第16話:覆面の術士
16、
「ただの盗賊、ではないようですね……」
鈴のような可憐な声は、幾ばくかの緊張を孕んで夜闇に響く。
声の主である樹神は、
そこに立っているのは、顔を布で覆って隠した人物だ。服装は男装、しかし男か女か分からぬ細めの体躯であり、その身からは少なからずピリピリとした殺気が伝わってくる。
その不気味な出で立ちと敵意に、樹神はともかく連れの少女たちは委縮していた。樹神がたちはだかるように立っているとはいえ、少女たちは慣れない殺気に危機を感じ、互いに身を寄せ合いながら震えている。
彼女らを守る様に、樹神はいずこからかその手に呪符を取りだし、不審者と対峙した。
一方で相手も、その手に呪符のような文字が記された木札を手にしている。
「一体何が目的ですか? 私たちを
相手の様子を窺がいながら、樹神が言葉を噤む。ただ相手の正体を推し量っているのではない。言葉は、一種の時間稼ぎである。
先ほど、彼女は連れの少女たちの中から、梨花と山吹をこの場から離脱させ、源邸へと急行させた。狙いは勿論救援を呼ぶためだ。そう遠くないその屋敷に助けを求めれば、必ずすぐに満仲かその家来たちが駆けつけてくれると判断していた。
声を掛けるのは、それまでの時間稼ぎ――相手の手を止める目的があった。
だが、返答はない。相手は覆面の下から僅かに見える双眸で、じっとこちらを睨んでいた。
「何かおっしゃったらどうです? それとも、声を聞かれるのさえ警戒して――」
なおも樹神が声を掛けた、その最中である。
相手はいきなり腕を振り上げ、その指に挟んでいた木札を投擲した。ビュッと鋭く奔った木札は、一直線に樹神へと襲い掛かる。
「ッ、オン!」
対して樹神は、慌てることなく前へ術符を放る。
するとすぐさま、彼女の前の空間で、薄らとした膜のような壁が形成される。術士が見れば、それは一種の障壁と見抜いただろう。樹神が発現させたその薄い壁は、迫る木札を受け止める。
直後、炎上。
壁に当たった木札は紅蓮に発光し、火の粉を飛び散らかせた。壁によって阻まれながらも燃え上がったそれに、樹神も相手も目を細める。
樹神が使ったのは、結界の呪符だ。何か物体の接近を防ぎ阻む類の
火を放つ木札を遮られ、その火花が散って地へと失墜する中、攻撃を仕掛けた相手は懐に手を入れる。そしてすぐさま引き抜くと、そこから新しい木札を取り出した。
それを見て、樹神は内心焦る。どうやら相手は、再び攻撃を仕掛ける気だ。退く気はない様子で、めげることなく襲撃を継続させると見える。
そんな相手の前で、樹神を守っていた呪符の結界はすぐ消滅する。呪符による、また
そしてこの呪符による結界が、今の樹神が扱える唯一の術であった。現状、護身用の呪符しか持ち歩いていないため、樹神から相手へ反撃することは出来ない。そのため今の彼女に出来るのは、背後の少女たちを守りながら、透明の障壁で相手の攻撃を耐え忍ぶことだけであった。
そんな樹神の装備を知ってか知らずか、相手は再び自ら攻撃を仕掛ける。無言のまま、そいつは樹神に木札を投げつけた。
「無駄ですよ」
内心の焦燥は顔に出さずに、樹神は再び術符を前に放つ。再び展開した障壁は、木札を盾のように弾いて炎上させる。小型の閃光を放ったそれは、障壁の表面を炎上させ、樹神と不審者の間で視界を遮らせた。
それと同時に、覆面の不審者は斜め前に進み出る。木札を片手で取り出しながら、もう片方の手で、そいつは器用に木札を投げつける。鳥のように宙を滑るそれは、しかし何故か樹神へは奔らず、その横手を通り抜けようとした。
一瞬、樹神は疑念をよぎらせた後で、相手の狙いに気づく。顔色を変えて、彼女は術符を横に投げた。飛ぶ木札の軌道上には、樹神が守っている少女たちがいた。不審者は、樹神ではなく彼女たちを狙ったのだ。それに勘付いた樹神は、間一髪のところで術符を放ち、障壁を展開させて彼女たちを守る。
その際、樹神は手持ちの術符をすべて離していた。
それが狙いだったのだろう――不審者は、間をおかずに樹神へと木札を投げる。飛燕のように迫る木札に、樹神はすぐに気付いて新たな呪符を取り出そうとして、しかしそれが間に合わないと見て横へ躱そうとした。
それも、間に合わなかった。
木札は樹神の右腕の袖を掠め、同時に発火し、彼女の裾を中心に炎上させる。右腕に火が点いた瞬間、樹神は息を呑みつつ灼熱感による悲鳴をこらえた。
「樹神様!」
脅えていた少女たちは、目の色を変えた。自分たちを守ろうとしたために、相手の攻撃を受けてしまった樹神へ、彼女たちは慌てて駆け寄ろうとする。
「動いては駄目!」
自分へ近づきかける彼女らに、樹神は制止をかける。
その刹那、不審者は間髪入れずに木札をまたも少女たちへ投げた。宙を裂く木札に、樹神は左手で握っていた術符を
しかし同時に、再び樹神の手札が奪われる。
その隙を見計らって、不審者は木札を樹神に向かわせる。放たれて迫る木札に、樹神は一瞬のうちに死を覚悟した。
そこへ、一羽の小鳥が突き進んだ。
横合いから飛んできた青羽の小鳥は、樹神へ肉迫した木札に体当たりし、強制的に木札を発火させる。木札は樹神の眼前で弾け、そのまま横に逸れながら火の粉を飛び散らかした。
窮地に飛んできて自らの身を犠牲にしたその小鳥――それが飛んできた方向へ、樹神たちや不審者も目を向ける。
そちらからは、千早装束の少女と、白張姿の男が駆けてきた。梨花と晴明である。
二人のうち、少し先を進んでいた梨花が、樹神の姿を見て目を見開く。
「樹神様!」
「待て梨花!」
右の袖を燃え上がらせている樹神の姿に動転し、駆け寄ろうとする梨花を晴明が止めようとする。しかし、梨花はその制止を聞かず、一直線に樹神へと寄ろうとした。
その行為を、覆面は見逃さずに攻撃する。彼は再び取り出していた木札を、梨花めがけて投擲した。シュッと空気を裂いた木札は、梨花へ吸い込まれるように迫る。
それを阻んだのは、再び現れた小鳥だ。梨花の背後から素早く追いついたそれは、彼女の横手へ軌道を変え、木札に自ら突撃する。結果木札は梨花の
その光景に、もはや小鳥がなんなのかの疑問はおおよそ判明していた。
小鳥の式神を二度奔らせた晴明は、梨花が樹神に駆け寄る中で、彼女たちの前へ駆けあがった。そして、木札はまた取り出そうとする覆面の不審者と対峙する。
「何だ、何者だ貴様!」
懐から術符を取りだし、声を張って晴明は相手の正体を問う。
樹神たちを庇うような位置取りをとった彼に、覆面からは舌打ちのような音が漏れた。
その直後である。覆面は、後ろへ弾け飛ぶように後退すると、距離を置くや、反転して駆け出した。分かりやすく言えば、逃げ出したのだ。
それを見て、晴明は刮目する。
「野郎――いや」
逃げる相手を追いかけようとして、しかし晴明はすぐに思いとどまる。彼は数瞬の間だけ止まってから、後ろに振り返った。そこでは、膝をつく樹神に、梨花を始めとした少女たちが駆け寄っていた。
「樹神様! 樹神様!」
「大丈夫⁈ 大丈夫ですか⁈」
少女たちは顔を青ざめながら、樹神を見る。
それを見て、晴明は駆け寄りながら、懐より別の呪符を取り出す。
「水鬼招来、急々如律令」
念じた後、晴明は札を樹神に放つ。すると札は燃える彼女の袖へ張り付き、そこから水の膜を噴き出させる。薄らとした水の塊は、そのまま燃える袖を包み、煙を上げながら炎を鎮火させた。
その現象に、少女たちはぎょっと振り向くが、晴明はこの場ではそれを無視し、膝をついて樹神と目の高さを合わせる。
「腕以外のお怪我は?」
「――っ、ございません」
「分かりました。誰か、乾いた布か衣を!」
痛みを耐えながら樹神が返事すると、それを聞いた晴明は周りに訊ねる。その指示に、一瞬少女たちは戸惑うが、すぐに梨花が懐から一枚の布を取り出す。
「こ、これでいい?」
「あぁ、充分だ。樹神殿、治療しますのでご安静に」
そう言って、晴明は消化した樹神の袖の下、右腕に布を撒き始める。その行為を、樹神は黙って受け入れる。汗が頬を伝う中、樹神は出来る限りおとなしく晴明の処置を信じた。
「そうだ……あの術士!」
晴明が応急手当を行なっている中で、梨花が思い出したように立ち上がる。そしてそのまま、不審者が逃げていった方向へ走り出そうとした。
「追うな! 追ってもお前らではどうにもできん」
晴明が厳しく言うと、梨花は足を止めて振り返る。その目に、一瞬だけ反抗的な光が宿るが、それに晴明が動じないでいると、すぐに反省した様子で下に目線を向ける。正論だと、自分の行動が軽率だと思い直したのだろう。
「樹神殿。少し痛みますが、辛抱ください」
梨花の様子を尻目に、晴明はそう言ってから口の中だけの小声で呪文を唱える。そして、樹神の腕を覆った布に二本の指を当てる。直後、その指先から霊気が伝わり、樹神が一瞬顔をしかめた。が、すぐにそれをしまうと、唇を結んだまま目を閉じる。
やがて、晴明は当てていた人差し指と中指を離した。
「応急処置は終わりました。が、今しばらくご安静に。完全に火傷が癒えるにはしばし時間が必要です」
「……はい。ありがとうございます」
じくりと痛む腕に巻かれた布を押さえながら、樹神は晴明に礼を述べる。
ちょうどその時、こちらに向かって接近してくる物音が聞こえた。それは特徴的な音、蹄が地面を叩く音である。
全員がそちらへ振り向くと、そこでは馬に乗った人物が、急停止してこちらを見下ろしていた。
「無事か、樹神殿」
馬上の人のまま、そう訊ねたのは満仲だった。おそらくは、梨花や晴明たちとは離れた山吹の報せを聞いたのだろう、少しだけ烏帽子の位置をずらしており、それを彼は手綱を持つ手とは逆手で直す。
その仕草を見て、晴明が立ち上がる。
「襲撃者は退けました。どうやら、北へ逃げたようです」
そう言うと、満仲は顎を引いて後ろを見る。そこでは、満仲と同じく馬上になった人物がいた。
「追うぞ満季! 晴明、樹神殿をひとまずウチの屋敷まで護衛してくれるか?」
満仲が顔を向けぬまま頼んできたのに対し、晴明は嫌な顔はしなかった。
「分かった。相手は覆面をしていた。背丈は俺と同じくらいだ」
「よし、分かった」
晴明が手短に情報を伝えると、それを聞いた満仲は、弟・満季と共に北へ向けて馬を出発させる。走りだした馬は、あっという間に夜の暗がりの向こうへ消えていった。
それを見送った後、晴明は後ろで立ち上がる樹神へ振り向く。
「樹神殿。満仲……殿が言っていた通り、一度源邸へ行きましょう。そっちの方がここから近く、また安全だ」
「……分かりました。
右腕に巻いた布を押さえながら、樹神は頭を下げる。
それに頭を下げ返すと、晴明たちは源邸に向け、歩き始めた。
少女たちに心配されながらも一人で歩く樹神に、進み始めた矢先、晴明が口を開いた。
「樹神殿。一つお聞きしますが、貴女はどこかの神官か術士の娘でいらっしゃいますか?」
不意なその問いに、樹神は不審な顔をする。
「なんですか、その質問は?」
「……いや。治療をしている際に気づいたのですが、どうやら貴女はそのうちに強い霊気をお持ちのようでしたので……」
頬を掻きながら、晴明は言葉を窄める。
それに対し、樹神は目を瞬かせてから、顔を逸らす。
「違います。私は、元はただの貧しい家の娘です」
「左様ですか……」
返ってきた言葉に、晴明は黙る。押し黙ると言うより、考えて黙った。樹神の言葉、それに対して微かな違和感を覚える。正直な告白ではあろうが、彼の勘で何かが引っ掛かった。
が、特にそれを追及することはしない。
やがて一行は無言のまま、六条の源邸へと戻って行った。
*
(しくじった……)
覆面を取りながら、男は思う。
場所は暗い夜道の、家屋などが立ち並びより色が濃くなった暗がりの中だ。
(まさか、護身術を修得していた上に、近くから救援が来るとは……。速攻で追い詰められなかったのが失策だったか)
内心でそう呟きながら、男は悔やむ。彼女が護身用とは言え呪術を使ったこと、また助けに入る援軍があんなにも早くやってきたこと、そのどちらもが男にとっては想定外であった。
(だが……)
夜闇の中で、男は皓歯を剥く。
(あんな上質な獲物は初めてだ。見たこともない、実に
そのような、とても危険な考えを浮かべながら、男は密かに肩を揺らす。ちょうどその時、通りの中を馬が二頭駆け抜けていった。男の存在に気付かなかったか、もしくは男が
(必ず、必ずや……)
そんな中で、男は誓う。
(あれを私のものにしてみせる。他の誰かに、渡してなるものか)
心の裡で、そう呟きながら――
男はより深い闇の中、その奥へ奥へと消えていくのだった。
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