第15話 校長の思惑

 その日の夜、姫さまはお腹をすかせて帰ってきた。

 両手には膨らんだ紙袋。中には服が入っているようだった。


 家から物がなくなっているとか赤月さんが嘆いていたけど、まさかまた拝借してきたんじゃないだろうな。


 まあでも、俺はそんな質問姫さまにできるわけもないし? ちょーっと赤月さんの私服を手にとって見たいなーとか思っているわけでもないし? もしかして下着も紛れてるんじゃないかなーとか思ったりはしていない。


 つまり、グッジョブ姫さま!


 姫さまは夕食を済ますと、俺が姫さまを赤月邸に置いてけぼりにした件の説教を始めた。

 案の定おっさんはラブコメ主人公よろしく脱衣所でラッキースケベに遭遇し、おっさんの野太い悲鳴が町一帯に轟いたという噂だ。そりゃ驚くよ、俺もそうだったもん。


 その瞬間の姫さまの反応は想像するしかないが、どうせなんの恥じらいもなくフルオープンで立ち去っていったんだろう。


「まあこんなところで勘弁してやろう。一号、明日からの予定じゃが」


 三〇分に渡るお説教がようやく終了する。

 安心したのも束の間、俺は次に姫さまの言い放った言葉で、今日は眠れない夜を過ごすことになることを悟った。



「妾も学校へ通うぞ」



     ■□■



 いくら一国の姫だろうと、そんなことがまかり通るわけがない。

 なにしろわけのわからん名前の異世界の姫だ。イ・オンモール王国? 名づけた奴のセンスはどうなっている。顔を見てみたいわ。


 そんなわけで、昨日の晩、そのイ・オンモール王国の姫ことクリア・ランスセールは、自分も学校へ通うと言い出したのだった。

 まあさすがの俺も抵抗したさ。「無理」という語を何回言ったか思い出せないほどにね。


 だけどそれで引き下がる人ではなかった。妾を誰だと思っているの一点張り。

 かわいいからOK! で入れてくれる校長がいる某ハレンチラブコメ漫画のように、現実はうまくいかないのだ。


 結局一時間以上に渡る討論の末(九九%姫さまが喋っていた)今日学校へ一緒に行くことになった。そのことが欝でやはり夜も眠れなかったし、今も呼吸というよりため息で生命を維持しているくらいだ。


 編入試験をするならともかく、住民票もない人だし、なにより姫さまの学力は小学生レベルだということが判明した。最低限の計算と、人と会話できればそれで十分なのだそうだ。


 それでよくもまあ学校に行きたいなんて言えるもんで……。

 でも友達作りにはもってこいの場所ではあるか。

 俺は授業前に校長と姫さまを面会させるべく、少し早めに支度をした。

 アポ取ってないけど大丈夫かな。


「い、行きますよ、姫さま」


「ああ、実に楽しみじゃ」




 登校途中、町の人たちの視線はすべて俺に集まっていた。いや、正確にはその隣にいる人に。

 人形のように完璧な造形をした銀髪美少女に、皆心を奪われている。

 横目で見ると、姫さまはなにか勝ち誇ったような表情をしていた。


「この感じ久しいな。民が妾の姿に見とれておるようじゃ」


「そりゃ、まあ……」


 姫さまは赤月さんから貰ったのかパクったのかわからない、高級感漂うスーツを身に纏い、ビシッと決めている。


 TPOというものを知っていることが驚きだが、それ以上に赤月さんの体型よりも凹凸が大きいせいか、胸のあたりとかがきつそうだったり、身体のラインがはっきりわかって、目のやり場に困る。


 校門付近では、八時前というまだ早い時間だけあって、部活の朝練に来ている生徒くらいにしか姫さまは目撃されなかった。でもやはり目を引くのか、すれ違う生徒は皆立ち止まって振り向いていたようだった。


 校長室前。

 こんな早い時間にいるわけもないと思いつつ、俺は極限まで早まった鼓動を落ち着かせようと、ゆっくりと深呼吸した。


「なにを立ち止まっておる。早う開けるのじゃ」


「う……」


「説明は妾自ら行なう。一号は黙って妾の脚でも揉んでおれ」


 どんなシュールな光景だよそれ。

 姫さまは軽く鼻から息を出すと、ノックすることなく校長室のドアを開けた。


「あら?」


「貴様がコウチョーとやらか」


「ええ、そうです」


 始業式などの全校生徒が集まり合う場くらいでしか見ることのない、この学校の校長先生。

 その姿があった。


 名前は覚えていないが、長い黒髪の、綺麗な女性。口元にあるホクロがなんともセクシー。三〇代にも見える若々しい人だ。


「頼みたいことは一つじゃ。妾を――」


「許可します」


「…………ん……?」


 用件を伝える前に回答される。

 流石の姫さまも怪訝そうな表情になった。


「あ、あらいけない。順序がこんがらがって……。続きをどうぞ」


「……妾をこの学校へ入れて欲しいのじゃが」


「この学校へ? 引越しかなにかで転入するということかしら」


 姫さまは意味がわかっていないのか、眉根を寄せながらとりあえず頷いていた。


「そうですか…………」


 校長は机にあったコーヒーを一口飲み、


「許可します」


 もう必要なことは全部聞いたからいいやくらいの軽ーいテンションで、微笑みながら首を縦に振った。


 いやだからなんでだよ。


「書類を渡します。記入してまた後日持ってきてください。正式な転入はその後になります」


「妾は今日、これから学校へ入る予定なのじゃが?」


「そ、そんな姫さま……無理に決まってます」


「そうですねえ……」


 呟きながら、校長は部屋の角の方に視線を変えた。そして二秒後、なにかに答えるように頷いた。


「んん……まあいいでしょう」


 いいんかーい。

 って、今なにに頷いた?

 気になり校長の視線の先を見たが、特になにもなかった。


「ここに制服の予備があるわ。それを着ていただける? そのスーツも素敵だけれど、生徒たちには少し刺激が強いわね」


「助かる」


 姫さまは当然のように軽く受け流しているが、なにかがおかしい。

 校長の、なにを言われるのかわかっていたかのような素振り。

 俺たちが今日ここに来ることを知っていたかのような準備の良さ。

 そしてなにより。




 校長室に飾られた、銅の全身像。




 机の横に、クラーク博士のように右腕を前に伸ばしている、一分の一サイズのこの人の像が置かれているのだ。

 ここにいる実物の校長は知的に見えるけれど、像の校長は少しニヤけたアホ面だった。

 校長室に入るのはこれが初めてだが、元々こんなもの置いてあったのか? 噂も聞いたことがない。


「……」


 負けが決まっている強豪相手の試合に不戦勝で勝ってしまったかのような複雑な感情が残ったが、まあスムーズに事が運んだことには感謝すべきかもしれない。

 駄々をこねられても、困るのは周りの人間。特に俺なのだから。


「それでは、あなたは理系と文系、どちらのクラスがよいかしら?」


「一号はどうなのじゃ」


「あ、俺は……文系クラスです」


「では同じにしてもらおうか。できるな?」


「ええ。二人が同じクラスになるように手配しましょう」


 まじか。


「それではクリア・ランスセールさん。よい学校生活を」


「ああ、世話になったなコウチョーよ」


 そうして俺の学校生活は、悪い意味で盛り上がっていくことになるのであった。


 って、そういえば姫さまって名乗ってたっけ?

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