第28話 姫さまの想い
『縁園さんありがとうございました! 続いては質疑応答です。質問のある方は――』
差し迫る姫さまの演説。俺はもう吐きそうだった。目眩がして視界が大きくぐらつく。
知っている人と話すだけでも緊張するというのに、全校生徒の前、それもテレビカメラがある中に立ち、話すのだ。原稿もない。無理に決まっている。
怖い、絶対に無理。
怖い、絶対に嫌だ。
怖い、絶対に失敗する。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
仮に準備してあってもイヤだよ! なのに原稿もなしでなにを話せっていうんだ!
恥を晒すだけだ!
最悪推薦者なしでも。そうだよ、別にこれは俺の選挙じゃない。俺が出なくても姫さまの演説がよければそれでいいじゃないか。今からでも校長に頼めばなんとか――。
欲しいものはただひとつ――――――友じゃ。
目を閉じて集中している姫さまを見た瞬間、俺は自分の愚かな考えを、そんなことを考えた俺自身を殴ってやりたくなった。
「……くそ」
『続いてクリア・ランスセールさん、よろしくお願いします』
「ああ」
いつものように、我が道をゆくように、一歩一歩力強く演壇へ歩いていく。
ゆっくりと深呼吸すると、姫さまは語りだす。
揺れる銀髪。整った顔立ち。立ち振る舞いのすべてが完璧だった。
誰もが見とれていただろう。人の上に立つ姿が、この人以上に似合う生徒はここにいないということを、この瞬間にみんなが理解したかもしれない。
そして、
「妾は、とても大きな国の姫じゃ。このニッポンよりも、広大な国の姫。しかし、出来の悪い女じゃ」
いつもと違う雰囲気。それに驚いたのか、中には身を乗り出して話に耳を傾けている生徒もいる。
「人の名すら覚えぬ最低の姫。子どもの頃から世話をしてくれておる数人の使用人の名すら、未だよくわからん。呼べば誰かしら妾のもとへやってくるからの。別に名を覚える必要を感じなかったのじゃ。それを悪いことだとも一切思わなかった。じゃが、名とは、親がくれた最初の贈り物。大切にするべきもの。それを、忘れておった。妾のクリアという名は、母がつけたそうじゃ。この透き通るような銀色の髪の毛を見て、そう名づけたと言っておった」
姫さまは、それからひと呼吸おくと、二号さんに目配せする。すると二号さんはワイアレスマイクを持って姫さまに近づいていく。一体なにをするつもりなんだ。
マイクを受け取った姫さまは、ステージの階段からゆっくりと降り、椅子に座っている生徒たちに近づいていく。
「妾が貴様……お主らに今できることはこのくらいじゃ」
そう言って姫さまは、俺の予想していなかった行動に出た。
「佐藤巧、伊藤みらい、長谷川圭一、須藤明奈、阿部みき、小野塚洋平――」
生徒たちの名を順番に、一人ずつ呼んでいった。ゆっくりと歩きながら、目を見て。
クラス順に並んでいるにしても、その中での並び順なんてうちのクラスを見る限り適当だ。
「ど、どうして、姫さま。いつの間に、こんな……」
「一号様の見ていないところで、必死に覚えておられましたからね」
「え、覚えた? 全員を?」
俺の横に来ていた二号さんは「おそらく」と言って首肯する。
「生徒の名簿なんて一体なにに使うのだろうと思っていましたが、この時のためでしたか。私の知るところでは、こんなに言葉を覚えられる方ではないんですが」
「そう、ですよね」
「夜早く寝て、私どもがまだ眠っている深夜の時間帯に起きて、数時間紙に書き続け、入浴中も名簿とにらめっこしておりました」
やけにここ数日長風呂だし早寝だし、どうしたんだと思っていたけれど。
この数日間でやり遂げったっていうのか。この学校に入る前に確認した学力は、小学生レベルだったはずだ。それもフルネームで誰かの名前を言った記憶など俺にはない。
俺たちがこうやって話している間も、ずっと姫さまは名前を呼び続けている。
約三〇〇人の名前を、それも顔と一緒に覚えるなんて普通はできることでなない。写真を撮ったのはだいぶ前の生徒だっているんだから。髪型だって変わっているはず。
だけど姫さまは覚えた。特徴を理解するまで、何十回も、何百回も。
『あの、時間……』
司会者が三分を超えたことを伝えようとしたが、大統領がそれを止めた。校長も頷く。
「こんなの、ドラマでだって見たことありませんわ。一体どれだけの努力を……」
「わたしも、覚えている名前(フルネーム)なんてせいぜい五〇人くらいなのに」
赤月さんも感心したようにつぶやいている。
それから一〇分後。姫さまは全校生徒の名前を言い切った。
額には汗。だけど満足そうな表情。
ちょうど姫さまの横には、先日喧嘩したクラスメイト藤田さん、そして帰宅部のエース中田が座っていた。彼女たちも名を呼ばれた時戸惑った様子はあったものの、少し顔が紅潮していた。
「すまんな。妾は生まれてこれまでゴミなど拾ったことがなかったのじゃ。家族以外すべての者は自分より下の存在じゃったからの」
「い、いや別に。わかったならいいけどさ」
「僕も」
姫さまは微笑む。
「そうか、やはり名を馬鹿にしてはいかんな」
姫さまは身を翻して、ステージへ戻っていった。
そして演説を続ける。
「妾には友と言える者が一人もおらずに生きてきた。姉弟はおったが、互いに王座を狙う者ゆえいつも他人行儀。血のつながりなど感じたこともない、そんな関係じゃ。周りに同世代の者などおらぬ環境で育ち、誰からも好かれることなく生きてきた。妾は態度だけが大きく育ったような出来損ない。使用人からも冷たい目で見られておったわ。そう、妾はこの一六年の人生、孤独を十分に味わってきた。態度を改めれば良かったのではないか、そう思う者もおるじゃろう。じゃがそれで妾があやつ等の下に出れば、更に舐められてしまう、そう思ったのじゃ。権力を振りかざし自分を強く見せねば負けてしまいそうで、周りにはより強く当たるようにしていた。確かにそれならこれ以上関係性を壊すこともなくやっていける。しかし、このままでよいのだろうか。いや、それではだめなのじゃ。それでは、自分の求めているものは一生手に入らないと。それで妾はここへやってきた。ここで様々なことを得たかった。それでこの学び舎で、初めて同世代の者と時間を共にすることができた。顔に出ていたかはわからんが、楽しかったぞ。同世代の者と同じ時間を過ごせるということが、当たり前のことではない者もいる。それを皆にも知ってほしい。問うが、皆はここで楽しい時間を過ごせておるじゃろうか。頷く者はそれでよい。頷けない者は、なにかここに不満があるからじゃろうか。それならどうやって楽しむか、共に考えよう。ここを去るまで、生涯忘れないような思い出を一つでも作ろうではないか。妾もそれが今から楽しみで仕方がない。こんな妾じゃが、皆のためになにかしたいと思っておる。協力させてくれ。態度が大きいのはすぐに直せるものではない、許して欲しい。妾の言葉で傷ついたことがある者も、理解を示してほしい。妾は、変わりたいのじゃ。変わって、友を得たい。妾と共にいてくれる、友を」
多くの友達が欲しい。それが姫さまの願い。この世界に来た理由。
普通のことができなかった姫さまの、わがままのようで、ごく普通の願い。
俺は、ずっと姫さまの求めていたこんな環境にいながら、無理して不良を演じ過ごしてきた。
不良だからモテる? きっとそうじゃない。正直わかっていたさ。
強い意思を持った人が、周りを引っ張る力が、人を惹きつけるんだ。姫さまのように。
そういや、一匹狼でメチャモテな奴、俺は知らないわ。
「こほん」
姫さまは咳払いすると、演説の締めに入る。
「そういえばセイトカイチョーになるためには、マニュフェスト……とやらが必要らしいの。それなら簡単に言おう、妾の野望は三つある」
生徒たちの期待が高まっている。姫さまのマニュフェストとは一体。
「ひとつ。学校を建て直す」
ええええええ! と驚きの声が沸き起こる。流石の校長も目を丸くしている。
「これだけ古い建物じゃからの、どうしようもない汚れや匂いが多すぎる。いっそのこと建て替えてしまえ。これは第一優先事項じゃ」
いやいや、流石にこれは生徒会の権限の範疇を超えているだろ。だいたい資金はどうするんだよ。こういうのって数十億レベルの話だろ……って、ちょっ、二号さんがすごい勢いでそろばんをはじいている!? そして校長を見て頷いた! もしかしてどうにかなるの!?
盛り上がりを見せている中、姫さまは続ける。
「ふたつ。制服のデザインを変更する」
こちらは驚きというより、歓声のような声が沸き起こる。
「この古ぼけたデザインは妾は嫌いじゃ。もっとこう……高貴な、妾が似合うような美しい制服にしよう」
昭和か! とツッコミたくなる現在の制服は、確かに変えてほしいと思っていた。これには多くの女子たち、そして女子の可愛い制服姿を見たいと願う男子たちが強く頷いている。
いいぞ、いい反応だ。
ここまでブッ飛んだ演説なんてそうないだろう。テレビ局の人たちの表情も柔らかい。
「みっつ。妾と会話できる権利じゃ」
ええっ、なにそれ。また変なことを……。
「わ、妾も忙しいからな、つまり妾とその、話してみたいなと思う者が多いと困るから、予約制で話せる日を設けるということじゃ!」
素直じゃないな、まったく。自分から話しに行けないのはわかるけどね。
「以上が――ああ、大事なことを言い忘れておった。校舎の件は二の次じゃ、次のことを最優先する」
ごくん、と生徒たちの喉が鳴る音が聞こえた気がした。
「二つ目の制服変更と繋がるのじゃが、女子生徒にはストッキングの着用を命じる。色と種類に関しては妾が個別に選定する」
野郎共の野太い喜びの声が、地響きのようにステージ上に伝わってきた。君たちそんなストッキング好きなの?
「以上が妾のマニュフェストとやらじゃ。言ってはおらんがイベント事も増やせるよいの。皆と過ごす時間を、存分に楽しむとよい。……これで、終わりじゃ」
姫さまは一礼すると、演壇から数歩下がった。
拍手はない。だけど、姫さまの思い……きっとみんなに伝わったはずだ。
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