第21話 恐れていた事態
あれから二日が経つ。
相変わらず、我が道をゆく姫さまの下僕をやっている俺。
転校初日、あれだけ人気があった姫さまの机の周りには、今が昼休みだというのに誰もいない。
流石のクラスメイトたちも、転校してきてからの数日の行動に驚いたのか幻滅したのか、それともこの美人を見飽きたのか、姫さまに近づく者は徐々に減っていった。特に教師に対しての傍若無人ぶりは、おとなしめの生徒が多いこの学校ではなかなかに強烈だったんだろう。
「おい、そこの」
「ぼ、僕!?」
確か帰宅部エース(家まで徒歩二分)の中田といったか。姫さまは席から、彼になにか用があるのか指をさした。
「貴様じゃ貴様。そこにゴミが落ちておるぞ。拾え」
「え……」
「見えんのか」
「わ、わかったよ。あと僕、中田って言うんだけど、覚えてもらえてない?」
「知らんな。覚えられんし、そもそも、いちいち一人ひとりの名など覚える気など毛頭ないからの」
「そんな……」
中田は大げさなほど肩を落とし、しぶしぶ姫さまの言われたとおりゴミを拾いに行った。
「ランスセールさん、それはちょっと言い過ぎじゃ。それに自分で見つけたゴミなら自分で捨てればいいじゃん」
見ていた女子、確か藤田さんが彼の助けに入る。俺の知っている限りでは、ギャル気質がある、かなりプライドの高い子だ。
「何故じゃ? 名など呼ばずとも、実際この男は妾に呼ばれたのがわかったではないか。それで十分であろう。それに貴様、妾にゴミを拾えなどと無礼極まりないことをぬかしたな、どういうことじゃ」
「え、なにそれ。無礼? は?」
まずいなこれ。完全に今、姫さまのことを嫌悪感丸出しの表情で見ていた。
「妾は姫じゃ」
「知らないってそんなの。そもそもなんだっけ、コス・トコ王国とかいう国なんて知らないし。誰も聞いたことないってさ」
「貴様……!」
あーはいはい。シリアス勘弁。
「顔がいいのは認めるけどさ、それだけで態度でかいのすっごくムカつく。その机とか椅子とか、ホント何様」
張り詰めた空気。いつ爆発してもおかしくない。
「途中から生徒会長になるとか、どっかのコネでも使ってんの? なんか立場を利用とした感じで最悪なんですけど」
「貴様こそわからんな。いずれこのチキューの征服者になる妾が、何故貴様のような愚民に指図されねばならんのじゃ」
「愚民って、なにそれ」
それは禁断の言葉だった。相手は冗談の通じる赤月さんではない。軽く怒って済ませてくれる赤月さんじゃないんだぞ。
「舐めてんの?」
「キャラ作りとかほんっとイタイよ? 特にお姫様キャラはほんとウザイから」
傍観していた他の女子生徒たちも彼女に加勢する。
睨みつけられれば、睨み返す。
罵られれば、罵り返す。
「あんた、もう帰れば?」
「はっ。貴様こそ。妾ももう、貴様たちと話すことはなにもない。二度と近づくな」
このクラスの異様な空気に姫さまは気づいていない。
この中に、姫さまを擁護しようとする者は誰もいないことを。
俺は――。
俺は俯いたまま、なにもできずにいた。
その時。
パチコ――――ンッ!! と乾いた音が教室内に響いた。
姫さまは目を丸くする。もちろん俺もだ。
内履きを片手に口をへの字に歪ませた少女が、そこに立っていた。
「レッド、貴様ぁ……!」
「この状況がわからない? 馬鹿なのクリア・ランスセール」
「馬鹿、じゃと? 妾のどこが馬鹿だと言う!」
「頭冷やして自分で考えなさいこの大馬鹿!」
「ま、また言いおったなっ。二度も……! 父上にも言われたことないのに!」
パコ―――――ン!!
緊迫した状況をなんとかコミカルな雰囲気に直そうとしてくれたのは、赤月さんだった。
姫さまは涙目になり、二度叩かれた後頭部をさすっている。
「みんなごめんね、この人いい育ちしすぎて常識がわかってないだけなの。キャラじゃなくてほんとこういう人だから」
「緋音、あんただっていつもからかわれてるじゃない」
「それは、この子なりのコミュニケーションだから。そ、それに日本語も流暢だけど覚えたてだから、変な言葉使うって、そう、先生も言ってたのよ。だから失言も勘弁してあげて、お願い!」
そして深々と、頭を下げた。
拳には力が入り、よく見ると少し震えている。
ここで姫さまを擁護すると、自分の立場も危うくなる可能性は大きい。なのに、それすら顧みず、赤月さんは姫さまに代わり謝罪したのだ。
その役目は、本来は俺のものだ。
でも俺は、できなかった。
見掛けだけの不良は、いつも通りポケットに手を入れ、足を大きく開いて、ただ座っていただけだった。
「緋音がそう言うなら、今日は許すけど。でも今度そういう態度とったら、本当に許さないから」
「貴様に許――」
スパァ―――――ン!!
今までで一番強力なのが姫さまの脳天を直撃する。
「ぐ……まあよい。妾は心が広く美しい……ガク」
姫さまは気絶したのか、顔を机に打ち付けて、そのまま動かなくなった。
赤月さんは一瞬俺の方を見て、それから皆を席に着くよう促して、何事もなかったかのように振る舞っていた。
それにしても。
今の出来事は、俺が俺という存在の小ささを実感するものになった。
そもそも俺は大きな人間ではない。気が弱くてコミュ症で、高レベルのネガティブ男だ。
平凡ではない。普通よりも劣る高校生。
姫さまはその正反対の存在だ。
綺麗で、力強く、誇り高い。
だから、たかだかクラスメイトのケンカで、俺なんかが口出しするのは野暮なことなんだ。
結果赤月さんのおかげで収まったじゃないか。
これで、いい。
でも。
午後の授業中姫さまが、気絶した時の体勢のまま鼻をすすっていた音を、俺は聞いてしまったのだ。
一度ではなく、何度も。
隣にいる俺にしか聞こえないほどの小さな嗚咽を、俺は忘れることができなかった。
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