第6話「正論と理想論のあいだ」

 真逆連児マサカレンジの目の前で今、不思議な光景が広がっていた。

 突如現れたヒーローは、見目麗みめうるわしく可憐な戦うヒロイン。魔法少女マジカルみーあ……秘密結社アトラクシアが、あちこちで悪の破壊活動やら諜報活動を邪魔されてきた本物の正義の味方だ。

 正直、勝ち目がない。

 アトラクシアの戦闘員たちは、28号たる連児も含めて、弱いからだ。

 特殊な力を覚醒させるウィルス、ニュートラルの感染者にも強弱があるのだ。アトラクシアでも強力な力に目覚めた、例えば榊昴サカキスバルのような者たちは特醒人間とくせいにんげんと呼ばれる。いわゆる、悪の手先となって戦う怪人だ。

 そして、そこまで強くない者たちは連児のように、末端の戦闘員になる。

 連児はマジカルみーあを前に、れる気持ちを抑えきれず呟いた。


「さて、どうすっかな……残機は、5か。5回まで、死ねる。覚えきれっかな、あののパターン……あーもぉ! まいったなこれ! やるっきゃねーよな!」


 迷いは、ある。躊躇ちゅうちょしまくりである。

 いつも怖い、恐ろしいのだ。

 自分の能力、【残気天翔エクステンダー】の能力……それは命のストック。貯めた数だけ、死んでも復活できるのだ。だが、死ぬ時の痛みと苦しみは、その都度つど襲い来る。逃れることはできず、能力を活かして使うためには避けられない。

 連児はそれでも、決意と覚悟を常に奮い立たせてきた。

 何故なら、それが彼にとって唯一無二の恋路こいじだから。

 がむしゃらに突き進んで走破すべき、彼だけの道なのだから。


 ――全てのヒーローを、一人を除いて全て殺す。


 連児の恋する少女は、なんの感慨かんがいもなくそう宣言した。

 ならば、連児のすることは一つだった。


「っし、行くか! ……でも、なんだ? 一人を除いて、って……ああ、そういうことか! くっそ、冥夜メイヤめくっそ! かわいいじゃねえか……つまり『!』って意味か! オーケー、わかったぜ……すみません、俺ちょっとトイレに……あれ?」


 いつものようにトイレに駆け込もうとした連児は、周囲で警戒心もあらわな仲間たちに声をかける。その中にチームを取り仕切る戦闘員1号、おやっさんと呼びしたう人物を探した。

 すぐに中肉中背の中年体型が目に入った。

 彼は今、マジカルみーあを取り巻く黒尽くめの一人として、硬直している。

 そして、そんなおやっさんの横をふらりと無防備な影が通り過ぎた。


「あ、ああ、ちょっと待ちなさい。ええと、君! ……の、飲んでる? とにかく、一般人は危ないからね、一応アトラクシアも市民感情とか気にしてるからね? ね?」


 おやっさんは、千鳥足ちどりあしで歩み出た青年に声をかける。

 だが、酔っぱらいらし男は、腕を広げて制止するおやっさんをするりと避けた。一応、ニュートラルの力で身体能力や反射神経、感覚が常人よりは強化されている戦闘員をいなした。

 その男は、先程まで連児の近くにいた寶大五郎タカラダイゴロウだった。

 彼は今、なんの警戒心も抱かずにマジカルみーあに歩み寄ってゆく。

 本物の超絶ヒロインの登場を前に、ぶるってびびった戦闘員たちとは対照的だ。

 大五郎はぼんやりとした、それでいて妙に通りの良い声で喋り始める。


「マジカルみーあちゃん、だっけか……どーも、こんちわ」

「あ、はい……こんにちは。あの、一般人の方は危ないですから、下がっててもらえると」

「危ないこと、すんの? よそうよ、ねえ? 周りの戦闘員さんも、どうですか?」


 大五郎は少し眠そうな目で、周囲をぐるりと見渡した。

 それで連児の仲間たちも、顔を見合わせてめいめいに呟き出す。

 どうにも緊張感のない、場の空気を弛緩しかんさせるばかりの大五郎。彼は腰にぶら下げた奇妙な瓢箪徳利ひょうたんどっくりを手に、ボソボソと喋り出した。神妙な顔つきで、マジカルみーあも律儀にそれを聞き始める。


「……なんかさ、聞いちゃったのよ。この公園、地上げされてるんだって?」

「そ、そだけど。あ! 違うからね! 私はそゆのには肩入れしてないから」

「この公園がなくなっちゃうと、困る人だっている。その人たちは行き場所を持たぬ自由人、流離人さすらいびとだけど……一時いっときの居場所にここを選んで、暮らしてる訳で」

「あ、うーん……そゆ人もいるだろうけど。うん! でも――」


 頭をバリボリと掻き毟る大五郎の前で、マジカルみーあは身を正した。シャンと立って前を向き、凛々りりしい美貌で一度周囲を見渡す。そして、この場の全員に宣言するように、はっきりと自分の意志を示した。

 思わず連児は、危うく惚れそうになるところだった。

 心の「俺様ラブリーランキング(三次元Ver)」で、不動の一位に続く新星現る! くらい、綺麗だった。かわいいだけの魔法少女ではない、マジカルみーあは本物のヒーロー、そして強いヒロインだったのだ。

 心の強さを今、彼女は言の葉に乗せて声を張り上げる。


「確かに、この公園がなくなってしまったら、困る人がいる……でもっ! それがアトラクシアの横暴を許していい理由にはならないっ!」

「まあ、理屈はそう、だけど……ねえ」

「お兄さんも困るかもしれない、だから……ごめんなさい。アトラクシアを許して、結果として多くの人が助かり、公共の利益になっても……そのための手段があやまちとあやまりならば、たださなきゃ。目的のために手段を選ばないってのは、私は見過ごせないんだ」

「うーん、確かに……」


 思わず大五郎もうなるくらい、マジカルみーあの言葉は重かった。

 連児の頭では、ちょっと理解が難しい高説だったが。

 思わず連児は、先程からスマホでマジカルみーあの写真を撮ってる14号に聞いてみる。


「あのー、なんかよくわからないんスけど。マジカルみーあの言ってることは」

「アホか、28号! みーあちゃんはなあ、ようするにこう言ってんだ。目的が善なる理想でも、手段が法を守らず筋の通らない悪なら意味がない! ってな」

「あー、そうならそうと言ってくれりゃいいのに。回りくどい娘ッスね、マジカルみーあ」

「みーあちゃんを馬鹿にすんなよぉ、俺……少しファンになりかけてんだ、今」


 何故か14号は、うっとりとマスクの下で目をうるませながらスマホを向けている。

 ダメだこれは……わからなくもないが、戦闘員としてちょっと駄目だ。

 そうこうしていると、大五郎は小さく溜息をついて、再び話し始める。


「えっと、マジカルみーあちゃん、だっけ。……正論だねえ」

「自分でもわかってます。でも、正しさって、正義ってそこから根本的に守らないとって。私、そう思います。アトラクシアの皆さんには帰ってもらうし、公園の存続についても出来る限り……間違ってますか? お兄さん」

「うんにゃ、ちっとも……正しいよ、みーあちゃんはさ。でも……正しさは決して、人を救うとは限らないんだな、これが」


 そう言って大五郎は、耳元まで持ち上げた瓢箪徳利を振る。どうやら半分以上、液体が入っているようだ。そしてそれは多分、というか確実に酒だろう。連児の耳にも、トプンと重みのある音が聴こえてきた。

 ――その時、気付くべきだったのだ。

 荒ぶる昇り龍を象られ、その手に握る龍玉りゅうぎょくを栓にした瓢箪徳利の特異性に。

 それが特別なアイテムで、酒の入れ物である以上の存在だと、知るべきだった。

 だが、ぐるりとマジカルみーあを囲んだ戦闘員たちの中で、大五郎は喋り続ける。


「俺は……も少し、話を聞いてみたいかなあと思って。さっき、そこの……ええと、あの痩せた戦闘員さんは。ああ、彼。彼が言ってたんだよね。アトラクシアの首領、エンプレス・ドリームは……この公園を地上げ屋から守るらしい。金は巻き上げるんだけど、地上げの手先にはならないらしいよ」

「そ、それです、それ! 私、そーゆーのはダメだって言ってるんです!」

「手段に正当性がないから?」

「ですです! ……毒をもって毒を制する、それが許されるなら、毒を制した毒を誰が制するんですか? 世の中、毒だらけになってしまいますよ!」

「うーん、確かに……だからさ、もうちょっと見守りたくて。俺はね、善人面する訳じゃないけど、知りたいのよ。俺の友達が住んでる、この公園……今、どういう事態の渦中にあるのかな、って。知る限りを知って、知り尽くして……そこから考えたいんだよねえ」


 ポリポリと指で頬をかきながら、大五郎が笑った。

 マジカルみーあは呆れたような顔で、少し脱力したように肩を落とす。


「私が正論なら、お兄さんのは理想論じゃないですかー! ……嫌いじゃ、ないけど」

「ありがと。あと……俺、弱い者イジメって嫌いなのよ。だから」


 不意に、大五郎の目つきが鋭くなった。

 そして、ぐるり見渡す周囲の戦闘員たちが、ビクリ! と震える。

 ようやく連児は、大五郎の正体に気付いた。

 彼もまた、ヒーロー……ニュートラルの因子に選ばれた存在。

 どうして気づかなかったのだろう? そして、エンプレス・ドリームこと爪弾冥夜ツマビキメイヤの言葉を不意に思い出す。彼女は以前、億劫そうに連児をあしらいながら言ってくれたのだ。


「そういや冥夜も言ってたぜ……『私の愛する連児君、本当に強くて恐ろしいヒーローは……。ウフーン』ってな!」


 内容はあっているが、冥夜はそんな口調で喋ってはいない。

 全て連児のピンク色の脳味噌が脚色した、脳内のマイ冥夜(理想像)だ。

 現実の冥夜は、切れ長な瞳でさげすみの視線を放ち、舌鋒ぜっぽう鋭い言葉の刃で連児をメッタ斬りにしてくれる。それが少し嬉しい連児がドエムなのだが、それはまた別の話だ。

 そう……本当に実力のあるヒーロー程、その真の力を気取けどらせないものだ。

 それはまさしく、昼行灯ひるあんどんのように存在感がない大五郎の、隠された真の姿に繋がる。

 大五郎は手にした瓢箪徳利の栓へと指をかけた。


「じゃ、まあ……呑み直しだな。覚悟しろよ」


 キュポン、と親指に尻を拗じられた栓が抜ける。

 同時に、周囲になんとも言えぬ酒の匂いが充満した。不思議と甘く、濃密な芳香ほうこう……アルコール特有の臭いではなく、ふんわり漂う果実のような香りだ。

 そして、徳利瓢箪が突然喋り出す……音頭を取って歌い出す。


『ナーンデモッテルノ♪ ドーシテモッテルノ♪ ノミタリナイカラ、モッテルノ♪』


 そして、異変が周囲を飲み込んだ。

 ぐるりとマジカルみーあを取り囲んでいた戦闘員たちが、突然ピシリと直立不動になった。次の瞬間には、踊り出す……それを見ていた連児も、隣の14号と一緒に踊っていた。

 気付けば瓢箪徳利に調子を合わせて、軽やかな囃子に乗って声を上げていた。


「ソーレソレソレ♪ イッキ! イッキ! ん、がが……おい28号! 口と身体が勝手に」

「お、俺もッス! なんだ、こりゃ……イッキ! イッキ! ア、ソーレソレソレ♪」


 大五郎とマジカルみーあを中央にして、円になった戦闘員たちが歌って踊る。その真ん中で大五郎は、瓢箪徳利から浴びるように酒を飲んでいた。あっという間に酔いが回って、酩酊状態めいていじょうたいの赤ら顔が出来上がりだ。

 だが、不思議とまぶたの重そうな大五郎の瞳が、強い光を湛えて輝く。


「――出来上がったぜ? ちょいと絡むが許せや」


 そう言って天を仰いだ、大五郎の口から突然炎が吹き上がる。それは宙空で赤から青へと代わって渦巻く。蒼炎そうえんは次第に龍をかたどり、空を舞って急降下。そのまま大五郎を燃やし尽くすかのように飲み込んだ。

 そして、まだまだ歌って踊る戦闘員たちの中で、連児は見た。

 大五郎の全身が、龍の鱗と甲殻で包まれてゆくのを。

 ヨレヨレのくたびれたカンフー道着が、しなやかな天然の鎧となって輝き出す。

 気付けば大五郎は、龍神の化身となって身構えていた。

 思わず呆けて見てたいマジカルみーあが、指差しながらようやく言葉を絞り出す。


「あ、ああ……ヒーローさん? だよね、ニュータントだよね? あ、あれ」

「世間じゃそう呼ぶらしいな、みーあちゃん……俺は、冥帝めいてい……冥帝シュランケン。呑んで酔えば人肌恋しい、ただのおせっかいな酔っぱらいさ」


 そうして大五郎は……冥帝シュランケンは、ジロリと戦闘員たちをにらむ。既に歌うのを辞めた瓢箪徳利は彼の腰にあり、連児たちは気付けば奇妙な踊りから解放されていた。

 そして、戦慄に背筋が寒くなる。

 だが、シュランケンは次の瞬間には意外なことをいい出した。

 くるりと振り返って、マジカルみーあに相克する。


「弱い者イジメ、やなのさ。言っちゃ悪いが、こいつら弱いぜ? 怪人、ってか、特醒人間? も来てないみたいだしな……かわいい女の子が無理して戦うってのも、ちょっとね」


 シュランケンとなった大五郎は、

 マジカルみーあは一瞬狼狽うろたえたが、胸に手を当て深呼吸。そして一度閉じた双眸そうぼうは、次の瞬間には星々の瞬きを宿してシュランケンを見据みすえる。


「そういうことなら……お相手しますっ! まいったなあ、こゆことしてる場合じゃないんだけど」

「なら、やめてくれる? このまま帰ってくれれば」

「それはもっと、ヤです! えっと、とりあえず……戦闘員のみなさーん! ちょっと下がっててください。この人、巻き込みたくないって言ってるので!」


 情けない話だったが、シュランケンが心配してくれる通り、戦闘員は皆が皆、弱い。連児も含めて、ヒーローになれなかったニュータントだ。

 そんな黒尽くめの戦闘員たちが見守る中……龍人と少女は同時に地を蹴った。

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