第15話:信用の告白
15、
太陽が西の山の向こう側に沈んだ夜分、源邸で行なわれていた宴会は、自然と終わりに向かっていった。
饗応の食事や酒をたいらげた家人たちは、その後誰に命令されるわけでもなく、食器の片付けを始めていく。
宴会の席には、既に主賓である樹神たちの姿はいない。ある程度の接待を受けた後、彼女たちは満仲などに挨拶をしてから席を立ち、そのまま帰路についたのである。
そのため、上座に残っているのは源氏の三兄弟と、まだ帰路にはついていない晴明のみになっていた。晴明は樹神に晩酌を受けた後、満仲に再度呼ばれていろいろ雑談をしていたのだが、そうしているうちに、今なお、たまたま居座り残ってしまったのである。
そんな中で、晴明は家人たちが片づけを進める様子を見て、妙にそわそわした様子を見せた。やけに落ち着かない彼の姿に、晴明同様に上座に居座っていた源氏の三兄弟は目敏く気づいた。
「晴明殿。片付けについてはお気になさらず。片付けは、我らが宅の家人たちが行ないますゆえ」
そう口を開き、晴明を宥めたのは次男の満政であった。彼は、やや驚いた様子で振り向く晴明に、にっこりと人のよい笑みを向ける。そこからは、分かっていますとばかりの理解の色があった。
晴明が落ち着かないのは、日頃の習慣によるものだ。宮中では雑用人である晴明は、むしろこういう場・宴場では用意や準備、それから後片付けなどの雑用に回ることが多い。そのため、片づけをしている周りを見ると、自然と自分も片づけをしなければという気を起さずにはいられないのである。
普段とは逆の今の立場に、彼は身体が落ち着いてはいられなかった。
その事を見抜かれ、晴明は気恥かしそうに頭を掻く。
「すみません。なんだか、こういう風に接待してもらえる機会は少ないですので……」
「だろうなぁ。大舎人をこんな風に応対するなんて変わり者、そういない」
素直に言う晴明に、満仲が嗤う。言葉といいその笑みといい、揶揄の色が非常に強いが、彼を知る晴明はいちいち怒る気にはなれない。
代わりに、言葉の内容に突っ込む。
「案にそれは、自分たちが変わり者だと言っているのですか?」
「おう、よく気づいたな。その通り、俺らは変わり者さ」
くっくっくっと、満仲はどこか悪人に見える悪い笑みを浮かべた。
その顔のまま、言う。
「だが、変わり者なのはお前さんもだろう。その出自や経歴、その立場も、な」
「……まぁ、否定はしません」
「だろう。そうだ、そういえば
からかい口調の満仲だったが、不意に視線を晴明から外す。その視線の向かう先は、背筋を伸ばして酒を
視線に気づき、満季は顔をこちら側に向けた。
「樹神殿たちに害をなした盗賊でしたら、現在検非違使が潜伏先を探っています」
「場所は見当がついたか?」
「ついたならば、すぐに連絡を寄越すように申し付けました。その際には、郎党十騎を援兵に連れていくというように約しました」
そう言いながら、満季は飲んでいた酒の盃を小型の平台の膳・
それを聞くと、満仲は満足そうに膝を叩いた。
「そうか。では、見つけ次第――」
「見つけ次第、撫で斬りに致しますが、よろしいですか?」
涼しげな目で、満季は物騒な問いを発する。思わずそれに晴明が硬直する中、満仲は顎を引く。
「あぁ、お前に一任する。女子子供から盗みを働き、刃を振るうような軟弱者だ。生かす価値はない」
「承知」
「兄上に満季。また客人の前でそのような物騒な話を……」
兄弟二人の会話に、真ん中の満政が呆れた様子で苦言を挟む。
それから、彼は晴明を見る。
「申し訳ありません、晴明殿。どうもこの二人は、すぐに血気に
「……いや。別に構いませんよ」
満政の謝辞に、晴明はぎこちなくではあるが笑みを浮かべる。正直、武人ではない晴明にとっては気分の良くない話であるが、満政一人だけでも気を遣ってくれるだけでもありがたい。
そんな風に思いながら応対すると、すぐ横から満仲の視線が届いてきた。
「何だ晴明。お前、化生の退治は平気なくせに、人同士の争いは苦手か?」
訊ねてくる彼に、晴明は目を向ける。満仲は酒を
「ま、確かに同じ人間同士が命を奪い合うのは醜いものだがな。まだ鬼や霊を相手にしている方が、面目は立つ。だが、化生も所詮は一個の命であることに変わりはない。それを奪うのだから、決してそれを善行だと断言することは出来ないだろうよ」
言葉こそ雑ながら、口調は真面目な調子で満仲は言う。
その話に、晴明は無反応だった。何も考えていない、言い返せないわけではない。思うところがないわけではないが、あえて口に出さないでいる。
すると、それを見て満仲がニヤリと嗤う。
「何を言う、人に害を為す邪鬼や怨霊の類を討滅するのとでは、天地ほどの差があるではないか――と思っているだろう。確かにそうかもしれない。だが、俺たちが奪おうとしている人の命というのも、大抵は盗賊・罪人だ。人を脅かし、害を与えるという点では、人も化生も似た者よ」
「兄上。その辺になさいませ。客人に無礼でしょう」
肩を揺らし、酒を飲みながら言う満仲だったが、諫言する様子で満仲が口を挟んだ。その目付きは、若干ではあるが鋭い。
その制止に、満仲は笑いながら、しかしそれ以上の言葉を口にしようとせず、酒を啜る。
そんな兄に、満政は溜息をついた後で、晴明を見る。
「すみませぬ、晴明殿。兄を許してください。どうやら兄上は、貴方を相当買っておいでなのです」
「?」
「普通ならば、今のような話は嫌味に聞こえるでしょうが、兄上がこういう話を振るのは珍しいことなのです。今のは、兄が常々胸に抱いている本音であり、普段はそれを私や満季などの身内にのみ明かすだけで、封印している持論なのです」
まるで弁明でもするかのように、満政が言う。それに対し、満仲当人は視線を二人から外し、虚空を
そんな満仲を尻目に満政は言う。
「このような話を語れば、相手は大抵の場合は不快な気持ちに陥るでしょう。ですが、自分を分かってくれる人間であるならば、このような話題をしても大丈夫だと、きっと理解してくれるはずだと踏んで話を振ることもあります。兄上の今の話は、その類なのです」
人に語る持論や本音というのには、ほとんどの人間が聞けば不快に思うかもしれないという意見も多々ある。そういう話をあえて話すことは、なかなか難しい。話すとすれば、それはそういう不快になるかもしれない話を、笑って受け止めてくれると信頼が置ける相手のみだろう。
満政が言いたいのは、つまりそういうことなのだ。満仲は晴明を信用している、だからこそこのようなことを語っているということなのである。
「今のような話を振るのは、兄からの、少なからず回りくどく分かりにくい信用の証と受け取ってくださいませ。決して貴方を不快にさせる意図はないということを、どうかご理解いただきたい」
「………………」
恭しく、顎を引く満政に晴明は押し黙る。黙った上で、満仲を一瞥する。彼は酒を啜りながら、僅かながらに苦笑していた。それは、弟のいらぬ節介に感情をごまかしている表情だと、晴明は感じ取った。
「満政殿。そう気を配らずとも、大丈夫です」
視線を満政に戻し、晴明は薄ら笑う。
「お気持ちは重々伝わりました。そうですね、そういうものとして、受け取っておきます」
「……かたじけない。兄が、世話をかけます」
「おい満政。誰が世話をかけるって?」
謝辞でもしているかのような満政の丁重な物言いに、先ほどからずっと我関せずであった満仲が遂に口を挟んできた。
「面白いから放っておいたが、そこまで俺はへりくだったつもりはないぞ? このままじゃ、晴明がいろいろと俺について誤解してしまうではないか」
「誤解を招くような本音をぶつけたのは誰ですか」
ギロッと、満政は刺々しい視線を満仲に向ける。
「兄上はもう少し相手を見て発言してください。安易に相手を信用して好き勝手喋って、もし相手が嫌な風に兄上や我らのことを見るようになったら、どうするおつもりか?」
「ははっ。説教か?」
沸々とした様子の満政に、何故か満仲は対照的に楽しそうであった。叱責されている立場であろうに、妙におもしろそうだった。
その態度が癪に障ったのか、満政はむっとする。
「兄上。そういう貴方の態度が、いろんなところで誤解を招き――」
「満政。それについては後で聞く。ちょっと待て」
苦言を放ち始める満政だったが、それを満仲が強引に止め、視線を正面に向ける。
その視線に、その場の全員が目を移すと、そこには家人が一人立っていた。何やら迷う様に立ち往生していたその家人は、全員が目を向けて自分を窺がっているのを見ると、少し萎縮しつつも慌てて口を開いた。
「御取込み中、申し訳ありません。あの、少し困ったことがあるのですが……」
「なんだ?
「はい。実は、先ほどまでいらっしゃった客分の女性方に関することなのですが……」
満仲の催促に、家人は頭を下げながら両手を持ちあげる。その手には布に包まれた、何か細長いものが握られている。
「その中の誰かが、髪飾りを落としていったようです。貴重なものだと思うのですが、いかが致しましょうか?」
訊ねる家人の手の内に握られていたのは、
それを確認すると、満仲は満政を一瞥する。その横目に、満政は気づいて振り向く。
「満政。お前、樹神殿たちの居所を知っているか?」
「いえ、
「そうか。となると……」
確認をした後、満仲は晴明に視線を向けた。そして訊ねる。
「晴明。お前さん、確か樹神殿たちの居所に一度足を運んだことがあったはずだな?」
満仲の問いに、晴明は頷いた。それを見て、満仲は微笑んだ。
「ならば、次に何を頼もうとしているか、分かるな?」
「――えぇ。構いませんよ。そのぐらいの依頼なら、報酬も要りません」
「そうか。では、かどわかすついでに行って来てくれ」
「………………」
「冗談だ。そんな目で睨むな」
*
源邸を出た晴明は、樹神たちの後を追って夜の都を進む。
年が明けて春となって一カ月経った時分、しかし夜の風はまだ冷たく、肌寒さを感じずにはいられなかった。
寒さに体を震わせ、口からは白い吐息を洩らしながら、晴明は暗き道を進む。樹神たちの宿泊地はどちらだったか、と記憶を辿りながら、彼は急ぐわけでものんびりするわけでもなく、歩いていた。
そんな中、である。半ばぼうっとしていた晴明の前方から、こちらに駆けてくる影があった。
やがて、
走って来たのは、千早装束の少女二人だ。それに気づくと、晴明はちょっと驚き、同時に納得と不審を半々に浮かべた。
彼女たちがこちらにやってくるのは、おおよそ予想がつく。源邸を出た晴明の道を逆行してくるのは、おそらくその邸宅へ向かおうとしているからだろう。何故か、も予想済みだ。おそらくは、忘れ物をしたのを気づいて取りに戻ってきた――と考えれば合点がつく。
ただ、それならば謎もある。忘れ物を取りにきたのであれば、何であんなにも慌てているのかということだ。彼女らの様子は、一見何か火急の事態であるかのようにもみえた。
そんなことに思考を巡らせる晴明に、向こうからやってくる二つの少女の影も気づく。
闇の中で目が合うと、二人は何故だろうか、安堵を浮かべる。
「晴明殿ですか! よかった、ちょうどいい!」
「梨花! 貴方は晴明殿を案内して! 私は満仲殿の屋敷へ!」
「分かったわ、山吹!」
走りながら早口のやりとりを交わし、梨花と山吹は分かれる。やや先を走る山吹は、晴明の横を通り過ぎて走り抜け、梨花は晴明の目の前で急停止をかける。同時に、その顔に思い出した様子で、焦りのようなものを浮かべた。その顔から、晴明は何か不穏な気配を感じ取る。
「おい、どうした。何があったか説明を」
「襲われているの! 樹神様たちが……早く!」
「! 誰にだ?」
梨花の言葉に、晴明は一瞬で顔つきを変えた。心のどこかで、無意識にその可能性に思い当たっていたのか、晴明は混乱すること少なく、目つきを鋭くする。そして、袖を引っ張ってくる梨花に問い質した。
「分からない! けど急いで――お願い!」
言葉少なに、梨花は晴明に救援を求める。
それを聞き、晴明は一瞬の間を置いて自ら動き出す。駆け出しながら、声を張った。
「盗賊か? だとしたら俺では――」
「違う! たぶん術士!」
「術士?」
「そう! とにかく早く!」
梨花の言葉を不審に思い、しかし問いを続けようとしたところを梨花に急かされ、彼は口を噤む。
ひとまず分かっているのは、のんびりしていたら樹神たちが危ういということだ。夜とだけあって京の人間は既に家屋に引きこもり、助けに応じてくれる他人が周りにはいない。
それを理解して、晴明は梨花と共に樹神のもとへと走り出すのだった。
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