第12話:樹神一座

12、


 声が湧いた方角へ、晴明は何気なく足を運ぶ。

 場所は東市の北端にある場所で、そこでは大勢の人だかりが、同じ方向に注目しながら拍手喝采はくしゅかっさいを送っていた。

 何やら遊芸の披露でも行なわれていたのだろうか、そう推測した晴明の前では、客と思しき人々が、次々と銭を取り出していた。


「ありがとうございます! ありがとうございます!」


 銭を用意する観衆たちの合間を、それの回収役と思しき芸人の少女が歩いてくる。巫女装束みこしょうぞく――正確には千早装束ちはやしょうぞくと言う名の、上着は白衣はくい・下は緋袴ひばかまの姿で、見物料を払う客たちに笑顔を振りまいている。まだ十代前半から半ばだろう少女の明るい笑顔に、観客からは声援や温かな拍手が送られていた。

 微笑ましさも覚える光景を前に、晴明もつられて拍手する。彼は演目を見たわけではないが、場の空気が、芸人たちを祝福する空気一色に染まっていたために、それが一種の呪術であるかの如く、自然とその動きに巻き込まれたのだ。


 そんな風に手を叩く晴明に、回収役の少女が気づいた様子で目を向ける。彼女はとことこと、小走りに晴明に駆け寄って来た。

 そして、銭を回収する籠を差し出してくる。

 少女の接近にややあって気づいた晴明は、固まった。


「……え?」

「ん?」


 思わず声を漏らす晴明に、少女は小首を傾げる。

 そして、ひどく不思議そうに口を開く。


「あの……見物料の方は?」

「……け、見物料?」


 少女の口から出た言葉、行動の真意に気づいた晴明は、思わず声を上擦らせた。

 どうやら目の前の少女は、今しがたやっていた芸を見物した料金を、晴明に対して請求しているようだ。

 少女に悪意はない。しかし、今来たばかりの晴明には、当然それを払う義務はない。


「……いや、俺今来たばかりで見ていないんだが……」

「は?」


 やや気まずそうに言った晴明に、少女は笑みを消す。そして、じっと窺うような目で、晴明を見据える。その、無言の威圧に対し、晴明は慌てて言葉を紡ぐ。


「だから、ここには今来たばかりで、見物料とか言われても……」

「……ほうほう。なるほど、そうおっしゃいますか」


 晴明の弁明に、少女はすっと目を細める。快活で明るかった先ほどまでの表情とは一転、かなり鋭い眼差しで、少女は晴明を見る。それは、獲物を見つけた鷹のようだった。


「そうですか。そうやって、銭を出すのを渋るのですか。あれだけの美しい芸を見て、銭を出さないとは見上げた度胸ですね」

「いや。だから見てないんだって」


 少女からの疑惑に、晴明は抗弁する。

 周りでは、すでに銭を払い終えた他の観客たちが、この場をゆっくりと去り始めている。人だかりが散っていく中で、しかし晴明はその流れに乗れず、少女の尋問に縫い付けられたように留まっていた。

 少女は勿論、晴明の言葉を信じていないのだろう、不服そうに彼を見続ける。


「言い訳はよしてください。いいから払ってください。というか、払え」

「いや、だから――」

「おや。誰かと思えばお前さんか」


 反論しようとした晴明の声を遮った声の主は、二人の横手から姿を現わした。

 視界の隅に入ったその長身に、二人は横目を向ける。そこには勇壮に整った髭面の、大男の姿があった。

 一見威圧的に移るその影は、しかし表情には愛嬌のある笑みを浮かべて歩いてくる。

 彼に気づき、晴明はその再会の時機に少し驚く。


「満仲殿」

「殿、付けはいいって。昨日も言っただろう?」


 晴明の声にくすりと笑い、満仲は彼からその前にいる少女の方を見る。満仲の視線の先では、少女が不思議そうに目を瞬かせている。まるで、満仲が晴明と口を聞いたことに驚いているような反応に、晴明と満仲はそれぞれ、不審と怪訝で目を瞬かせた。

 が、すぐに満仲が晴明に目を戻す。


「お前も樹神殿たちの興行こうぎょうを見に来ていたのか。いやぁ、見事なものだったなぁ」


 一瞬前の訝しさはどこへやら、満仲は笑みを浮かべ、懐から取り出した銭を一枚、少女の持つ籠の中へ入れる。それに、少女は「あ」と声を漏らすが、満仲は気にせず晴明に話しかける。


「あれほど見事な芸を民草の前で披露してくれるとは。実にありがたいものだよな」

「いや……。俺は見てないのですが。というか、樹神殿の遊芸だったんですか?」


 戸惑い気味に、晴明らはそう尋ねた。誰かの興行だとは思っていたが、しかし樹神たちの一座のものだと知ったのは満仲の言葉で初めてだ。

 その問いに、満仲は笑みを薄めて眉根を寄せる。


「なんだ。お前さん、見ていないのか?」

「えぇ。ここには、今来たばかりなので」

「何か嘘っぽいですけどね。銭を払わない言い訳みたいで」


 満仲の登場に、しばらく何故か衝撃を受けていた様子の少女だったが、ここに来て我を取り戻した様子で口を開く。その毒に、晴明は年下の少女に侮られていると感じたのかむっとする。そんな彼の視線に気づいて、少女も鋭い視線を返していた。

 何やら目線で火花を散らしだした二人に、満仲は苦笑する。


「それに関しては大丈夫だよ、あんず殿。こいつはそのようなくだらない嘘をつく人間ではない。本当にここには、今来たばかりなのだろうよ」


 晴明を庇うように満仲が言うと、その言葉に晴明は内心驚きつつ、しかしその感情を面には出さずに満仲を見た。思いがけずに弁護をしてくれた彼は、自分に振り向いた晴明に向け、片目を閉じる。

 そして、二人のその言葉ではないやりとりに目を左右させる少女に、満仲は懐に手を突っ込みながら首を傾げた。


「まぁ、納得がいかないのなら、俺が彼の代わりに払おう。それでどうだ?」

「い、いえ。満仲様にそんなことさせられません」


 満仲の提案に、少女は委縮した様子で首を振って後退する。

 そして、満仲と晴明を交互に見た後で、ぺこりと一礼する。


「失礼しました。では、これにて」


 そう断りを入れると、少女はその場を小走りに去っていく。

 晴明たちから離れた彼女は、そこからまだ支払いを済ませていない他の客を探しだすように、顔を左右に動かしながら遠のいていった。 

 そんな彼女の様子を見送ってから、晴明は満仲の方を向いて頭を下げる。


「ありがとうございます。助かりました」

「なぁに、別に礼を言われることではないさ。お前が本当は嘘をついていたとしたらアレだが」


 含みを込めて揶揄して来る満仲に、晴明は思わず失笑する。悪意がないのは分かり切っているため怒りはしないが、返答に少なからず困る言われ様であった。

 頬を掻こうと利き手を持ち上げる晴明に、満仲はふと思い出したように眉根を寄せる。


「で、お前さんはなんでここに? 単なる偶然か? それとも……」

「あぁ、そうでした。実は、保憲さんから貴方に向けて頼まれていたことが」

「ん? 俺に何か用か?」

「はい、そうです」


 そう言うと、晴明は懐より保憲から預かった鬼退治の報酬を探しながら、事の次第を説明する。昨晩の働きに対する保憲からのお礼の話に、満仲は耳を傾けた。


「そうか。わざわざご足労をかけたな。別にそんな報酬は求めてはいないのだが……。ま、その気遣いに応じて今回は受け取っておくとするよ」


 晴明が取りだした銭の束を、満仲はそう言って顎を引き、受け取る。手に取ったそれにちらっと視線を落としてから、彼はそれを懐にしまった。

 それを見届けた後、晴明は視線を彼から横へ向けた。振り向いた先は、先ほどまで遊芸が行なわれていたと思われる場所で、そこでは今、千早装束の少女たちが片づけらしきことを行なっているところだ。


「ちなみにですが、どんな遊芸を披露されていたのですか?」

「ん? 気になるか?」

「えぇ。周りの人間が、惜しむことなく見物料を払っているのを見ると……」


 一言で遊芸の披露と言っても、やはり見事なものでなければ見物料を払おうとは思わないだろう。裏を返して客の反応から察するに、披露された芸はそれだけ見事なものだったということだ。

 それに、晴明も人並みの興味があった。


「そうだな。民衆向けともいえる演舞に、それから簡単な呪術を披露されていたよ。花が吹雪ふぶくような可憐さと美しさと、摩訶まか不思議な手品の類を見せられて、多くの客は見入っているようだったな」


 要点を得て分かりやすく、満仲は説明する。

 その説明の中で、晴明は簡単な呪術という単語が気になった。この時代、遊芸で単純な呪術を披露する集団は珍しくない。それが誰でも容易にできる術か、それとも種も仕掛けもある手品かは別だが、それでも民衆を楽しませるものとして芸の集団はよく披露しているものだった。

 晴明の疑問はさておき、満仲は感服したように言う。


「京とはいえ、あのような遊芸を見られるのは実に珍しい。趣もあったし、見ていて損がない興行だったな。逆に言えば、見られなかったなら損だったと思うぞ」

「……暗に俺のことを言ってます?」

「はは。よく分かったな」


 悪びれなく謝る満仲に、晴明は怒る気にもなれない。こういう揶揄は日常茶飯事なのだろう、出会ってまだ二日ながら、満仲の事を知り始めた晴明はただ呆れて失笑するのみだった。


「これは満仲殿、晴明殿。見物なさっておいででしたか」


 不意の声は、文字通り突然かかった。

 唐突で可憐な声に、晴明は内心ぎょっとするも、それを顔に出さずに満仲ともども振り向く。

 そこに待っていた人物は、およそ予想していた人物だった。声も、その容姿の美しさも見間違えようもない。今日に関しては、清潔さや神聖さが感じられる千早装束と相まり、その神秘さがより魅力的に映えている。

 息を飲むほど、言葉通り美しい彼女に、満仲が手を挙げた。


「これは樹神殿。御見事な舞でしたな」

「まぁ、ありがとうございます。やはり見に来てくださったのですね」


 心に染み入るような可憐な声で、樹神はにこりと笑う。笑みを誘うその笑みに、満仲が頬を綻ばせながら頷いた。


「あぁ、俺はな。ただし、晴明の方は今来たばかりで見損ねたそうだ」


 からかうように、満仲は晴明を横目にする。その言葉に、樹神に見惚れていた晴明はややむっとする。先ほどまでの揶揄と同じだが、芸を披露していた当人の前では見栄と言うものがある。今それを言うか、という感情が彼にはあった。

 そのやりとりを見て、樹神は目を瞬かせる。


「あら、そうだったのですか。それは残念です。しかし、披露するのは今日だけではありませんので、また後日に見に来てくだされば嬉しく思います」

「また、やられるのですか?」


 晴明が訊ねると、樹神は頷く。


「はい。流石に毎日は出来ませんが。また数日後に披露するつもりです」

「ならば、今度は必ず見に来なければな。でないと、また見逃した上に銭を請われかねん」


 満仲はそう言って、晴明の肩を軽く叩く。そのからかいには、晴明は不満ながら渋い顔をするしかない。

 二人にしか通じぬその言葉に、当然樹神は首を傾げる。


「えっと……それはどういう意味で?」

「いやさっきな、樹神殿のところの娘さんに、こいつが銭をこびられてな。見てないと言っていたが疑われておったのさ。なかなか面白かったぞ」


 笑いながら、笑い事として語る満仲に、晴明は頬を攣らせる。


「俺の立場では面白くもなんともないのですが」

「そうか? まぁ俺の立場からすれば面白可笑しかったがな」

「おい……」


 少しばかり頭に来て、晴明が邪険な目を向けると、満仲は両手を軽く上げ、「これも冗談さ」と片目を瞑って見せる。ついさっきも見せた表情ながら、意味合いは先とまるで違う。それが晴明には憤懣の種ではあったが、樹神の手前、ぐっとこらえる。

 そんなを見せる二人の前で、樹神は眉を顰める。


「それは……大変失礼しました。見ていない方からすれば、理不尽な申し出ですよね」

「あぁいえ、理不尽とまでは思っていませんよ。相手からすれば当たり前のことです」


 真面目に取り合う樹神に、晴明は慌てて取り繕う。別に、善人である樹神を責める気も、その少女を責める気もなかった。


「そうですか。そう言ってもらえると少し安心です。もしよろしければ、次の機会に御覧になられてください」

「あ、はい。出来れば見にきます」


 樹神の誘いに、晴明は頷く。それは、社交辞令ではなく本心である。京の人々を魅了した彼女たちの芸に、晴明も興味があった。


「お、そうだ。晴明、この後は時間あるか?」


 不意に話を変えるように、満仲が訊ねてくる。その突然の話の展開に、晴明は訝しがる。


「いえ。特には」

「そうか。実はな、これからウチの屋敷で宴席を設けようと思うのだが……」


 そう言って、満仲は樹神の方を見る。そちら側、正確に彼女の後ろから、今ちょうど千早装束の少女たちが近づきつつあった。

 芸場の後片付けが終わったのか、少し疲れた様子でやってくる彼女たちの顔をみると、そこには梨花や山吹、それから先ほど銭を回収していた少女・杏という名らしい娘の姿もあった。

 そんな彼女たちがやって来て、杏が晴明の顔を見てはっと頭を下げる中、満仲はそれに頷き返す晴明に告げる。


「一緒に飲まないか? 昨日の鬼退治の祝勝と、樹神殿たちの興行の成功を祝って」

「樹神殿たちのって、彼女たちも参加するのですか?」


 横目を向けて怪訝そうに問いかけると、満仲は頷く。


「あぁそうだ。これから一緒に飲む約束をしていてな。今からなら、お前一人追加したところで問題はない」

 そう言うと、満仲は樹神に目を向ける。その視線の意味に、樹神は敏く気がついて顎を引く。

 事後承諾に近いが、樹神も異論はない様子だった。


「私たちも構いませんよ。晴明殿には、昨日の一件への感謝もありますから」

「――と、いうことだ。ちなみにだが……」


 そう言うと、満仲は手を口元に立てて、晴明に耳打ちするような体勢を取る。もっとも、声はまったく潜めない。


「無論、金銭を徴収したりはしない。無償での馳走ちそうだから懐具合を心配する必要はないぞ」

「分かった。是非参加させてもらいます」


 二つ返事で、晴明は満仲の誘いを了承する。

 自分が何か払わなくていい奢りの宴会、しかも美女たちが一緒のものと聞けば、晴明に断る理由はない。

 晴明の反応に、満仲は満足そうに、また樹神も嬉しそうに微笑む。

 その一方で、であるが、


「意外と安いわね、この人」

「こら梨花。思ってもそう言うこと言っては駄目よ」


 ぼそりと毒舌を漏らす梨花を、山吹がたしなめていた。もっとも注意はするのみで、言葉自体の否定はなかった。

 そのやりとりは耳のいい晴明にも聞こえ、彼は少しむっとする。

 その反応を目に、樹神は少女たちへの注意に入る一方、満仲は一人黒幕としての悪そうな微笑を浮かべていた。

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