第6話 この俺がストッキングを買うわけがない

 朝日がカーテンの隙間から差し込んでいた。寝返りをした時に丁度日光が目に当たる。


「ん……」


 目を擦りながら目覚まし時計を見ると、いつもセットしている時間を大幅に越し、時刻は一〇時になろうとしていた。


「うわ遅刻! なんで鳴らないんだよ」


 スイッチを見たが、そもそも目覚ましをセットしていないようだった。


「なんで……くそ、遅刻だけはしたことなかったのに……!」


 思わずため息が漏れた。不良っぽく授業はサボるように努力していたけれど、遅刻だけはなんとなくしてこなかった。正直言うと、遅刻してなおかつ授業をサボるというのは心が傷んだからだ。


「せ、せめて次の授業から全部出よう」


 今は二限の途中だ。一〇時三〇分から始まる三限から出られるようにしなくては。時間まで三〇分くらい。今から支度してもギリギリ間に合う。


「これじゃあマジの不良になってしまう……うう」


 半べそをかきながら、俺は制服に着がえ――ってあれ。


「俺、着替えてないじゃん。それに髪も」


 洗面所の鏡を見ると、部屋着に着替えていないだけでなく、髪も昨日のまま。セットした状態だった。当然寝癖はついているが。

 てか、頬に青あざができている。それに唇の端は切れて血が固まっていた。


「痛ぇ……。俺、昨日なにやってたんだっけ」


 昨日の出来事を一から振り返る。いつものように登校し、一、二限は授業を受けた。そして三時間目の授業の時、俺は屋上にいて……。


「あ」


 まるで夢のような、実際に夢だったのではないかと思う出来事が起こったのだ。


「いや、てか夢……だよな」


 部屋を見回してみる。この狭い部屋にあの少女――クリア・ランスセールという自称姫はいない。

 それもそうだ。俺があの赤月緋音と話すだけでもリアリティゼロだというのに、さらに黒い翼を生やした銀髪美少女がこの部屋に上がり込んできたなんて、あるはずがない。


 虚しさが胸の奥へ一気に押し寄せてくる。ははは、と、おそらく無表情で俺は笑い、学校へ行く支度を再開した。

 夢ならすぐに忘れるさ。すべてはいつも通りに戻るだけ。

 いや、そもそもなにも始まってないんだけどな。





 アパートを出て五分。例の小さな公園がある通りに差し掛かかった時、一台のパトカーが止まっているのが見えた。

 近所のおばちゃんたちも数人通りに出てきていたが、もちろん俺にはなにが起こったのかを訊ねることができない。俺は地味に湧き出る好奇心を隠しながら、公園の様子をチラ見して通過した。


 警察官二人とスーツを着た男性二人がなにやら話している。雰囲気からしてスーツの方は刑事だろうか。


「あー、君! ちょっと!」


 俺が公園を通り過ぎた瞬間、後方から男性の誰かを呼ぶ声がした。まさか俺を呼ぶはずはない。スルーして構わんだろう。だが、


「そこの高校生!」


「……」


「サイド刈り上げ少年!」


 お、俺でしょうか……。

 スーツの男二人が、気付いたら俺の背後に立っていた。そして警察手帳を見せてくる。やはり刑事か。


「これから学校かい? 呼び止めてすまんな。東警察の者だが、今朝この公園でまた君の学校の生徒が襲われてねぇ、さっきまで聞き込みしてたんだわ。ニュースとか学校で聞いたことあるよね、その変質者がまた出たのさ」


「は、はあ」


 話しかけてきたのは五〇歳前後のおっさん。もう一人は二〇代後半くらいの男だ。それにしてもおっさんのほう、刑事のオーラ半端ねぇんですけど。威圧感で汗が吹き出てくる。


「君は毎日ここを通るのかい?」


「ま、まあ……そうです。はい」


「聞きたいんだけど、昨日の一八時前後、ここ通った?」


「昨日……ああ、ええと。昨日は、ええーと」


 何故にそんなことを聞く。昨日の帰りに関しては正直記憶が曖昧だ。夢と現実がごっちゃになっちゃってるもんで。


「自分の帰った時間、わからない? 昨日のことだよ?」


「ええと、たぶん学校が終わってすぐ帰ったんで……四時過ぎだと、思い、ます、はい」


「そう、不審者見なかった?」


「特に……」


 二人してすげー俺のこと見てるんですけどおおお。なになに、俺なんかした? なんかしたかな? もしかして疑われてんの?


「実はね、昨日の一八時前後、この公園で不審な人物がいたらしいんだわ。暗い中這い蹲りながらなにかしていたって話でね。それでさっき、ここでこんなもの見つけたわけだ」


 そう言ってもう一人の若い刑事が一枚の写真を俺に見せてきた。そこに写っているのは――。


「ケーキ……」


 半額シールの貼られたショートケーキだった。


「こここ、これは……」


「見覚え……ないかな?」


 言葉が出てこない。たぶんコミュ障云々じゃなくてマジで口が動かなかった。

 この写真のケーキは、俺が夢だと思っていた昨日の出来事に出てきたケーキで間違いなかった。つまり昨日あった出来事って――。


「こんなことまで調べて申し訳ないんだがね、実は君がこれを一七時四八分に買ったっていうの、そこのスーパーの防犯カメラで確認済みなんだわ。びっくりしたよ、あとで学校へ行こうと思ってたところにカメラに映ってる張本人が現れて」


「え、え、え……?」


「別に君がこの事件に関わってるっていう意味じゃないさ。ただね、今帰りの時間を間違ったのが少ーし気になっただけで、ね。ついでに言うと、何故今から学校へ行くのかも聞きたいんだがね」


 まずいまずいまずい、完全に疑われてんじゃん。

 いや冷静になれ、ここで下手に嘘ついたりしたらきっと逆効果だ。すけえベテラン臭漂わせてるおっさん刑事に絶対に見抜かれる。ここは正直に、 


「じ、じじ実は昨日、俺学校で頭打ったみたいで……数時間気絶してたんです。だからちょっと記憶が曖昧になってまして。い、今、思い出しましたけど、そのケーキ、確かに買ったの、俺です。気絶してた件は、学校に聞いてもらえればわかる、かと」


 刑事さんはふむ、と相槌をうった。


「それと、暗い中ここにいたのも、たぶん俺……だと思います。ケーキを風に飛ばされて、それで探してたんですけど……結局見つからなくて」


「そのあとはまっすぐ家に? そのあと外出た?」


「す、すぐ家に帰りました。それからは外に出てません。本当、です。これから学校へ行くのは……ただの寝坊、です。目覚ましセットし忘れてしまって……」


 俺の答えにほうほうと意味深に頷く刑事さんは、若い刑事に手を伸ばし、再び一枚の写真を俺に見せた。


「こんなもんもあるんだけど、これも見てもらっていいかい?」


 先ほど見せられたケーキの写真とは違い、解像度のかなり低い写真だった。


「昨日の二一時二八分。ケーキと同じスーパーの監視カメラの映像を写真にしたものなんだけどね。誰がなに買ってるか……わかる?」


 俺は目を細めて写真を覗き込んだ。そこに写っている人物は――。


「お、おおお俺が、すっすすストッ……スト……!」


 自分でも意味不明なことを叫んでいた。野次馬のおばちゃんたちの視線が一気に集まる。


 防犯カメラに映っていたその人物は――なんと俺だった。

 それも、記憶にないものをレジに置いていた。いったいどういうことなんだ。



 この俺がストッキングを買うわけがない。


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