第3話 初めてのパンツは鼻血とともに

「危な――!」


 手を離した場所が悪かった。赤月さんの身体が屋上の外へ放り出されたのだ。まずい、これじゃ落ちる――!


 せめて脚を掴めれば! そう思い、俺は高さ一メートルくらいのフェンスから身を乗り出し、限界まで右腕を伸ばした。


「ぐっ……!」


 左足首を掴むことに成功し、続けてもう片方の手も加勢する。

 両手で赤月さんの足首を掴んだが、見かけ倒しの不良にはいかんせん、筋肉というものがほとんどない。細い腕をブルブルと震わせながら必死に引き上げようとしても、数センチですら動かせる気配がない。


「うぎゃああああああ死にたくないいいいいっ。じにたくないいいいいいいいいっ」


 学校の人気者とは思えない汚い叫び声が俺の耳を突き刺す。 


「ふ、ふん。いい気味じゃ。妾を怒らせるからこういうことになるのじゃ」


 そう言い残し、銀髪少女は俺の視界から消えた。


「……フェ、フェンス、掴めそう?」


「む、無理! 届かない」


 空中で暴れている赤月さんの手をフェンスに掴ませたいが、思った以上に俺の身体も外へ乗り出していて、自力でどうにかしてもらうことなど到底無理そうだった。


 下はクッション性のカケラもないコンクリート。ここから見える校庭には、不運にも体育の授業を行っている生徒たちの姿は見えなかった。つまり今赤月さんの命を救えるのは自分だけということ。ここで手を離してしまえば確実にこの娘は死ぬ。


 筋トレしとけばよかったと強く後悔。不良にはごついガタイが必須だろ!

 自分のひ弱さを後悔したその時、大きな風が吹いた。


「――あっ」

 赤月さんの身体が横に大きく揺れる。そして俺の左腕の体力が尽きた。

 残った右手からずるずると、赤月さんの足首が離れていく。このままいくと靴が脱げてしまい、一緒に彼女も落ちる。俺の右腕もせいぜいあと一〇秒が限界だろう。


「パンツ見ないでええええっ。鼻血垂れてるし! 変態っ! 死ね!」


「なぜっ? てか、うごッ、動かない、で!」


 ここで更なる追い打ち。赤月さんは、重力通り地に向かって垂れ下がっていたスカートの中身、そしてへそとかその上とか、とにかく色んなものが俺に丸見えだったことに気づいたらしく、顔を真っ赤にさせながら突然暴れだした。てか鼻血はあんたのせいだ!


「もう、だめだ……」


 体力が尽きかけたその時、俺は思わず叫んだ。


「な、なあ! 銀髪の人! 助けてください! お、お願いです!」


 翼の生えた謎の少女。正体もよくわからない未知の存在。だが、この時はとにかくなんでもいいから助けが欲しかった。自分の命を引き換えに助けてくれ――なんてかっこいい台詞は言えないけど、正直それでもいいと思った。


 沈黙が続く。それでも俺は、まだ近くにいるのかわからない銀髪少女に叫び続けた。


「目的はなにか知らないけど、俺でよければお前に付きやってやる! だからこの娘を助けてください!」


 珍しく滑舌よく発声できたものの、その問いかけに返事はなかった。


「無理よ」


「え?」


「わたし、あいつのことちゃんと面倒見てこなかったし、怒らせることもたくさんした。だからきっと、助けてくれない」


「そんなっ」


「ありがとう助けてくれて。しょうもないことに付き合わせて、ごめんね。たぶん死んでも異世界だしそれはそれで……」


 なにを言っているか少しわからなかったが、この時、俺の体力が限界に達した。すでに右手の感覚がなくなっており、赤月さんの足が自分から離れていくのがわかった。


「――っ」


 こういう時の人間は理解できない行動を取るものだ。

 俺は再び感覚のない右手を伸ばし、屋上から外へ飛び出していた。彼女が落ち始めて一秒以上が経っている。彼女までは絶対に届かない。物理的に無理だと理解はしているが、何故か跳んでしまったのだ。


 せめて彼女の下敷きになれば――そんなことを思ったのかもしれない。しかしそれは無駄な行動だ。


 落ちるまであと二秒くらいかな……。そんなことを予想する余裕があるのは、死ぬ直前に起こるといわれるスローモーション現象の一つだろうか。


 一六年の人生。彼女もできずに死んでしまうとは情けない。いっそ勢いで、初めて高校で話した女子赤月さんに告白でもしとけばよかったかな、とか考えてみる。綺麗だし、頭もいいし。あんな彼女がいたら幸せなんだろうな。いや俺にはそんな度胸はない。パンツ見れたしそれでいいか、はは、ははは。


「は!?」


 あまりにも長い滞空時間。感覚にして一〇秒。

 身体がふわふわと浮かぶ感覚。そして、


「飛んどるううううう!?」


 漆黒の翼が目の前にあった。何度か翼が羽ばたくのが見えると、少し視界が上がった気がした。上昇しているのだろうか。


 横には赤月さんが気を失っている姿が見え、俺たち二人は誰かに襟を掴まれていた。無論鳥ではない。人間二人抱えて飛べる鳥などいたらそれはそれですごいが、翼の持ち主は人のかたちをしていた。


「助けて……くれたんですか」


「ふっ……」

 鼻で笑うような少女の笑い声。逆光で表情は見えない。ただ風になびく美しい銀色の髪だけが網膜に焼き付いた。



 ――いいな貴様、気に入ったぞ。貴様は妾の――



 高くも低くもない中性的な心地よい声。


 飛び降りた極度の恐怖に加え体力が限界に達し、その言葉の続きを聞く間もなく、俺の目の前は暗転した。


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