第17話:休養
17、
「おや。これはこれは、貴方は確か――」
東市の中を歩いていた晴明は、露店から放たれた声に振り向いた。そこにいたのは、昨日も見かけた浅黒い肌に闊達とした風貌の青年であった。
確か、名は
一方で、相手は晴明を見て少し困った様子の淡い笑みを浮かべる。
「えっと、そう言えばお名前はなんでしたっけ? 聞きそびれた気もいたしますが」
「安倍、晴明です。奇遇ですね頬白殿」
相手にそう答えると、「なるほど。そのようなお名前でしたか」と頬白は笑う。
「本日はお買い物ですか?」
「えぇ、まぁ。ちょっと薬を探していまして」
「何のです?」
「
答えを口にしてから、晴明はふと露店の品々に目を落とす。そこには、乾燥した山草や薬草の類が並べられていた。
「そういえば、貴方は薬草の行商でしたね。何か、火傷によく効く薬はありますか?」
訊ねると、頬白は少し気まずそうに顔をしかめる。
「いえ。残念ですが、私は今のところ外傷に効く薬草は持ち合わせていませんねぇ。あ、ですが仲間の行商で、もしかしたら扱っている者がいるかもしれません」
「その方はどちらに?」
晴明が重ねて訊くと、頬白は彼に対してその仲間の行商の道を説明した。
それを聞くと、晴明は礼を告げる。
「分かりました。では、そちらを探してみます」
「えぇ、ご足労をお掛けします。その店の者には、頬白から勧められて来たとお伝えください。何かと便宜をはかってくれるかもしれません」
頬白がそう言うと、晴明は「分かりました」と言って踵を返す。晴明は頬白の案内に従い、その行商仲間の店へと向かうのだった。
*
東市から源邸に戻ると、晴明は早速ある部屋に向かった。そこは普段使われていない、客人を泊める時のみ使うと言う大部屋だ。縁側に簀子を進んでその部屋に直行した彼は、その廊下から部屋を見る。
「樹神殿、よろしいですか?」
「――はい、どうぞ」
許可の声が返ってくるのを聞くと、晴明は室内の様子を隠していた
室内には、晴明に返事をした樹神、それから彼女の一座に属する少女たちがいる。少し前までゆったりとしていたのか、彼女らは晴明の到来を見て居住まいと着衣の乱れを直していた。
それを傍目に、晴明は樹神を見る。
「今しがた東市から戻りました。薬はありませんでしたが、乾燥済みの薬草なら少し手に入りました」
手に持っていた小袋を掲げ、晴明は告げる。それは、頬白の案内を受けてその知り合いの店から調達したものだ。中には乾いた薬草が入っており、曰く火傷の治療に効能があるらしい。
晴明の言葉に、樹神は頭を下げる。
「ありがとうございます。わざわざ、ご足労をお掛けして……」
「いえ、このくらいは。して、これをどうするおつもりか?」
「私たちで、こねり潰します」
少女たちの中で、晴明に一番近い位置にいた少女が、そう言って立ち上がって進み出てきた。確か名を梅というらしい、一座の中で桃花に次いで幼いという娘だ。
「
梅はぺこりと頭を下げ、晴明から小袋を受け取る。晴明がそれを渡すと、梅はそれを持って部屋の奥へと進んでいく。そこでは梨花が、薬を配合するためのものか、杵と鉢といった小道具を用意していた。
早速薬草を砕いて薬を作ろうとしている彼女たちを見た後、晴明は樹神に目を戻す。
「傷は、まだ痛みますか?」
訊ねると、それに対して樹神は控えめに首を振った。
「いえ。もう慣れたのか、それほどまでには。ただ、動かしたり物を掴んだりする際には、少し
薄らとした笑み、微笑と共に樹神は告げる。その顔は、言葉とは裏腹にどこか無理しているのか、若干疲れの色を窺がうことが出来た。
察するに、晴明に心配をかけまいという優しい嘘をついているのだろう。自分が苦しいはずなのに、それでも相手を気配るところは、実に彼女らしい反応であった。
その配慮に気づいてか、晴明はあまり深く言及しない。
「ならば、いいのですが。あまり無理はなさらないように」
ただ、真面目な顔になり、晴明は忠告する。
「呪符による火傷には二種類あります。実際に炎を発するもの、それから霊的な炎を発すものです。前者は薬などで直しながら安静にする必要があり、後者は術士による除霊の必要があります。またどちらにせよ、術士の呪力によって発せられたものであるから、その霊力を取り払う必要がある」
そこまで言ったところで、晴明は顔が少なからず険しくなっていることに気づき、意識的に脱力を心がける。聞こえない程度の息をつくと、じっとこちらを見上げる樹神の視線に応じながら、口を動かす。
「昨晩の内に、その霊力を払う処置は行ないました。また樹神殿の火傷は物理の炎によるもので、薬を使っての治療をすればやがて完治するでしょう。ですが、術符での攻撃で負った傷、この後どのような変化を見せるかは俺でも分かりません。念のため、くれぐれも安静に」
「……はい。分かりました」
釘を刺す晴明に対して、樹神は神妙に頷く。その顔には、何故だろうか、少し嬉しそうな微笑が浮かんでいた。微笑みは、まるで天女の如し美しさを含んでおり、思わず相手はその笑みに意識を吸い取られそうに、見惚れてしまいそうになる。
そんな笑みに気をごまかすように、晴明は咳払いをして意識を落ち着かせていた。
「お優しいのですね、晴明殿は」
「……はい?」
不意の言葉に、晴明は訝しげに眉根を寄せた。
不審げなその顔を見て、樹神は笑みを深める。
「数日前に会ったばかりの私に、ここまで気を遣ってくださるとは。そのお心、感謝します」
「そんな……それは大袈裟ですよ」
困ったように、あるいはごまかすように、晴明は苦笑する。樹神に言われると何か嬉しい言葉であるが、晴明本人はそれよりも先に苦渋が胸に広がるのを感じていた。
「これぐらい、誰であろうと同じことをしますよ。貴方だからとか、俺だから特別というわけではない。むしろ、俺なんて――」
「晴明、いるか?」
いつも通り、自虐的な自己分析を口にし始めたところで、背後から声が聞こえてきた。
振り返る。すると部屋の外の簀子に、部屋の中を覗き込むことなく立っている大男の姿が確認できた。声と雰囲気で、その正体は察するにあまりある。満仲だ。
「はい。いますが、どうなさりました?」
「ちょっと話したいことがある。悪いが、こっちに来てくれるか?」
そう言って、満仲は中の様子を探る。探る、とはいっても、簾を払って中を覗き込むような
配慮もあるその振舞いに、晴明はすぐに応えることにする。
彼は樹神たちに向け、退室の挨拶として頭を下げた。それを見て、樹神も顎を引く。退室を許可、ないし承諾する反応であった。
それを見た後、晴明は部屋を後にする。樹神たちが見送る中で、彼は満仲と共に部屋を離れていくのだった。
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