第13話:宴の席・前編

13、


 日が西に傾ききった夕刻の源邸では、小規模であるものの、華やかな宴会が始まっていた。

 参加者一人一人の前に置かれたぜんの上には、旬の食材である魚や野菜によって調理された食べ物が置かれ、またそれぞれに濁り酒の入った酒瓶とさかずきも用意されている。どれも舌鼓したづつみを打てば美味と感じるものばかりであり、参加者を満足させるには充分な配慮が行き届いていることを感じさせるものであった。


 なお饗応きょうおうには、上下貴賤を問わずに様々な人物が参加していた。すなわち、今回の宴の主催者たる満仲を始め、その弟たちや招待客である樹神や晴明、それだけではなく源氏の郎党ろうとう(家臣)や邸宅の家人までもが、一緒に宴に混じっていた。

 客分だけでなく地位の低い家人までもが参加するというのは、普通ならばありえぬことである。だが、どうやら満仲はこういう酒宴の席は賑やかである方が好ましいと考えているらしく、家人の多くも一緒に食事や酒を摂ることを許しているとのことだ。

 数十人が参加している賑やかな酒宴の場では、様々な人間の訪問や会話が交わされていた。


 そんな談笑で賑やかな場の一角に、晴明の姿もある。彼は、基本的に時々やってくる相手を待ちながら、用意された美味な料理と酒に口を通していた。料理には「すし」と呼ばれるが現代の「寿司」とは異なる調理がなされた魚料理や、旬の野菜などをでた「茹物ゆでもの」などが多く、また酒は濁り酒ながら、甘味と辛味と苦味がい交ぜになった味わい深いものであった。

 貧乏暮らしの晴明からすれば、これはとんでもない御馳走だ。多少日ごとに違いはあれど、こしきと呼ばれる米を蒸すのに使う器で作られた強飯こわいい(こわいい)に、軽く漬物を足したものばかりを普段の晴明は食べている。料理の量も質も桁違いで、あまり食べる機会はない、まさに「御馳走」であった。

 そのため、誰かが訪ねてきたとき以外は、晴明は黙々と食べる。こんな機会はめったにないとばかりに、彼は食欲にそって、その美味を深く味わっていた。


 そんな彼の前を家人たちが行き交っている中、彼に向けてやってくる人影が現れる。二人の少女、樹神の一味である梨花とあんずであった。二人は芸を行なっていた時の装い・千早装束のままであり、直垂ひたたれ姿が多い家人たちの中では目立つということもあって、その接近に晴明もすぐに気付いた。

 顔を上げた晴明に、少女たちは腰を下ろす。


「晴明殿、ちょっといい?」


 膝を折って正面に座りながら、梨花が訊ねる。

 それに、晴明はちょうど食事を口に含んだ状態であったことから、黙って頷き返した。

 彼の反応を見て、梨花が言う。


「なんか杏がね、貴方に謝りたいんだって。話を聞いてくれる?」

「謝る?」


 彼女の言葉に咀嚼そしゃくした食べ物を飲みこんだ晴明は訝しむ。

 そんな彼の前へ、梨花の横を進んで杏が進み出る。


「晴明殿。昼中は失礼いたしました」


 そう言って、杏は晴明に頭を下げた。


「芸を見てもいないのに銭を徴収しようとした上に疑ったりして。梨花たちの恩人とも知らずに、とても無礼な真似を働いちゃ……働いてしまいました」

「あぁあのことか。別に気にしなくていい」


 杏の言葉に、晴明は薄らと苦笑を湛える。


「あの場にいた以上、見ていたと思われても仕方がなかっただろうし。それに、初対面で俺と樹神殿たちの関係を知っているわけなどあるわけないから、な?」


 そう言って、晴明は視線を彼女から梨花に移す。それに梨花は、少し笑みを見せながら頷く。

 晴明は、視線を杏に戻した。


「謝る必要などない。済んだことだし、御気兼ねなく」

「本当?」


 顔を上げ、杏は確認する。窺がう様子の彼女に、晴明は笑みを深めて顎を引く。


「あぁ、本当だ」

「……あぁよかった。もしお許しになられなくて、樹神様に迷惑かけたらどうしようかと思ってた」


 事を許すという晴明に、杏は胸に手を当てて安堵の表情を浮かべた。その言葉から察するに、どうやら彼女は晴明の気持ちや機嫌よりも、樹神の自分に対する態度のことを心配していたようだ。それは当然の考えである。赤の他人の晴明の心中はどうであってもよいだろうが、自分たち一座の頭目であり、世話人でもある樹神の機嫌を損ねることは、不安であろうし心苦しいことでもあるはずだろう。

 自分の機嫌はともかく安堵する彼女に、晴明は少し脱力するように肩を落としてから、失笑気味に梨花を見る。


「用件はそれだけか? 他に何か用事は?」

「そうね……杏が気にしていたからここまで引っ張ってきたのと、もう一つあるわ」

「なんだ?」

そびれたみたいだから、一つ、私たちがやっている芸を見せてあげる」


 そう言うと、梨花は座ったまま膝を軸にし、すすっと晴明ににじり寄ってくる。膳を挟まなければ、なかなかの至近距離だ。


「だから、ちょっと協力してほしいの。銭って持っている?」

「ん、一応は」


 梨花の問いに訝しがりながら頷くと、それを聞いた彼女は手を突き出してくる。


「一枚でいいから貸して頂戴ちょうだい。それが必要だから」

「……きちんと返せよ」


 少なからず不審を覚えつつも、晴明は黙って従う。銭を一枚取り出した晴明がそれを渡すと、梨花は満足した様子で頷き、てのひらにそれを乗せる。


「じゃあ、今からこれを消してみせるわ。よぉく見ていてね」


 そう言うと、彼女はぎゅっと手を閉じる。

 そうやってぐぐっと拳を握った後、彼女は握り拳を持ち上げる。

 晴明の顔の前まで持ち上げられたそれを、彼女はぱっと手を開く。すると、その掌の中にあったはずの銭が、何故かそこから消えていた。


「はい、おしまい。どう凄かったでしょう」


 そう言うと、梨花は勝ち誇った様子で笑みを浮かべる。屈託くったくのない笑みは、自分の技を見せられて満足そうであった。


「じゃあそういうことで。私たちは帰ります。じゃあね~」

「待てやこら」


 微笑みながら告げ、梨花は立ち上がろうとしたが、晴明はすかさずそれを呼び止めた。思わず伸びた手は、梨花の服の袖を掴みかけるが、か細い少女の袖を引っ張ることに微かな良心が働いたのか、直前で思いとどまる。

 片膝立ちで手を突き出した体勢の晴明に、梨花は言われた通り立ち止まる。そして口元に、意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「なぁに?」

「堂々と去って行こうとするな。銭を返せ、銭を」

「え~。でもあれは消えちゃったからー」


 にひひと、梨花は嗤う。その笑みは、完全に晴明をからかうものであった。

 どうやら彼女は、いかなる理由からかは知れぬが彼をもてあそびびたいようだ。その悪意を見抜き、晴明はむっとする。


「嘘をつくな。簡単な召霊術を使った呪術だろう。銭は袖の中か懐に隠していることぐらい分かる」


 不機嫌そうに、晴明はそう告げる。するとその言葉に、梨花と、二人の様子を見守っていた杏が目を丸めた。


「え? なんで知っているの?」

「舐めるな。こう見えても、俺は当世随一の道士から手ほどきを受けた身だ」


 そう言うと、晴明は懐からもう一枚、銭を取り出して右手で握る。


「こういうことだろ、ほら」


 言いながら、晴明は閉じた右手を梨花の前で開く。するとその手から、握っていた銭が消えていた。

 銭を消して見せた晴明は、その後今度は空の左手を持ち上げる。そこに何もないことを示すように掌を広げた後、結んで開く。するとその瞬間、何もなかった左の掌の中に銭が現れた。

 この現象に、梨花が息を呑む。


「な……っ」

「これぐらい、仕組みさえ分かって少し習えば誰でも出来る技だ。ほら、さっさと銭を返せ」

「や、やるわね……。でも、私の方がもっとすごいんだから」


 ここを去りつつあった身を戻し、梨花は晴明の前に座り直すと、何もなかった手を閉開する。するとそこから銭が一枚出る。すかさず、梨花はもう一度同じ所作をして、今度はその手に二枚目の銭を召喚してみせた。


「どうよ!」

「そのぐらい、俺にもできる」


 そう言うと、晴明は梨花と同じ所作をする。今度はその手に、三枚の銭が出現した。

 またも息を呑む梨花に、晴明はニヤリと笑う。


「ほら。簡単簡単」

「む、むむむ……」


 煽る様に言う晴明と、唸る梨花――両者の視線が、真っ向からぶつかる。余裕を見せる晴明に、梨花の鋭い眼光がぶつかり、双方の間では火花が散った。

 何やら剣呑な空気が起こり始める中、両者の横にいる杏が、少し困った顔で二人を窺がう。


「いいわよ、やってやろうじゃない! 私の方が上手いんだから」

「言ってろ。落ちこぼれとはいえ、俺にも道士としては一級であるという自負がある。お前なんかには劣らん」


 そう言うと、戦いは始まる。

 晴明と梨花は、互いに銭を消したり増やしたり、両手から次々と銭の出し入れを見せ始める。その枚数は徐々に増えていき、大量の銭が一瞬で増産されたり消失したりしていく。

 術比べ――が始まると、晴明も梨花も、互いに真剣な目で相手を挫かんと奮い出し始める。

 戦いは、しばらく続いた。


   *


 勝敗が決するのに、そう時間はかからなかった。

 晴明は、銭を十枚ほど消した後、逆手の中にそれを、中央の穴に紐を通した状態で出現させてみせる。

 それを見たところで、梨花が固まった。


「どうだ。これは出来るか? えぇ?」

「……っ」


 晴明が新たに見せた技の前で、梨花は押し黙る。彼女は握った拳を両腿の上に置くと、ふるふると身体を震わし出す。そこからは、退路を断たれた獲物のような動揺が見て取れた。

 その反応に、勝利を確信した晴明は口角を持ち上げる。


「ほら、やっぱり俺の勝ちだ。残念だったな。それじゃあ、さっさと銭を返し――」


 相手を負かしたことで、早速奪われていた銭を回収しようとする晴明であったが、直後表情を固める。原因は、梨花の表情だ。

 梨花は、下唇を噛みながら、目元を振るわせて涙ぐんでいた。強い感情を発露した様子で、実に悔しそうに涙を浮かべている。

 その表情に、晴明は呆気にとられた後でやや焦る。


「お、おい。何だよ、その顔は」

「……負けてないもん」


 ぼそり、と梨花は言う。


「負けてないもん。負けてないもん。私が下手なんじゃない。きっと貴方がずるをして……」

「お、おい。何で泣くんだ。別に酷いことは何も……」

「あー。梨花はね、すごく負けず嫌いなの。だから、術比べで負けたのが悔しいんだと思うわ」


 戸惑う晴明に、横で勝負を見守っていた杏が言う。


「今見せた術、梨花は樹神様に付きっきりで指導をしてもらって、何十日もかけて習得したものだからね。それをあっさりと見破られた上に、自分以上のものをみせられて、悔しくて仕方がないんだと思うわ」

「………………」


 杏の説明に、晴明は黙る。

 晴明にしてみれば、今の術はさほど難しいものではないものの、梨花にしては思い入れの強い、得手えてとしていたものだったのだろう。それをあっさりと模倣もほうされた上に上回られて、梨花の自信を踏みにじられたことに、梨花は口惜しさを感じていると思われた。

 それを悟る彼に、杏はなおも言う。


「晴明殿も大人げないよねぇ。子供相手に本気を出して……」

「ち、違う。俺はただ銭を取り返そうと――」

「晴明殿。よろしいですか?」


 弁明しようとする晴明に、梨花と杏の後ろ側から声が掛かった。

 可憐で美しいその声に、晴明はぎょっと顔を上げる。声の主は、予想通りの人物だった。

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