第3話 思い出とは心に残されるものなのだよ

 何時間眠っていたのだろうか。目を覚ました時、すでに夕日がカーテンの隙間から差し込んでいた。


「そ、そうだ、赤月……さんはっ」


 俺は飛び起きて周りを見渡した。消毒液の臭いが病院を連想させたけれど、どうやらここは保健室のようだ。そして今ここには自分以外誰もいなかった。


「俺は……あれから」


 ベッドの上であぐらをかき、右手を頭に当てる。赤月さんと共に自分も一緒に落ちたところまでは覚えている。でもそこからが記憶が曖昧だった。誰かに助けられて、その時声がした気がするけれど、なんて言ってたのかもよくわからない。


「無事、なんだろうな」


 あの時使った両手がすでに筋肉痛になっているが、怪我はまったくない。だからきっと赤月さんも大丈夫なはずだ。そう思いもう一度俺はベッドに横になった。


「とりあえず、先生が来るまでここにいたほうがいいか」


 下手に動いて保険医と入れ違いになるのはめんどくさい。赤月さんの情報も聞きたいし、動かずここで待っていよう。


「そうだ、あの銀髪……」


 少しだけ思い出したことがある。あの翼が生えた銀髪の〝なにか〟のことだ。

 確かに〝なにか〟がいた。それも人型をした〝なにか〟が。しかし人間ではなさそうだった。人には翼などないのだから。


 逆光でよくは見えなかったが、それを見上げた時に僅かに見えた微笑んだ顔はとにかく綺麗だった。


 あれが、赤月さんにとり憑いてるっていう奴なのか?

 そして最近話題のストッキング事件の犯人……。



 てかストッキング事件ってなんだよ。



 脳内でツッコミを入れた直後、保健室の扉がゆっくりと開いた。


「あ、起きてる」


「あか……月さん」


「どこも怪我はなさそうって先生が言ってたんだけど、どう?」


「う、うん。どこも痛くないし、大丈夫、みたい」


 身体を捻ったり腕を回して、怪我のないことをアピールする。


「そそ、れよりも君は……けけ怪我は?」


「わたしも大丈夫。もしかしたら……あいつが助けてくれたのかも」


「……あいつって?」


「わたしにとり憑いてる変な女」


 ああ、やっぱり。と俺は返した。その返答に赤月さんは目を丸くして、勢いよく俺のいるベッドに身を乗り出してきた。


「もしかして、見えたの!?」


「う……うん。て、てか近い……かも」


「ご、ごめんなさい!」


 夕日の効果も加わり、顔が真っ赤に染まった赤月さんは飛び退くと、保健室の中央にある丸テーブルの椅子を、ベッド脇に寄せて座った。


「どうやら今はいないみたいね」


 赤月さんはキョロキョロと教室内を見渡し、軽く安堵の息を漏らす。


「と、とり憑かれてるのにどっか行っちゃうの?」


「まあ、とり憑かれてるっていうのは例えで、別に幽霊みたいに四六時中くっつかれてるわけじゃないの。ただ行動するのにアジト的なものが欲しいから、運悪く大きい家に住んでるのを知られたわたしが場所を貸してるっていうか……」


 そういえば赤月さんの家は大きいとか綺麗だという会話を教室内で聞いたことがあった。こんな田舎で両親はなにをしている人なんだろう。まあ、一度はそんな家に招待されてみたいものだ。


「基本的には別行動なの。用があるときと寝るときだけわたしに近づいてくるだけ。なんかあの女、いろいろと企んでるみたいで」


「た、企んでる? ああ、たしか、世界征服……とか言ってたよね」


「う……そこまで聞かれてたんだ」


「ま、まあずっと、あそこにいたし……」


 独り言つぶやいてる危ない奴とか思ってごめんなさい!

 赤月さんはわざとらしく頬をポリポリと掻きながら、


「んと、まあ……言うの遅れたけど。あの時は助けてくれてありがとう。感謝します」


「え、えええっ。いや、別に俺はそんな。なんか、すみ、ません」


 深々と頭を下げる赤月さんに恐縮した俺は、ベッドの上で正座し、同じく頭を下げた。


「くすっ。なんで君も謝るのよ。不良のくせにおかしな人」


「いや、なんというか……はは」


 お礼を言う赤月さんに「別に謝ることはねえよ。当然のことをしたまでさ」とか言えたらかっこいいんだろうが、無論そんな度胸はない。こちらも同じ立場になるのが精一杯だ。それにしても、この人はまだ俺のことを不良と思ってくれているのか。


「とりあえず先生呼んでくるわね。ちょっと待ってて」


 俺は頷き、赤月さんの後ろ姿を見送った。


「……あ」


 保健室で二人っきりという、ゲロを吐きそうになるほど最高のシチュエーションだったことに今気付き、俺はがっくりと項垂れた。二度とねえよこんなシチュ……。


     ■□■


 身体に不調があれば病院へ行くようにと保険医に言われた俺と赤月さんは、薄暗くなった空の下で校門を抜けた。


「もう五時半ね。君、家どっち?」


「あ、あっちのほう」


「そうなんだ。じゃあ逆ね。それじゃあまた明日」


「う、うん。また明日……って明日!?」


「なに言ってるの? 明日も学校でしょ?」


「おお、おおおお俺、い、いいいい今まで……今までそんな…………なんでもない」


 首を傾げながら、赤月さんは自分と逆方向の道を進んでいった。


「……また、明日、か」


 これが、「また明日」というやつか!


 破壊力パネエ!

 思わずズボンに突っ込んでいた両拳に力が入った。


 高校生活――もとい、中学生活ですらそんなこと言われたことはない。中学唯一の友人のあいつと別れる時なんか「んじゃ」「ん」で終わっていた。

 それも今日別れの挨拶を言ってくれたのは女の子。それもかなり可愛い子だ。明日もあの子は俺に会ってくれるというのか。話しかけてくれるというのか。


 嬉しさのあまり顔がにやけてどうしようもない。制御できないほどたるみきっているこの顔を、部活帰りの女子たちに見られているような気がするが、もはやどうでもよい。


 俺は今日。女の子と話したのだ!


「むふ。むふふふ」


 こんなに嬉しいことはない。夢にまで見た女の子との言葉のキャッチボールを、何回往復させたのだろうか。軽く一〇は超えている! これだけで中学校生活の記録を更新した。


 にやけながら帰り道を進む。平凡なこの道も、普段の景色と違って見える。

 学校から俺の住むアパートまでの距離は、徒歩二〇分程度。信号もあまりないため、歩くスピードで時間が前後する。


 自転車で行くほうが楽で早いけど、俺は自転車は使わない。なぜなら俺の知る不良高校生というものは、皆歩き登校だからだ。

 特に中身の入っていない、使い古したような潰れた革の鞄をセカンドバッグ風に脇に挟んで歩く。それが良いのである。実際俺もそうしている。




 途中で小さなスーパーに立ち寄り、今日の記念に半額シールの貼られたイチゴのショートケーキをひとつ買った。この幸せが続くことを祈っておこう。

 買い物袋をブラブラと上機嫌に前後させ、俺はそのまま家に真っ直ぐに向かう。すでに辺りは真っ暗だ。月明かりと、数十メートルおきにある電灯の光を頼りに進んでいく。


「そういえば、ここの公園だっけ」


 家まであと五分。そんな場所に小さな公園がある。

 ドラ○もんに出てくる空き地みたいな狭い場所。ブランコと砂場があるだけの、誰が使っているのかよくわからない地味な空間。

 ここが昼間スマホで呼んだニュース記事にあった「ストッキング事件」の現場の一つだ。


 あの銀髪の女性。そいつによってすでに数人の犠牲者が生まれている。犠牲といっても、縛られたりストッキングを頭から被せられただけらしいのだが。

 確かにこの辺は家も少ないし、危ないだろうけど……。


 一体なにが目的でそんな迷惑すぎる事件を起こしているというのか。

 まあ、赤月さんにとり憑いているのだ。いずれまたそいつに会う機会もあるかもしれない。関わりたくはないが、少し興味はある。


「帰るか。ケーキが待ってる」


 しばらく公園を眺めていた俺は、大事に持っている半額ケーキの存在に気づき再び歩き出した。

 その時、強い風が吹いた。思わず目を閉じてしまうほどの、突風だった。


「――あ」


 今の風で手が開いてしまったのか、右手に持っていたスーパーの袋が見事に消え去った。


「うそん……!」


 俺の半額ケーキ! 大事な記念日にするために買った半額ショートケーキ! 風呂あがりにホットコーヒーと一緒にいただこうと思っていた俺の記念が!

 電灯の微かな明かりとスマホのライトを頼りに探してみるが、見当たらない。

 思わず長いため息が吐き出される。いい日なのか悪い日なのか、ちっともわからん。


 まあいい。思い出というものは形じゃない。心に残されるものなのだからな。


「……帰ろ」


 いつも以上に猫背になった俺は、しぶしぶ家路についた。


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