第4話「そして彼はいなくなった」

 その日は唐突に、突然やってきた。

 悪の秘密結社アトラクシア……その全てを統べるエンプレス・ドリームの玉座が今、脅かされている。東京都の外れの外れ、まほろば町の某所にある秘密のアジトに、敵が侵入したのだ。

 そう、敵……正義のヒーローがやってきたのだ。

 真逆連児マサカレンジは、目の前に颯爽さっそうと立つマント姿の男から、なんとか背にエンプレス・ドリームをかばう。その正体、片思いの人である爪弾冥夜ツマビキメイヤを守る。

 その冥夜はいつもの黒いドレスで、玉座にしどけなく頬杖を突き脚を組み直した。


「……それで? なにか御用かしら? 正義のヒーロー。ここは私の玉座、限られた者しか入れぬ聖域なのだけど」


 玲瓏れいろう怜悧れいりな、凍れる氷河のように冷たい声。

 思わず連児はうっとり聴き入り、肩越しに冥夜を振り返った。


「限られた者……俺もか、冥夜!」

「ええ。性格には、、だけども」

「っしゃあ! 燃えてきたぜ」

「できれば燃え尽きて頂戴」


 あくまで侮蔑ぶべつ軽蔑けいべつを織り交ぜた、どこまでも無関心な無表情で冥夜が目を細める。

 だが、連児にとってそれは極上の恩寵おんちょう、至高の御褒美ごほうびだった。

 ちらりと周囲を見れば、冥夜の前に立ちはだかる連児のさらに前に、無防備な榊昴サカキスバルがいる。そして、その足元には小さな小さな伊万里真璃瑠イマリマリルがいる。アトラクシア最強の特醒人間とくせいにんげん、【骸終一触ワンタッチ】の細く長い脚に、回復要員の【再世修醒リクエイション】がしがみついている。


「昴ちゃん! どどど、どーしよー! あたし、こんな超展開は初めてデス! やべー、マジやべー!」

「……エンプレス・ドリーム様の敵は……倒す。さわり殺す」


 だが、全身タイツのようなスーツに筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる起伏を浮き上がらせたマッチョマンは、HAHAHAと白い歯を見せて笑う。こういうステレオタイプのヒーローが、実は一番やっかいだ。ジオン脅威のメカニズムよろしく、物凄い勢いで新種が生まれては消えるヒーローたち……その多くが、こうした物理的な筋力や反射神経、身体能力に秀でたタイプである。

 そして皆が、例の『ニュートラル』なるウィルスの発症者だ。

 感染者が発症すると、個体差こそあれ驚異的な肉体を得ることができる。人智を超えた運動神経は、むしろ副産物……真に恐ろしいのは、そのウィルスがもたらす特殊な超常力、異能の能力だ。


「よぉ、昴……俺が冥夜を守る。最悪、死んでも守って、隙を見て一緒に逃げる! 愛の逃避行のためなら、今日は7回まで死ねるぜ!」

「わかった。死んでも守れよ、28号。エンプレス・ドリーム様を守れぬまま死んだら……私が殺す」

「はいはい、んじゃま……名乗れよ、ヒーロー! 人様のいこいの場に乱入してきて、俺の冥夜と同じ空気吸ってんじゃねえよ! 冥夜の吐いた空気に触れるな! 手前ぇの臭いが混ざる!」


 威勢よく叫んではいるが、背に冥夜を庇ったまま連児は少しずつ下がっていた。

 ステレオタイプのヒーローが実は、意外と厄介だ。どんな能力かは別にして、この類はほぼ全て『目覚めた能力より、副作用の肉体強化の効果が大きかった奴ら』なのだ。つまり、ヘソで茶がわかせる程度の特殊能力より、その副作用で得られた怪力と瞬速の方が危険なのである。

 そして、ヒーローは逆三角形マッチョな肉体を逸して両腰に手を当てる。


「私の名はヤマナシ……サイキック・ヤマナシ! 都心に就職して埼玉に住民票を移した今も、山梨を愛する男! それが、サイキック・ヤマナシだ!」


 気まずい沈黙に、サイキック・ヤマナシの笑い声だけが響く。

 だが、連児は油断せずに腰を落として拳を身構えた。自分が捨て石になって奴の技を見てもいいが、捨てていい命は全て冥夜のために使わなければならない。

 いきなり本丸、それも悪のカリスマであるエンプレス・ドリームの本陣に殴り込んできたのだ。恐らく、その名に似合わぬ特殊で強力な力を持っている可能性もある。

 連児は仲間に目配せしつつ、格好良く活躍するべく叫んだ。


「気をつけろ、昴……じゃねえ、ワンタッチ! あいつは全身をキモいピッチリスーツで覆っている! つまり……お前が触れても、直接肌と肌が接触するのは難しい! 殺せないぞ!」

「……お前が言わなきゃ、ばれないと、思う、けど」

「それと、リクエイション! お前は下がってろ。最悪、お前がいればどんな怪我も治せるからな!」

「はわわ……あたし、バカは治せないよ? ネタバレするなしー!」


 背中で冥夜の、ありったけの失望を込めた溜息が響いた。

 彼女が憂鬱ゆううつさから吐き出した二酸化炭素が今、自分の吸ってる空気の中に混じっている……そう考えるだけで、誰にも知られず連児は1UPワンアップしていた。


「くっ、最高かよ……エンプレス・ドリームを守って、二人の愛を守り通す! ディー・ドリームッ!」

「……私、貴方と愛を交わした覚えはないのだけど」

「へへ、素直じゃないな。それにしても、サイキック・ヤマナシ……山梨? くそっ、山梨って何県にあんだよ。名前から察するに山のねぇ港町だな? おうこら、田舎モン! まほろば町は腐っても東京都、首都だぞ、なめんな! 首の都なんだぞ!」


 プルプルと、サイキック・ヤマナシが震えている。

 それが連児には激昂げきこういきどおりだと感じたが、どうやら違うようだ。

 背後で再び溜息が響いて、昴は露骨に嫌な顔で肩越しに連児を見下してくる。その足元では、真璃瑠が連児を指差し「バカだ、やっぱバカがいます!」と呆れていた。

 しかし、連児のメンタルは鉄より硬く鋼よりもしなやかだ。

 そもそも、空気も読めないし周囲の反応にもうとい。

 そうこうしていると、サイキック・ヤマナシが連児を指差し声を荒げた。


「貴様っ! 貴様は今……山梨を侮辱したな? 山梨県を……私の第二の故郷を!」

「っるせー! 偉そうなこと言って、手前ぇだって山梨の人間じゃねえんだろ、実は!」

「母方の実家が山梨だ! ……茶番はこれまでだ。我がサイキックの力、【千利眼サザンウオッチャー】と……なにより、鍛え抜かれたこのパゥッ、ワァ! そう、力こそがパワーだ!」

「けっ、脳筋かよ。お前、あれだろ……目覚めた能力は微妙だけど、副作用だけデカく出たタイプだろ!」

「私の千里眼は完璧だ! 10km先のスマホに映った既読きどくスルー表示を見分けることができる! ……そして、社会の闇に潜む秘密結社アトラクシアのアジトも、我が【千利眼】ならば簡単に透視できるのだ。そう、千の利点を持つ瞳……遠くを見通し近くで細部を拾う、透視も瞬間記憶も完璧だ!」


 連児の思った通り、能力は微妙だ。とどのつまり、視力がいい、凄くいい……しかし、千の利点というだけに今は危険だ。

 それを昴や真璃瑠も察したようだ。


「昴ちゃん! じゃない、ワンタちゃん!」

「……そのあだ名、前からヤメてって、言ってる、のに」

「そう? じゃあ略してワンちゃん! ヤバイよあいつ……ここもきっと、眼力で見透かして来たんだ」

「ああ、そして……見たもの全てを記憶する力、潰さなきゃ。この場所は……私とエンプレス・ドリーム様と……みんなの、大事な場所、だから」


 だが、その時連児は沸騰する血液を逆流させながら叫んだ。


「透視……透視つったか! けてると書いて透視か! ああン? つまり……! 骨格や内臓はもちろん、俺の子をはらむ入口と出口とその奥と、全部まるっとお見通しってことかあああああっ!」


 絶叫を張り上げた瞬間、振り向いた昴のデコピンが飛んできた。

 それで連児は、すぐに少しだけ過去に飛ばされる。それは、まほろば町のひなびた商店街で、地元の老若男女が行き交う午後の昼下がりだ。放課後、シャッター街とは無縁なこの場所を抜けて、いつも連児はバイト先に、アジトに行く。

 組織の中枢があって多くの人員が働く拠点は、世界中に無数にある。

 だが、エンプレス・ドリームの秘密の玉座があるアジトは、連児たち四人の秘密の花園だ。急いで商店街の路地裏へと駆け込み、潰れたゲームセンターを突っ切る。奥の倉庫だった場所に飛び込むと、ようやく連児は先程死んだ時間に追いついた。

 連児の特殊な能力【残気天翔エクステンダー】が繋いだ先程の続きは……意外な光景だった。


「あ、連児だー! おかえりー!」

「……お前が不甲斐ないから、冥夜様が」


 いつものニコニコでハスハスな笑顔の真璃瑠。そして、自分で殺しておいて酷い言い草の昴。そんな二人の前に……冥夜が立っていた。そう、玉座から立っていた。心底面倒臭そうに、彼女は優美な起伏の浮かぶ黒のドレスを、僅かに棚引かせながら歩く。

 冥夜が向かう先で、サイキック・ヤマナシがひるんだ。


「エ、エンプレス・ドリーム! この私に、お、おっ、おおおお……臆したぴゃ!」


 思わず狼狽うろたえ言葉を噛んだ男へと、絶対零度の視線が刺さる。

 連児も、初めて敵の前に自ら立つ冥夜の姿を見る。それは、得も言われぬあやしげな魅力を放って、この場の空気を凍てつく闇で覆っているかのよう。


「いい機会だわ。サイキック・ヤマナシ……貴方でまあ、いいかと思うの。最初に倒すヒーロー、抹消するヒーローは」

「な、なにを……!」

「私たちはこれから、世界と正義に味方するヒーローを、世界ごと敵に回さなきゃいけないのよ? 忙しいの……だから、選んであげるわ。私が……創生ジェネシス剿滅ジェノサイドか。双輪ジェミニの運命を、選んで、決めてあげる」


 冥夜がほっそりとした手を前へと伸べると、広げた手の平に闇が集う。まるで燃え盛る黒いほむらだ。それはやがて、徐々に輪郭を広げて……長柄の大鎌デスサイズへと姿を変えた。それを優雅に握って翻すや、冥夜が無表情を無感情で飾って小さく囁く。

 僅かに空気を振動させる、その固有の波形が連児の鼓膜を愛撫あいぶした。


「さよなら、ヒーロー。私の力、【創滅与奪ジェネサイド】は……。その全てから未来を確定させる。世界の選択、それは私」


 サイキック・ヤマナシという名の操り人形マリオネットが、大鎌に見れない糸を断ち切られたかのように崩れ落ちた。断末魔の声すらない、突然の絶命。そして、消滅……あっという間にあとかたもなく霧散した。

 これが、冥夜の力。

 最も恐るべき能力……【創滅与奪】だ。

 冥夜は、創生そうせいされるべき未来を選び、剿滅そうめつさせるべき可能性を決める。彼女の力が、無数に分岐する未来のどれか一つを確定させるのだ。攻撃対象が待つ無限の可能性を、一つを除いて全て消し去る。それは、生殺与奪と言うにはあまりにも凄絶な支配だ。

 こうして彼女は、全てのヒーローから奪うつもりだ。

 ヒーローとしての未来も、その可能性も……ついでに命も。

 ここから先は存在してはならない、今からすぐに存在は消え失せる……そういう未来を選び取って。与える。そして、それ以外の全ての運命を奪う。


「さ、終わったわ。人に使うのは初めての力だったけど……まあまあね」

「冥夜、今のは……サイキック・ヤマナシは」

「サイキック・ヤマナシという可能性の全てを摘み取ったわ。つまり、これから先の未来には、そういうヒーローは存在しない。サイキック・ヤマナシだった人間は今、唯一与えた消滅という結果に帰結し、抹殺された」


 改めて連児は、畏怖いふ畏敬いけいの念で身震いした。

 エンプレス・ドリームは、夢幻にまどろむ夜の蝶のように美しく、無限に広がる未来の全てにとって、敵だ。その鳳蝶あげはちょうがなにげない羽撃はばたきで空気をかなでるだけで、地球の裏側で無数の運命がかき乱される。

 彼女が全てを選んで決める先にあるもの……それは、全ヒーローの抹殺。

 一人を除く全てのヒーローの滅殺だ。

 大鎌を瞬時に空気に溶かして消すと、冥夜は髪をかきあげ玉座に再び沈む。そのまま彼女は、肘掛けの上に突っ伏すようにして、さらさらと漆黒の長髪を広げた。


「それにしても……この場所がこうも簡単に発見されるとはね。危うくジャンパーソンみたいになるとこだったわ」

「ジャンパーソン? なんだそりゃ、冥夜」

「特捜ロボジャンパーソン、大昔の特撮番組よ。第一話で登場した悪の組織『ギルド』は、第二話でジャンパーソンに殲滅されるの」

「超展開だな……ってか、詳しいのな、冥夜。意外っつーかよ」


 その時、冥夜が初めて微笑ほほえんだ。

 微笑んだように連児には見えた。

 それは自嘲気味じちょうぎみに寂しげで、それでいてうっそりと頬を赤らめるような乙女の笑みだ。そよ風に揺れる桜の花びらが舞い散るような、音もなく広がる神々しさと凛々しさと、そして切なさ。

 連児の胸は、次の言葉で締め付けられるようにきしんだ。


が詳しいのよ……いつも特撮やアニメの話ばかりね。ふふ」

「あの人、ってのは」

「私の大事な、大切な人。そして、私と同じく連児君には無関係な人」


 ホッとしたのか、真璃瑠は昴の太ももからふくらはぎへとズルズル滑り落ちていた。だが、緊張が解けた中でも冥夜は意味深に笑っている。それは、寒々しいまでに冴え冴えとした、凍れる刃を突き付けるような微笑だった。

 人の可能性を選んで確定させ、その運命を決める夢幻の女帝。

 彼女は今日も、日常の学園生活と多忙な悪の親玉の合間に……この四人だけの秘密のアジトで玉座に身を沈める。田舎町の片隅でこの瞬間も、世界を脅かす敵としてありつづける。そういう宿命を、能力ではなく意思と信念で選び続ける冥夜が、やはり連児は好きなんだと改めて悟った。

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