第3話「罪とぱんつ」
日本の経済と流通が集う街、東京……その一角、新宿のオフィスビルに
秘密結社アトラクシアの、いつもの日常だ。
「ワンタッチ様、こちらが先日の株価操作で得られた利益です。ご確認を」
「先日、
「与党議員の
男たちは皆、昴と同じくらいの身長だ。それでも、
そして、そんな彼女を誰もが皆、こう呼ぶ。
――ワンタッチ。
それが、アトラクシア最強の
「ああ、ワンタッチ様。そういえば先日の件ですが……っとっとっと!」
周囲を囲む黒服の一人が、報告書のページをめくって声を連ねた、その時だった。彼は手にした万年筆を床へと落とす。新宿のコンクリートジャングルを見下ろすフロアで、大理石のような床にペンが転がった。
それを無意識に、昴は拾おうと身を屈める。
だが、次の瞬間……周囲を囲んでいた男たちは飛び退き下がった。
またかと思えば、昴の端正な表情に感情は浮かばない。
いつもの
「私の能力は肌と肌……直接触れなければ発動しない。それ以前に――」
「あっ、ああ、ありがとうございます。いえ、その、とんだ失礼を」
「……いや、いい」
万年筆を返された男は、引きつる笑顔で震えていた。昴に接する者は、いつもこうだ。触れるだけであらゆる命を断つ彼女は、このアトラクシアでも恐怖の代名詞だ。圧倒的な美貌とカリスマで、世界の敵として君臨するエンプレス・ドリーム……その傍らに常に控えた、最強のボディーガード、それが昴だ。
妙な空気が気まずい沈黙を連れてきた。
昴は小さく溜息を零す。
「……少し休憩しよう。君たちは外の空気でも吸ってくるといい。じきにエンプレス・ドリーム様もいらっしゃるだろうから」
それは提案ではなく、有無を言わさぬ承諾の強要だ。
一時の散開を命じられた黒服たちは、挨拶もそこそこに部屋を出てゆく。彼らがエレベーターの方へと消えると、窓の外の光景を眺めて昴は溜息を一つ。
この世で、昴を恐れず慕ってくれる人間は三人しかいない。
一人は、
絶対の支配者にして、究極の所有者……それが昴にとっての冥夜。
そして、同じ秘密を共有する
「よぉ、昴! 冥夜は一緒じゃないのか?」
「……お前か、
振り向き見下ろすと、自分より頭半分ほど小さな少年が立っていた。彼の名は、
「エンプレス・ドリーム様はお忙しい。
「そかそか、んじゃーちょっと待たせてもらうぜ。ほらよ」
連児は手にした缶コーヒーの片方を、昴の薄い胸に押し付けてくる。言われるままに受け取れば、よく冷えた缶の上で指と指とが触れた。万が一にもと気をつけ、手袋で覆った昴の手が、連児の手に触れる。
だが、連児はまるで気にした様子がない。
それどころか、ニシシと笑って横に並ぶと、だらしないニヤケ面で覗き込んでくる。
「昴、今日もまた……ちょっと頼みたいんだがよ。いいだろ?」
「……またか。最近、頻繁だな」
「おうよ! ってか、ほとんどお前が悪いんだろう。いつもホイホイ気軽に殺しやがって」
「神聖なるエンプレス・ドリーム様に対して、お前は無礼で
「よせよせ! そう褒めるなって……照れるからよ、わはは!」
「……ばか」
昴は、連児に関して特別な感情を持っていたりはしない。と、思う。エンプレス・ドリームの正体を知る仲間の一人であり、連帯感はある。しかし、それ以上に二人は、一つの共通点で繋がる同志とも言えた。
そのことを頭では理解しているのだが、どうもピンとこないのだ。
昴が連児に対して持つ印象や感情、それは複雑な厚意……好意とさえ言えた。
「昴、お前は最近どうだ? 学校。いいよなあ、都内の
「エンプレス・ドリーム様と……その、冥夜様と、今週は……図書館で、一緒に勉強した」
「……それだけ?」
「それだけ。それだけで、十分……とても、楽しかった」
昴は、冥夜が好きだ。
同性とは思えぬ程に貧相で痩せた自分が、彼女を愛していると自覚している。
そして、そのことを知るからこそ、冥夜はいつも昴に優しくしてくれる。愛で応えてはくれないが、愛することを許してくれる。学校では誰もが憧れる天才美少女と、ちょっとボーイッシュな影のある同級生。だが、多くの者達が空想と妄想で想い描くように、昴の唇と指は、冥夜の全てを知っていた。
冥夜は誰も愛さない。……一人を除く全てを、愛しはしない。
エンプレス・ドリームとして、世界の敵として、氷の強さで全てを憎んでいる。
そんな冥夜を昴は、心の底から愛していた。
そして、そのことを唯一知る人間が連児なのだった。
「なあ、昴よう。こないだ、映画のチケットを
「冥夜様は、とても喜んでいた」
「お! そっか、よかったじゃんかよ」
「あの人の外出が許されたら一緒に行くと言ってた……素敵な笑顔だった」
「って、おいー! 二枚とも渡したんかい! しかも、あの人、って」
「冥夜様には、唯一心を許す方がいる。と、思う。気がする」
「……俺も薄々気付いてたけどよ。まあ、いるわな……万能美少女、完全無欠のヒロイン爪弾冥夜に、彼氏の一人や二人くらいいるわな」
「二人といない筈だ……冥夜様は、そういうお方だ」
連児が「あちゃー」という表情で顔を手で覆う。
それでも、少しずつ缶コーヒーを飲む昴は幸せだった。
「ったく、馬鹿だなあ昴。お前さ、やる気ねぇだろ? もう満足しちゃってるだろ! そんなんでお前、夢の冥夜とのラブラブ大作戦が成功すると思うなよ?」
「……うん。でも、私は」
「ヤる気がない奴はな、
昴は静かに片方の手袋を脱ぐと、デコピンで連児の額を
次の瞬間、その場に崩れ落ちた連児が徐々に透けて消滅した。一撃、否……
「だから、昴! 簡単に殺すな! 見ろ、残り
「……ご、ごめん」
「あーもぉ、いいよいいよ……ったく、お前ってホントにかわいいよな。純情つーか、うぶってゆーか」
連児の能力は【
そんな連児が、大きく『00』と書かれた手の甲を見せてくる。
今、殺せば……絶対に復活できない。
それでも、手袋を慌ててつける昴に気安く連児は触れてくる。
「いいかあ、昴……俺とお前は似た者同士、冥夜の
「私は、違う」
「違わねえ! 勿論、心を通わせ想いが通じ合ったからこそ……冥夜は俺やお前にあんなことや、こんなこと、さらにはああいうプレイやこういうプレイをだな」
「……心を、通わせ……想い……通じ合う」
「そうだ! 例えばお前、考えてみろ。お前が言うような、寂しい夜に一緒に寝るような、そういうのだけで満足か? ええ?」
連児の追求に思わず、昴の頬が
冥夜はいつでも昴に優しくて、愛し合うこと以外を全て許してくれる。自分という
「そうだ……そうだった。連児の、言う通り。私は、私は……!」
「ああ! 思い出せ、昴……俺たちの究極の目的は、なんだ!」
「私の、目的……それは。それは……冥夜様の、幸せ」
あの人にもっと、笑って欲しい。いつも笑顔でいて欲しい。だが、まるで本物の姉妹か恋人、その両方を足した関係をも上回る優しさで包んでくれる冥夜は……時々ぞっとするほど冷たい顔をしている。
それが昴には、切ない。
昴が愛することを許してくれる人は、絶対に昴を愛してはくれないのだ。
「私は、冥夜様に幸せになってもらって……ずっと、側にいたい」
「……それでいいのかよ、お前なあ。例の、彼氏? いるっぽいよな? そいつとくっついたらどうすんだよ」
「今と変わらない。冥夜様と、その新しいパートナーを守る」
「結婚してガキが生まれたらどうだ?」
「その子も私が守る。冥夜様の家族を、守り続ける」
少しだけ夢見る。アトラクシアでの戦いが終わったら、冥夜にどんな日常が戻ってくるのだろうか? 時々存在をほのめかす、想い人と結ばれるのだろうか? その時自分は、間違いなく側にいる。愛する人の幸せを見守り、支えて尽くすために。
そんなことを話したら、連児は
だが、彼の笑顔は心なしか、優しかった。
「ま、いっか。それより昴……ちょっち、いいか?」
「……わかってる。それにしても、連児。おかしい」
「おかしい? なにがだよ」
「連児のその数字が……命のストックが急激に減っている時が稀にある」
「そりゃ、お前がホイホイ殺すからだろう! 冥夜が命じるままに、いっつもデコピンで殺してるだろ? 触るならもっと、股間を中心とする半径20cmを優しくだな」
「死ぬ?」
「いえ、結構です。……でも、マジで今ちょっと困ってんだよ。な? 見ろ、残り0だ、今死んだら二度と甦れねえ」
連児は手の甲の数字を指差し、それでも昴に気さくに触れてくる。
そして、昴は連児とは、同じ女性を愛した仲だった。そして、それゆえに結んだ秘密の関係を持つ、一種の共犯者である。そのことだけがいつも、愛しの冥夜に後ろめたい。
同時に、愛しの冥夜のために、連児をも偽る背徳感が罪悪感となる。
「……連児。いつも、思う。私は……悪いことをしてる。冥夜様に顔向け、できない」
「いいんだよ! 俺が生きてていつでも死ねたら、絶対に冥夜にとって得なんだよ。な? 考えても見ろ、お前は冥夜を守る最強の特醒人間だ。でも、俺はなんだ? ただの雑魚、戦闘員……いざとなったら冥夜の盾になって死ねる、いつでも死んでやれる人間だ」
「連児……お前」
「お前は違う、俺は死んでしかやれないけど、昴は違うだろ? お前は、冥夜のために生きてやれるじゃねえか。生きてる限り、ガンガン
見上げて両肩に手を置いてくる連児が、真っ直ぐ眼差しを注いでくる。
その力に溢れた言葉が昴の胸を熱くしたが、次の瞬間には台無しにしてくる。
「わかったら、昴……出せよ。持ってきてるだろ? 冥夜のぱんつを今すぐ出せ!」
一瞬、いつもそうなのだが、殺したくなる。今、殺気を放って触れれば、この男は永久に消滅、絶命する。それでも、許しがたい
しばしの
そして……その奥から薄布を取り出す。
「今日の、体育の時間……すり替えた。つまり」
「つまり! それは、それはあああっ!」
「冥夜様が、数時間前まで身に付けていた。あっ!」
「もらったああああああっ! フオオッ、使用済みのぱんつ、だあああああああっ! シャア!」
昴の手から、白と水色のボーター柄をひったくると、連児は迷わずそれで顔を覆う。そして深々と空気を肺腑へと吸い込みエビ反りに天井を仰いで……硬直した。
そして次の瞬間、ぱんつをゆっくりと手にして、昴へと返してくる。
ただの変態がそこにはいた。
酷く達観した、悟ったような笑顔の連児が昴に向き直る。
「ありがとう、昴。……おっ、すげえ! 一気に残機が8まで回復したぜ! 見ろ!」
「あ、ああ」
「あとはお前が使え、昴。なに、大丈夫だ……お前のために、俺は
「……連児、お前……
「おいおい、おだててもなにも出ねぇぞ? よし! んじゃ、俺ぁ行くわ。またな!」
爽やかな笑みで、
連児は秘密を共有する四人組の中で、誰もが知ってる本物の変態、アホだった。
それを再確認して、昴は……冥夜のものだといつも騙してる、自分の下着をしまう。
目の前で自分の下着に顔を埋める連児に、不思議と
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