第11話:人探しの行商
11、
昼過ぎとなり、大舎人としての役所仕事を終えた晴明は、満仲に会うために彼の邸宅を訪れた。
理由は勿論、保憲から預かった鬼退治の報酬を渡すためである。仕事後に朱雀大路を南に下った彼は源邸の
が、返ってきた答えは、満仲は不在だというものだった。満仲はつい先刻屋敷を出てしまい、今の屋敷には彼はおろか、その弟たちもいないということだ。
それを受けて、晴明は満仲が向かった先を問うたところ、おそらくは東市に出かけているという。話によれば、満仲は買い物がてらに知人に会ってくると家人たちには伝えたらしく、
その話を聞いた、晴明は迷った。満仲が不在だということならば、自分が取るべき行動には二つの選択肢がある。一つは屋敷に留まって彼の帰りを待つというもの、もう一つは彼を追って東市に赴くというものだ。前者の方は時間が掛かるかもしれないが確実に彼と会うことができ、後者であれば時間はそう掛からないが彼に会えるかどうかは確定的ではないという、それぞれに利点も欠点もある選択であった。
少し思慮した後、晴明は後者を選択する。理由としては、あまり源邸のような大きな屋敷に知り合い一人おらぬまま待つのに息苦しさと気まずさを覚えるだろうと感じたことと、東市程度の場所ならば、すれ違わぬ限り探せばすぐに相手を見つけられるだろうと判断したからである。
こうして晴明は、早速東市へと向かうのだった。
*
東市は、賑やかな人々の雑踏と活気に満ちていた。
晴明が赴いたところ、ちょうど時間帯としては人が最も多く集まっている頃合いで、庶民から貴族の家人などの多くが、市場に足を運んでいた。
そんな東市の通りを、晴明は進む。商いが行なわれている市の通りでは、日用品から珍しい品物、貴重な品から渡来品と称されるものが多く並べられていた。その品物の数々に、通行人の一部は足を止め、買う者も買わざる者も売り物に見入り、観賞して好奇心を満たしていた。
そんな周りの客の如く、晴明も思わず足を止めて品を見たくなるという衝動に駆られる。鬼退治の報酬で懐が潤ったこともあり、興味に魅かれてつい欲しくなってしまいそうな品物も多くあった。
だが、その衝動に負けぬように、晴明はぐっと我慢する。手持ちの銭貨が増えると、ついつい何か欲張って買い物をしてしまいそうになるが、貧乏暮らしの彼にとっては、その衝動は命を削る誘惑に近い。必要最低限の品だけを買う様に心掛けなければ、後々苦しい思いをするだろうことを、彼はよくよく知っていた。
足を止めて品を買いたくなる衝動を抑え、その誘惑を振り切るように顔を通りに向ける。自分は満仲を捜しに来たのだという理由を盾に、なんとか珍品への欲求を振り払うのだった。
「あの、すみません。ちょっとよろしいでしょうか?」
不意に声が掛かったのは、晴明が市場の品などから目を逸らして歩き始めた矢先であった。
声に振り返ると、そこには庶民が好んで着用する
旅の人間か、それともこれから旅に向かう人間なのか、いずれにしても旅装束に近い格好をしたその青年に、晴明は特に怪訝がることもなく振り向いた。
「はい。なんでしょうか?」
「私は旅の者で、この京にいるあるお方を探しているのですが、その、居場所が分からなくて……。人探しに御協力いただけませんか?」
少し不安げに、探りを入れるように訊ねてくる青年に、晴明は一瞬思考で間を置いてから顎を引く。
「えぇ……分かる人物なら、ですが。誰ですか?」
訊ね返すと、それを聞いて青年は「かたじけない」と頭を下げる。
「
「あぁ。あの方ですね」
青年が訊ねた人物に、晴明は即座に目星をつけた。
京の市聖と訊ねられれば一人しかいない。
その人物の名は、
歴史的には、この時代の信仰の一つである浄土思想の先駆けとなった人物であると共に、社会事業や布教に力を入れ、
その人望も絶大といってよく、無法者や盗賊の類までも、相手が空也と知るや悪さを行なえずに退散したという逸話すらあるほどであった。『市聖』と呼ばれることからも分かるように、京の市場で活動している、生きる
そんな、当時では京で知らぬ者もいない人物の名に、晴明が見当を付けられるのも当然だった。
「おそらく、市の東にある堂にいると思います。大体はあそこで、教えを説いたり
「左様ですか! その東の堂というのは?」
晴明の情報に、青年は喜色を浮かべて道筋を問う。それを受けて、晴明は答える。堂は、東市の端に位置しており、いるならばそこに今日も人だかりが出来ているはずだということまで伝えた。
その道筋を、青年は何度か小さく復唱すると、そちらの方向から晴明に顔を戻す。
「ありがとうございます、助かりました。早速向かおうと思います!」
そう言って頭を下げた後、青年は踵を返す。早速向かおうとしたのだろう、彼は早足で進みかけた。
が、数歩進んだところで、彼は足を止めて振り返る。晴明がそれに眉根を寄せると、彼は少し恥ずかしそうな顔で強張った笑みを浮かべた。
「どうしましたか?」
「そ、そういえば仲間も同じように市聖様の居場所を探しているのでした。まずは仲間たちに合流しないと」
恥ずかしそうな顔で青年が笑うと、その顔に、晴明もつられて笑った。必死になっていたがゆえに仲間の存在さえも忘れるという、少し可笑しい、面白い人物だと思ったのである。
「旅の者、とおっしゃいましたね。何人かで旅をなさっているのですか?」
やや興味を引かれ、晴明は訊ねた。その問いに青年は頷く。
「えぇ。各地を巡行しながら、商売をしています――と、そういえば名乗りもお礼もまだでしたね」
思い出した様子で言うと、青年は頬を掻きながら自己紹介をする。
「私は、薬草の類を取り扱っている
「……何故?」
「しばらくこの京には滞在する予定なのですが、よかったら薬を買いに立ち寄ってください。道を教えてくれたお礼に、特別に安く薬草を提供します」
目を細める晴明に、青年は朗らかに告げる。その態度は気さくで、思わず好感を覚えるような心地よいものだ。
もっとも、ひねくれ者の晴明はそう素直には受け取らなかった。その言葉に、彼は少しだけ胡散臭さを覚えたのである。何故なら、道案内を求めたのは一種の演技で、本当は間接的に客を作ろうとしているのでは、と疑いを抱いたためだ。
そんな裏の意図を勘繰る晴明だが、もっともそれを口に出して訊ねることはしない。指摘したところで、実際にそうだとしてもそうでなかったにしても、躱される可能性が大と考えたからだ。ここは、気づかぬふりをして流すのがよいだろうと、彼は考えた。
「それはありがたい。御覧の通り裕福な家の人間ではないので、格安で薬がもらえると嬉しい」
「喜んでもらえて何よりです。商売は次の定期市以降に行なうつもりなので、是非足をお運びください。薬草は幅広く取り扱っているので、欲しい薬は必ず見つかるかと」
疑心を抱く晴明に気付いていないのか、青年は笑顔で言うと、晴明の傍らを通る。
「それでは、またお会いしましょう。ありがとうございました」
そう言って。青年こと頬白は、この場を去って行った。その言動は、一見慇懃で親しみやすく、好感を覚えやすい。
とはいえ、
頬白の姿が雑踏で見えなくなるのを確認すると、晴明は気を取り直して市場の通りに目を向ける。
青年に道を尋ねられるという出来事はあったが、彼は本来の目的を忘れていない。すなわち、この東市のどこかにいるだろう、満仲を見つけるということだ。
その目的を果たそうと、晴明は探索を再開する。
ひときわ大きな歓声が聞こえてきたのは、それからしばらく東市の中を歩いた後であった。
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