第18話:宿命の邂逅

18、


 満仲に呼び出されて連れられた場所は、源邸の庭に面する一角であった。

 樹神たちのいる客室からはだいぶ離れた縁側の簀子で、満仲と晴明は腰をかける。


「早速だが、昨日の件についていろいろと動いてくれたようだな」

 武芸の訓練場でもある庭を見ながら、満仲が口を開く。その顔には、いつもの愛嬌ある笑みは浮かんでいない。それは控えての、真剣な顔つきであった。


「なんでも、昨晩のうちに賀茂保憲殿に、一件を報告してくれたとか」

「……はい。少し無礼ではありましたが、事が事なので」


 満仲に聞かれ、晴明は頷く。

 樹神が襲撃を受けた後、晴明は樹神たちを源邸まで送り届け、そこにて留守居の満政や源氏の郎党たちに彼女らを預け、その足で事を保憲のいる賀茂邸へと伝えに行っていた。


「それで、保憲殿はなんと?」

「はい……ありのままに伝えたところ、早速今日から調査を始めると確約してくださいました。在野の道士が人に危害を加えると言う事件ならば、陰陽寮が対応すべき案件であるだろうということで」


 縁側に座った晴明は、腿の上で両指を組みつつ応える。やや強張った表情なのは、事が大きくなるかもしれないことから自然と怒る緊張によるためだ。


「それで、そちらは?」

「あぁ。結局犯人は見つけられなかったが、すぐに捕縛へ移れるように、非違ひい(※検非違使の略称)に話をつけておいた。道士とはいえ、民草に殺意を持って危害を加えた人間を捨ておくわけにはいかんからな。非違の別当殿も、これに関しては隠密だが積極的に調査してくれるということだ」


 やや尖った目で、満仲は言う。

 私兵を多く抱える満仲は、どうにも検非違使たちに対して融通というか顔が利くそうだ。主に父のおかげであるとのことであるが、武力を有する軍事貴族の嫡男とだけあって、検非違使たちに与える影響も少なくないとのことだった。


「何せ、何故樹神殿を襲ったのか理由が分からないからな。ただの通り魔の可能性もあり、そうなってくると早く犯人を捕まえて、民衆への被害を抑える義務が生じてくる」

「貴方個人は、どうお考えです?」


 晴明が問うと、満仲は横目で彼に振り向く。


「犯人の狙い、か?」

「えぇ」

「根拠が少ない中、また勘ではあるが、樹神殿を襲ったのは意図的だろう」


 言いながら、満仲は腕を組んだ。


「犯人が、本当に誰でもよく襲撃をしたかったのならば、もっと人気の少ない場所、たとえば右京の閑地かんちや羅城門にでも潜んで、通行人を襲ったはずだ。その方が、事件の発覚も遅くなるからな。だが今回は、夜道とはいえ人が多く通る朱雀大路付近で襲撃があった」


 眉間に皺を刻みながら、満仲は静聴する晴明に話を続ける。


「あえてそこで凶行に及んだのは、樹神殿を目的にしていたか、あるいはより上級の貴族の襲撃を狙っていたかのいずれかだろう。証拠はないが、あの辺りで凶行に及ぶ賊は少ない」

「俺もそう思います。ただ、犯人の目的が分からない。樹神殿曰く、相手は一言も発しなかったということです。覆面で顔を覆い隠していたことと言い、正体を掴ませないように警戒していたことは間違いありませんが」


 厳しく険しい顔をしながら、晴明は満仲に同調した。それを聞き、道中は顎を引く。


「盗賊の類か、それとも他に何らかの目的があったか――お前はどちらと見る?」

「……もし、樹神殿と正体を知って襲ったのであれば――」

「うむ」

「彼女を攫うか、あるいは彼女個人に何らかの恨みがあったか、という線が強いように思えます。ですが、これは個人的な邪推かもしれませんが」


 少し言葉を迷う様に頬を掻いた後、晴明は満仲の視線を受け、続けて言う。


「樹神殿ともあろう方が、他人に恨みを買うようなことをしていたとは思えない。無論、人にはそれぞれ、隠しておきたい過去もあるでしょう。しかし今のところ、彼女が過去に何かをした人間のようには思えません」

「気が合うな。俺も不思議とそう思っていたところだ」


 推測する晴明に、満仲はにっと笑う。やっと彼らしい笑みが浮かぶが、しかし今回に関しては、いつも愛嬌あるものからほど遠い、わざとらしい笑みであった。


「あの若さで、かつての大罪を隠し通せるほどの上手さは身につかないだろう。あの立ち振る舞いは、神聖さすら感じる。あのような方が、人から恨みを買うとは思えん」

「となると、他に何か理由があると?」

「そうだな……。たとえば、野心家の道士が、樹神殿と戦って腕を見せつけたかったのかもしれん。それか樹神殿を痛めつけて持ち帰り、自身の慰め者にしたかった可能性もある。かなり下衆な発想だがな。それ以外にも、こういうのではなかったかという邪推めいた可能性はいくらかあるが……」


 どれも確信をするに至らん、と言い加え、満仲は頭を掻く。


「今の所、犯人の動機を掴むのは不可能に近い。それよりも、大切なことがある」

「犯人の居場所、ないし正体を掴むこと、ですか?」


 再び晴明が訊くと、満仲は頷く。


「そうだ。まずはそこから始めねばなるまい。手がかりは少ないが、全くないわけではない」

「たとえば?」


 首を軽く傾げる晴明に、満仲は懐からある物を取り出した。布に包まれたそれを、満仲は晴明に差し出す。晴明が目を落とすと、包まれていたのは細長い木の欠片だった。


「これは?」

「昨晩樹神殿たちが襲われたところで見つけた。お前の説明では、確か術士は木札を用いて戦ってきたのだったな?」


 満仲が訊ねると、その意図に合点が付いた様子で、晴明は軽く頬を緩める。


「なるほど。その破片、ですか」

「そうだ。俺たちにはさっぱりだが、それだけでもあれば、官人の陰陽師たちならば調査に役立てることもあるだろう?」

「そうですね。犯人の正体を掴む手掛かりにはなるかもしれません」

「一応、お前に預けておく。お前自身、或いは保憲殿たちに持って行って上手く利用してくれ」


 差し出された木片を、晴明は頷きながら受け取る。一見ただの木片であるが、しかしそれが術具となると話は変わってくる。晴明にはまだその腕はないが、保憲ないしその父の忠行ならば、この木の欠片から犯人の正体に関する情報を引き出すことが出来るかもしれなかった。

 そんなことを考えていた中で、ふと横手から気配がした。

 二人が振り向くと、そこでは簀子の上で立つ少女の姿があった。梨花である。


「どうした。何か用か?」


 少し迷う様に様子を窺がっていた彼女へ、満仲が問う。その呼びかけに、梨花は少しだけたじろいでから、二人の許へやってくる。


「満仲殿。それに晴明殿。一つ、お願いがあるのですが」

「なんだ?」


 軽く目を細めながら満仲が訊ねると、梨花は二人に対して言う。


「一度、宿にしている屋敷に戻りたくて。その、付き添ってくれませんか?」


   *


 晴明と梨花は、右京の中を歩いていた。

 梨花の申し出は、これからしばらく源邸で世話になることから、滞在先であった屋敷に置いてきたままだった衣服などや日用品などを取りに戻りたいというものだった。最低限のそれらを取りに行きたい彼女の依頼に、満仲は即座に了承した。


「ごめんなさい。わざわざ護衛までつけてしまって」


 道を進みながら、梨花は謝る。ただ荷物を取りに行くといっても、六人分の衣服などを取りに行くことは一人であると難しい。また、昨日襲撃を受けたばかりであることから、樹神の仲間が一人で戻るのは危険であった。

 そのため、持ち運びの手伝いだけでなく、護衛として晴明と、それから満仲の郎党数名が、梨花と一緒に宿泊場所へと付いて来ている。


「気にするな。むしろ、勝手に一人で戻られて、後々騒ぎになった方が困るだろうからな」


 梨花の気負いを紛らわすように、晴明は微笑みながら言う。


「で、人数は本当にこれだけでいいのか? 持ち帰るものは多いんじゃないか?」

「そんなにはないわ。せいぜい、私たちの部屋着や遊芸で使う小道具程度だから」

「そうか」


 確認に対する返答に、晴明は納得して頷く。

 それからしばらく、二人は会話もせずに進む。話しながら進むのもよかったが、生憎と話題がない。あるとすれば昨日の襲撃についてであろうが、その件はあまり積極的に話すような内容ではなかった。


 やがて、一行は角を曲がって屋敷の面する通りに出る。屋敷まではあと少し、といったところで、そこで晴明は不審な物影に気づいた。

 その影は、ちょうど一同が向かっていた屋敷の前にいる。無人となったままの屋敷の門付近で、そいつはじっとその中を窺がっていた。

 晴明は、その姿に当然ながら不審を抱く。彼だけでなく、それに気づいた満仲の郎党も同じだ。


「晴明殿。お気づきですか?」

「はい。怪しいですね」


 耳打ちに近い声で聞いてくる郎党に、晴明は頷いた後で歩を早める。

 不審なその人物に近づいていくと、向こうもこちらに気づいたようだ。身体を屋敷方向に向けたまま彼は、晴明と目を合わせる。

 それは、怜悧な顔つきをした青年であった。整った顔立ちに鋭い眼がよく映える、晴明と同年代かそれ以下と思しき人物で、彼は己を見据えたまま近づいてくる晴明たちにじっと目を向けてくる。


「――おい。誰だ、お前は?」


 視線を交わす中、満仲の郎党が進み出て訊ねる。相手を警戒しているのか、その郎党は腰のものに片手をかけている。


「何故その屋敷を窺がっていた? 答えろ」

「………………」


 詰問調の郎党に、青年は沈黙を保つ。ただ、その顔には少なからず面倒そうな色を浮かべている。厄介なことになったと、その心中を面に隠すことなく露わにしていた。

 そんな対峙の中、梨花が晴明や郎党たちの間から青年を見る。そして、目を丸めた。


「あ、待って! その人、知らない人じゃない」


 物騒な雰囲気も流れ出した場の中で、梨花が制止の声を放つ。それに、晴明たちが目を向けると、彼女は驚いた様子で青年を見ていた。

 そんな彼女へ、晴明が訝しげに訊ねる。


「知り合いか?」

「うん、そうよ。ちょっと待っていて」


 そう言って、梨花は青年に向けて歩み寄っていく。その足取りに、郎党たちが続こうとするが、それを梨花は手で制する。

 そして、青年の前で軽く頭を下げた。


「お久しぶりです。というより、何故ここにいるんですか?」

「……貴方がたたちに会いにきた。所用があって、な」


 青年は、梨花に対してそう答える。その声は低く重厚な良いもので、女性を思わずときめかすような魅力を孕んでいた。

 その声に晴明が眉根を寄せる中で、梨花は青年との会話を続ける。


「そうなんですか。生憎、今はここにいませんよ」

「そうか。で、そこの方々はなんだ? 如何にも野蛮な感じに映るのだが」


 そう言って、青年は晴明たちを見る。その毒弁に、晴明はややむっとするが、郎党たちは顔色を変えない。そういうわれ様には慣れているかのごとく、彼らは涼しく聞き流す。


「あ、紹介するね。あちらは、今この京に滞在中お世話になっている源家の御家来の方々。それと、陰陽師の安倍晴明殿」


 青年の問いに答えるように、梨花は晴明たちを指す。

 そして今度は、晴明たちに歩み寄りながら、青年を指した。


「あ、晴明殿たちにも紹介しますね。こちらの方は以前の旅の中でお会いしたことのある方で――」


 梨花は、自分たちと彼の関係を要約して伝えてから、青年の正体を次のように告げる。


播磨はりまの陰陽師である、蘆屋道満あしやのどうまん殿です」

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