第26話:式神の帰還

26、


 何事も、動くならば早い方がいい――という言葉はどの先人が最初に考えた言葉だろうか。そんなことを考えながら、晴明は源邸の縁側に座る。冬が終わり、うららかな春の陽気が顔を出しつつある中で、彼は源邸の縁側に座り空を見上げていた。

 正午をとうに過ぎた昼の刻限、時刻は夕刻へと向かいつつある。そんな中で、彼は蒼穹から徐々に白み始めた空の様子を眺めていた。


 一見、のんびりと空を見上げているように見えるが、そうではない。実際には、彼はある成果を辛抱強く待っていた。

 ただ惰性に待っているのではなく、彼とて今動ける範囲で行動を起こしている。

 それが何なのか、というところであるが、それを彼が思い返そうとしたところ、ちょうど人がやって来る。縁の横手から、屋敷の角を曲がって三人の少女がこちらに向かってきた。そちらへ顔を向ける晴明に気付かず、三人は歩きながら何やら話しているようだ。


「――でも、本当に大丈夫かな?」


 少女の一人、桃花が何やら心配そうに声を漏らす。眉を顰める彼女の言葉からは、不安な様子が実によく伝わってくる。


「心配したってしょうがないでしょ。私たちには今、信じて待つしか選択肢はないんだし」

「確かに。下手に動くより、満仲殿たちを信じるほかない」


 梨花と、それに続いて梅の言葉が続く。彼女が頷くと、桃花も「うん、そうだね……」と依然不安そうなままだが、肯定的な反応を寄越した。

 そんなやりとりの中、梨花は縁側に座っている晴明に気付く。彼の顔を見て、梨花は笑みを深めた。


「晴明殿だって、秘密裏に調査に協力してくれているんだし……ね?」


 急な形で話を振られた晴明に、桃花や梅は振り向く。そんな視線に、晴明は苦笑する。なんとなくであるが、何の話をしていたかは察しが付いた。


「一応聞くが、樹神殿のことだよな?」

「当然。それ以外に何があるっていうの?」

「いいや、ないな。これは失礼した」


 柔和に答えると、晴明は三人を見上げる。彼のすぐ目前まで来ると、三人は足を止めた。

 そうしてから、梅が訊ねる。


「何か、手掛かりは掴めましたか?」

「……残念ながら、まだ何も。今は、式神の帰りを待っている」

「そう……まぁ、焦っても仕方がないよね」


 晴明からの返答に、梨花は少し消沈した様子を見せたが、すぐにそれを掻き消して明るく振舞った。暗いままでは、晴明を気遣わせると慮ったのだろう。現在の状況、樹神が行方不明の上に人攫いの嫌疑まで懸けられているという予断が許されない状態の中でも、彼女はその暗さを振り払おうとしていた。存外にしっかりした娘だと、晴明は感じ入る。


「あ、でも。少し急いでもらわないと困るかも。急がないと、非違の連中が樹神様の冤罪に根回ししちゃうかもしれないし……」

「それは困る」

「そ、そんなことになったら……」


 梨花の懸念に、梅は冷静に、桃花はわたわたと焦りながら、それぞれ口を開く。

 そんな対照的だが、二人に、思わず晴明は微苦笑をこぼす。


「心配するな。そうならないように、今満仲が動いてくれている。満政殿や満季殿と共に、いろいろと回っていてくれているようだから」


 三人を安心させるように、晴明は言った。

 今現在、満仲は元より彼の二人の弟もそれぞれ樹神の嫌疑をどうにかしようと取り計らっている。具体的には、満政が検非違使長官やその周りの貴族に対して働き掛けをしており、また満季が現場の検非違使たちに協力するという形を取りつつも、その捜査内容を見極めて樹神の嫌疑を確定させようとする者たちに横やりを入れて時間を稼いでいるといった具合であった。

 弟二人組も、内側から検非違使の強引な捜査を崩しに、悪く言えば妨害・撹乱してくれている。

 さらに、働き掛けがそれだけでないことも晴明たちは分かっていた。


「知ってる。でも、その、疑うわけじゃないけれど、本当に強力な助っ人とやらは動いてくれるの?」


 梨花が疑問の声を漏らしたのは、その二人の動きに関してではなく、具体的には満仲に対してのものだろう。

 彼の行動に対する懸念に、晴明は笑みを消し、顔の向きを外す。


「正直……分からないな」

「分からないの?」

「あぁ。保憲さんは忙しい人だから。でも、あの人はお人よしだ。こちらが助けを求めると、仕事を後回しにしてでも動いてくれることもある。そこは少し困ったところだけど、でも助けられる側としては心強い。何せ、都で一・二を争う陰陽師なのだからな」


 不安と、少し誇らしげな感情を込めて、晴明は答えた。

 そう、満仲が求めに動いた強力な助っ人というのは、晴明の兄弟子である賀茂保憲のことだ。

 満仲は、今回の樹神の一件で保憲に協力を依頼しにいった。一見、陰陽師である彼に協力を求めて何の力になるかと思われそうだが、彼女が数日前に謎の道士に襲われた件が、今回の失踪と何の関係もない事とは、晴明も満仲も考えなかった。そのため、例の木札を渡したこともあり、調査に、検非違使のような表ではなく、裏の面から協力してもらえないかと試みたのである。


 保憲は、現場においても公務においても、動いてくれれば大変心強い存在だ。陰陽師の観点から、都の守護に一定の発言力を持っているし、何より彼の実力は、化生相手に限ればひらの検非違使よりも優れている。

 彼を味方に引き入れること自体に、大きな意味があった。


「その話、疑っている訳ではないわ。けど、こちらとしてはまだ見ぬ人を頼みにするのは不安なわけで」

「分かっている。でも、さっきみたいに毒吐きを続けないでくれよ。こちらも、出来る手は尽くしているんだから」

「分かっているわよ。いやね、そんな冗談」


 晴明が困ったように言うと、梨花は苦笑を浮かべる。

 実は先ほど、屋敷に戻ってきた時に梨花の周りで一悶着があった。帰還するや、梨花は調査を行なっている検非違使の悪口を延々と垂れ流し、それを聞いた桃花たちもそれに同調して、悪口の言い合いになったのだ。その内容はたまたま聞いていた周囲が引くほどのもので、あの満仲さえ顔を強張らせたほどだった。

 その事を再度触れられ、梨花は唇を尖らせる。


「もう周りが嫌がるほどの悪態はついたりしないわよ。一度吐き終えてすっきりしたし、今は黙って待つわ」

「黙って待つと言ったが、こうして俺に現状は聞きに来るのだな?」

「それは……まぁしょうがないじゃない。言っても気になるのだから」


 唇を窄ませたまま梨花が言うと、それを聞いて晴明は笑う。


「とはいっても、今はまだ手土産はない。満仲たちは出て行ったままだし、俺の方も――」


 成果を暗に聞いてきた梨花への返答を口にする最中、急に晴明が言葉を切って空を見上げる。ちょうどその時、空から気配が伝わってきた。下りてきたのは、青い小鳥である。あまり人里近い場所では見受けられない羽の色のそれの正体に、晴明は勿論、梨花たちもやがて気づいた。


「綺麗な鳥よね。やっぱり、式神だから?」

「……それもあるな」


 一度飛び放たせた瞬間を見ていた梨花は、小鳥が晴明の式神であることを知っていた。その小鳥が空を飛んでこちらに来ることに、彼女は軽い気持ちで触れたる

 それに対して、晴明は何故か多少うわの空であった。その反応を、梨花は不審がる。


「どうしたの?」

「……見つかった」

「え? 何が……え?」


 聞きながら、梨花はその言葉の意味に、気づく。

 気づいたと同時に、梨花は顔色を変え、晴明は縁から立ち上がった。そんな二人の目前に、式神の小鳥は飛んできて、主たる晴明の腕へと降りる。その後、小鳥はぴょんと跳ねて、晴明の腕の上で向きを変えた。

 それが何を意味しているのか、分かったのは晴明だけだ。


「季国殿! 季国殿!」


 晴明が急に名前を呼ぶとそれからしばらくして、屋敷の角を曲がり、するするっと進み出てくる人影があった。今は不在の満仲に変わり、屋敷を守っている郎党たちの長・卜部季国である。


「いかがいたしましたか安倍殿?」

「樹神殿が見つかったかもしれん! 今すぐ出たいから同道をお願いしたい」

「……かしこまりました。しばし、お待ちを」


 少し興奮と焦り気味の晴明に、季国は整然と応じると、一旦下がっていく。

 それを見送った後、晴明は梨花たちに向く。彼らの会話を聞いた彼女たちは、真剣な面持ちで晴明を見つめていた。


「見つけたの?」

「あぁ、そのようだ。急いで、そちらへ向かう」

「私も……」


 反射的に何やら言いかけ、梨花は口を噤む。

 その反応に、晴明は一瞬怪訝そうな顔をした後で、意味を悟って首を振る。


「勿論、駄目だ。ついてきたところで、おそらく何もできない」


 やや冷たかっただろうか、そんな言葉を晴明はあえて言い放つ。ここではっきり拒絶しなければ、彼女はきっとついてくるだろう。それを理解しているからこその冷徹な言葉であった。

 それが効いたのか、流石に梨花も自重する。


「そう、よね。分かった。今回は待つわ」


 躊躇いがちに、しかし梨花はしっかりと頷く。

 そして言う。


「でも、絶対連れて帰って来てよね! 樹神殿抜きで帰ってきたら、承知しないから!」

「あぁ、善処する」


 彼女の言葉に晴明は頷き、そして横手へ目を向ける。ちょうどそちらからは、一度離れていった季国が戻ってくるところだった。

 彼は会釈をした後で、話に入る。


「これから、儂が同行します。安倍殿、して樹神殿はいずこに?」

「西の方角だ。おそらくは、右京にいるのだろう」

「かしこまりました。では早速参りましょうか」


 季国の言葉に、晴明は頷く。

 そして両者は、早速ここを発つ。


「お気を付けてー」

「が、頑張ってください」


 出ようと歩き出す中で、背後では梅と桃花の声がそれぞれかかる。

 それに対し、晴明は振り返らずに手だけ挙げた。

 こうして晴明は、季国を同行させて源邸を後にするのだった。

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