第36話:罪解きと樹神の居場所

36、


「結論から先に言う。樹神殿が、一連の殺人事件の犯人である可能性は低い」


 開口一番、保憲のその言葉に周りの者たちは顔色を変えた。反応としては、晴明や満仲たちが目を鋭くしたのに対し、梨花や検非違使たちは目を丸めたといった様相だ。

 その中から代表して、晴明が口を開く。


「それは、どうしてです?」

「それはな……あぁその前に杏殿の話を聞こう。そこから整理していった方が分かりやすいだろう。杏殿、喋れるか?」


 解説しかけ、保憲は目を彼女へ向ける。その視線を受け、保胤に伴われながら杏が進み出た。頷いた後、少し脅えた様子で進み出てきた彼女は、晴明や梨花たちの顔を見て一呼吸つく。

 それを見届けてから、保憲が訊く。


「そもそも、杏殿はどうして捕まっていたのか、教えて欲しい」

「……詳しくは覚えていません。けど、確か記憶では、山吹と一緒に歩いていたところ、突然意識を失ったんです。その後気がついたら、目隠しされた上で猿轡をはめられていて、縄か何かで両手を縛られていて……そのまま数日間ほど、捕まっていたんです」

「その状態で、よく逃げられたな」


 話を聞いて、満仲が怪訝そうな顔をする。一聞する限り、満仲が言う通り脱出は困難、あるいは不可能のように思えた。

 その意見に、杏は頷く。


「私も、どうやったら逃げ出せるかと半ば諦めかけていました。ですがついさっき、突然移動させられた後で、縛めを全部解かれたんです。そのことに驚いていたら、今度は……包丁を手にした樹神様に『殺されたくなかったら逃げなさい』と言われた後に、追いかけられて……」

「追いかけられた?」


 彼女の供述に、検非違使たちが不審な声をあげる。これは、検非違使たちにとっては初めて聞く話だったから仕方があるまい。


「えぇ。それで我武者羅がむしゃらに逃げていたら、晴明殿たちに助けられたんです」

「夕刻前の京の西はずれでのことです。何故か分からなかったのですが、ひとまず杏殿を助けようとした結果、樹神殿は逃げ、桂川沿いの西はずれで小屋を発見したんです」


 親切に説明する必要はなかったかもしれないが、杏の言葉に晴明が補足する。それは、検非違使たちだけでなく、梨花たちに対しても話を分かりやすく伝えるためであった。

 そこまで話が進んだところで、晴明が保憲に目を戻して、再び問う。


「ですが、それと樹神殿が一連の犯人ではない可能性が高い、ということにどう繋がるのですか? 一見、樹神殿がすべて仕組んだことのように思えるのですが」

「杏殿曰く、声を聞いたらしい。杏殿、それについて続きを」


 先を促すと、杏は再び頷く。


「捕まっていた時、話し声を聞きました。一人は樹神様、もう一人は知らない男の声でした。内容は全部を覚えていませんが、男が樹神様に何か命じているようでした。『とっとと封を解け』とか、『人質の命は惜しくないのか』とか、あとそれから何かを手伝うように指示されているようです」

「聞き知らぬ男の声……」


 繰り返すように言ったのは晴明で、その言葉に皆が一瞬思案げに目を伏せた後、保憲へ視線を上げる。


「その、男というのは?」

「正体は判然としない。だが、その存在を念頭に置くと、分かることがいくつもあった」


 そう言ってから、保憲は懐に手を入れて、そこからある物を取り出す。掌程度のそれに、晴明と満仲の目付きが変わる。


「満仲殿、晴明、これを覚えているか? 貴方がたが見つけて持って来た木札だ」

「あぁ、そうだな。しかしそれが何か……まさか」


 訊ねかけ、満仲が何かに気づく。その勘の鋭さに、保憲は僅かに頬を緩めるが、周囲のほとんどは胡乱がるように眉間に皺を刻む。晴明ですら、初めは意味が分からず不審顔だった。


「五日ほど前に樹神殿を襲撃したと言う道士の使っていた札だ。それを調べて、またあの小屋を調べたら、小屋にいたのと襲撃犯の霊気の残滓が木札に残った霊気の残滓が一致した。要するに、樹神殿の襲撃犯が、樹神殿と一緒にあの小屋にいたということだ」


 その言葉に、晴明は息を呑む。まさかここに来て、あの時の襲撃犯の道士が出てくるとは思っていなかったためだ。

 満仲と保憲が会話を続ける。


「つまり、あの小屋には樹神殿と謎の道士、そして捕えられた杏殿と山吹殿がいたということか?」

「そうなりますね。ちなみに言い加えれば、この木札は播磨製のようだ。犯人は、播磨方向から来た可能性が高い」

「播磨……ということは――」


 保憲の補足を聞いて、晴明ははっと後ろに目を向ける。

 そこには、先ほどまで彼と術符を交わした道満が座っている。彼は現在、源邸の郎党たちに囲まれた状態でその場に留められていた。邸宅への無許可の侵入者ということで、軽く勾留されている状態である。

 そんな彼を見て、晴明は睨みをきかせる。


「もしかしてあいつが――ッ!」

「……いや、彼ではない。どうやら別の人物がいるようだ」

「どうして分かる?」


 晴明の嫌疑を否定する保憲に、満仲が疑問を口にする。

 その言葉に、保憲は顎を引く。


「実は、あの小屋を出る前にこの木札と同じ霊気の持ち主の場所を占った。その結果、こちらとは違う方向、比較的近くにいることが分かった。数日間はあの小屋にいたようだが、今は別の場所に潜んでいるのだろう」

「別の場所とは?」

「あの小屋からみて北から北西にかけての方角だった。嵐山あらしやまか、その延長線上にある山々の中だと思われる」


 何気なく、保憲は言う。彼としては、大した意味のない説明であったことだろう。

 だがその言葉に、晴明と梨花が目を丸め、そして目を合わせた。思わぬ言葉に、彼らは驚きと確信を覚える。

 そんな彼らの反応に気づかず、満仲と保憲の会話は続く。


「なるほどな。だが、この数日間滞在していたという根拠は?」

「生活の跡が小屋には残っていた。それと、僅かながら床下から死臭も漂っていた。調べたらもぬけの殻だったが、あれはもしかしたら……」

「保憲さん。今、樹神殿たちがいるのは嵐山の方角で間違いないのですか?」


 何やら新たな疑惑へ言及しかけていた様子の保憲に、晴明が口を挟む。その問いに全員の視線が向き、保憲は胡乱がる。


「そうだが、それがどうした?」

「実は、彼女の分身が砂に変わる前に言っていたんです。嵐山、と」


 そう言って、晴明は保憲に詳しく説明する。検非違使たちの矢で射られて虫の息となった彼女が、最後にそう告げたのだと言うと、それを聞いた満仲と保憲の顔が引き締まった。


「それは、事実か?」

「えぇ。間違いありません」


 しっかりとした声で頷くと、満仲と保憲は顔を見合わせる。


「となると、彼女は今、嵐山にいるということか?」

「可能性は高いですね。それが、彼女が伝えたかった重要な情報だったのでしょう」


 そう言うと、二人は顎を引き合う。多く言葉を弄さずとも、二人の見解はそれだけで伝わりあい、次の指針も定まっていった。


「分かった。では、そちらへ向かってみることにしよう。ぐずぐずしていたら、彼女に逃げられる可能性もある。この場合、行動を起こすのは早いほうがいい」

「ですね。早速動きましょう」

「……少し、よろしいか?」


 次の行動を決定した二人を見て、検非違使の年輩の男の一人が、控えめながら口を挟んでくる。

 そんな彼に、満仲があまり友好的ではない目を向けた。まるでその先の展開を読んでいるが如く、だ。


「なんだ?」

「その捜索、我々も同行させていただきたい。どうやら件の連続失踪事件には、樹神という女以外に嫌疑人がいるようですが、念のため彼女を捕まえたい。事情を聴いて、その上で真犯人と思しき男とやらを確保したいので」

「駄目だ、と言ったら?」


 険しい顔で満仲が問う。別に威嚇しているわけではないが、その言葉に検非違使の多くは身を震わせる。先ほどの剣幕が、余程効いたと見て取れた。

 そんな中で、それでも検非違使は具申ぐしんする。


「無理にでもついていく。ただ、先ほどの失態がある。今度は彼女を射殺そうとしたりはしませんので……」

「……どうします、満仲殿?」


 保憲が少し躊躇い気味に、判断を満仲に委ねる。この場で検非違使の動向を決定できるのは彼だろうと、保憲だけでなく周りの皆は理解していた。

 その問いかけに、満仲は少し考えてから、答える。


「多くて十人までだ。それ以上で捜索すれば、相手に気づかれて逃げる危険もある」

「分かりました。選別します」


 遠回しに同行を許可すると、検非違使たちは顎を引いて少し距離を置いて話し合いに入る。おそらく人間の選別に入ったのだろう、彼らはその人選を開始した。

 満仲が個人的感情でなく、冷静な理由でそう告げる彼に、検非違使は内心胸を撫で下ろしたことだろう。その横顔には、先ほどまでの怯えはなくなっていた。

 ただ、その決定に胡乱がる者もいた。不満、というほどではないが、先ほど分身とはいえ樹神を躊躇いなく射たことを懸念する者たちである。

 晴明もその一人だ。


「本当に同行を許すのか?」

「あぁ。今度は暴走しないように、うちの郎党たちで手綱をつけておく。制御が叶えば、真犯人を捕まえる戦力として期待できるだろう」


 その言葉に、晴明は口を噤む。満仲が迷いなくそう断言したことで、渋々納得させられた。ここで彼が少しでも逡巡していたら、晴明などは反対していたことだろう。

 と、そんな中である。


「こら、逃げるな!」


 晴明たちの背後で怒声が上がる。

 振り返ると、そこでは道満が、源邸の郎党たちに取り押さえられているところであった。

 それを見て、晴明たちの顔色が変わる。


「おい。どうした?」

「あ、殿! この男が、今勝手に逃げ出そうとしましたゆえ――」

「俺も連れていけ!」


 郎党が仔細を満仲へ説明しようとした中で、それを遮って道満が吼える。

 その言葉に眉根を寄せる満仲へ、道満は猶も言う。


「あの鬼女がいると言う場所へ俺も連れていけ! 今度こそ、逃がしてなるものか!」

「……確か彼は、晴明が以前にあったというはぐれ陰陽師だったな?」


 保憲が確認すると、晴明は顎を引く。

 それと同時に、満仲が顎に指を掛けて思案顔をする。


「ついてきたい、か。どうする?」

「置いていきましょう」


 満仲が、保憲に対してだろう問いを発する中で、晴明がそう口を挟んだ。半ば有無を言わせぬ発言の早さに、満仲たちは振り向く。


「この男は、樹神殿に害を与えようとしているのが明白です。連れていけば、真犯人に見向きもせずに樹神殿を殺そうとするでしょう」

「黙れ、陰陽師くずれが!」


 晴明の言葉に対し、道満が怒りの声を上げる。自分の存在を蔑むような言葉に平静ではいられなかったのだろう、その声には刺々しい敵意が宿っていた。

 そして、二人は眼光をぶつけ合う。共に敵意に満ちた、ただならぬ視線の衝突であった。


「落ち着け、両者とも。一応、理由も聞いておこうではないか」


 それを見た満仲は、仕方なしに仲裁に入る。すぐには了承しないまでも理由は聞くだけ聞く、という妥協案を出すと、視線を保憲へ渡す。その目を受け、保憲は一歩進み出る。


「蘆屋道満殿。一体どうして樹神殿を狙う。何か理由があるなら聞いておこう」

「そんなもの、決まっている」


 鼻は鳴らさないまでも、何を分かりきったことをと言った様子で、道満は口を開いた。

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