第22話 妾の欲しいもの、それはーー

 今日最後の授業が終わるまで、姫さまは机から顔を上げることはなかった。


「ひ、姫さま」


「…………」


 あれからずっと同じ体勢で固まっている。起きているのか眠っているのか、判断しようもなかった。


「一号くん」


「あ、赤月さん」


「さっきみたいなフォローは、あれが最後だから。もし君が本当にこの女に付いていくっていうなら、今度は君が守ってあげなさい」


「……」


 本当は、ありがとう、という言葉を発したかったけれど、今の俺にはそんなことを言う資格はない。 

 赤月さんは極度の面倒くさがりだと言っていたのにも関わらず、姫さまのために動いてくれたんだ。自らの危険をおかしてまで。


 だから俺は、感謝が言えない代わりに、力強く頷いてみせた。


「それじゃ」


「……うん」


 そう言って赤月さんは教室を出て行った。

 前みたいに、「また明日」とは言ってくれなかった。それでも俺は落ち込むことはなかった。それがどういう意味なのか、なんとなくわかるから。




 そのまま一時間、俺は教室の時計――秒針だけを見続けた。退屈な授業であってもここまでは見ない。新記録だ。


 教室には俺と姫さまだけ。今では呼吸音すら聞こえなくなり、生きているのかさえ不明だ。


「はぁ……」


 夕日がカーテンの隙間から差し込み、心地よい風が入ってくる。

 青春を感じさせるひと時だけど、俺は今、口の中が乾いて仕方がなかった。


 俺からなにか話しかけるのが、きっと男としてやるべきことなんだろう。でもなにを言えばよいかを一時間考え続け、緊張し続けた結果、水分を失った。

 姫さまが落ち込んでいるのは確かだ。あの言い合いではそんな表情見せていなかったはずだけど、でもなにかが彼女の中で傷ついたんだ。


「一号」


「――っ」


 かすれた声。相変わらず額を机にくっつけて、そのままの姿勢で呟いた。


「今ここに、誰もおらんか」


「あ、はい」


 流石にこの時間に教室に残ってる奴なんかいない。いるのは教室外、それぞれの部活に勤しんでいる生徒たちだけだ。


「何故じゃ」


「え?」


 ここに誰もいないことを言ってるのだろうか。


「何故、うまくゆかん……!」


「……」


「何故、妾はいつも、いつもいつも、こうなのじゃ」


 髪の毛で表情が見えないけれど、きっと歯を食いしばりながら言っているんだと思う。

 俺はなにも言わず、続きを待った。でも、一分経っても、次の言葉はなかった。

 だから。


「……あ、あの。姫さまのこと、話してくれませんか」


 俺から話しかけよう。

 姫さまが現れて、一〇日くらいが経つ。それも何故か一緒に住むことになって、身の回りの世話をさせられている俺だけど、姫さまの過去、そして住んでいるところについて話してくれたことはなかった。


 もしかしたら、聞けば答えてくれたのかもしれない。それでも俺には聞くことができなかった。聞く勇気がなかったのはあるけれど、姫さまも、俺のことを聞いてこなかったからだ。


 自分のことを話すのが嫌いなんじゃないか。そう思ったんだ。


「妾の国……貴様は信じておるのか」


「はい」


「…………そうか」


 姫さまはそう言って、ようやく顔を上げた。

 額は夕日で満たされた教室でもわかるくらい真っ赤になり、少し痛そうだ。

 それでも姫さまは綺麗で、凛としている。


 そして少し和らいだ表情を作り、言った。


「妾の国は……いや、王族は少し変わっておっての。二十歳になるまでに、男女問わずある掟に従わねばならんのじゃ」


「……」


「世界を征服する、というな」


「征服……今、姫さまがしようとしている、ことですか」


「ああ。他の世界、このチキューのような自分たちと違う世界に征き、征服するのじゃ」


「ど、どうしてそんな」


 姫さまは窓の方へ視線を変える。


「王の子らの中で、より難しい世界を征服したものが、次期国王となる」


「お、王様……」


 国王。その立場を得るために、そんなことをしているっていうのか。


「女三人、男一人。四人で争わねばならん。姉はすでに世界を手に入れ始めておる。完全に征服するまで、あとは時間の問題じゃろう。一つ下の弟も、一五になった途端出て行った。順調らしい」


 姫さまは立ち上がり、窓の方へと歩いていく。

 そしてカーテンを開き、目を細める。


「妾は、歴代国王誰もが無理だと言って最初から諦めておった、ここチキューを征服するのじゃ。絶対に」


「どうして……」


 どうしてそんなことをするんだ。国王という地位がそこまで魅力なのか。

 しかし返ってきた言葉は、意外なものだった。


「別に国王など、ならなくてもよい」


「え……?」


「地位など、今でも十分与えてもらっておる。これ以上はいらん」


「じゃあ……」


 何度目の『どうして』だろう。俺は再び姫さまに問う。


「せ、征服征服って、ずっと言ってるじゃ、ないですか」


 すると姫さまは、背中の黒い翼を勢いよく広げ、答えた。


「妾は、落ちこぼれじゃからの」


「……え」


「姉や弟、さらに下の妹に到底及ばん落ちこぼれじゃ。父上や母上、そして妾に仕える者……それだけではない。国民にも呆れられる、どうしようもない存在なのじゃ」


「そんな、こと……ないでしょう」


「貴様は優しいの。しかし本当のことじゃ。勉学もろくにできず、おまけにこんな態度しかとれんただの強がった娘。国王の娘という地位がなければ、とうに行き場をなくしていたじゃろう」


 悲しみで溢れた表情。姫さまから告げられた言葉は、本当のことのようだった。

「自分でも、わかっておるのにな……」


「つ、つまりここを征服して、元の世界のみんなに認めてもらうって、ことですか」


 姫さまは自分の翼を撫でながら答えた。


「確かにそれもあるが、それよりも妾はここで欲しいのもがあるのじゃ」


「え?」


「欲しいものはただひとつ――――――友じゃ」

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