第35話:砂の骸

35、


 いきなりすぎた、と言わざるをえない。

 問答は不要とばかり放たれた矢の雨は、非情にも続々と樹神の身を貫いた。彼女はそれの衝撃に抗い切れず、勢いよく押し倒されるように崩れ落ちる。

 その衝撃的な光景に、屋敷にそれまでいた人間は唖然としていた。

 一方で、矢を射た側である検非違使たちは、樹神が斃れたのを見ると駆け寄っていく。新たな矢を番いながら走り寄って来ると、彼らは少し離れた位置で樹神を観察する。


「……まだ息があるな。とどめを刺すぞ」


 検非違使たちの中の年輩の一人がそう言うと、他の検非違使たちは頷いて矢を放つ体勢に入ろうとした。


「何を――」


 そんな彼らに、横合いから迫る影が一つ。


「してやがるんだああああ!」


 叫びながら、影は検非違使の一角を蹴り飛ばした。その行動に、その場の全員がぎょっと振り向くが、当人は気にした様子なく地に足を着けると、その後ずんずんと検非違使たちの間を進む。そして、彼らの代表と思しき年輩の武者に迫り、その胸倉を掴み上げた。


「な、何を――」

「貴様らぁ! 自分たちが何をしているのか分かってんのかぁ⁈ あぁ!」


 動揺する武者に、検非違使を蹴散らして進み出た満仲が吼える。

 怒り心頭といったていで、彼はその武者の足裏を地面から引き剥がすほどの怪力で相手を持ち上げた。


「問答もなくいきなり嫌疑人を射殺すとは何事だぁ! 貴様らは女一人を生け捕ることも出来ぬほどの弱卒じゃくそつか、えぇ⁈」


 額と額がかち合うほどの距離で、満仲は相手を恫喝する。普段は愛嬌のある表情を浮かべる満仲であるが、精悍な髭面をしているだけに、一度怒りだすとその迫力は凄まじいものがある。

 現に、その剣幕に周りの検非違使たちは、代表者と思しき武者を救おうと動くことが出来ず、その迫力に気圧されて震えあがっている。


「それに、俺たちの屋敷でいきなり弓を射かけて殺生に及ぶとはいい度胸だ。貴様らはその家族を、俺の靡下きかたる千人のつわものをもって皆殺しにされたいかぁ!」

「み、満仲殿。怒りを御鎮め――」

「黙れ!」


 近くにいた検非違使の一人が満仲を宥めようと手を伸ばすが、満仲は横目の一瞥だけでそれを退け、武者を締め続ける。そのあまりの怒気に、数十いるはずの検非違使たちが完全に呑まれていた。

 そんな様子を半ば茫然と見ていた晴明だが、やがてはっと我に返り、慌てて地面を蹴る。向かう先は、一つだ。


「樹神殿! しっかりしてください! 樹神殿!」


 彼女のすぐ傍らに膝をつくと、彼は呼びかける。身体に突き刺さる矢は五・六本、深々と突き刺さったそれを見て、晴明は焦燥を覚えずにはいられなかった。

 横たわる樹神の息は浅い。浅くはあるが、ある。検非違使たちが言っていたことだが、まだ息はあった。諦めるにはまだ早い。


「す、すぐに治療を――」

「樹神様!」


 応急処置に入ろうとする中、晴明の後ろから梨花が駆け寄ってきた。慌てているゆえか、思わず足をもつれさせそうになりながら、彼女は晴明の横に滑り込む。


「しっかりして、樹神様! ねぇ、ねぇ!」

「梨花殿、揺らすな! 傷が広がる」


 思わず手を伸ばした梨花を、晴明は注意する。涙目になりながら、彼女は晴明が反射的にその手を払うほどの動揺ぶりで、樹神の安否を慮った。

 そんな彼女の思いもくみ取り、晴明は懸命に樹神の延命措置には入る。

 まずは止血用の札を――としたところで、彼はあることに気づいた。矢は、樹神の身体に深く突き刺さっている。だが、その傷からは血が流れて、滲んですらいなかったのだ。

 そのことに気づいた晴明は、取り乱す梨花の横で樹神の顔へ目を向ける。すると、彼女はじっと晴明を見ながら何やら口を開いた。その口腔からは、やはり血の気配がない。


「梨花殿、落ち着いて! 樹神殿、なんですか?」


 晴明は梨花の身体を横から押さえつつ、何やら言葉を発そうとする樹神の顔へ耳を近づける。

 すると、樹神は言う。


「……あらし、やま」

「え?」

「………………」


 ぼそりと彼女がそう告げた後、彼女の身体に変化が起こる。ぐしゃり、とその表面が歪んだかと思うと、そのまま一気に肉体そのものが崩れ出したのだ。ボロボロと砕けたその肉体は、陶器のように割れたかと思うと、そのまま灰色の砂になる。

 突然の身体の変化に、晴明も取り乱していた梨花も唖然とした。

 二人が言葉を失う中で、樹神の肉体は質量と同量の砂となってその場に残るのだった。


   *


 ばたり、と樹神はその場に倒れ込む。額から滝のように汗を流し、呼吸を荒く乱しながら、彼女は自分の身を苦しめる圧迫感をこらえる。その体勢は、あまり良いものと言えない。背の後ろで両手を拘束された状態であり、汗を拭うこともままならぬ厳しい体勢である。

 そんな体勢のまま、彼女は呼吸を自力で整えつつ首を振った。そうすることで浮かび上がった汗を振り落とし、内心うまくいったという感触を得ていた。


「――貴様、何をした?」


 胡乱げ声は、正面からかかった。樹神が顔を上げると、彼女の目の前に覆面を被った人物が一人、じっとこちらを見ていた。

 その様相を見て、樹神は顔色を涼しげなものに整える。


「……何のことですか?」

「ごまかすな。今しがた、何やら術を使ったであろう。いや……使ったというより解いたというべきか……」


 相手は目を細め、樹神を見下ろす。その声には、少なからず怒りの色が滲んでいた。


「俺を欺いて何をした? 助けでも求めたか?」

「………………」

「沈黙、か。つまりはそれに近いことをしたということだな?」


 淡々とした相手の声に、樹神は不審そうな目をした。この相手のことだ、自分がそう言う行為を行なったことに対し、てっきり烈火のごとく怒ると思っていたからだ。

 しかし今の所、相手は怒ってはいるものの、それは静かなもので激しいほどのものではない。


「まぁよい。何やら大がかりの術を使っていたようだが、おかげでお前の術への抵抗力も下がっている。おかげで――」


 相手は樹神に歩み寄ると、手を伸ばす。そして彼女の髪を乱暴に掴み上げ、樹神の面を強引にあげさせる。

 その目が、笑みでにぃっと歪んだ。


「今のお前なら、術の解除も容易に取りかかれそうだ。これでお前を縛るくびきを解いてやれるぞ」

「っ! まさかそれを見越して――」


 私が術を使っているのを放置したのか――そう樹神が察知する中、相手は嗤う。


「そうだ。さて、ではそろそろ仕上げだ」


 樹神の顔色の変化に満足した様子で、相手は嬉々として立ち上がる。


「あの小娘を生贄に、俺は俺の本懐を果たす。お前には立派なかてになってもらうぞ。ふふ……はははははは!」


 高笑いをあげる相手に、樹神は下唇を噛む。救いを求め、状況を打破するために行なった行為が、実は見越された上で踊らされていただけだった事への悔しさ、焦りがこみ上げる。嵌められた、と思ってももはや済んだことでどうしようもない。


(助けて……)


 彼女は口には出さず、そう心中で呟く。言葉ですらないそれを聞きとることが出来るものは、当然そこにはいなかった。


   *


「そうか……つまり、今検非違使たちが射かけた樹神殿は偽物であったということか」


 確認のために満仲が尋ねると、晴明は頷く。

 樹神の肉体が砂となって崩れた後、満仲は掴み上げていた検非違使を一旦解放し、晴明の元へ何があったのかを訊きに来ていた。彼も樹神の肉体が砂となったことに最初は茫然としたようだったが、すぐに我を取り戻して状況を整理しようとしたのだ。

 ちなみに、彼に脅されていた検非違使たちは、今は満仲の背後で神妙な面持ちで控えている。彼らも何があったのか気になっているのだろう、満仲を刺激しない様にしつつも、二人の会話に耳を立てていた。


「あぁ。遠隔操作の術を使った偽物だったんだろう。どこか遠くから、あの人の意思で動かしていたと見るのが自然だ」

「樹神様は、死んでいないってこと?」


 頬に涙の痕を残したままの梨花が、ぺしゃりと座り込んだまま顔を上げて晴明に尋ねる。彼女のすぐ傍らには、今は桃花や梅の二人も駆けつけていた。


「そういうことだ。どこか別の場所にいて、生きていると見るのが妥当だな」

「――だそうだ。よかったな、早とちりで殺さずに済んで」


 そう揶揄を、満仲が背後に向ける。その言葉と視線に、検非違使たちは肩を震わせる。彼らはまだ脅えているのか、その顔は固い。

 一方で、満仲も許した表情ではない。樹神を射殺そうとした事実は消えておらず、またこの邸内で殺人行為を行なおうとしていたのは事実だからだ。


「で、晴明。樹神殿の具体的な場所は?」

「……それが分かれば苦労しない」

「まぁ、そうだな」


 苦くも憮然とした晴明に、満仲は頷く。試しに聞いてみただけであり、満仲も晴明がそれを見抜いていることを最初から期待していなかった様子である。

 そのやりとりの中で、満仲は門から新たな気配が生まれていることに気づいていた。もっとも気づいたのは彼だけで、周りは彼がそちらへ視線を向けて沈黙することで、ようやくそれに気づくことが出来たようである。

 周囲がそちらに視線を向けると、源邸の門の方向から複数の気配が、屋敷の郎党たちに伴われながらこちらへやってくるところだった。

 その正体に気づき、晴明が声を上げる。


「保憲さん!」

「あぁ、晴明。なんだ、この物騒な空気は。何の騒ぎだ?」


 やや硬い顔で、集団の先頭を歩いていた男が問う。桂川以西の件の小屋から調査を終えて帰って来たのだろう、その後ろには満仲が置いていった季国の姿もある。そして何故か、その後ろには保憲の弟である保胤と梨花の仲間である杏の姿もあった。

 その組み合わせに何か事情があるのだろうが、しかし今はそれを訊きだすことはせず、晴明は口を開く。


「保憲さん。実は――」

「待て。それについては俺から説明しておく。お前は少しでも手がかりを探れ」


 そう言うと、満仲は検非違使たちの中を突っ切って保憲へ近づく。そして、彼らの前で今しがたの出来事を一から説明し始めた。

 その間、晴明は満仲に言われた通りに樹神だった砂の塊を鑑識し始め、少しでも現在の樹神に繋がる手がかりを考察する。その最中に、保憲は時折ときおり頷きながら満仲の説明に耳を傾けていた。


「――というわけです。樹神殿の居場所も安否もまだ分かっていません」

「そうですか……。実は、それに関することなんですが……」


 保憲が何やら口に出そうとした気配を敏く悟り、満仲が「ん?」と眉根を寄せる中、保憲が晴明たちに目を向ける。


「晴明、お前も聞いておけ。それから検非違使の皆さんも。晴明が先ほど見つけた、樹神殿がここ数日いたと思われる小屋を調べたら、いろいろと重要なことが分かった」

「なんですか、それは?」


 調べる手を止め、晴明は顔を上げる。

 その言葉の先を促すと、保憲は口を開くのだった。

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