第38話:真犯人

38、


 嵐山は、京の西部にある山である。

「らんざん」とも読まれ、春は桜、秋は紅葉の名所として知られており、また和歌の歌枕として読まれることも多い、古今こきん、京の人々にとってはよく親しまれる山であった。

 その山の麓にて、今十数人の人の群れが集結している。時刻はすでに夜、辺り一帯は暗黒に染まっている。しかしその中でも、彼らは松明の火をつけず、じっと息を潜めるようにして佇んでいた。

 その正体は、樹神を探して源邸からやって来た一行、晴明や満仲たち、それに検非違使などを含めた一団である。屋敷から西進してきた彼らは、今は静かに山麓にてある情報を待っていた。


「……晴明。まだ見つからないか?」


 人だかりの中、口を開いたのは保憲だ。一団の真ん中で空を見上げる晴明に、隣に立つ彼は柔らかく問うた。

 現在、嵐山に着いた一行は、樹神たちのいる細かい位置を探っているところである。探るのは人探しに通じた晴明の式神で、現在彼は式神を飛ばして、嵐山の各所から彼女のいる場所を探していた。

 保憲の問いは、ここにいる皆がまだかまだかと待ち望んでいる情報でもある。それを、保憲が代表して問うたのだ。

 それに対し、晴明は内心の焦りを隠しながら、唇に少し力を入れる。


「もう少し待ちましょう。樹神殿の言葉を信じるならば、この山のどこかにいるはずです」

「信じるならば、な」


 晴明の言葉に突っかかるように、小声で鼻を鳴らしたのは道満だ。やや離れた位置に立っていながらもよく響いたその皮肉に、晴明はじろっと横目で彼を睥睨する。

 一瞬で、場には険悪な空気が流れた。


「待て待て。君らはどうしてすぐそうやって衝突するんだ? 仲良くしろとは言わないが、せめて協力しあってくれ」

「今のは道満殿が悪いと思います」


 仲裁に乗り出して言う保憲に、少し離れた位置、源家の武者の一団の中に混じった梨花が言った。

 武者や道士ばかりいる一団の中に、どうして彼女がいるのか、と疑問を覚える者もいよう。ここに彼女がいるのは、ひとえに彼女がここについて来るのを退かなかったからである。

 先に、晴明が必ず樹神を連れて帰ると約束して出て行ったあと、結局彼女を連れて戻ることは適わなかった。それを受けて、今回は絶対に私もついていくと彼女は退かなかったのだ。当然、晴明は反対し、保憲や検非違使、そして道満すら難色を示したのだが、彼女の強情っぷりに呆れた一行の中で、それならと満仲が、満政を護衛にすることで同行を許可したのだ。その際には、他の娘たちもついて来たいといったが、流石にそれは満仲といえど許さず、彼女らは代表として梨花を同道させることにしたのだった。


 渋々彼女がついてくることを認めた晴明たちだったが、彼女は自分が足手まといになりかねないことを解している様子で、今の所おとなしく従っている。

 そんな彼女が指摘する中で、しかし彼女の言葉は眼中にない様子で、晴明と道満は眼光をぶつけて火花を散らしていた。

 が、その視線が不意に上へ向く。その視線の先で、紺碧の夜空から何かが下りてくるのを目視する。その正体は、青い小鳥だ。それがくるくる宙を旋回した後で、ゆっくり降下して来るのを見て、晴明は目つきを変えた。


「見つかったようです。行きましょう!」

「よし。ようやくか。暴れさせてもらうぞ」


 晴明の言葉を聞いて、満仲は掌で拳を打って笑う。その、少し悪人めいた笑みに、保憲が微苦笑する。


「暴れるかどうかは状況を見てからにしてくださいね。決して先走らない様に」

「分かっているさ、そんなこと。満政、満季。ぬかるなよ」

「はい、お任せください」

「承知」


 満仲が横に目をやると、そこにいた彼の弟二人が頷く。護衛、またこの場の戦力として連れてきた二人は、この場では実に頼もしい。


「さぁ、行こうか」


 重ねて満仲が言うと、その言葉に従うように一行は進みだす。

 彼らは夜の山中を怖れることなく、晴明の式神の案内のもとに山道を分け入っていくのだった。


   *


 一行がやがて辿りついたのは、嵐山中腹ちゅうふくの一角だった。

 嵐山の山中は、月光や星々の光で照らされながら、山桜が咲き誇っていた。ちょうどこの時期に開花を迎える嵐山の桜は、夜空の煌めきを受けた夜桜として光を反射し、夜闇の中に照らし出されていた。

 暗闇にぽっかり浮かぶ桃色の花びらたち、というのはなかなか幻想的で、歌人ならば思わず一歌うたいたくなる光景でもあった。もっとも、この場にそのような詩情に富んだ人間はいない。いるのは勇猛、あるいはしたたかな人間たちだ。


 その美しい光景の中を進んでいた一行は、その先にやがてあるものを発見する。

 それは、どうやら何かの祭壇さいだんのようだった。

 桜の木々の間に設けられたそれは、果物くだものなどの様々な供物を置いている。更にその祭壇とその手前には、二つの人影が確認できた。遠くからでは夜闇もあってその詳細は確認できないが、何やらか細い二つの人物のようである。

 それを見て、先頭を進んでいた満仲が振り返らずに口を開く。


「満政。梨花殿を傍から離すなよ」

「はい。梨花殿、決して離れてはなりませんよ」


 満政の呼びかけに、梨花は黙って頷く。その横顔には、どこか不安そうな色がある。怯えている、ともとれるその様子を見るに、ひとまず無鉄砲な突進はしないとも思える。

 それを確認してから、晴明たちは更に進んで祭壇へ近づく。

 その途中、いきなりであった。

 突然、一行の横手にあった桜の木々の間で、炎が生じる。ぎょっと晴明などが振り向くと、そこには篝が設けられおり、そこに独りでに炎が点灯したのだ。

 検非違使たちなどはそれに驚き、軽く胆を冷やすが、晴明たちはそれが一種の呪術によるものだとすぐに見抜き、気を取り直して祭壇へ目を戻す。


 明るくなった視野の向こうで、祭壇の様子が明らかになった。そこでは、まず祭壇に一人の女性が括りつけられており、そしてその祭壇と供えられた供物の前に、手足を縛られて目も口も拘束された別の少女が横たわっていた。

 その正体を、晴明や満仲などはすぐに悟った。


「! 樹神様! 山吹――」


 声を上げて、梨花が飛び出しかけるが、それは満政の素早い反応によって止められる。顔を上げる彼女に、満政は表情を引き締めて首を横に振ると、彼女も自分が軽率な行動に出かけたことを知覚した様子だった。

 その他方、そんな祭壇の様子を見た晴明たちが、満仲を先頭に進みだす。腰の物の鯉口こいぐちを切りながら進む満仲のすぐ後ろで、晴明も袖から術符を取り出そうとする。


「止まれ」

 祭壇方向から聞こえた声に、満仲がピタリと止まる。それを見て、晴明たちも止まり、祭壇へ目を馳せる。

 声は、祭壇の後ろから響いたようだ。その声の主は、やがて祭壇後ろからおもむろに姿を見せる。現れたのは一瞬庶民と間違えそうな直垂姿の青年であった。


「それ以上近付くな。それ以上近付けば、この女たちの命はないぞ」

「お前は――」


 その人物の養子を見て、晴明が目を見開いた。樹神といる時はつけていた覆面を今は外したその人物は、当然素顔を明らかにしており、その人物の容貌を見た晴明は軽い驚きを覚える。

 そんな彼の反応に、満仲が少し不審そうに、顔だけ振り向く。


「知り合いか」

「……えぇ。顔見知り程度ですが。行商を名乗っていた、頬白という男です」


 晴明がそう説明すると、「そうか」と満仲は顎を引く。

 そう、現れた男の正体は、以前に東市で晴明と出会い、薬草などの行商をしていると名乗っていた人物、頬白であった。

 快活な印象が強かったその青年は、晴明に気付くとにっこりと笑う。朗らかだが、どこが異質なものが混じっているような、暗い笑みだ。


「これは安倍晴明殿。何か薬を御入り用ですか?」

「………………」

「あぁ、欲しいな。といっても、薬ではないがな。そこにいる娘を二人、おとなしく渡して欲しいのだが」


 晴明が押し黙る中で、満仲が笑いながら不敵に問う。笑っているが、その目は真剣そのもので、また彼独特の気迫というのが身体から空間を伝播し、祭壇まで伝わっていた。

 その注文に、頬白は肩を揺らす。


「はっは。それは出来ません。彼女たちは、大事なにえですから」

「贄?」


 頬白はそう言って頷くと、横にいる二人の女性を見る。

 そこでは、足下で何やら身悶えるように山吹がうごめき、また祭壇に括りつけられた樹神が顔を上げた。つい一瞬前まで意識でも失っていたのか、彼女は少し茫洋とした表情で周囲に目を馳せた後、晴明たちに気づいて目を見開く。そこに驚きが浮かんだと思った後、今度は苦渋の色が浮かび上がった。

 彼女の反応を尻目に、頬白は晴明たちに向き直って両腕を広げる。


「そうです。これから、私の大願たいがんを彼女たちに叶えてもらうのですから」

「大願? なんだそれは?」


 集団の中から、保憲が満仲と晴明の横まで進み出て問う。その横には、道満の姿もある。一同には、頬白の願いとやらへの怪訝の色が強い。

 それに対して、頬白は視線で樹神を指しながら、言った。


「それは、彼女――鬼神殿に、鬼として人間を喰ってもらうことです」

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