第37話:誇り高きはぐれ陰陽師

37、


「あの女は鬼だ。鬼を野放しにすれば、やがて無辜むこの人間にも害が及ぶ。それを回避するには殺すしかないだろう」


 源邸の郎党たちに取り押さえられたまま、道満はそう主張する。生来の鋭い眼光を激情でさらにきついものにして、彼は晴明や保憲たちを睨み上げた。


「そこの陰陽師くずれは、鬼が一概に悪者ではないとほざいたが、大多数の鬼は存在そのものが悪だ。それを見逃して野放しにすることは、関係ない人間の命を脅かす遠回りの殺人行為に等しい。それを避けることは、陰陽師として当然の責務のはずだ」

「……なるほど。在野の陰陽師とは思えない気高い考え方だな」


 道満の言葉を聞いて、保憲は感心した様子で微笑む。

 在野の陰陽師の多くは、利己的で自分本位にその術を扱う者が少なくない。赤の他人を騙すのに術を使役したり、人に害を与える術を平然と執り行い、気に入らない相手を亡き者にしようとしたり――そんな者の方が一般的ともいえた。

 それに対して、道満の考えは潔白で矜持に富み義侠に厚い。誰でもない他者のために、それへの被害を抑えるために無私で動くといった点は、善良な道士からすれば賞賛に値する考えと行動力といえる。

 そのことを踏まえながら、保憲は首を傾げる。


「では、その論理に従って樹神殿も殺す、と。彼女の人柄を知っていてなお、殺すべき鬼とお考えか?」

「当たり前だ。それに、あの女は普段は化けの皮を被っているという公算だってある」


 にべもなく言い切り、彼は保憲をじっと睨み上げた。


「初め会った時は気づかなかったが、俺の前を去った後に調べたところ、あの女が鬼神だと気付いた。それを見抜けなかったのは俺の失態だ。だからその失態を取り戻すべく、俺は播磨から京まで追って来たのだ。道士をも欺き正体を隠すのは、相当な鬼神でなくば出来まい。それだけの存在を、野放しに出来るわけがない!」


 滔々、しかしどこか熱さを込めながら道満が言うと、その言葉を聞いて保憲が顎へ指を馳せる。


「どうしても、鬼を退治したいようだな。何か、鬼に対する恨みでもあるのか?」

「そんなものない。それ以前の当たり前の考えだろう。鬼は人を害す者。ならば必ず駆除しなければならないものだ。京の陰陽師は、そんなことも分からないほどに頭がおかしいのか?」

「ははっ。確かにね」


 毒を含んだ皮肉に、しかし保憲は微笑みながら頷いた。

 鬼を酷く毛嫌いし、その存在を絶対に仕留めたいという道満には、何か特別な事情でもあるのかと思いきや、そういうことではないらしい。

 おそらくは、道士になる修行を受け始めた頃からこれまで、鬼というのは人を害する危険な害獣であるのだと教え込まれてきたのだろう。それには一片の同情も思い入れも持たず、ただただ対峙すべき標的なのだと骨の髄から認識しているだと思われた。

 鬼が危険な存在、というのは当然の考えであり、教えとしても真っ当なものだ。むしろ、鬼が人にさちを運んでくる存在だという考え自体が異端なのである。


「ま、大きな括りの上では、一概にそうとは言えないんだけれどね。確かに、君の考え方は理に適っている。鬼神にも、邪悪でなく良識のある者だっているのだけれどね、一応は」


 少数ではあるものの、鬼神の中には変わり者として善良な存在だっているのはいる。通常鬼神は人に災厄をもたらす危険な存在であるが、中には高い知能を持つがゆえに、人食いによる人との争いの種を避け、山奥などに隠遁している者だっているのだ。

 だが、それはあくまで少数で、また道満はそんな鬼のことを良いモノだと思わないだろう。所詮鬼は鬼であって、救いようのない化生だという刷り込みが強いからである。

 そんな彼に、保憲は今一度訊ねた。


「連れていって欲しいか?」


 彼が問うと、道満は頷く。


「あぁ、連れていけ。必ずあの女を殺す」

「……分かった。連れていこう」

「や、保憲さん⁈」


 保憲の判断に、驚いて声を張ったのは晴明だ。彼以外にも、保憲の決定に驚く人間は何人かいた。ただ、一番意外だと思ったのは晴明であり、彼は即座に苦情を口にしようとする。

 それに先んじて、保憲は言う。


「晴明も分かっているだろう。この青年はなかなかの陰陽師だ。どうやら一度手合せをしたようだが、実力はお前に伯仲していたと聞く。考えていることはともかく、道士として腕前は認めているのだろう?」

「そ、それはそうですが……でも!」


 諭されるように言われ、晴明は苦い顔をしつつ反発を続けようとする。保憲の言葉は理に適っているが、問題としては彼が樹神を殺す気だという一番の危険な障害が残っていた。

 そのことを言葉にしようとして、保憲は「分かっている」と言って首を振った。


「勿論、ただとでは言わない。条件付きだ」

「条件? どのような?」

「樹神殿を殺さないこと、だ。より正確にいえば、樹神殿を殺そうとするのは、一連の事件の真犯人を捕まえ、真実を明らかにした後だ。それでもなお、彼女に殺されて然るべき罪があった場合は……その後は好きにするがいい」


 そう提案すると、保憲は道満に視線を下ろす。

 突きつけられた条件に、今度は道満が苦い顔をした。

 そんな彼へ、保憲は笑いかける。


「どうだ? この約束は守れるか?」

「もし、断れば?」

「その時は、おとなしく満仲殿の郎党たちに監視されながら監禁されてもらうだけだ。構わないだろう、満仲殿」

「あぁ。腕利きとはいえ、たった一人の道士を逃すほど、うちの郎党たちはやわじゃないからな」


 保憲に確認された満仲は、胸を張って断言する。屋敷の敷地への侵入こそ許したものの、郎党たちは腕が立つ者ばかりであると満仲は自負していた。目の前の標的を、そうそう簡単には逃がしはしないだろう。

 そのやりとりを聞き、道満は長く沈黙を保つ。保憲たちを見上げたまま、彼は口の端を歪めて黙考する。

 やがて、その口を開く。


「……分かった。その条件を呑もう。ただし、事件とやらが解決した場合は、好きにさせてもらう」

「あぁいいよ。その時は、俺を含めて晴明や満仲殿たちが相手となろう」


 道満の牽制混じりの返答に、保憲はにっこりと柔らかい笑みで応じた。

 やんわりとしているが、しかしその笑みの裏には明らかに含みがある。先の言葉を踏まえると、内心は「やれるものならやってみろ」と言うところだろうか。余裕と貫禄すら感じさせる保憲のその顔に、道満は口を噤んだ状態で頬を歪めた。

 このような様子で話がまとまると、保憲は視線を横目で晴明へ向ける。


「――と、いうわけだ、晴明。少しの間かもしれぬが、仲良くしてやってくれ」

「保憲さん、いくら保憲さんの願い出とはいえ、それは保証できません」

「断る。その陰陽師くずれと仲良くする気は毛頭ない」


 晴明と道満は口々に、その提案だけははっきりと断る。そして視線を動かし、両者は眼光をぶつけ合う。険悪なのが一目で分かるほど、そこにはあからさまな敵意が孕まされている。

 その険呑な雰囲気に、梨花たちが緊迫した様子で身を固くする一方、保憲は「やれやれ」と微苦笑を浮かべ、満仲は視線を逸らしながら肩を竦めるのだった。

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