩きを始めている。あらゆる組織がその意味を求めて、暗躍し始めたのだ。

 正直、狂月も本格的に忙しくなり始めている。

 嬉しくはないが、血潮が燃えているのも確かだ。

 そして、ぼんやりと焼酎を飲みつつ、大五郎も見過ごすつもりはないらしい。


「とりあえず、狂月さん。俺はしばらく街にいますんで……例の彼を少し見守ってみたいと思います」

「あの少年かい? ええと」

真逆連児マサカレンジ君、ですね。見たとこ、普通の高校生……ニュートラル・ウィルスの影響が凄く弱いニュータントのようですが」


 狂月も大五郎の観察眼に同意する。

 これといって強い力もなく、身体能力も並以下のニュータント……だが、連児のことについて左腕は警戒心を崩さない。そして、教えてくれる。先代の狂月から受け継いだ左腕、リリスが告げてくるのだ。

 真逆連児の持つ力が、この世界になにかしらの影響を与えている。

 そして、そのことをエンプレス・ドリームは知っている。


「で、狂月さん」

「ああ」

「とりあえず……彼とメル友になりました」

「……マジ?」

「マジです。まあ、年頃の男の子ってだけの、普通の少年ですね。歳が近いし、なんか懐かれちゃって。で、彼から狂月さんに伝言を預かってるんですよ」

「ほう? ……挑戦状ってことかな?」


 彼とは不思議な縁がある。

 そう、記憶はないのに知っている。

 覚えがないのに、過去で交わっているのだ。

 狂月は公園のトイレで連児と遭遇し、戦闘になった気がした。その時彼はアトラクシアの戦闘員で、普通と違って真紅しんくのコスチュームに身を包んでいたのだ。

 だが、そういう現実は存在しない。

 リリスに言われて、初めてそれをわかったのだ。

 現実に体験していないのに、経験があるのだ。

 狂月が神妙な顔になると、大五郎が小さく笑う。


「連児君からです、ええと……おい、探偵さん! 冥夜メイヤのメアド教えてくれ! だ、そうです」

「はぁ? なんだそら。冥夜って……ああ、エンプレス・ドリームか。爪弾冥夜ツマビキメイヤ

「彼、片思い中なんですよ。まあ、時々恋愛相談やなんかを」

「なんか、大変だなあ。大五郎よう」

「いやいや、これがなかなかどうして面白いもんですよね」


 狂月も携帯を取り出し、一度もやり取りのないメールアドレスを電話帳から引っ張り出す。メールは来ないし、こちらからも出さない。しかし、狂月の電話帳にアトラクシアという名のフォルダを作らせた、そういうアドレスである。

 どうしようかと思ったが、へらりと笑って狂月はそのまま再び携帯をしまった。


「やーめた、教えてやんない」

「あー、狂月さん。悪い大人の顔ですよ、それは」

「そりゃそうさ、それにまあ……本人の同意なしにメアドを教えるのはマナー違反だしな」

「悪の女帝と魔装探偵の間でも、マナーってあるんですねえ」

「そりゃそうさ。どんな悪党とでも、マナーは守る。悪党の中にもルールは破るがマナーを重んじる連中もいるしな」

「それは、悪そのものを自称する彼女も同じだと?」

「まあね。あと、おじさんはカワイコチャンのメアドは独り占めしたいタイプなのヨ」


 ふと、狂月は脳裏に思い出す。

 闇夜より尚も濃い、漆黒の長い髪。モノクロームの白い肌。そして、隠した右目は血の色に彩られていた。

 エンプレス・ドリームの正体は女子高生……爪弾冥夜。

 彼女もまた、謎のニュータント能力を持つ人間である。

 先日も駅前公園の一件で狂月は見た。

 彼女の振るった大鎌が、岩竜鬼ガンリュウキと呼ばれる凶悪なニュータントを消し去ったのを。倒した、殺したという表現では相応しくない。。まるで、最初からそんな男などいなかったかのように。


「まぁ、大五郎。これからも適度に、適当によろしく頼むわ。俺は俺で調べを進めてるが……お互い危ない橋を渡りすぎてもいけないしネ」

「ですね。俺も、うまい酒の飲める友人には無茶して欲しくないもんです。無理をすれば命を落とす……気をつけてください、狂月さん」

きもに命じておくかねえ」


 笑って狂月はビールを飲む。

 大五郎も安っぽい焼酎を飲む。

 こうして徐々に、薄暮の街は闇に沈んでいった。夜のとばりが訪れる中で、暗がりを影が今夜も蠢く。今は見えないその動きに対して、男たちは備えを怠らず身構えていた。

 それを人々は皆、ヒーローと呼ぶ。

 ニュートラル・ウィルスに感染した中で、特別な力を得た者たち。

 ヒーローたちが目を光らせる街は、今日も平和な一日を終えようとしていた。

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