第2話「存在の耐えられない命の軽さ」

 悪の秘密結社ひみつけっしゃ、アトラクシア。

 純粋悪、真の邪悪を自ら名乗る、エンプレス・ドリームが率いる超地球規模の犯罪組織である。その構成員である真逆連児マサカレンジは、いわゆる悪の戦闘員……下っ端、雑魚キャラ、モブだった。

 だが、悪の尖兵せんぺいたる末端の構成員にも、とても大事な大事な仕事がある。

 一部の人間だけが知るエンプレス・ドリームの正体、爪弾冥夜ツマビキメイヤの命令は的確で、合理的で、その上に完璧だった。過去の実績が、地球から消えた国家や地域、毎秒ごとに行き来する国家予算クラスの金銭や証券で教えてくれる。

 だがら、今日の仕事にも大きな意味があるのだ。

 あらゆる世界、次元、未来から過去まで……全てのヒーローを『』抹殺する。

 その理想のため、今日のこの作戦にも大きな意味がある……と、思う。気がする。


「おやっさん、これで全員ッスけど……いやあ、すげえな」


 黒い上下に覆面姿で、連児は人質をバスの後ろ側に集めた。黒尽くめの背中には、大きくアトラクシアの紋章が刻まれていた。血の涙を流す女神ネメシスを抽象化したエンブレムは、密かに連児のお気に入りだ。

 なんとなく、あかい右目の冥夜に似てる気がするから。

 そうして振り返ると、連児たちのチームを纏める部隊長が大柄な身体を揺すって笑った。


「全員か? ちゃんと全員か? 28号!」

「あ、はい……全員です、けど」

「そうか、ならよし……仲間はずれはいけねえからな、ガッハッハ!」


 この、中肉中背の男は1号、皆から『おやっさん』と呼ばれている。素顔は誰も知らない。連児はチームの仲間、30人前後の顔を、誰も見たことがなかった。勿論、連児も皆に顔を見せたことはない。

 お互い、理想や思想、そして金や欲で集まった者たちだ。

 揃いのスーツを着て、今日もアトラクシアの威光を示すべく悪行中である。

 だが、率直に言って疑問に思わざるをえないのも確かだ。


「わー、すごいね! おじさんたち、わるいひと?」

「わたし、しってるー! アトラクシアってゆーんだよー」

「パパもいってた、それ! すっごーいわるいひとたちだって」


 人質の数は15、6人。

 皆が女性……女の子だ。

 そう、女の子……女児、幼女だ。

 このバスは、幼稚園の送迎用バスである。連児は、全く恐れず萎縮しない子供たちの前で、マスクの下に笑みを零す。目元と口元しか見えない、無謀の悪の戦闘員は笑った。

 必要性や意義に大きく疑問は感じるが、殺しや窃盗よりはずっとマシだ。

 そして、おやっさんもどうやらそう思っているらしかった。


「よーし、子供たち! いいかあ、おじさんたちは悪の秘密結社アトラクシアの構成員だー! 悪い子がいたら、食べちゃうぞぉー!」

「キャー、こわーい! たすけてー」

「すごーい! あ、そうだ……ママにメールでおしえてあげなきゃ」

「しゃしん、いい? わたしも、しゃメしたーい」

「あ、ずるいよぅ。わたしも、わたしもカシャってするのー」


 その後、連児はおやっさんと並んでフラッシュを浴び、希望する何人かを抱き上げ携帯電話を向けられる。勿論、最高のスマイルで応えるのだが、顔は見えない。それは、大勢の子供たちを肩に担いで笑う、おやっさんも一緒だった。

 他の仲間たちは今、廃工場へと運び込まれたバスの周囲を守っている。


「じゃあ、良い子のみんな、いいかあ! おじさんの言う通りにするんだ!」

「はーい!」

「いい返事だ! 元気が一番だな、ガッハッハ! そんな元気なみんなの生活を脅かすのが、俺たちのボス、偉大なるエンプレス・ドリーム様だ!」

「わたし、しってる! くろいドレスの人! テレビでみた……すっごいキレイなの」

「うんうん、よく知ってるね! よーし、おじさんがアトラクシアシールをあげよう! 大丈夫だ、はい並んで! 押さないで! 全員分あるから」


 おやっさんのことは、連児はよく知らない。自分が28号で、おやっさんは1号だ。チームのユニット単位で振られた通し番号、それだけの存在。おやっさんが何故、アトラクシアに手を貸すのか、それは誰にもわからないことだ。

 勿論、連児の目的をおやっさんも知らない。

 連児の目的はただ一つ……エンプレス・ドリームの、冥夜の恋人に、彼氏になること。


「よーし、全員にわたったかな? そのシールは、身に付けてればいいことがあるぞ! そして最後に、エンプレス・ドリーム様にみんなで忠誠……は、いいか。とにかく! エンプレス・ドリーム様に応援の声を送ろう。せーので、みんなで『ディー・ドリーム』だ……さあ、いくぞ子供たち! ディー・ドリーム!」

「わーい、ディー・ドリーム!」

「ディー・ドリーム!」


 平和だ。

 ほのぼのしいまでに平和な光景がそこにはあった。

 だが、幼稚園の送迎バスジャックにも意味はある。と、思う。多分。例えば、この子供たちの中に要人の家族がいる。今もこの瞬間には、別の部署の者たちが脅しの電話をかけたり、裏口座への入金を迫ったりしているかもしれない。

 だが、それとは別に連児には心配事がある。

 こういうシチュエーションが実は、最も危険な時間なのだ。

 そして、騒がしくなる外と同時に、バスの車体がガクン! と揺れた。


「チィ、来ちまったかあ! 28号、子供たちを外に避難させるぞ!」


 おやっさんが、肥満体に似合わぬ俊敏さで走り出す。

 同時に、バスの天井を突き破ってなにかが落ちてきた。

 白煙を巻き上げるそれは、拳を床に突き立てた巨漢だ。見るも逞しい青い全身タイツを、内側から筋肉でパンパンに膨らませている。その男はゆっくりと立ち上がると、白い歯が鬱陶うっとうしいほどに眩しい笑みで、マッチョなポーズを決めながら名乗った。


「待たせたな、子供たち! もう大丈夫だ! この私が……キャプテン・アオモリが来たからにはな! ハッハッハ!」


 ――ヒーロー。

 それは、突然全世界を包み込んでパンデミックを引き起こした、謎のウィルス『ニュートラル』が生み出した突然変異人種ミュータントだ。驚異的な身体能力に加え、各々が特別な特殊能力を持っている。

 そして、そんな力に覚醒した者たちの一部は、正義の味方をやっているのだ。

 あれが、敵……冥夜の、敵。

 ゆっくりと歩み寄る男、キャプテン・アオモリへ向かって連児は拳を引き絞った。


「おやっさん、ここは俺がぁ! 子供たちを頼むぜ、ドラアアアアッ!」


 オーバーハンドなテレフォンパンチが空を切る。

 次の瞬間には、キャプテン・アオモリは「フンッ!」と息を吐き、重い拳を連児の腹へと叩き込んだ。身体がくの字に曲がって、体内のあらゆる器官が潰れて血に沈む。それをそのまま吐き出した連児は、バスの天井を突き破って、さらに廃工場のトタン屋根もブチ破って空へと舞った。

 向けるように青い空、とてもいい天気だった。


「これ、死んだ……な。死んだ……っし、!」


 そうして連児は呼吸と鼓動が停止するのを感じて……そして、時間が巻き戻る。

 連児の持つ特殊な力、それは【残気天翔エクステンダー】と呼ばれる能力だ。それは、いうなれば生命のストック、人生のコンテニューだ。自身の興奮と感動、強い感情の励起で1UPワンアップ、エクステンドする命。それを使えば、死んでもリトライできる……少し前の過去からやり直せるのだ。

 気付いた時にはもう、連児は数分前の自分へと巻き戻っていた。


「よーし、子供たち! いいかあ、おじさんたちは悪の秘密結社アトラクシアの構成員だー! 悪い子がいたら、食べちゃうぞぉー!」


 相変わらず、おやっさんは笑顔で子供たちに接している。

 まだ、先程のヒーロー……キャプテン・アオモリは現れていない。

 そして、手袋をめくって手の甲を確認する。刻まれている数字は『04』。先程より1、減っている。それでいい、まだ大丈夫……あと4回は死んでいい。痛みや苦しみは感じるが、連児に迷いはない。


「すんません、おやっさん! 俺、便所べんじょッス!」

「おいおい、28号。……デカいのか?」

「ドデカいですね、ちょっちゴロゴロ言ってます!」

「おう、行って来い。悪いもんでも食ったか? 薬、あるからな!」

「サンキュです!」


 マッハでバスを飛び出て、周囲でアサルトライフルを構える同僚たちの中を駆け抜ける。誰もが皆、「おいおい28号ぉ!」「またクソかよ!」「私、ホッカイロとか持ってるからね!」「トイレ、この廃工場の使えるぞ。急げよ!」と声をかけてくれる。

 皆、気さくで気のいい同僚だ。

 ケチな野郎も嫌味な奴もいるが、同じチームの仲間だ。

 だから、連児は走る。

 いつものようにトイレへと駆け込む。

 その背は、悲鳴と絶叫、そして……先ほどと同じバスの天井がブチ抜かれる音を聞いていた。時間通り、キャプテン・アオモリは来た。連児にとって二度目の、そして本当の戦いが始まる。


「っし、行くぜぇ? ……へへ、相変わらずやべーぜ、震えてきやがった」


 マスクも上下も脱げば、パンツ一丁の自分がブルッているのがわかる。寒くもないのに、全身の震えが止まらない。ふと鏡を見れば、怯えた表情でガチガチ歯の根が合わない貧弱な少年が映っていた。

 だが、迷わない。

 躊躇わない。

 そして、意を決して連児は……漆黒の着衣を全て裏返す。

 そこには、真っ赤に燃える真紅の色が広がっていた。

 それを改めて着るなり、背に描かれた嘆きの女神を背負って走る。

 同僚たちがバスを囲む中では今、おやっさんが背に子供たちを守っていた。そして、笑顔でキャプテン・アオモリがゆっくりと近づいてゆく。


「それ以上……やらせねえっ! 田舎いなかに帰れ、この野郎ぉ!」


 連児は窓ガラスを突き破って飛び込むや、おやっさんとキャプテン・アオモリの間に割り込んだ。キラキラと舞う硝子の中で、集中力が極限まで研ぎ澄まされる。

 連児の能力、【残気天翔】を知る者は僅かしかいない。

 そして、連児自身は自分の能力を、はっきりと熟知して使いこなしていた。

 死ぬことで過去へと戻れる連児は、知っている。

 似た状況を作り出すことで、先程の状況……前世の記憶とも言える経験、現象を完璧に再現することができる。死んで戻ったその先は……そこから先は、連児だけが自由に選択肢を与えられている。他の全ては、先ほどと同じこと、同じ言葉や行動を繰り返す。


「ムッ! 誰だね君は! ……紅い、戦闘員だと?」

「お、おいっ! お前! どこの班だ……その姿、アトラクシアの戦闘員……なのか? ……今はいい、お前っ! 子供たちを逃がすまでの間、それだけ頼むっ!」


 おやっさんが子供たちを守って、背後の非常ドアを開けた。子供たちは呑気に「わーい!」「キャプテン・アオモリだー!」「シールちょうだい、ヒーローシール!」「あ、わたしもあつめてるー」と笑顔だ。

 連児は、紅蓮に燃える赤を身に纏って、キャプテン・アオモリに拳を振りかぶった。


「何者だっ! アトラクシアの怪人、ではないな……君!」

「手前ぇに名乗る名前はねぇ! 俺は……俺は、零号ゼロごう。アトラクシアの戦闘員、零号だ!」


 叫ぶと同時に、大振りなパンチを繰り出す連児。

 そして、再び先程の状況が再現される。


「ハッハッハ! そんなヘナチョコリンなパンチでは、私は倒せんぞ!」

「るせぇ! 美味おいしいリンゴばっかり作りやがって、本州最北の地まで、飛んでけぇ!」

「ニンニクや長芋ながいももよろしく! ゆくぞ、唸れ正義の鉄拳! ――SMASHスマーッシュ!!」


 そして、また腹部への強烈なボディーアッパーが襲う。

 それを連児は、知っていた。わかっていた。

 なにが来るかわかっていれば、戦闘員程度の身体能力と反射神経でも十分に避けられる。否……その隙に付け入ることだってできるのだ。

 連児は……戦闘員零号は、身を低くして豪腕をかいくぐる。

 キャプテン・アオモリが驚きに表情を変えるのが見えた。

 だが、その時にはもう、紅い拳が唸りを上げている。


「俺の初恋のために……死ねエエエエエエッ!」


 常人に毛が生えた程度の筋力でも、戦闘員は皆が皆、例のウィルス『ニュートラル』のキャリアだ。連児のように覚醒しても能力を隠している者もいるだろうし、なにも起きぬままの一般人レベルもいる。あるいは、今後突然発症する者だっているかもしれないのだ。

 そして連児は、渾身のストレートをキャプテン・アオモリの顔面に叩き込んだ。


「っしゃあ! おやっさん、今のうちに子供たちを!」

「あ、ああ……もう大丈夫だ! でも、お前は。ま、まさか噂の……! なのか?」

「……俺は戦闘員零号。ただアトラクシアのため、エンプレス・ドリーム様のため……惚れた女のためにヒーローを倒し続ける。それだけの男だ」

「やはり、ヒーロー絶対殺すマン! みんながそう呼んで噂してるのに、実はまだ誰も殺せていない伝説の戦闘員! じ、実在、したのか」


 ちょっと、恥ずかしい。

 だが、今日こそ殺す、叩き潰す。

 ヒーローに死を、それが連児が冥夜のために突っ走るリリカルでメロウ過ぎる恋路こいじだ。ラブロードだ。今まではずっと失敗続きだったが、今日こそ倒す。

 フロントガラスを木っ端微塵にして外に吹き飛んだキャプテン・アオモリが立ち上がる。


「いいパンチだ、君!」

「覚悟しな、ヒーローさんよぉ。俺の愛のために、死んでくれ!」

「断る! 私には、青森の地域振興という夢がある! 郷土愛!」

「……そ、それは、うーん、そうだな。お、お互い大変だよな」

「ハッハッハ、なぁに! こうして子供たちを助ければ、夕方のニュースに出られるからね! 今日は宣伝のために、あの有名な焼肉ソース……スタミナ源たれ、通称『源たれ』を持ってきた! 君にも一本進呈しんていしよう!」

「あ、どうも」

「……隙アリィィィィィッ! DESTROYデストローイ!!」


 キャプテン・アオモリが股間から取り出し小瓶こびんを、ちょっとヤだなと思いつつ投げられるままに受け取った瞬間……連児は全身を貫く痛みでバスに叩きつけられた。肉が裂けて腱がブチブチと悲鳴をあげる。全身の骨がぐずぐずに砕ける痛みが襲って、そして絶命。

 あっという間に連児は、またも死んで過去へと巻き戻った。


「よーし、子供たち! いいかあ、おじさんたちは悪の秘密結社アトラクシアの構成員だー! 悪い子がいたら、食べちゃうぞぉー!」

「あんのクソがぁ! コスい手ぇ使いやがって……無駄に使っちまった、残り3かよ!」

「ん? どうした、28号」

「すんません、おやっさん! ドエレェうんこ出そうッス。ホントすんません!」

「あ、ああ……胃腸の弱い子なのかな」


 この日も連児は、いつもどおりヒーローと戦い、なんとか撃退に成功した。さらに2回死んで奇襲攻撃を避けつつ、キャプテン・アオモリの必殺技であるダイナミック・ツガルも死んで覚えて……いつも通り、殺すつもりで戦ってお引き取り願った。

 ヒーロー絶対殺すマン……それは、アトラクシアの戦闘員たちの都市伝説。

 スト2のリュウが時々赤い波動拳を出すよ、程度のどうでもいい噂話だ。

 連児の奇行にしか見えない、誰も知らない努力は……今だ実ったことはなかった。

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