第39話:狂気の大願
39、
「……は?」
頬白の言葉に、一瞬意味が分からず不審顔をしたのは満仲だった。彼だけではない。彼の横に立つ晴明たち、また背後にいる満政や梨花、そして検非違使たちも同様であった。
「……意味が分からんな。彼女にその娘を喰わせて、それがお前の大願だと?」
「えぇ。いえ、正確には彼女に完全な鬼神となってもらうことが私の望みの第一段階なのです」
「第一段階ということは、さらに次の段階があると?」
こういった話に敏い満仲が問うと、それを受けて頬白は頷く。
「えぇ、そういうことです。彼女に鬼神として覚醒してもらうことは、あくまで最初の段階に過ぎません」
「つまり、まだお前の『計画』とやらは始まったばかりということか。京の人間を何人も殺しておきながら、それは前座にも満たなかったわけか」
満仲の言葉に、晴明と道満が目を彼に向ける。二人は何か言いたげであったが、満仲の意図に気づいたのか、一時それを口に出すことを保留にした。
一方で頬白は、その言葉に眉を持ち上げる。
「おや。知っておいででしたか」
「あぁ。お前が、樹神殿を犯人に見せかけて人を攫って殺しまくったことは判明済みだ」
「……そうですか。まぁ、この場に置いて最早隠す必要はありませんか」
頬白は、満仲の言葉を聞いて微苦笑を浮かべる。
「確かに、この鬼神殿に疑惑をなすりつけて、幾人か人は殺しましたがね。それは些末なことです」
「! やっぱり、お前が真犯人か!」
疑惑を認める頬白に、晴明が目つきを鋭くしながら言う。その言葉に、頬白は目を点にするが、やがて気づいた様子で苦笑する。ようやく、満仲が
「なるほど。これは、鎌をかけられたようですね。ま、大したことではないのでよいですが」
さらりと、言葉通りどうでもよい事のように言うと、頬白は祭壇に近づく。
その様子を見て、晴明は新たな疑問を思い出した。
「お前、確か俺が検非違使に捕まった時、陳情人の中にいたな。あれは一体どういうことだ?」
「ん? あぁあれは、私も仲間を攫われた人間に混じっていただけですよ。実際には、行商仲間を私自ら殺して、被害者を装っただけですが」
またもさらりと、頬白は言う。その言葉に、検非違使たちの間では息を呑む気配が伝わってくる。まさか被害者と思っていた者たちの中に加害者が混じっていたとは想像していなかったに違いない。
「あの時は晴明殿には迷惑をかけましたね。この鬼神殿に嫌疑を完全に押しつけるために演技をしたわけですが。もっとも、それはそこの武者殿によって挫かれましたが」
苦笑を浮かべながら頬白はいい、視線を満仲に向ける。それを受けて満仲は淡く笑いながら肩を竦める。彼の顔は、どうせそんなことだろうと思った、という様子が伝わってきた。
「だなぁ。あそこで嫌疑が固まっていたら、樹神殿が完全に加害者で、お前は被害者の一人に成り果ててしまっていたわけだ。間一髪といったところだったのだな」
「そうなりますね。まったく、いい時機に邪魔してくれました」
言葉を交わし、二人は乾いた笑い声を響かせる。
そんなやりとりに、晴明は笑えない。事の真相が、もしかしたらあの時点で永遠に分からぬままとなっていたかもしれなかったということだ。文字通り、間一髪であったということであろう。そのことは、検非違使たちを察したのか、彼らも表情を強張らせて黙り込んでいた。
「――で、本題だ。貴様、樹神殿を鬼神として覚醒させて、人を喰わせてどうする気だ?」
ひとしきり笑い合ってから、満仲は笑みを消して腰の太刀の鯉口を切って刃を半ばまで取り出す。それは、返答次第によっては実力行使も厭わないという意思表示であった。
強気な満仲に、頬白は両手を上げて、思いとどまるようにとでもいうような態度を示す。
「おやおや、気を立てないでください。そちらが力づくでくるなら、こちらは人質を殺しますよ?」
「……ならば、代わりにお前の『計画』とやらの次の構想を教えろ」
静かに脅し返す頬白に、満仲は臆することなく訊ねる。ただ食い下がるのでなく、そういうことで出来る限り情報を手に入れようとしていた。
その言葉に、頬白は「いいでしょう」と頷く。そして、ゆっくりと語りだした。
「まず、鬼神となったこの女に人間を喰わせます。そうすることで、この鬼神殿の力を十全にさせます。その後、私はこの鬼神殿を食べます」
………………え?
「……今なんて?」
「ですからまず、鬼神となったこの女に人間を喰わせます。そうすることで、鬼神殿の力を蓄えさせます。その後、私はこの鬼神殿を食べます」
「……は?」
思わず、満仲は呆けた様子で聞き返していた。茫然としたのは彼だけではない。頬白に対する一行の全員が、目を点にして固まっていた。
聞き間違い、もしくは言い間違いではないかと全員が疑う。それだけ、頬白の話した内容は常軌を逸していた。
そんな周囲の反応に、頬白はくすくすと笑いながら言う。
「ですから、私はこの鬼神殿を食します。それこそが、私の計画の最大目標なのです。端的に言いましょう。鬼の肉を食べてそれを血肉とする――それが私の目的なのですよ」
「は⁈」
思わず、
それは、一同がそれぞれ想像していたあらゆる可能性、考えの範疇を逸した答えであった。あらゆる可能性の斜め上をいった目的であり、その内容を予想できたものなど、いないはずだ。
驚愕する彼らに、頬白は満足するように嗤う。
「その反応、やはり想像していなかったようですね」
「いや。仮にお前が今回の連続事件の犯人だと想定できた者がいたとしても、その理由は想定できねぇよ」
満仲が反射的にそう言うと、その答えに頬白は愉快そうに笑みを深める。この場合、何がそんなにおかしいのか意味不明だ。
「何故、鬼の肉を食うんだ?」
そう問うたのは、この場では初めて口を開いた道満であった。周りが愕然とする中で、彼は既にその状態から立ち直ったのか、その双眸に代名詞ともいえる鋭い眼光を浮かべて問う。
問いに、頬白は肩を竦める。
「それは勿論……理由なんて一つですよ」
「鬼を喰うことで、その力でも取り込む、といったところかい?」
続いて問いを放ったのは、保憲だ。まだ要領を得ていない様子でありながら、彼も立ち直った様子である。まだ立ち直っていない晴明に比べて、この二人は適応が早い。
「いいえ。単なる好奇心です」
「こ、好奇心?」
「えぇ。鬼の肉は、果たしてどんな味がするのかといった、ね」
声を
「鬼というのは人からそうなった者や、元々化生としてこの世に生を受けた者までいるといいますが、その肉はどんな味がするのだろうかというのがずっと疑問でしてね。鹿や牛などの獣よりなのか、或いは人間よりなのか。人間の肉はたくさん食べてきましたが、やはり興味がありましてね」
「……おい。今、何と言った?」
少なからず狂気を含んだ語り口調の頬白だったが、話に引き気味であった満仲が急に目の色を変えて口を挟んだ。彼だけではない。保憲や道満、そして晴明なども、今頬白が言った聞き捨てならない台詞を聞き逃さなかった。
「今、人間の肉を、なんとかと言ったな」
「? えぇ。人間の肉をたくさん食べたと、いいましたが?」
不思議そうに、頬白は首を傾げる。
その態度に一瞬こちらもおかしかったかと思いかけそうになるが、しかし一同は惑わされずに顔色を変えた。
「貴様まさか……これまでにも人食いを⁈」
「えぇ、してきましたとも……。あぁ、そういえば、一般の方からすれば、それは恐ろしいことなのでしたね」
そう言って、頬白はまたもくすくすと笑う。
そして、実に爽やかな言葉で語りだす。
「美味しいんですよ、人間の肉は。少し酸っぱくて、しかしどこか甘い。うむ、甘酸っぱいという表現が実によく合いますね。出来れば焼いて食べた方が美味しいですが、生肉というのもそれはそれで――」
「黙れ。もういい。よぉく分かった」
恍惚を含んだ話し声を、満仲が厳しい声で止めた。
一同の後方では、梨花が口元を押さえて震えるのを、満政が背を
そんな常識的反応に対する代弁のように、満仲たちの顔色は険しい。
「貴様は、どうやら世に野放しにしてはならない人間のようだ。ここで殺しておくことに何の躊躇いもねぇ」
そう言って、満仲は鞘から太刀を完全に解き放つ。一方で、晴明や保憲たちも術符を取りだし、構えに入る。
「とっととそこの娘たちを解放しろ。でなければ――」
「何を世迷い事を。彼女たちは人質ですよ? 人質を自ら手放す馬鹿がどこにいますか」
脅し、というより半ば命令めいた言葉を吐いた満仲に、頬白は余裕を崩さず浅く笑う。小馬鹿にしたようでありながら、その言葉は正論であった。
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